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最終話 駄天使候補、手を繋いで君と

 手をつなげたままで、二人は目的の地、公園へと辿り着く。夕焼けの染まる世界の中で、公園に一人佇むレミリーサ。

 彼女を視界に入れ、浩之とサラサは互いに視線を交わし、頷き合って足を進める。迷いや不安を振り払うように、強く大地を踏みしめて。

 待ち人の訪れに、レミリーサは閉じていた瞳をゆっくりと開いて二人へ目を向ける。浩之とサラサのつながった手を見て、少しばかり悲しい表情を浮かべながら、すぐにもとの事務的な顔へと戻り、声をかける。


「約束の時間に無事姿を見せてくれたこと、嬉しく思います。強引な手を使わずに済みました」

「言葉の割にはあんまり嬉しそうじゃねえけどな。命令とはいえ、アンタもサラサを天人界に戻すことに納得してないようだしよ」

「……全ては天使長の決定に従うのみです。それでは浩之さん、ここに訪れてくれたということは、サラサを天人界に連れ戻すことに同意してくれたと考えてよろしいのですね」

「その話の前に一ついいか。どうせ最後なんだ、サラサを天使にする役目、俺が貰っても構わないよな?」


 浩之の言葉に、レミリーサは少し驚いたような表情を見せる。サラサが天使になるということは、浩之が幸せになったということ。

 それを達成してしまえば、確かにサラサは追試クリアとなり、天使として認められる。天使長である父親が連れ戻して教育することは避けられるだろう。だが、それでも浩之の傍から離れることには変わらない。

 サラサが正式に天使として認められれば、彼女は浩之から離れ、天使として新たな仕事が与えられることになる。ゆえに、浩之がそのような提案をしてくることをレミリーサは想定していなかったし、その意図もよく分からなかった。

 だが、それを浩之とサラサが望み、叶えられることで心残りがなくなるならば問題はない。そう考え、レミリーサは浩之に問いかけの答えを返す。


「構いませんよ。ですが、追試クリアの条件を覚えていますね? その娘があなたを幸せにできていて初めて合格となります。審査には天使の輪を使って機械的に行いますので、嘘は通用しませんし、温情による判定もありません。それでもいいのですね?」

「ああ、もちろんだ」

「分かりました……ではサラサ、彼に光の輪を」


 レミリーサに促され、サラサは浩之に向きあい、頭の上に輝く光の輪を持ち、胸の前に掲げる。

 二人がやろうとしていること、それはサラサが浩之の部屋に初めて現れたときに行った光の輪による幸福判別。光の輪が契約者とみなした相手の幸福度を判断し、その幸福度に応じた輝きの反応を示してくれる。

 初日の際には、浩之を不幸のどん底だと判定して紫色に変色した光の輪。あれから二カ月という時間が経ち、浩之とサラサの関係も時間と共に大きく変容した。

 もし、この二人で過ごした月日が、浩之に幸せをもたらすことができたなら、光の輪は幸福判定を下し光り輝くはずだ。サラサがこの人間界に残るための大博打に出る為にも、これをクリアしなければ話にならない。このハードルを飛び越えて初めて、二人は勝負に出られるのだから。

 少し不安げな表情を見せるサラサ。そんな彼女に浩之は安心させるように笑って優しく声をかける。


「不安そうな顔すんなって。言っただろ、もうお前を不安にさせたりしねえって。お前の望む未来、俺が叩きだしてやる」

「うん……信じるよ、ヒロ。君を幸せにできた自信なんてこれっぽっちもないけれど……ヒロを信じることだけなら、誰にも負けないから」


 サラサに力強く頷き、浩之はサラサの光の輪による幸福判定を受け入れる。

 サラサが光の輪を二回、三回と回転させてシステムを起動させる。ゆっくりと輝きを増す光の輪を見つめながら、浩之は己の胸の中でこれまでのことを振り返る。

 初めてサラサと出会ったとき、本当に迷惑な奴だと思った。天井をぶち破るわ、人を脅迫して居座ろうとするわ、とんでもない災厄が現れたと思った。

 毎日毎日怠惰に塗れた生活を繰り返すサラサを呆れもした。けれど、見捨てようとは思わなかった。彼女がそれを心から望んでいるわけではないと気付いたからだ。

 サラサは外の世界に触れる楽しさを知らなかっただけで、世界を自分の中で完結させてそこに閉じこもっていた。そんな彼女を変えようと思った。少しでも前向きになるように、少し強引に手を引っ張った。

 その手をサラサはゆっくりと、しかし確かに握り返してくれた。そして、外の世界を知ったサラサはどんどん変わっていった。

 そんなサラサの成長する姿が大好きだった。一歩、また一歩と自分の力で歩み笑顔を浮かべる少女の姿を笑いながら傍で見守る時間が楽しいと思った。

 二カ月という時間をずっと共に重ね続け、彼女の存在は自分の中で確固たるものとなる。そう、もはやサラサは自分にとってかけがえのない大切な日常。

 サラサは沢山楽しい時間を自分に与えてくれた。彼女に振り回され、疲れ果てる時間が、心から楽しかった。下らない冗談をやりとりする瞬間が愛おしいと思った。

 そう、サラサが浩之に救ってもらったと感じる以上に、浩之はサラサに感謝をしていたのだ。少し冷めた自分の心をこんなにも楽しく染め上げてくれた少女。浩之がサラサを変えたように、サラサも浩之を変えてみせたのだから。


 自問を重ね、浩之は己の胸に問う。サラサは自分に幸せを与えてくれただろうか――否、断じて否。サラサは自分に幸せを与えてくれたわけじゃない。サラサが与えてくれたものは、一色に染まらないもっともっと騒々しくて、賑やかで、失いたくないものだ。

 面倒もかけてくれた。出費だって重ねてくれた。振り回されて疲れ果てるのは両手じゃ数え切れないくらいだ。だけど、それ以上のものをサラサは浩之と分かち合ってくれた。

 楽しみも、苦しみも、彼女はこの二ヶ月間、浩之と共に分かち合い、共に感情を共有してくれた。出会った頃から信じられないくらいに、お互いが成長する事ができた。二人で積み重ねたこの二カ月が、永遠に続いても構わないと思えるほどに、浩之の胸に確かなものを残してくれた。

 自問を終え、浩之は笑う。そうだ、幸福判定などやるだけ無駄なのだ。なぜなら自分はこんなにもサラサと一緒にいたいと望んでいる。サラサと過ごしてきた日々を誇ることができている。一方的に幸せを与えられるなんてちっぽけな関係じゃない、それ以上のものをお互いが分けあえる関係ならば――サラサのことを強く想い求める自分が、幸福以外の何物でもあるはずがないのだから。

 浩之の胸の炎に呼応するかのように、サラサの手の中で光の輪は輝きを解き放つ。それは公園中に溢れるほどの眩い黄金の輝き。力強く輝く光の輪を呆然と眺めるサラサ、それを当然だとばかりに強く笑う浩之。そして、サラサ以上に驚きをみせるのはレミリーサだ。

 未だ信じられないという表情を浮かべたまま、彼女は口を開く。


「まさか、光の輪の限界値を振り切ってしまうとは思いませんでした。ここまで強い輝きを見るのは、いったいいつ以来でしょうか」

「判定の方はどうなる? これでサラサは天使になれるのか?」

「ええ、もちろん問題はありません。光の輪の判定結果より、サラサ、あなたを追試合格と認めます。浩之さんを見事幸せに導いたことを評価するとともに、天使学園卒業認定、および正式に天使としてこの場で認めましょう」

「違うよ、私がヒロを幸せに導いたんじゃない……ヒロと一緒に幸せを感じただけだもん。こんな私でも、ヒロだから、ヒロが一緒に手をつないで歩いてくれたから、一緒に幸せを感じることができたんだ……」

「そういうことですか。自分の力で誰かを幸せに導いたのではなく、共に力を合わせたからこそ、幸せになることができた……本当に成長しましたね、サラサ」


 心から嬉しそうに言葉を紡ぐレミリーサ。事務的な無表情を崩し、心から祝福する姿、それこそが彼女の本当の顔なのだろう。

 けれど、いつまでもその表情を続けてもいられない。二人のこれからを思い、喜べるはずもない。浩之とサラサには、決して逃れられない別れのときが待っているのだから。

 軽く息をつき、真剣な表情へと戻ったレミリーサは浩之に一礼をした後、口を開く。


「浩之さん、サラサを天使へ導いてくれたこと、心より感謝いたします。この娘をこんなにも変えてくれたこと、天使を代表してお礼申し上げます」

「要らねえよ。それに、こいつが変わったのは俺の力だけじゃねえ。どんなに周りが鞭打ったところで、本人が動かなきゃ変わりようがねえだろ。褒めるならサラサを褒めてやってくれ」

「そうですね……天人界に戻ったら、沢山褒めてあげようと思います。しかし、そんな恩人であるあなたに私は残酷な別れを突き付けなければなりません。サラサがあなたを幸せに導いた以上、あなたとサラサの関係は終わりを迎えます。天使候補から天使となったサラサは、新たな天使としての仕事を授けるために天人界へと戻ることになります。当然……あなたとサラサが再び巡り会うことはないでしょう」


 そう、レミリーサが前もって説明していたとおり、サラサが浩之を幸せにし、天使と認められても二人の別れは変わらない。

 彼女のその言葉に、サラサがわずかばかり震えるものの、その震えを止めるために浩之はサラサの手をぎゅっと強く握り締める。言葉ではなく、行動でサラサの心を安心で満たす為に。

 その浩之の想いに、サラサは胸の中が温かくなることを感じながら、強くその手を握り返して瞳をレミリーサに向ける。怯えも迷いもなく、強い意思が込められた瞳を向けて。

 微塵も絶望の色を見せない浩之とサラサに、レミリーサは違和感を覚える。二人の絆がこの二カ月でどれほど大きなものかは嫌というほど理解している。だからこそ、簡単に二人が諦める訳が無いと知っている。最悪、ここで逃げられても仕方が無いと思っていたほどだ。

 訝しげに二人を見つめるレミリーサに、浩之は覚悟を決めてとってときのカードを切った。サラサを守るために、彼女の熱をこの世界で感じ続けるために、彼とその親友が考えた一世一代の大博打。


「残念だが、そいつは認められないな。サラサはこのまま俺の傍にいてもらう。悪いが天人界へ連れ帰る話は無しだ」

「……浩之さん、気持ちは分かりますが、それは不可能です。あなたに対するサラサの役目は終わりました。サラサには立派な天使として、これから天人界で新たな仕事を……」

「いいや、終わってねえよ。先に言っておくぜ、レミリーサ。俺は今からアンタ達を『脅迫』する」

「脅迫……?」

「そうだ。もし、サラサを俺から引き離したら、俺は間違いなく『不幸』になる。サラサを失ったショックで絶望し、まともな生活も送れなくなるくらい落ち込んで不幸のどん底に叩き落とされちまう。俺の言っていることが分かるか? 俺からサラサを引き離すと、サラサは『人間を不幸にした』ということになるわけだ」


 浩之の言葉に、レミリーサは瞳を見開いて驚愕する。浩之の切りだしたカード、それはとんでもない無茶苦茶なジョーカーだった。

 天使は人間を不幸にしてはならない、それは天使にとって何よりも守るべき重い法律。天使とは人を幸せにするもの、天使は人を幸せにしなければならない、天使は人の幸せを奪ってはならない、それは以前サラサが浩之に教えてくれた絶対の決まりだった。

 サラサが天使になったことで、浩之はそのことを逆手に取ったのだ。サラサは現在正式な天使として、浩之を幸せに導いた存在となった。だが、ここで浩之の言う通り、サラサが離れることで浩之が不幸のどん底へと落とされてしまっては、サラサは天使として浩之を不幸へと導いてしまったことになる。

 なぜなら、浩之の心の幸せ、その理由はサラサに拠っているからだ。サラサが傍に居てくれたから、共に笑って過ごす日常を何より大切に思っているからこそ、浩之の幸せは導かれた。そのサラサを失ってしまえば、彼の言う通り、サラサは天使として完全に法に背いたことになるのだ。

 これまでの天使候補という立場であったならば法など関係なかった。だが、今彼女は天使として認められた。ここが一番の問題だった。

 天使として人を不幸にすることは何よりの問題行動であり、許し難い暴挙。もし浩之がサラサが原因で不幸になったとなれば、サラサは間違いなく天使失格の烙印を押され、天使の役職をはく奪されてしまう。天人界でも一握りの選ばれた者しかなれぬ職業、それが天使であり、その決まりを破ってしまったなら、どんな地位や立場で在ろうとも天使としては在り続けられないのだから。

 また、この脅迫はサラサの天使の資格だけに留まるものではない。浩之のもとからサラサを連れ去ろうとしているレミリーサやその後ろの天使長の首にまで、浩之の解き放った刃は突きつけられているのだ。サラサを浩之のもとから連れ去れば、それはすなわち浩之という人間を不幸にした天使としてレミリーサや天使長も罪に問われる可能性があるのだから。

 浩之の突きつけた脅迫、それは結局のところこういうことなのだ。『サラサを天使失格にされたくなければ、お前たちが天使としてクビを飛ばされたくなければ、俺たちが一緒に居続けることを認めろ』、それが浩之の切りだしたカードの全てだった。


 浩之の導いた答えに、レミリーサは回答に窮する。してやられた、それが彼女の胸の中の純然たる思いだった。

 サラサを天使へと導いた理由、それはこのカードを切りだす為の準備だったのだ。天使候補のままでは、サラサはまだ天使ではないためこのカードを切りだせず、天使長の命令によって天人界に連れ帰ることで浩之が不幸になろうとも、彼女が天使でなく浩之を幸せにできないのは仕方ないと誤魔化すこともできた。

 だが、サラサが正式に天使となり、浩之を幸せにしているという状態を作ってしまったのは非常に拙い。彼女が浩之から離れ、それが理由で浩之が不幸となってしまえば、天使として人間を不幸にした責任はサラサに発生する。天使にとってそれは重罪、彼女から天使の資格が剥奪されてしまえば、サラサは二度と天使として認められることはない。そうなれば、天使長のサラサを天使にという望みが断たれてしまう。天使になることを望んでいないサラサは喜んで資格剥奪を受け入れるだろう。

 そして、一人前の天使としてサラサが立ってしまったことで、レミリーサや天使長はサラサに対する責任者としての命令権が失われてしまった。天使長は天使の長として指示をする権利は持つが、その権利は『天使としての職務』に准ずる内容でなければならず、浩之を不幸になるような行動をサラサに強制させることはできない。天使と人間の絆は絶対。人間を不幸にすること、それは天使長でも破れない決まりなのだから。

 考え込みながら、レミリーサは軽く息をつき、言葉を二人に紡ぐ。それはお手上げとばかりに疲れきったような、それでいて、少しばかり嬉しそうな声で。


「……参りましたね。サラサの天使としての資格と天使法を利用して、それを逆手にとって脅迫されるとは思ってもみませんでした。呆れを通り越して感心してしまいます。これも全部サラサの入れ知恵ですか?」

「失礼な……今回は私、何もしてないもん……ヒロの男らしく最高に最低な策だもん」

「悪いな、レミリーサ。ずっとこいつと一緒に居ると、どうやら悪知恵まで働くようになるらしいんだわ。それでどうだ、このカードに上からねじ伏せられる手札はあるのかい」

「……残念ながら、私にはありませんね。本当に悔しいですが、これでは私では勝てそうにもありません」

「嘘付け。そんなに嬉しそうな顔をして何が悔しい、だ。アンタ、根っからの天使って感じだからな。こういう状況になって内心喜んでるんだろ」

「さあ、どうでしょう? ですが、私の手に余る問題になったのは事実です。今回の件は、天使長へと持ち帰ることにいたしましょう。一度天人界に戻って――」

「――その必要はない」


 レミリーサが微笑みながら言葉を続けようとした刹那、三人の誰のものでもない声が公園内に木霊する。

 三人がその声に驚くよりも早く、光り輝く黄金の柱が天より放たれ、公園に突き刺さった。眩い光の柱が霧散するとともに、その中から一人の男が現れた。

 黒き髪と切れ長の瞳、人間離れしたほどに整った容貌と体躯。白き衣を身に纏い、背中からは巨大な純白の二対の翼が力強く羽を広げていた。

 その男の姿を見て、レミリーサは心から驚愕する。その人物がここに現れるなど思っていなかったからだ。サラサとてそうだ。ジト目を見開き、それが誰なのか一瞬で悟ったサラサは怯えるように浩之の背中へと隠れてしまう。

 唯一驚かなかったのはたった一人人間である浩之だ。彼は予想していたのか、好戦的に笑ってその男に言葉を紡ぐ。


「やっぱり出てきたか。必ず来ると思ったよ、黒幕野郎」

「ほう……私が誰なのかも、ここにくることも予見していたというのか、少年」

「レミリーサがサラサの行動を全て天人界から覗いていたって言ってたからな。つまり、アンタ達には離れていても人間界でサラサの行動を監視する手段があるってことだ。このサラサを連れ戻そうとする交渉の場を、黒幕のアンタが見ていないとは思えなかったからな。レミリーサの手に余る状況になって初めて、その重い腰をあげてくれるかもなと思っていた。待ち焦がれてたぜ――サラサの親父さんよ」


 少しも動じることなく、怯むことなく睨みつけて言い放つ浩之に、男は口元を緩めて返すだけ。

 そして、浩之を見据えたまま己が名前を口にする。


「ブレットだ。天人界で天使長を務めていて、サラサの父にあたる。少年、君の名をきこうか」

「名乗る必要があるか? 俺たちのことを監視してたんなら名前なんてとっくに知ってるだろうが」

「その者の目と顔を見て名乗ることに意味がある。ましてや君は天使を脅迫しようなどという過去にない異例な人間だ、交渉の場を持つ意味でも礼は通さねばならんだろう」

「……浩之だよ。荒波浩之」

「浩之か。良い名だな」


 ブレットは浩之と会話をしながら、未だサラサを一度も視界に入れていない。そのことが浩之は癪に障る。久々の親子の対面だというのに、娘のことを気にもかけようとしない態度が浩之をイラつかせてたまらない。彼の背中でサラサは震えているというのに。

 そんな浩之の感情を気にかけることもなく、ブレットは浩之に対して淡々と会話を続ける。先ほどまでのレミリーサとの会話、交渉を引き継ぐように。


「先ほどまでのレミリーサへの脅迫は全て聞いていた。サラサを天人界へ連れ戻させないために、実に面白いことを考える少年だと感心している」

「そうかい、ありがとよ。それでどうなんだ、大人しく要求に従ってくれるのか」

「先ほどの言葉をそっくり返すことになるが……返す必要はあるかね? 君の要求を全面的に呑むならば、私がわざわざここに現れずともレミリーサに要求を受け入れるように伝えればいいだけだ。なぜ私がこの場に現れたのか、君は分かっているんじゃないか?」

「天使長、何を……!?」


 不穏な空気を見に纏ったブレットに、レミリーサが止めようとするが遅い。ブレットが手から放った光の輪によって、レミリーサがその場で拘束されてしまう。

 突然の天使長による拘束に驚き、声を荒げて訊ねかけるレミリーサ。


「な、何をするんですか、天使長! まさか、天使法を犯すつもりですか!?」

「レミリーサは黙っていろ。浩之、君の選択した方法は確かに素晴らしい一手だった。人間の幸せを奪ってはならない、天使にとって絶対順守の法を逆手に取った一手だ。だが、一つだけ忘れていることがある。私は天使長という立場であり、天使を総括する立場にある。それはすなわち、並みの天使とは比べ物にならぬほどの権力を有しているということだ。人間一人を不幸せにしたところで、周りを黙らせるだけの力も策も用意しているとは考えられないかね」

「おいおい、実の娘の前でそんな格好悪い姿晒せるのかよ……その一手は俺にとって確かに有効だろうが、父親として最低の一手だろうが」

「今さらだ。私も妻もサラサには愛想をつかされても仕方ない日々を重ねてしまっている。だからこそ、サラサを真っ当な天使にするためならば手段を厭うつもりはない」

「そこにサラサの意思は関係ねえってのかよ!」

「子供は親に従っていればいい。ましてやサラサは自分の力では何一つできない無力な娘なのだから。それだけだ」


 そこが限界だった。冷酷に突き放すブレットの言葉に、サラサが一際悲しそうな表情を浮かべたこと、それが浩之の感情の限界だった。

 拳を強く握り締め、瞳を怒りで吊り上げて、浩之はブレットに対して声を荒げて咆哮する。サラサのことを好き勝手言い放ったブレットに怒りを叩きつけるかのように。


「訂正しやがれ! サラサは無力でも何でもねえ! こいつがどれだけ変わったのか何も知らねえくせに、偉そうに上から物を言ってんじゃねえぞ!」

「浩之さん……」

「こいつは今、出会ったばかりの頃からは考えられないくらい成長したんだ! 自分から外に出ようとすること、自分から積極的に人に触れようとすること、自分から自発的に動こうとすること、確かに俺たちにとっちゃ当たり前のことだろうよ! けどよ、そんな些細なことが、こいつにとってはありえないくらいの成長なんだよ! アンタたちクソみてえな大人に奪われた当たり前を、サラサはやっと今、人間界で出来るようになってきたんだ! 心から笑えるようになったんだ! 楽しいと思えるようになったんだよ!」


 浩之の咆哮にサラサは心震わせる。そう、天人界で彼女はいつだって無気力で無力でどうしようもない存在だった。

 他者からは腫れ物のように扱われ、近づこうとする努力も放棄し、いつだって自分の世界に閉じこもり、いつの間にか世界に色を求めることを忘れてしまった。

 けれど、人間界に来て、浩之と出会ってサラサは変わった。彼に触れることで熱を感じ、世界に足を踏み出すことの楽しさを知ることができた。

 今、浩之が怒りに燃えて彼女の父へと立ち向かう姿を見て、サラサは改めて理解する。

 そうだ、いつだってヒロが自分に沢山のものを与えてくれた。いつだってヒロが自分を守ってくれた。いつだってヒロが自分の手をひいてくれた。

 天使長という絶対権力者が相手でも、ヒロは一歩も引かずに私を守るために戦い続けてくれている。私のことを馬鹿にされたことに本気で怒り、強大な相手にも一歩も怯まず声を大にしてくれている。

 それなのに、自分はいつまでもヒロの背中に隠れて泣くばかり。ヒロに守ってもらうばかり。それじゃ、以前までの自分と何も変わらない。一人じゃ何もできない自分を脱却できていない。

 変わったんだ。ヒロに出会って、ヒロと時間を過ごして、自分はやっと変われることができたんだ。ヒロと一緒だから、弱くて情けない自分から生まれ変わることができたんだ。

 目に溜まる弱気な涙を拭い、表情を変えてサラサは立ちあがる。そうだ、守られるだけじゃ駄目だ。ヒロといつまでも一緒にいたい。ヒロと一緒に生きたい。その夢をかなえるためには、逃げたり怯えたりしてるだけじゃ駄目なんだ。


「サラサ……?」


 勇気を胸に、少女は足を前へと進める。父親と浩之の間に割り込み、浩之を守るように立ち、両手を広げて。

 冷酷に見下ろす父親に対して、少女は決して心折れることは無い。強い意志をジト目に灯して、きっぱりと自分の意見を口にするのだ。

 もう、自分の世界に閉じこもり、泣いてばかりだった少女はいない。ここにいるのは、大切な少年と共に生きることを決めた強き少女なのだから。


「ヒロには手出しさせない……たとえ、お父さんが相手でも、絶対にそんなことさせないっ」

「……ほう」

「確かにこれまでの私は最低だった……お父さんに馬鹿にされても、見捨てられても仕方ないくらい駄目な子どもだった……でも、変わったんだっ! 私はヒロと出会って、沢山沢山変われたんだ! ヒロと一緒なら、私はどんなことでも頑張れる! ヒロと一緒なら、もっともっと前へ踏み出せる! そのヒロに何かをしようとするなら、お父さんが相手でも絶対に許さないっ!」


 必死に想いを声にするサラサ。その姿に、浩之は胸にこみ上げる感情を押し殺すことで必死だった。気を抜けば瞳が緩んでしまいそうだから。

 浩之を守るように立ち、声を放つサラサの姿。これのどこが無力だというのか。浩之は胸を張って誇らしく自慢したい気持ちでいっぱいだった。

 どうだ、見たか。これがサラサなんだと、こんなにも立派な娘が、成長した娘がお前の娘なんだと、ブレットに叫びたかった。

 無表情のままサラサを見下ろすブレットに、サラサは必死で言葉を続ける。浩之と共に生きるために、浩之と過ごす今を守るために。


「私はヒロと一緒に幸せになるんだっ! これからもずっとずっと、一緒に生きていくんだっ! だから、だからどんなことがあっても、ヒロは私が絶対に守る! ヒロは……ヒロは、私が幸せにするんだっ!」

「――その言葉に二言はないな?」

「ないっ! それが私の――天使サラサの何より大切な役目だもん!」


 サラサの叫びが公園に木霊し、静寂があたりを支配する。

 そして、その静寂の中で、ブレットはゆっくりと表情を崩した。静かに笑うように。

 親猫のように警戒するサラサを前に、やがてブレットは言葉を紡ぐ。それはこれまでの感情の込められていない声ではなく、柔らかさを感じる声で。


「……いいだろう。お前がその誓いを違えない限り、私が横から口出しすることはしないと約束しよう」

「お、父さん……?」

「天使サラサよ。天使長としてお前に役目を授ける。荒波浩之がその長き命を終えるまで、彼に寄り添い、必ず幸せへと導くこと――天使としての大切な仕事だ、できないとは言わせない。やれるな?」


 ブレットの言葉を呆然として耳にするサラサ。彼の言っていることが唐突過ぎて理解できない状態のサラサだが、浩之から背中をポンと叩かれて慌てて意識を覚醒させる。

 ぶんぶんと何度も力強く首を縦に振るサラサに満足そうに頷くブレット。そして、浩之へと視線を向けてブレットは声をかける。


「そういうことだ。君の望み通り、サラサはこれからも君の傍で天使として励むことになるが、見捨てることなく受け入れてやってくれないか」

「あ、ああ……いや、俺としちゃ万々歳だが……その、いいのかよ? サラサを天人界に連れて帰らなくても」

「サラサが天使としての自分を自覚し、君を幸せにすることが何よりの成長になると判断した。それゆえの判断だ。君の望んだ結末だろう、何か問題はあるか?」


 そう告げるブレットに、浩之はようやく全てを理解した。ブレットは最初からサラサを浩之に託すつもりだったのだと。

 ただ、サラサが浩之に守られているだけという現状を気にかけた。だからこそ、サラサを奮い立たせるために一芝居を打ったのだ。

 彼の狙い通り、サラサは自分の本当の想いに気付き、それを胸に父親が相手であっても奮い立って浩之を守ろうとした。浩之を幸せにすることが自分の役目だと言いきってみせた。

 それはまさしく立派な天使の姿、大切な人間を必ず幸せにするという天使の忘れてはならない心。名実ともにサラサが天使としての一歩を踏み出すことをブレットは後押ししたのだろう。

 完全にしてやられたとばかりに、浩之は息を吐いて毒づく。


「あんた、性格本気で最悪だな……もう二度と関わりたくねえと本気で思っちまった」

「そう言ってくれるな。私は君が気に入ったのだから。それとサラサ、天使の誓いは絶対だ。弱音を吐いて逃げることは許されない、分かっているな?」

「逃げないよ……ヒロの傍が私の居場所だもん。ヒロと一緒なら誰より立派な天使になれるもん……お父さんなんかすぐに追い抜くくらい、立派な天使になるから」

「それを聞いて安心した。しかし、いつまでも子どもだと思っていたが……成長するものだな。レミリーサ、後は頼む」

「は、はいっ」


 それだけを言い残し、ブレットは人間界より去って行った。

 天を貫く光の柱が再び霧散したところで、レミリーサは浩之とサラサへ口を開く。


「まさか天使長自らお出でになるとは思ってもいませんでした……そしてまさか、こんな風にお認めになるとも。浩之さんはこうなることを読んでいたのですか?」

「読めるわけねえだろ……オッサンが出てきて、権力でサラサとのことをもみ消そうとするまでは想定内だった。あとはアンタに賭けるつもりだったんだけどな」

「私に賭ける、ですか?」

「レミリーサはさっきみたいな権力を使って天使の決まりを踏みにじる方法、許せないタイプだろ。もしあのままサラサの親父が実行していたら、アンタはどうしてた?」

「もちろん、このようなこと認められるはずがありません。きちんと上に報告して……」

「その頑固さにかけるつもりだった。あのオッサンが権力を持っているなら、絶対にオッサンを蹴落とそうとする連中もいるはずだろうから、スキャンダルを見逃さない手はない。天人界が慌しくごちゃごちゃしてるうちにサラサのことを放置されるのを期待しようとしたんだが……この馬鹿サラサ、話が違うじゃねえか」

「あう……何のこと?」


 サラサの額にデコピンをした浩之に、額を抑えながらサラサは上目づかいで訊ねかける。

 そんなサラサに溜息をつきながら、浩之は億劫そうに言葉を続ける。それは彼がブレットと会話したことで気付けたこと。


「あのオッサン、お前のこと全然興味無いなんて嘘じゃねえか。ありゃ筋金入りの親馬鹿だ」

「嘘……だって、私、お父さんにずっと相手されずに生きてきて……」

「その当たりの事情はよく分からねえが、どうでもいいって思ってる娘なら、さっきみたいな会話にならねえよ」


 浩之の言葉が理解できず首を傾げるばかりのサラサ。理解できたレミリーサは確かにと楽しげに微笑んでいる。

 先ほど、ブレットが何度も浩之とサラサの天使契約や天使関係を念押ししたのは、浩之への牽制だろうと浩之は睨んでいる。あれは遠まわしに『娘を途中で見捨てたりしたら分かってるだろうな』という脅しなのだから。

 天使長としての立場、娘との複雑な関係と多々あるのだろうが、一つだけ言えるのは、浩之が呆れるほどの親馬鹿だということだ。

 詳細な説明をサラサにしないのはせめてもの武士の情けか、将来また会うときに脅しのカードとして取っておく為か。そんな浩之たちに、レミリーサは苦笑しながらも最後にと口を開く。


「それでは、色々ありましたが、改めてサラサに天使としての新たな仕事を与えます。あなたはこれから天使として、浩之さんを幸せに導く役割を担うことになります。期限は浩之さんとあなたの関係が死で別たれるまで。天使長直々のお仕事、受理してくれますね?」

「もちろん……ヒロが嫌だといっても私は二度と離れないもん……」

「言わねえよ。何のためにここまで走りまわったと思ってるんだ」

「ふふっ、それでは浩之さん、サラサのことを引き続きお願いしますね。私も教え子のこれからの活躍を天人界から見守ることにしますから」

「天の上から見守ってくれるのか……ありがとう、レミリーサ……明日から君のために毎日一本線香をあげることにするよ……なーむー」

「最後だと言うのにこの娘は本当にもうっ! それではまたいつの日かお会いしましょう」

「ああ、世話になったな」


 最後に優しい笑みを残し、レミリーサもまた天人界へと還っていった。

 二人が去り、公園に残った浩之とサラサ。訪れた静寂の中で、浩之はサラサに声をかけようとしたが、それより早くサラサがそっと浩之の胸の中に飛び込んだ。

 ブレットとレミリーサがいなくなったことで、遠慮する必要などどこにもない。膨れ上がった胸の感情を抑えきれなくなったサラサが、浩之の胸の中で感情を解き放つ。そんなサラサを受けとめながら、浩之は軽く息をついて呟くのだ。


「今日のお前は泣いてばっかだな。身体中の水分がなくなって干からびても知らねえぞ」

「いいもん……明日から、その何倍も笑うから……ヒロと一緒に、沢山沢山笑うから……」

「そうだな……泣くのは今日限りにしとけよ。明日も明後日もその先も、笑いが止まらなくなるくらい楽しい毎日が待ってるんだからよ」

「うん……うんっ……私、楽しみにしてる……ヒロ、ありがとう……ずっと一緒だから……離れないから……」

「離れねえよ。お前が立派な大人になるまでは心配で仕方ねえしな」

「私、立派な天使になるから……ヒロに恥ずかしくないくらい、立派な天使になるから……」

「楽しみに待っててやるよ」

「立派な天使になった暁には、三十二分の一スケールのヒグマロボ買ってもらうから……約束だから……」

「それは勘弁しろよ……」


 サラサが泣きやむまでの間、浩之は優しくサラサを抱き締めながら、彼女の呟き続ける言葉に優しく返答し続けるのだった。

 彼女が天人界に連れ帰られず、今確かに腕の中に存在していることを、温もりを通じて感じながら。夕日が沈むまで、ずっと。






















 翌日の朝、学校へ向かわなければならない時間になるというのに、未だサラサは部屋から出てこない。

 部屋の前で『まだ準備終わらないのか』と訊ねかける浩之に『もうちょっと』と何度目かも分からない同じ返答を繰り返すサラサ。

 携帯で時間を確認しながら、浩之はまた一つ大きな溜息をつく。サラサが浩之の部屋を占領してから既に三十分はたとうとしている。このままでは遅刻になりかねない勢いだ。

 これでは埒があかないと浩之は部屋の扉をノックしてサラサに声をかける。


「もういいだろ。朝から風呂に三回入るわ、ひたすら鏡とにらめっこするわ、どんだけ身嗜みを気にしてるんだお前は」

「気にするよ……今日は翔子や智や辰哉に『本当の自分の姿』を見せる初めての日なんだよ。言ってしまえば、初対面じゃないか……人の印象は初対面で決まるといっても過言じゃない、手なんて抜けるものか……」

「あいつらがそんなこと気にするかよ! このままじゃ遅刻確定じゃねえか! 外であいつらもお前を待ってくれてるんだぞ! いいから覚悟を決めて出て来いって!」

「うう、まだ髪型が完全に納得できるものではないのに……時間に翻弄される日本社会の弊害か」


 ようやく覚悟を決めたのか、サラサは部屋の扉を開き、制服姿で浩之の前に姿を現した。

 いつも以上にばっちり決めたサラサなのだが、浩之から見れば普段と何が違うのか分からない。破格の美少女は相変わらずだが、それより強烈な印象を与えるジト目。薄青髪と特徴的なツインテール、そして頭の上でぺっかぺっかと輝く光の輪と背中の小ぶりな羽。

 ちら、ちらと視線で『今日の私違うでしょ』と訊ねかけてくるサラサに、浩之は腕を組んではっきりと告げる。


「いつものお前じゃねえか。俺に違いを訊かれても分からんぞ」

「ば……本当に女心の分からない男だね、君は……そこは分からなくても、『いつも以上に綺麗だ』とか言うもんじゃないのかね……」

「俺が言っても気持ち悪いだけだろうが。ほら、あいつらもお前に早く会いたくて仕方ないんだ。みろよこの着信の数を」


 手に持っていた携帯の着信履歴とメールの嵐をサラサに突きつけ浩之は溜息をつく。

 それは智から送られてきた『まだか』という言葉の嵐。実に彼女らしいとサラサは嬉しそうに微笑み返す。

 昨日、サラサが無事に人間界に残れるようになったことを浩之が電話で告げると、智たちから祝福の言葉と共に、明日の朝サラサと一緒に絶対登校すると主張してきたのだ。心配に心配を重ねた彼女たちとしては、一秒でも早くサラサに会いたいらしい。

 そして、サラサが今朝早くから必死に身嗜みを整えているのもそれが理由だった。サラサが天使であること、これまでは天使道具で偽りの姿を見せていたことを三人に伝えたので、三人はサラサの本当の姿がみたいと言ったのだ。

 彼女たちのお願いに、サラサも勿論と了承する。浩之だけではなく、彼女たちの力によってサラサは人間界に残ることができたのだ。何より彼らは大切な親友、これからもずっと一緒にいるのだから、本当の自分の姿をみてほしいというのがサラサの本音でもあった。

 だが、それでもよりよい姿をみてもらいたいというあたり、サラサもしっかり乙女しているのだ。以前ならば適当で済ませていただろうに、自分が少しでも可愛く見えるだろうかとあたふたするサラサは年相応の少女に見えた。

 そんなサラサを引っ張り、浩之は彼女と共に玄関へと向かう。階段を降りながら、サラサは何度も不安そうに浩之に訊ねかける。


「ねえ、ねえ、ヒロ、本当に私おかしいところない……? 変じゃない……?」

「おかしくも変でもねえって。大丈夫だから心配するなって。何回言えば分かるんだお前は」

「だって、やっぱり不安だもん……」


 しょぼんとするサラサに、浩之は軽く息を吐き出し、おもむろにサラサの頭を乱暴に撫でる。

 わしゃわしゃと髪を強引に撫でられたサラサは、ひゃああと変な声をあげながら浩之に抗議する。


「な、何をする無礼者……この髪をセットするのにどれくらい時間を費やしたと思ってるんだ……」

「ほら、これで気にする必要もなくなっただろうが。お前はありのままでいいんだよ。お前は何もしなくても十分……」


 そこまで口にしたところで、浩之はぴたりと口を止める。

 そこから先の台詞を自分が口にしようとしたことを驚くと共に、あまりにらしく無さ過ぎることに気付き、恥ずかしくなったためだ。

 少し顔を赤く染めて話を打ち切る浩之だが、サラサは彼の口にしようとした言葉に気付いたらしい。にんまりといやらしい笑みを浮かべて、浩之に問いかける。


「ねえ、ねえ……お前は何もしなくても、何? 続きは? ねえ、続きは?」

「うっせえな……何でもねえよ」

「何恥ずかしがってるのさ……私とヒロの仲じゃないか、今更隠すことなんてないでしょ? ほら、言っちゃいなよ、吐き出しちゃいなよ……」

「何でもねえっつーの!」


 言葉を荒げて必死にサラサの追求から逃げる浩之。それを楽しげに追いかけるサラサ。

 ただ、彼のその言葉で安心できたのか、サラサが浩之に不安を口にすることは無い。

 玄関まで辿り着き、浩之はそっとその扉を開く。そして、二人が出てくるのを外で待っていた友人たちは、二人の顔を見て、表情を破顔させた。

 照れくさそうに浩之の背中からおずおずと顔を出すサラサ。そして、親友たちに礼を告げようとしたのだが。


「あの……みんなのおかげで、私、人間界に居続けられることになったよ……本当に、ありが――」

「――きゃーー! かわいい! サラサちゃん、すっごく可愛い! やだ、凄く良いよ、前も良かったけど、私的にはこっちのサラサちゃんのほうがいいかもっ!」

「わぷっ」


 嬉々としてサラサを抱きしめてきた智。まるでサラサを小動物か何かのごとく猫可愛がりする親友に、サラサはされるがままだ。

 そんな智の言葉に次々と同意する翔子や辰哉。


「うん、イメージは違うけど、とんでもない美少女には変わりないね。薄青髪も綺麗で似合ってるし、天使の輪や羽も可愛らしさを引き出してるし。天使と友達なんて光栄だよ」

「サラサ、凄く可愛い……うん、凄く良いと思う。でも、本当によかった……サラサが今、ここにいることが嬉しいよ……」

「ありがっと……ちょっと、智、苦しい、苦しい……このままでは智の胸で窒息死する……」

「サラサちゃん、いつでもお姉ちゃんって呼んでいいからね!」

「朝っぱらからお前らはもう……近所迷惑どころじゃねえぞ」


 そう突っ込みながらも、浩之も止めようとはしない。皆に囲まれて笑いあう光景、それこそがサラサが望んでいた明日だったのだから。

 来ないかもしれないと思っていた、サラサが渇望したみんなと一緒に過ごす時間。その幸せをサラサが今、必死に噛み締めていることは彼女の目尻に溜まる涙が何より証明している。

 そんな彼女の気持ちに応えるために、智も、翔子も、辰哉も、そして浩之も騒がしく賑やかに笑うのだ。彼女の心を安心させるように、どこまでも楽しげに。

 だが、いつまでもこうしてはいられない。浩之はこほんと咳払いを一つして、サラサをもみくちゃにする友人たちに忠告する。


「サラサで遊ぶのは構わねえけど、このままじゃ遅刻確定だぞ。無断欠勤に無断早退の俺たちがこれ以上評価を落とすのは拙いだろ」

「おお、確かに! 続きは学園についてからたっぷり楽しむってことで、急ぐよ、みんなっ」


 先頭を切って走りだした智を追いかけるように、翔子や辰哉も学園へ向けて走り出す。

 そんな彼らの背中を見ながら、浩之とサラサは笑いあう。そして瞳を交わし合い、そっと言葉を紡ぐのだ。


「それじゃ俺たちも急ぐとするか。少しばかり走るぞっ」

「初日から慌しいことこの上なし……親友と感動をわかちあう暇すら私には与えられない……」

「誰のせいでこんな時間になってると思ってんだっつーの!」

「さあ、誰だろね……」


 楽しげに冗談を交わし合い、二人は手をつないで学園への道を駆けだすのだった。

 どちらが先というわけではなく、互いに無意識に差し出した手を握り合い、互いの存在を確かめ合うように、二度と離れないように、強く。

 浩之から伝わる手の温もり、確かな熱を感じながら、サラサは彼の背中へジト目を向ける。その瞳にはかつてないほどに希望に溢れ、眩い程に輝いて。

 自分に今日という日を与えてくれた最愛の少年へ向けて、とびっきりの笑顔で胸の想いを伝えるのだ。


「ヒロ……こんな私だけど、これからもよろしくね――ずっとずっと大好きだよ、ヒロ」

「ああ!? 何か言ったか!?」

「ううん、何もっ」


 風に溶けた言葉はやがて晴れた空へと羽ばたいていく。


 やる気のない天使が目つきの悪い少年の部屋の天井を貫いて二カ月。二人の関係は大きく変わったけれど、少女の心には何一つ変わらない確かな想いがここにある。

 言葉は乱暴だけど、他人のためにどこまでも一生懸命になれる素敵な少年。彼と一緒ならきっと、毎日が楽しいだろうという予感は本物へと変わる。

 明日も明後日もその先も。駄目駄目な天使は少年とどこまでも一緒に笑いあう――それが自分の幸せなんだと、誇らしく胸を張れるから。

 



 駄天使サラサと少年浩之。

 彼らの騒がしく賑やかな日常は終わらない。二人が互いの手の温もりを強く感じ合える限り、いつまでも。








 ~おしまい~



 まもなく夏休みを迎えるということで、プールに水族館に花火大会にと胸をときめかせるサラサと財布を心配する浩之。

 そんな夏を目前に控えた彼らのもとに、突然桃色髪の美少女天使が姿を見せる。彼女の名はソニア、かつて天人界の天使学院を首席で卒業した、サラサの元同級生だった。エリート天使であるソニアは、サラサが天使学院で手を抜いていたことを見抜いており、本当は自分より彼女が優れていることを知っていた。負けず嫌いのソニアは、天使としてサラサより自分が上だと証明するために、彼女の前へ訪れ宣言する。


「私がサラサより優れていることを証明するために一番良い方法があるわ――それは荒波浩之、あなたをサラサではなく私の手で幸せにすることよ!」

「その理屈はおかしい……ヒロを幸せにするのは私の役目だから、ソニアには是非とも私を幸せにしてほしい……さあ、遠慮はいらない、私を幸せにしておくれ……頑張れソニア、お前がナンバーワンだ……」

「お前ら人を無視して勝手に話を進めてんじゃねえ!」


 強引に話を押し進め、なぜか増えてしまった同居人の天使に頭を痛める浩之。そこになぜか翔子まで絡んできてさあ大変。

 夏を前にして二人の天使が巻き起こす波乱劇。ソニアが諦めるのが先か、浩之の胃が潰れるのが先か、初夏を舞台に天使劇場はまだまだ終わらない――。





 すいません、嘘です。妄想です、ごめんなさい。こんな妄想をしつつ、サラサと浩之の物語は完結となります。

 10万字を超える長文ですが、ここまでお読み下さり本当にありがとうございました。最後までお付き合い頂けたこと、心より感謝申し上げます。

 久々の学園ドタバタものでしたが、少しでも皆様が楽しいと感じて頂けたなら、これに勝る喜びはありません。

 ヒロインのようにジト目を向けつつ、このへんでお別れにいたします。完読、本当にありがとうございました(ジト目)


※追記

2016年2月1日、スニーカー文庫様(第二十回スニーカー文庫大賞にて特別賞を受賞)からこの物語が書籍化いたします。

詳細は活動報告に記載していますので、よろしければ是非。


 

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[良い点] 遅ればせながら、先程読了させていただきました!大好きです!!軽妙で言ってみたくなるセリフのオンパレード、ヒロインの応援したくなる心情描写、すべてひっくるめて心の奥底から大好きです。この作品…
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