陸上部の彼女I
いろんな恋が書きたいなー。っていうのがこの作品のもとになっていて。
とりあえずいっぱい恋させます!
人の恋愛好きだ。
人が恋に落ちる瞬間。恋人とともに過ごしている瞬間。振られてしまったときの顔だって。全部ひっくるめて他人の恋がボクは好きなんだ。
恋愛とは人を輝かせる魔法だとボクは思う。だって恋している人は皆、太陽のように煌々ときらめいている。
ボクはただ輝く姿が見れない自分の恋よりも、それを見れる他人の恋を見ていたいだけなんだ。
「もう冬だな」
ボクの正面に座る少年が物憂げな表情で窓の方を見つつ言う。それに釣られてボクも窓を見やった。そこには正門のいちょうの並木道があって落ち葉が大量で、誰が片付けるのか少し疑問に思ったが感概もそれだけだ。冬が来ようと夏が来ようとボクのやることは変わらないのだから。
「もうすぐクリスマスだぜ?」
少年はうへぇ、といやそうな声を出して机に突っぷした。冬とクリスマスは高校生会話の中ではイコールらしい。かくいうボクもその考えなのだけれど。
「おい、櫂斗。聞いてくれているのか?」
「えっ?あぁ、優李がクリスマスに向けて彼女が欲しいって話だろ」
「まだそこまで話してないけどな」
じとーっとした目で俺の悪友である吉川優李はボクを睨んでいたけれど、すぐに諦めて溜め息をついた。
「ほんとにお前は気楽でいいなぁ」
「ま、そういうのまだ興味ないからな。てかお前、そんなだれでも良い、みたいなこと言っていいのか?『先輩』に振り向いてもらうんじゃなかったのかよ」
茶化すようにボクが言うと優李は頬を真っ赤にした。あぁ、恋をしている顔だ。アシンメトリーに切られた優李の黒い前髪が少し揺れた。
「悪いな。今日のお昼はお前とつき合ってられないんだ」
自分の弁当とノートを持って席を立った。優李が不満げな声を上げたが無視して、教室の外に出る。
「ノートなんて持って……このがり勉ッ!」
そんな言葉も、ボクに恥ずかしい所を言われたことに対する照れ隠しだと分かっているから気分はちっとも悪くならない。
それに、このノ一トは。
「残念ながら勉強用のじゃないんだ」
『相関図』と書かれたノートの表紙を見ながらそう言って、笑った。
昼食のベストプレイスとは言い難い屋上はいつも通り人が居なかった。理由といえばこのバカみたいな寒さと風だろう。さっき優李が言っていたがもう冬なんだ。そういう訳でもはやワーストプレイスと化したこんな場所になんで来たのかといえば、このノ一トをじっくりとまとめる為だ。
まずは強風からこの身を守ってくれそうな貯水タンクの影に隠れ、弁当をつつきつつノートをパラパラとめくる。
このノートにまとめられているのはこの学校の恋模様。これはボクが自分の感覚と調査の結果でまとめあげた。ボクは人間関係に聡い方だから大体見ていれば誰が誰を好きなのかを判別するのは難しくない。ただコツがあるとすれば主観と先入観をできるだけ排除すること。
それさえできれば思春期の男女の心情を見抜くのは驚くほど簡単だ。
「あっちゃー、ジュース買い忘れた……」
このノートはボクの宝であるから比重としてはジュースなんて下の方だけど、いかんせんボクは飲み物がないと食事ができないのだ。昨日ぶりのノートにそこまで我を忘れるとは。情けない限りだ。
腕時計を見ると、まだ昼休みも40分近くある。飲み物を買ってきても、時間は余るほどだ。仕方ない、行くか。
立ち上がってから、ノートをどうしようか一瞬だけ迷ったが他人のノートなんて勝手に見ないだろうという常識から置いていくことにした。まずこんな場所に来る人自体いないと思うけどな。
屋上から出て購買へ向かう。自販機でもいいのだが値段が高いからな。というかどうなんだよ、学校内で値段が違うって。まあ、購買はお昼限定だからなんともいえないか。
そんなことをぶつくさ考えながらボクは階段を下っていった。
二階まで下りて、変な奴を通りすがりに見た。黄色い弁当入れを持った黒髪でショートヘアのせいでスポーティーというかボーイッシュな印象を受けるがスカートを穿いた女の子が階段を上がっていったのである。上履きのラインの色が青い。後輩だ。
「いや、まさかな」
そう苦笑した。上には三階と四階があるし、わざわざこんな冬の寒い日に外にでようとは思わないだろう。そんな風に思ったからその少女を見たこと自体、頭から呆気なく抜け落ちていった。
教室や資料室とは比べものにならないほど分厚いドアを開く。ぎぃー、と音を立て道をあけてくれる。その先に見えるのは青い空と白い雲と灰色のコンクリート。
ここは屋上。解放されているとは知っていたが、初めてきた。別にイジメられてこんなところに逃げてきたわけではない。
「逃げたのは同じかな」
面倒な人がいるのだ。話は通じないし、人を勝手に連れ回すし。しかもそれがいつおこるのかさえ分からないハリケーンのような本当に面倒な人がいるのだ。
そんなことのせいで特に昼休みは気が抜けない。でもお昼くらいゆっくりしたいから寒いのにこんなところまで逃げてきたというわけだ。あの人もさすがにこんな寒いところにいるとは思うまい。
この時期、この地域で一番厳しいのは風だ。このあたりは山に囲まれているから、一年中風は吹くのだが、この時期は北の山から颪風が強烈に吹く。もはや吹き荒れる。だからこのあたりは気温以上に寒く感じてまうのだ。
だから風をしのげそうなところを探す。逃げてきたといっても、寒すぎて手が動かなかったら落ち着いて食事どころか箸をしっかり扱えるかどうかも怪しい。
キョロキョロなどしなくても、それはあった。貯水タンクの陰。運良く風をしのげる方はひなたでぽかぽかとあったかそうだ。
「ん?」
そこに行ってみたら弁当箱がある。誰のだかわからないがたぶん女の人の可愛らしいピンク色の弁当箱があった。もしかして先客だろうか。こんどこそキョロキョロしてみたが見たところ人はいないようだ。うーん。どうしよう。
「まあ、食べてる間に帰ってきたら気まずいかな」
先客がいるのに、その場に居座れるほど自分は図々しくない。まあ、女の子なら仲良くできるような気がするけど……。
風がびゅう、と先ほどまでよりも一層強く吹き付けた。そんな風の音に混じって紙のすれる音──?
あっ、と声が漏れる。それは足下に転がっているノートのせいだ。そのノートが風のせいで勝手にめくれていた。なにやらいろいろ書き込んでいるらしいノートだ。しかも色はシャーペンの黒のみ。あまり女の子らしいとはいえないノートだった。
先客のものだろうか?いや、そんなことよりこのノートが飛んでしまう前になにか重しを乗せなければ、と思い至る。
手間がかかるなあ、とため息をつきつつそのノートを拾い上げる。誰のかもわからないものだから、中身をみるのも忍びないのだが、風のせいでノートは開きっぱなしだ。
「ごめんなさい、ノートの持ち主さん」
そのノートを拾い上げて、驚愕する。そんな生易しいものではない。頭に雷でも落ちたかのような衝撃的だ。その前のページや、後のページを見てもまた衝撃が走る。なんだこれは。こんなの普通じゃない。
無意識のうちに『わたし』は唇をかみしめていた。
ぎぃー、と扉が音を立てる。今日のその音は聞き慣れた俺を慰めるかのようにやけに小さかった。
あっ、と自分の口が無意識に動いたのが分かる。ボクのテリトリーの屋上に女の子がいた。黒い髪でショートヘアでその後輩の横顔からはクールな印象を受ける。何で彼女がここにいるのかはこの際どうでもいい。問題なのは彼女がボクのノートを持って読んでいることだ!
「あのぉー……」
ボクの声と重なるタイミングで一際強い風が吹いた。そのせいでボクの声は彼女に届かなかっただろう。
だがしかし彼女はその一際強い風の中でボクに振り返る。すごい勘をしていると今の一大事も忘れるほど感心した。でもそれも束の間のことだ。僕のことを彼女は見つめてきた。というか睨まれた。
そのノートを見て嫌悪するのも確かにわからなくもないんだけどさ……。
「そのノート返してもらえる?」
「このノート、先輩がつけてるんですか?」
心なしか、いや普通にボクが詰問された。もちろんイエスと答える以外にも選択肢はあるが別に嘘をつく必要もないな。相手は見たこともない子だし、なんなら優李たちにバレようが実はボク、どうってことないのだ。
「そうだけど?」
「何で吉川先輩はそんな笑ってるんですか」
────んんん?
なぜこんなところで優李の苗字が出てくるんだ?それともボクをほかの誰かと間違えているのか?
「な、なんでその名前を?」
「なんでって、こんな『妄想ノート』見ればすぐわかります」
クールな感じの後輩は冷静にそう言った。が、しかしそれは間違いなんだよなぁ。一部だけ見てボクの『相関図』を優李が先輩のことを好きすぎて書いた『妄想ノート』だと勘違いしたのだろう。うわー、なんか怒ってるっぽいし面倒そうな展開だな。
多分この瞬間、ボクは世界で一番げんなりした顔をしていただろう。誤解を解くダルさとそのまま誤解してもらったままのダルさを天秤に掛けてもほとんどその天秤は動かない。どちらを選んでもそれほど等しく面倒くさそうな未来がほぼ確定的になっていた。
「ぼ、ボクのそのノートを返してくれないか?」
後輩は少し悩むように眉を寄せたあと「いいですが、条件を付けさせてもらいます」と言った。
ぐえっ、ほらまた面倒な方向に転んだ。あー、今日は厄日かよ。頭の中では面倒の二文字が踊って、さらにボクの気持ちを下げていく。
そんなことの一端でも見せれば彼女からどんな条件が付けられるかわかったもんじゃない。だからボクは笑顔でこう言う。
「条件を聞くよ」
もうそうやって折れるしかなさそうだ。弁当もまだだからおなかも減ったし、買ってきたジュースももうほとんど常温に戻っている。
「聞かせてください。なんで優李先輩は姉さんのことが好きなんですか?しかもこんな妄想ノートをつけるほど……」
「姉、さん……?」
面倒な今はどうやら楽しい今日の始まりの合図だったらしい。
寒い。休日、土曜日の午前11時。場所は市営運動公園の陸上競技場の観客席。お世辞にも綺麗と言えないこんな所に帰宅部のボクが何故居るかというともちろん入部希望ではない。ある人とお話をしたくて来てみたのだ。当然アポは取ろうとしたが向こうが拒否してきたので現場に突撃しちゃった次第である。
「眠いし寒い……」
よくこんな中であんな寒い格好で走れるなぁ、と無責任に感動した。夏でもボクはあそこまで露出しないからなぁ。
今、ここから見えるトラックで練習しているのはボクらの高校の陸上部だ。男子はここから見て奥の方で固まっていて、女子は手前側で固まっている。ボクが用があるのは女子部員の一人だ。そこまで仲は良くない。
暇すぎて寝そうだったので体をひねるついでに辺りを見回した。人がいない。ボクしかいない。その寂しさも相まってボクの眠気はロケットエンジン並に加速していく。
半分微睡んでいたら、ふと意識の遠くからピストルの音がして微かに足音が聞こえた。眠さにぼやけた視線をやるとどうやら女子部員の八人が一斉にスタートしたようだ。ボクがあの中に入ったらどうなるのだろうと意味のない想像を膨らませても勝てるとは1パーセントも思えない。それほどに全員が速い。
その中のトップがあの後輩だった。
おおー、と誰も居ないのに拍手を送った。あの子すごい子だったのか、そうは見えなかったなぁ。などと若干失礼な考えが過ぎる。
そのあと何度か彼女は走ってた。なんというか走りのフォームがやけに綺麗だなぁ、というのが感想だ。見学を経て、一応この陸上部にも少しだけ興味が沸いた。とはいえ入部したいということではない。
「興味を持ったのは違うものか」
正午を知らせるサイレンに俺の声はかき消されて、消えた。
午前中だけの練習だとあの後輩、萩宮さんが言っていたからもうすぐ終わるのだろう。
ポケットの中に手を突っ込んであるものを取り出す。これが今日のボクを守ってくれるアイテム。誰にも気づかれないまま萩宮さんと二人っきりになるのがこれからのミッションだ。
さあ、始めよう!
目の前には不機嫌そうにアイスカフェオレをストローで飲む萩宮さんがいた。
「先輩。百歩譲って今日練習を見学していたのは不問にします。でもなんであんな所でここに誘うんですかっ」
場所はカフェのテラス席。彼女がいた競技場からボクのお金で電車に乗らせて半強制的にここに連れてきてしまったわけだが、電車に乗せるまでが容易ではなかった。
ちなみに彼女の格好は陸上部の白と赤のウィンドブレーカー。背中に高校名と陸上部ということがはっきり明記されている。
お洒落な感じのカフェにはいささか不釣り合いで、ほかのお客さんや通りすがりの人にちらちらと見られてしまう。その恥ずかしさのせいか彼女の頬はややあかい。
「まあ、いいじゃないか。ボクだってあんなに好奇の視線に晒されたんだし、恥ずかしさで見れば同じくらいだと思う」
あはは、と笑ってごまかす。それでも納得いかないのか、やや不機嫌な顔でストローから口を離した。
「あれは先輩の自業自得です。先輩があんなところに出てこなければああはなりませんでした」
「眼鏡していればバレないと思ったんだけどねー」
つん、とそっぽを向く萩宮さん。ボクの秘密兵器は不発。普通にバレてしまった。萩宮さんに話しかけようとした瞬間、ボクのことを知っていた陸上部の女の子に声をかけられてしまったのだ。
それに恥ずかしさもあるんだろう。女の子って男がらみの話にはやたら食いつくしなぁ。これはなんというか話を聞くどころではないな。もっと仲良くならねば話してくれないかも。
「───それに」
彼女は一層不機嫌そうな顔になった。あら、嵐の前兆にしか見えないのは気のせいかしら。
「先輩、わたしにウソをつきましたね?」
「へっ?」
本当に何のことか分からなくて素っ頓狂な声をあげてしまった。ウソ?はて、いつそんなものをついたのか。皆目見当もつかないあたり重症だ。
「先輩の名前のことです。わたしはずっと吉川優李先輩だと思ってました」
不機嫌そうな顔でそう言われた。あー、そう言えばめんどくさそうだったからあの時否定しなかったんだっけ。
「よ、よくわかったね」
「友達が教えてくれました。先輩は学校じゃ有名人らしいですから」
動揺したボクの言葉にややトゲを含んだ言い方をする萩宮さん。やっぱり怒ってるのか。まあ、こちらとしては肯定もしてないんだけど。それを言ったら帰られそうだしなぁ。難儀だ。
「有名だったの?」
「はい。先輩は容姿だけは優れているようですから」
ぐぁっ。今一番気にしていることを言われた。確かに顔はそこそこによくって、でもそれ以外はほぼ平凡だ。
がっくりうなだれたボクにかかったのは予想もしなかった声だ。
「す、すみまっ……ププッ……すみませんっ、アハハ!」
「え?」
呆然と後輩の顔を見つめる。片手で口許を覆い、必死に笑いをこらえようとしているのがわかる。一切こらえられていないが。
「いえ、すみません。やっぱり完璧な人ばっかりじゃないんだなって安心しちゃいました」
「完璧なんて居てたまるか」
年下に笑われるとやはり先輩のプライドというものが傷つくわけで。今度はこっちが不機嫌な面をしたまま、話変える。
この話を聞くためにここに彼女を連れてきたのだから、早々に聞かないと嘘ってものだと思う。
「ボクのことより、君のお姉さんのことについて訊きたい」
「分かってます。茶化したお詫びに質問にはしっかり答えますよ」
首をすくめてやれやれのポーズ。想像していた彼女のイメージとあまりにもかけ離れた行動に毒気を抜かれてしまう。もっとクールな人、表情があまり変化しない人だとばかりおもってた。それがどうだ。ちゃんと笑えるじゃないか。意外と気さくで、話せば面白いヤツなのかもしれないと勝手に思ってしまう。
「そ、それじゃあ単刀直入に。いま君のお姉さんは恋してると思う?」
「────いいえ」
「その理由は?」
「姉さんに釣り合う人なんか居ないからです」
彼女の回答は文字にしてみれば甚だ的外れなもののように思える。しかし彼女の声に上乗せされたある種の自信のようなものでその回答が核心を突いたものだと悟った。
ため息をしつつ、机にひじを突いて身を乗り出していたのを引いて、深々と椅子に座り直す。正直なところボクも同意見。優李と先輩が一緒にいるところなら何度か見たことがあるが、どれも優李ばかりが浮ついた感じでとても彼女が優李に恋しているとは思えない。
彼女は皆に平等に優しく明るい。故に優李みたいな先輩狙いは少なくないはずだが、聞く噂はすべて玉砕のみ。もしかしたら理想がかなり高いのかもなぁ。あー、優李。分かっているだろうけどこの戦いかなり望み薄だぞ。
「あの先輩、訊いてもいいですか?」
脱力しきったボクに後輩は不思議そうに訊ねてくる。
「なんで先輩は他人の恋ばかり追うんですか?人って何気に無関心ですよね。だからその行為は本能的に間違っている行為だと思うんですが」
笑った。嘲笑うとかじゃなくて純粋に笑った。なんでって単純明快だ。
「眩しいからだよ。人が恋に落ちているときってすごく眩しい。まあ、自分が光っても見れないから他人の恋を見ているって感じかな」
「そうなんですか」
彼女はそれ以上何も言わなかった。しかしその瞳は何か言いたげだ。大体言いたいとは分かってる。でもそれを認めることはできないのだからわざわざ何が言いたいのかを彼女の口から聞く必要もない。
「萩宮さんって今日走ってたよね?速いんだね」
「そんな所から見ていたんですか……」
萩宮さんは机に手を突いてため息をつく。呆れられてしまったようだ。そして少しだけうつむいた。
「速くなんて、ありませんよ……」
「そーかな?ずっと一番だったじゃないか」
そうボクが褒め囃すと余計に気まずそうな顔をして彼女は目をそらしてしまう。褒められてここまでの反応をするとなると何かあったのかもしれない。でもそれは今関係が浅すぎるボクが踏み込んでいいレベルの問題でもないのもなんとなく理解できた。できてしまった。
恋愛観察。主観と先入観をできるだけなくし、気持ちを透かし見る。それが今の趣味に発展したのは本当に奇跡に近い。
恋愛観察はもともと副次的なものでしかない。何の取り柄もないボクができたのは人の心を読むこと、いわば読心術だった。それが昔はうまく調整できなくて他人の悪意や憎悪ばかりがボクには手に取るように分かってしまった。
だから余計に恋と言うものがまぶしく見えたのかもしれない。それまでに覗き見てきた人の心の暗い部分。新しく見つけた輝き。どちらを見ていたいかと言えば後者を選ぶのは当然だった。
「先輩?どうしました?」
「いや、ちょっとした考え事だよ。優李のことについてさ」
「……おせっかい」
そんな小さい呟きはボクの耳まで届いたが、返す言葉はなかった。ボクだっておせっかいしていることくらい分かってる。それでもボクはあいつを応援したい。
そうこうしているうちにボクのと彼女のグラスが空になった。あーあ、引き時かな。
「そろそろ行こっか。キミもいろんな人に見られて恥ずかしいだろうし」
「い、いえ。お構いなく……」
今の自分の服装と自分への視線を意識してしまったのか、顔が真っ赤になる。それをボクは笑って、伝票をレジにだして会計を済ませた。
「手慣れてますね」
「えっ、そう見えた?実はボク女の子と二人っきりなんて初めてなんだけどな……」
あはは、と笑ってごまかすと萩宮さんはとても意外そうな顔をした後、じとーっとボクの顔を横目で睨んできた。
もう騙されませんよ!って目が言ってるけど残念ながらボクは嘘なんて一つもついてない。信じてくれないならそれまでなんだけど。
「送るよ」
「わたしの家は競技場から近いので駅まででいいですよ」
「ん、りょーかいです」
ビシッと敬礼。やっぱり了解の意を示すのにこれほど誠意のある態度はないよね。
こんなくだらないやりとりはやっぱり仲が良くなったと思っていいのだろうか。やや赤みを帯びてきた空を仰いで息を吐いた。踏み込む覚悟はできた。
「ねぇ、あのさ。今日走ってたよね?」
帰り道でボクがそう切り出すと、彼女は真意を確かめたさそうに横からボクの顔をのぞき込んでくる。
「それ、さっきのカフェでも聞きましたよね?」
「うん。あの時聞き忘れてたんだけどさ。萩宮さんなんで隣をちらちら見ながら走ってたの?」
彼女の肩がびくんっ、跳ねた。驚いたように瞳が揺れている。その後、俯いて沈黙。
「別に言いたくないんならいいんだ」
「いいえ──」
彼女はいきなり顔を上げ、ステップを踏むようにボクの前をどんどん進んでいく。見上げればもうそこには駅が見えていた。
「わたし、走るときそういう癖があるんです」
そう言うと彼女はボクが見た中で一番華やかな笑顔をした。それから一礼して駅のホームの方へ走り去る。
客観的に見なくたってその言葉と笑顔が偽物なことくらい分かってる。
「これでおあいこですよ」
駅前の喧噪の中、しばらくの間そんな空耳がやけに大きく頭の中で響いていた。
ボクって本当に好奇心のおもちゃなんだな。