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四話 駄天使候補、友人のために動く






 昼食を終え、午後始めの授業は体育で浩之たちは男女に別れて種目に参加する。隣のA組と合同授業で、男子はサッカー、女子はバレーボールだ。

 外で体育をしていた浩之が目にすることは出来なかったが、体育館でサラサは思う存分バレーで暴れに暴れ回っていた。サーブをしては『その球、曲がるよ……』などと言ってネットのポール回しを敢行したり、身長の二倍以上跳躍して『風林火山だ』などと言って弾丸サーブを決め込んだり、あげくのはてには相手のサーブやスパイク全てを自分の手元に引き寄せたりとやりたい放題だ。

 むろん、その全ては天使道具によるインチキなのだが、そのことを誰も知らないため、体育館からは何度も女子からの歓声があがるばかり。

 まさしくサラサの一人舞台で体育の時間は終わりを迎える。予定時刻より十五分ほど早めに終わり、ゼッケン等の片づけを指名されたサラサと翔子は二人で道具の片付けと体育館の施錠を行っていた。全てを終え、二人は職員室まで鍵を返却へ向かう最中だった。

 廊下を並んで歩きながら、二人は先ほどの体育の内容について話題に花を咲かせている。


「サラサは運動神経も凄いんだな。バレーしてる姿、本当に格好よかった」

「ふふん……まだまだ私の目指すところには遠いよ……光の速さで動けるくらいじゃないとね……」

「そ、それは大変だな……でも、サラサが羨ましいよ。私、運動全然駄目だからさ」

「前から思ってたんだけど、翔子ってあれだよね……見た目とキャラ、全然違うよね。キリっとしてて、体もモデル並みにすらっとしてるけど、中身は凄く可愛い系だよね……料理とか編み物とかぬいぐるみ好きとか」

「可愛い系かはともかく、よく言われるよ……見た目とか言葉遣いは気が強そうなのに、なんでそんなに気が弱いんだって……」

「おお、よしよし……私はそういうの好きだよ、ギャップ萌えってやつだ……翔子はそんな自分を大切にしてこれからも個性を育むといい……」

「よ、よく分からないけどありがと……」


 訳の分からないサラサの激励を受けながら、翔子はサラサと共に職員室まで足を運ぶ。

 鍵を担当の先生へ戻してくると翔子に告げ、サラサは一人職員室内へと入り、担当の教師へ体育館の鍵を返却する。

 そして、些細な雑談を交わし、職員室から出ると、そこにはいるはずの翔子の姿が無く。消えた翔子の姿に首を傾げていると、少し離れた場所に翔子の背中が見えた。

 翔子の姿を発見したサラサは、彼女へ近づこうとするが、どうも様子がおかしいことに気付く。翔子は一人でいるのではなく、どうやら彼女と向きあうように三人組の女子生徒と何か会話をしているらしい。それも雰囲気があまり良いとは言い難い。

 何かをねちねちと責めるように言っている女子たちと、それに怖がりながらもぽつぽつと反論する翔子。その空気に、サラサはジト目を少しばかり釣り上げ、まさかと一つの憶測を立てる。これはもしや『いじめ』というやつではないだろうか、と。

 サラサは天人界では腫れ物扱いで、完全に接触を断たれていたので、直接的ないじめというものを受けたことはなかった。だが、学園という大きな組織の中には、こういう下らないことに熱をあげる連中がいることも知っている。

 以前のサラサならば、自分に関係のない興味無いことには触れようともしなかったかもしれないが、今のサラサは大きく変わった。ましてややられている相手は自分の大切な親友。このまま見て見ぬ振りなどする訳が無い。

 むんと気合を入れ直し、サラサはつかつかと四人へ歩み寄り、翔子を守るように彼女の前に立つ。驚く三人の少女たち、その顔はサラサも薄らだが見覚えがある。さきほどまで体育でA組に属していた女の子たちだ。サラサはジト目で彼女たちを睨みながら、ゆっくりと口を開く。


「なに、私の親友に何か用……? 用件があるならまずマネージャーである私を通してからにしてもらおうか……ウチのトップアイドルに触れたいのならば、まずはCDを二十枚お布施するところから始めてもらおうか……」

「な、何よ……私たちはこの娘とちょっと話してただけで、別に何も……」

「マコ、ヤバいよ。この娘、荒波君の従兄弟だって話だよ……」

「っ、わ、私たちは別に何もしてないからっ!」


 浩之の名前が出た途端、隣のクラスの少女たちは慌ててサラサたちの元から離れ去っていった。

 少女たちが消えた瞬間、緊張の糸が切れたようにその場にへなへなとへたり込む翔子。そんな翔子に驚きながら、サラサは立ち上がる為に手を貸しつつ声をかける。


「大丈夫か、翔子……傷は浅い、意識をしっかり保つんだ……間違ってもこの戦争が終わったらとかフラグを口にするんじゃないぞ……」

「だ、大丈夫……ごめん、迷惑かけた」

「いいよ……それより、あいつら、何? もしかしなくても翔子、あいつらにいじめられてるの……? だとしたら、他の誰が許しても、この私が許さんぞ……虫けらども、じわじわと炙り佃煮にしてくれる……」

「ち、違うからっ」


 そう否定しながら立ち上がり、翔子は軽く一息つく。そして、少し考えた後、サラサに『少し、時間いいかな』と確認を取って移動する。

 二人が移動したのは校舎裏。まだ授業中ということもあり、人気は一切ない。軽く深呼吸をする翔子に、サラサは小さく首を傾げて訊ねかけた。


「こんな人気のないところに連れてきて……まさか、私への告白? いかんな、非生産的な……サラサ×翔子、どう考えても私が攻める側じゃないか……」

「ち、違うっ! その、サラサにはちゃんと事情を話しておこうと思って。他のみんな、浩之たちも知ってることだから……」

「ほむ……聞こう、存分に語っておくれ……」

「ありがとう……どこから話せばいいのかな。あの娘たちは、私の一年の頃のクラスメイトで……私と浩之たちが友達になる切欠なんだ」


 そう告げ、翔子は昔を思い出しながらサラサへ語り始める。それは、翔子が入学してまもなくのこと。

 翔子は入学してすぐ、ある女子グループに属していた。見た目も綺麗で、モデルのようなすらりとした肢体、間違いなく美少女である翔子だが、その中身は気弱で押しに弱く、嫌なことにノーとはっきり言えない女の子だった。

 そんな翔子の性格が友達たちにとって扱いやすいということもあり、翔子に対する態度が段々とエスカレートし始めた。はじめは些細な冗談を翔子に言って困った顔をする翔子を見て楽しんだり、少しばかり無茶なお願いをしてきたり。

 ブレーキがなければ、人は止まる場所を見いだせない。やがて、それは大きくなり、誰が見ても一目瞭然なほどに翔子の扱いは酷くなりはじめた。鞄を持たされることなど日常茶飯事、借りた物は返してもらえないことだって何度もあった。

 そのことを苦しく思っても、翔子は他に相談できる相手などいない。まして、その女の子たちは教室の中でも目立つ中心的なグループだった。家に帰って泣き晴らすこと、それくらいしか翔子には行動できる勇気がなかった。

 今日も、明日も、明後日もそんな毎日が続く。そんな風に思って絶望していた。翔子の表情から笑顔が完全に消え始めていた。愛想笑いだけを浮かべて毎日のつらさを誤魔化す日々。

 そして、そんな日々に耐えきれず、壊れそうになっていたある日。ホームルームが終わり、いつものように鞄を預けられ、待ち合わせの喫茶店まで行こうとした翔子だったが、ある男の子に強引に鞄の全てを奪われてしまう。

 その男の子は、クラスの中でも浮いた存在だった。目つきは鋭く、言葉使いは荒く、彼が誰かと一緒にいるのは仲の良い二人の友人くらい。

 容姿は良いため、翔子の所属する女の子グループの中では怖いけど良い感じという評価を得ているくらいだが、翔子にとっては怖い不良くらいのイメージしかなかった。そんな接したことのない男の子に友達全員の鞄を奪われ、呆然とする翔子に、男の子は低く重い声で言葉を紡いだ。


『この鞄、どこに運べって言われたか教えろ。俺がそこまで運んでやる』


 少年の言葉の意味が分からず、あわあわと震える翔子。あまりに言葉足らず、それも声に怒りが込められているため翔子には殊更に恐ろしい。

 泣き出しそうになる翔子だが、そんなぶっきらぼうの彼をフォローするように、彼と仲の良い男女が慌ててフォローに入る。


『駄目だよ、荒波君。そんな言い方じゃ、どう考えても不良に脅されてるようにしか見えないよ』

『そうだぞ浩之。西森さん、完全に怖がってるじゃないか。もっと優しく言えって』

『うっせえな……おい、西森。俺の問いに答えろ、正直にだ、嘘ついても何も良いことねえからな。分かったら返事しろ』

『は、はひっ……』

『もー、それじゃますますヤンキーだってば。西森さん、本当に何も怖がらなくていいからね。荒波君、見た目と言葉遣いは酷いけど、中身は柴犬みたいなものだから』


 ガチガチと震える翔子に、少年――浩之は幾つか質問を行う。

 クラスメイトの連中に良いように使われてる状況は本当にお前が望んでいることか。つらいと思わないのか。変えたいと思わないのか。

 その問いかけに、翔子は最初は上手く応えられなかった。けれど、智や辰哉が優しく『本当に正直に答えていい、悪いようには絶対しない』と何度も繰り返し言ったことで、翔子の仮面は剥がれ落ちることとなった。

 涙をぼろぼろと零しながら、翔子は訴えた。こんなつらいのは嫌だ、こんな悲しい想いを毎日したくなんてない、誰でもいい、助けてほしい、と。

 翔子の声を聞き届け、浩之は泣きじゃくる翔子を真正面から見据えてはっきりと口にした。『俺に任せとけ』、と。

 そこからは早かった。半泣きの翔子を引き連れ、三人は待ち合わせ場所であった喫茶店へと乗り込んだ。そして、集まっていた同じクラスの女子グループ、その女の子たちに向かって浩之は鞄を投げつけて怒声混じりで言ってのける。


『鞄持ちが必要なら西森じゃなくていつでも俺に言えよ。お前らが望む限りいつだって運んでやるからよ。ほら、他に何かしてほしいことがあるなら言えよ。遠慮すんなよ、西森にいつもやらせてることを俺に言えばいいんだよ。できねえなんて言わねえだろ、あ?』


 本気で怒りに溢れた浩之の言葉に、女性徒たちは怖がるばかりで何も反論できない。

 浩之一人なら代表格の女生徒が恐怖を抑えて反論したかもしれない。だが、浩之側に立つ辰哉と智の存在も大きかった。

 辰哉は学園主席で入学し、その整った容貌で学年関わらず女性徒たちから熱狂的な支持を受けている。そして、智はクラス一の人気者の女の子で、言ってしまえばクラスの女子の心を完全に掌握している。

 加えて三人は『いじめられていた翔子を助けるために行動を起こした』という大義名分がある。ここで三人を敵に回してしまえば、クラスの中で孤立するのはどちらか、馬鹿でも分かることだ。

 結局、その日以来、女子グループの面々が翔子に関わることはなくなった。彼女たちが何かをしようとすれば、浩之が容赦なく動き牽制する。翔子の送っていたつらい日々は、浩之たちの手によって終わりを迎えたのだ。

 そのことを語りながら、翔子は嬉しげに微笑みながらサラサに話す。


「その日からだよ。私が浩之たちと一緒に行動するようになったのは……一緒にいたいと思った。浩之たちに私は救われたんだ。もし、浩之たちが手を差し伸べてくれなかったら、私はきっとこの学園にはいなかっただろうから」

「なるほど……あのヒロが、そんなことを」

「あの日のこと、お礼を言ったことがあるんだ。『ありがとう、浩之たちのおかげで私は救われた』って。そしたら浩之は『俺がしたいと思ったからしただけだ』ってそっけなく言うだけで……でも、そんな浩之が私は格好良いと思った。全く見ず知らずの他人だった私なんかのために、あんな風に本気で怒ってくれる浩之が、何よりも格好良く見えたんだ……」


 そんな翔子の言葉に、サラサは胸の中でとくんと小さな高鳴りを感じた。その言葉の意味、それをサラサは誰よりも強く共感していたからだ。

 自分のときもそうだった。浩之はいつだって、誰かのために本気で怒り、本気で行動してくれた。だからこそ、サラサは浩之と共にいたいと願った。

 他人に対して本気になれる心を持つ彼だからこそ、この右も左も分からぬ人間界でサラサは彼を選んだのだから。

 翔子の言葉に軽く微笑み、サラサはジト目を翔子に向けて嬉々として確認する。


「なるほどね……そんなヒロに、翔子は気付いたら惚れていたってわけだ……いや、青春だね、ラブラブだね……恋してるね……」

「う……や、やっぱり分かるものなのかな」

「バレバレだもん……気付いてないの、ヒロくらいじゃん……あの鈍感男、乙女の純情を弄びおって……万死に値する」

「あ、あはは……うん、そうだな、私は浩之が好きだ。あの日からずっとずっと、浩之のことが大好きなんだ。このことをサラサに先に伝えておきたかった。そして、その上でサラサにお願いがあるんだ」


 柔らかな笑みを浮かべる翔子に、サラサはどんとこいと彼女の願いを待つ。

 そして、翔子から語られたその言葉に、サラサは驚くことになる。それはサラサが予想した物と、全く正反対のものだったからだ。


「もし、これから先、サラサが浩之と時間と過ごすことで、浩之のことを好きになったとしても……私に遠慮する事だけは、絶対に止めてほしいんだ」

「……ほわい? 普通、そこは『私が好きになった人を好きにならないでね』って釘を刺すもんじゃないの……?」

「そ、そんなことしないっ。智にも言ってあるんだけど、浩之は本当に格好良いから……今は違うかもしれないけど、この先に好きになることだってあるかもしれない」

「格好良い……いや、見た目は悪くないと思うけど、そこまで胸を張って言えるものだろうか……恋する乙女パワー、恐るべし……」

「そのときにさ、友達だからって遠慮されるのは、一番つらいから……智もサラサも、大切な友達なんだ。だから、もし浩之のこと好きになっちゃったら、私のこと気にせずに突っ走っていいから。あ、も、勿論私だって簡単に諦めるつもりはないけどっ」


 慌てて言い直す翔子に、サラサは耐えきれず笑ってしまう。そして翔子の人間性を改めて理解する。この娘は、泣きたいくらいに個々の奥底が良い人なのだと。

 そして、そんな良い娘の笑顔を守った同居人のことをサラサは誇りたくなってしまう。胸を張って誰かに自慢したくなる。

 口も態度も悪いけれど、それでも誰かのために常に一生懸命になってくれる浩之。そんな彼のことを、そして彼をパートナーに選んだ自分を誇りに思うのだ。決して彼には素直に伝えられない思いだけれども。

 翔子のお願いに、サラサはジト目のまま笑って約束をする。


「うん、約束……もし私がヒロのこと、そういう風に見ることになっても、遠慮はしない……私、欲しい物はなんでも奪い取る主義だから……」

「ありがとう、サラサ……もしそうなっても、私は簡単には負けないからな」

「東西南北恋愛不敗と呼ばれたこの私相手に無謀な……そのときを楽しみにしておこう。まずは微塵もときめかないこの胸を如何にヒロでときめかせられるかを考えるのが……」

「む、無理に惚れようとしなくていいからっ!」


 サラサの冗談に対し真剣に対応する翔子。そんな反応がサラサを更に喜ばせていたりするのだが、彼女が知ることは無い。

 そして、サラサはふと先ほどの少女たちのことを思い出す。翔子に絡んでいた女の子たちは、話の流れからして誰なのか予想はついているが。


「それじゃ、さっきの女子生徒たちが、翔子をパシリとして使っていた奴らってことか……こんな美少女を従わせるなど、なんてうらやまけしからん……」

「び、美少女ではないけど……うん、ときどき浩之たちがいないとああやって嫌味言われたりするけど、実害はないから」

「一年も経っているというのに何てねちっこい奴らだ……よし、私が翔子に代わって成敗してくれる。まずは靴の中に納豆をぶちこむところから始めてだね……真に陰湿な女というものを教えてくれるわ」

「だ、駄目だってば! 未だに私が色々と言われてるのは、多分私が浩之と行動してるからだと思う。リーダー格だった娘、浩之のことちょっと良いなって思ってたみたいだから……」

「え……趣味悪いんじゃないの……」

「そ、それって私も趣味悪いってことじゃないか」

「おおっと、失言、失礼……こうやって絡まれてること、ヒロたちに言わなくてもいいの……?」

「うん、大丈夫……私も昔とは違うから。それよりも、私はサラサが心配だよ……」

「私の何が心配だと言うんだ……頭か、頭が心配だと言うのか」

「ち、違うって! さっきのことで、サラサも目をつけられたかも……浩之と従姉妹だし、一緒にいればサラサも表立っては大丈夫だと思うんだけど」


 もごもごと口ごもる翔子の態度に、サラサはジト目をきらりと輝かせる。これはきっと、サラサや浩之に翔子は何かを隠していると。

 察しの悪い浩之とは違い、サラサは何だかんだ言って頭は切れる。これまでの情報、翔子の口ぶり、態度からみてサラサは翔子が何を危惧しているか一発で読みとったのだ。


 ――恐らく翔子は、見えないところであの連中から小さな嫌がらせを繰り返し受けている、と。


 そのことに気付いたサラサだが、翔子を追及して口を割らせるようなことはしない。

 どんなに問い詰めたところで、翔子はその内容を口にしないだろう。浩之たちに心配をかけることを嫌っているからこそ、絶対に口にできないはずだ。

 では見なかったことにして、翔子の望むように何事もなく過ごすかと問われればノーだ。初めて人間界で出来た友達が傷つくのを黙って見過ごすようなサラサではない。

 話を終え、翔子と共に教室に戻りながら、サラサの頭の中では放課後の計画が既に練られ始めていた。授業中、隣に座る浩之がぞっと鳥肌を立て、何か悪い物でも食べたのかと本気で心配するほどに邪悪な笑みで。




 全ての授業を終えたその日の放課後。サラサは浩之を連れて屋上へと訪れていた。

 翔子はバイトがあるので先に帰っているため、サラサとしては非常に都合が良い。一緒に帰ろうと言う智や辰哉に少し二人だけで用があると言い、サラサは強引に浩之と二人で残る形をとった。

 学園に残る理由をまだ聞かされていない浩之は、またサラサの適当な思いつきでも始まったのかと億劫そうに屋上へと足を運んでいた。

 誰もいない屋上で腕組み、仁王立ちで踏ん反り返るサラサ。それ見ながら、浩之は溜息をつきながら声をかける。


「編入初日だからってはしゃぎ過ぎだ。まだ遊び足りないのか、お前は」

「当然……私は三百六十五日、二十四時間遊びたい人間なんだ」

「お前、人間じゃねえだろ」

「揚げ足取りはいい……それよりも、ヒロ、事件だ。私たちの大切な友達をこの手で守らなければならない……翔子を助けるんだ」

「……西森だと?」


 翔子の名前が出た瞬間、浩之は表情を怒りモードへと切り替える。

 どうやらサラサの口から飛び出した『翔子』『守る』の二つのキーワードから、過去の景色を幻視したらしい。

 街中でたむろする不良すら道を空けそうなほどに不機嫌そうな浩之にも、サラサは微塵も動じずジト目で落ち着くように言葉を続ける。


「落ち着け、ヒロ……いくらヒロがそこで私にガンつけたところで、いったいどうなる……私のプリティチャーミングな視線と見つめ合うだけだ」

「お前、本当に自分をどこまでも持ち上げようとするよな。いや、サラサのことは今はどうでもいいんだよ……西森を助けるってどういうことだ。またあいつらが絡んでんのか……っと、お前は西森の過去、まだ知らないんだよな」

「人を情弱扱いするんじゃない……知ってるよ、翔子、隣のクラスの女子たちにいじめられてたところをヒロたちに助けてもらったんでしょ……?」

「本人から聞いたのか?」

「もちもち餅つき鏡餅……翔子は私の親友だからね」


 胸を張って言いきるサラサに、浩之は険しくなった表情を少しばかり和らげる。

 出会ってから一カ月。最初は他人になんぞ微塵も興味が無い、自分が幸せならそれでいいを地でいくような性格だった駄天使様が、今やこうして他人のために動くことを厭わない。その成長ぶりに、浩之はまるで初めて我が子の立ち歩きを見届けた父親のような気持ちになっていた。

 だが、いつまでもそんな感傷に浸っている場合ではない。気持ちを切り替え、浩之は真剣な表情でサラサに再び口を開く。


「東川の奴がまた西森に絡んでんのか」

「東川……? 誰、それ」

「西森から話を聞いたんじゃないのか? 去年、西森をいじめてた女子グループの代表みたいな奴だよ」

「ああ、じゃあその人だ……今日、体育の授業の後にあったことなんだけどさ……」


 それからサラサは見たことを全て浩之に報告する。

 翔子の反応、彼女たちの様子から、今もなお翔子が見えないところで何か嫌がらせを受けているのではないかという推測。

 全てを聞き終えたとき、怒りで頭に血が上った浩之が屋上から出ていこうとするが、それを慌ててサラサが引き止める。浩之の右足に文字通り、がしっと縋りついて。


「こら、ヒロ……そんな熱血主人公のような顔をしてどこへいこうと言うのかね……十秒間説明を待ってやる……」

「んなもん決まってるんだろうが。東川の野郎を吊るしあげてやる。あのクソ女、二度と余計なこと出来ないようにしてやる」

「そして無理矢理暗がりに連れ込んであんなことやこんなことを、ぐへへ……」

「言ってねえよ!」

「冗談はさておき、ヒロ、頭を冷やそう……この話はあくまで私の推測で、何の証拠もないんだよ……あ、ちょっと待って。こほん、翔子の証拠がないんですよ……」

「つまんねえこと言い直すな! けど、確かにその通りだ。前回までとは違い、裏でやってるなら俺が見た訳でもない。問い詰めたところでシラを切られたら終わりだ」

「そう。そして疑ってると警戒されたら、余計に今回の件が表に出にくくなるかもしれない……それは翔子が一人で我慢してる現状と何ら変わらないでしょ」

「くそっ」


 苛立たしげに吐き捨てる浩之。サラサの説明を受けることで、現状がどれだけ難しい状況なのか理解してしまった。

 翔子の様子からみて、彼女が未だ何か嫌がらせをされていることは確実だろう。だが、その証拠が浩之たちには何一つとして存在しない。

 ならば翔子から無理矢理聞きだせばいいのだが、そんなことをしてしまって翔子が喜ぶはずが無い。何より情報源を翔子としてしまえば、犯人たちの恨みを更に翔子が買うことになってしまう。

 結局、この問題を解決するためには、翔子を関与させず、浩之たちが直接東川たちの犯行現場を掴むしかないのだが、それが非常に難しい。なにせ、翔子がどんなことをやられているのか分かっていないのだ。何をされているのかも分からず犯行を突きとめるなど空の雲を掴むような話だ。

 ゆえに、浩之の表情はますます焦りと苛立ちで険しくなる。大切な友人が未だ下らないことに巻き込まれている、それをなんとしても解放したい。だが、その力が自分にはない。

 己の無力さに拳を握りしめる浩之だが、そんな彼の感情は一瞬にして霧散することとなる。

 苛立つ浩之を下からのぞきこむ真っ直ぐなジト目。天使の輪っかを爛々と輝かせる少女が、彼に向かってそっと言葉を紡ぐのだ。


「ヒロ、大丈夫……そのために私がここにいるんだ」

「サラサ……?」

「完全に忘れ切っていると思うけれど、ヒロ、私は君を幸せにするためにここにいるんだ……私は『天使候補』なんだから。翔子が泣いていると、ヒロは幸せになれない――ならば、この問題を解決するのは『天使候補』の私の役目でしょ」


 浩之の目の前で白き翼をゆっくりと広げ、くるっとその場で一回転するサラサに、浩之は完全に目を奪われて。

 ジト目ながらも、穏やかに笑みを浮かべながら、サラサは浩之に優しく問いかける。


「ヒロ、君は翔子を助けたいんだよね……」

「当たり前だ。あいつは俺の……俺『たち』の大切な親友だからな」

「そう、翔子は私『たち』の大切な親友なんだ……どんな理由があっても、翔子が一人で悲しんでることなんて絶対に認められない。ヒロ、願って――私に強く、翔子を守りたいと」

「助ける……俺は、西森を――翔子を守りたい!」


 浩之の声にサラサの天使の輪が淡く光を放ちだす。

 そしてゆっくりと光は収束してゆき、サラサは満足そうに微笑んで浩之に言葉を返すのだ。


「ヒロの願い、聞き届けたよ……『天使候補』サラサ、必ずヒロの願いを叶えてみせるよ……私の自慢のアマツガハラ電気街製天使道具を駆使して……」

「結局そこにオチつくのかよ!」

「当たり前じゃない……私はこの道具がなければ、何の役にも立たないぐーたら天人なんだ……舐めてもらっては困る、私は独力じゃ何もできないんだ……小麦が無くてパンが焼けると思っているのか……」

「さっきの願いとか光輝く天使の輪とかはいったい何だったんだよ!?」

「あれ、演出……人間の願いを聞き届けると、優しく光るようになってるんだよね、この輪……どう、綺麗だったでしょ……?」

「本当に残念過ぎる奴だよお前って奴は!」


 背中に背負ったエンジェリュックを下ろし、中を漁るサラサに浩之は容赦なく突っ込みを入れていくが、サラサは右に左に聞き流す。

 やがてリュックから奇妙な水中ゴーグルのようなものをを取り出したサラサ。いったい何だと浩之に問われる前に、サラサはこの道具が何なのかを説明始める。


「『エエヤナイカエエヤナイカ』。この道具をつけて横の設定ボタンを押しながら誰かのことを考えると、その人の生活全てを映画のように眺めることができる。もちろん、巻き戻し早送り機能も搭載の優れ物……天人界でも、ストでカーな人々に大人気のアイテム……」

「おい、それって犯罪に片足突っ込んでるアイテムじゃねえか。ただの覗きアイテムだろ」

「違う……清く正しい天人が犯罪に道具を用いるはずがない……ストでカーな人たちはあれだ、愛が深すぎるだけなんだ……滅びればいいのにね」

「フォローするか切り捨てるかどっちかにしろよ!」

「これを使って東山の過去の行動を巻き戻せばいつ頃にどんなことをしてるのか分かるって寸法だよ……ばれないことに慣れ切った犯人は同じ場所同じ時間に同じ嫌がらせを重ねるもの、どこで何をしているのかを掴んだら、後日張って現場を抑えればいい……ふふ、名探偵サラサ、ネクストヒントは煎餅」

「東川だからな。頼むぞ、サラサ、お前だけが頼りだ」

「おう、任された……」


 そう言ってサラサは水中ゴーグルもどきを顔にかけ、電源を入れて映像を観察する。

 バンド部分についているスイッチが早送り、巻き戻しを担当しているらしく、サラサは何度もそれらのボタンを連打している。

 その光景を浩之は見守るように視線を逸らすことなく傍で眺め続けていた。そして待つこと数分、サラサが驚きの声を上げる。


「ああっ……な、なんてことだ……」

「どうした、サラサ!?」

「東川の奴、着やせするタイプだ……入浴シーン見てるんだけど、想像以上に胸が大きい……羨ましい、妬ましい、地獄に落ちるといい……」

「お前は東川のいったい何を探ってるんだよ!? いいから真面目にやれ!」

「分かってる、ジョークだよジョーク……とりあえず昨日の夜までに変な動きはないね。となると夕方、下校の時間帯かな……」


 巻き戻しボタンを連打しながら呟くサラサ。憮然とする浩之だが、サラサがボタン連打すること数十回、ついにその手が止まることになる。

 手の動きを止め、無言のままゴーグルを眺め続けるサラサ。そして、確認を終えたらしく、ゴーグルを外してジト目を浩之に向け直す。


「謎は全て解けた……やっぱり犯人は東川で、翔子に嫌がらせしてる」

「本当か!? 詳細を教えてくれっ!」

「あたぼうよ……犯行現場は下駄箱、犯行時間は夕方六時。やってることは下駄箱の中に何か手紙を入れてる……たぶん色々暴言が書いてるんじゃない? 犯人は東川と取り巻き二人、今日体育の後に翔子に絡んでた連中だね……あと、ヒロは映像を見ない方がいい。あいつら、翔子のこと好き勝手言ってて不快だ……短気なヒロだと容赦なく東川に男女平等パンチをぶっ放してしまいそうだ……」

「……男でも女でも超えちゃいけないラインってのがあんだよ」

「ノー、暴力はノーよ、ヒロ……非暴力非服従、浮気されたからといって殴ってしまってはDVで逆提訴されることだってあるんだ……男なら、ぐっと歯を食いしばって堪えて、最高にねちっこく陰湿な復讐をしてあげようじゃないか……天使道具を駆使して現場を抑えて、記録に残し、このことをばらして欲しくなければふへへ……あんなことやこんなことを……あ痛っ」

「あいつらが西森に一切近寄らなくなればいいんだよ!」

「うん、その通りだ……ヒロ、大事なのは怒りをぶつけることじゃない。翔子を助けることだ、そこは忘れちゃいけない……」


 淡々と語るサラサに、浩之は彼女がわざと冗談じみて振る舞うことで彼に大切なことは何かを教えてくれたことに気付いた。

 そう、あくまで一番大切なことは翔子と彼女たちとの禍根を残すことなく、嫌がらせを止めさせ、一切の接触を断たせることだ。

 それを教えてくれた少女は、浩之にやんわりと微笑み、彼に一つの要求をする。


「ヒロ、手を出して……右手でいいよ」

「ん、こうか……って、お前、何してんだ!」


 浩之の手を掴み、サラサはポケットから取り出した太ペンで浩之の掌に文字を書く。

 黒の油性ペンで『火』とデカデカと書かれた手を見て、浩之はサラサのやりたいことに気付いた。浩之の予想通り、サラサもまた自分の左手に何やら文字を書いている。

 呆れるように息を吐く浩之に、サラサは楽しげに胸を張って、待っていたとばかりに台詞を紡ぐのだ。


「ヒロ、掌を見せあおう……互いにどうすれば翔子を救えるかの策を見せあうんだ……」

「見せあうも何も、俺の掌の文字はお前が書いてばればれな上に、この状況で『火』を書き合ってどうするんだ。下駄箱で赤壁するのか、燃やすのか」

「そう、ヒロの掌も『火』、私の掌も『火』。互いに小さな火であっても、私たちが力を合わせれば大きな『炎』となり、どんな困難でも打ち破れるんだ……私たちは一人じゃない、二人ならどんなことだって乗り越えられるんだ……」

「おい、お前の掌には『火』じゃなくて『暴』って書いてんだが……『火』と『暴』ってなんだ、俺たちは力を合わせたら爆発すんのか、どんだけお前は下駄箱で物騒なことしたいんだよおい」


 浩之の突っ込み通り、サラサの左手には『火』ではなく『暴』と書いていたのだが、その突っ込みをサラサは全面的にスルーする。

 孔明と周瑜の真似ができて満足したのか、サラサはすこぶる機嫌よさげに浩之に早速指示を出すのだった。


「それじゃ、早速下駄箱に張り込もうか……私の見立てでは、今日にもまた動くと読んでいる」

「やけに自信満々だな、根拠あるのか?」

「ある……今日、東川は私と翔子に気分を害されたはずだ……あの手のタイプが、その苛立ちを抑えられるわけがない……まして、翔子は何度も嫌がらせをされても我慢しているだろうから、相手も気が緩んで警戒なんてしていないはずだ……その心の慢心を絡め取ってやるんだ」

「お前、そういう人の卑しい心の流れを読むの、本当に得意だよな……」

「褒めるなよ……」

「お前には今のが褒め言葉に聞こえるのかよ……」


 下らないやりとりを交わしながら、浩之とサラサは場所を屋上から昇降口へと移動する。

 時刻はまだ五時ということもあり、昇降口には帰宅する最中であろう帰宅部の生徒で溢れている。

 その光景を眺めながら、浩之はサラサに訊ねかける。


「今は生徒が多いから問題ないが、六時前後ともなると人っ気も少なくなるからな。隠れて現場を抑えるってのもなかなか難しいぞ」

「ヒロ、そこで私の出番だよ……ここで天使道具を活用せずになんとする。誰にもばれないような素晴らしい盗撮用アイテムもばっちり準備しているとも……」

「おい、今お前盗撮用アイテムってはっきり言ったぞ。いいのか、天使候補がそんな犯罪まがいの道具ばかり持ってていいのか」

「人を幸せにすることは法律よりも何よりも優先される……天使は人を幸せにしなければならない、幸せを奪ってはならない。幸せは犯罪よりも重い、それが天使法、私がルールブックだ……」

「天使ってもしかしてただの犯罪集団なんじゃねえのか……あとお前、俺に対して天使の法律破りまくってるからな」

「ときには思い切って破ることも肝要……清濁併せ持ってこそ一流の天使よ……」


 リュックを漁っているサラサに呟く浩之。そんな彼の言葉を相変わらず右から左にスルーして、サラサは一つのアイテムを取り出す。

 黄緑色に染められたブレスレッドを取り出し、サラサは浩之に自慢気に語る。


「『オモイデニノコルキミダカラ』。このブレスレッドをつけていれば、ある条件下において透明人間になれる……誰にも見えないし触れられない、もちろん会話の声だって他の人に届かない……」

「あんまり聞きたくないが、その条件ってなんだ」

「『盗撮』を行うこと……盗撮用アイテムだから、当然の条件だよ……」

「こんなクソアイテム作ったアマツガハラの責任者問題あり過ぎだろうが!」

「だけど、その犯罪スレスレの低空飛行が今は翔子を救う鍵になる。ほら、浩之、私と手をつないで……」

「手? なんでだ?」

「このブレスレッドは、使用者と接触している人は『盗撮』の『同志』と見做されて、その人も透明になれるんだ……私がエンジェフォンのカメラ機能で東川を盗撮し続けるから、浩之は私の手を握ってて。それで、現場を撮影終えたら、ブレスレッドを外して追及しようじゃないか……」

「分かった」


 了解し、浩之はサラサの左手を包むように握りしめる。小柄なサラサの手はやもすれば小学生並みの大きさにも感じられる。

 浩之と手を握り、サラサは天人界ご用達の天使携帯エンジェフォンを取り出し、翔子の下駄箱にカメラ機能とジト目を向けて時間が過ぎるのを待つ。

 気合を入れたのはいいものの、現時刻はまだ五時過ぎであり、ターゲットの襲来するであろう六時は程遠い。十分もすれば当然飽きも来る。

 サラサと浩之は手をつないだまま、やがて雑談を始め時間を潰し始める。そして、サラサが浩之に豆知識自慢としてアルマジロの生態について語っていたとき、とうとう待ち人が現れる。

 廊下の向こうから雑談する声と共に現れた三人の少女たち。サラサは待っていたとばかりにエンジェフォンの録画機能を起動させて撮影を開始する。

 サラサたちは透明となっており、姿も声もあちらには届いていないのだが、それでも身を隠したくなるのは人の性か。

 靴箱の影に身を隠す浩之とサラサ、そんな二人へ近づいてくる東川たち。そして、彼女たちの雑談の内がとうとう浩之たちの耳でも理解できるほどの距離となる。


「マコ、今日もやるの? 流石に二日連続は拙いんじゃない?」

「いいのよ。翔子のやつ、今日は生意気にも反論なんかしてきたし。翔子のくせに生意気なのよ」

「でも、もし翔子が荒波君たちにこのこと言ったりしたら……」

「根性無しの翔子が言えるわけないわよ。それに言ったところで、私たちがやったって証拠もないもの。それに、翔子なんて荒波君や松本君、高城さんの周りをうろついてるただのコバンザメじゃない。見ててムカつくのよね」

「ヒロ、落ち着いてっ……憤るのは分かるから、落ち着いてっ、男女平等パンチはいかんよ、少年っ。神を、ガンジーを信じるんだ……アイラブガンジーっ」


 今にも飛び出そうとする浩之を抑えながら、サラサはしっかり彼女たちの会話を映像に収める。

 そして、東川たちが翔子の下駄箱の前へと辿り着き、中に手紙を入れようとする。その瞬間も映像に収めようとしたサラサだが、状況が予定と少しばかり変わってしまう。

 靴箱を開いた東川が、少し考えるような仕草を見せ、悪い笑みに染まったのだ。そして、吐き気を催す悪意を簡単に紡ぐのだ。


「そうだ、この上履きを今日は隠してやろっと」

「え……そ、それは拙いよ、マコ。悪口の書いた手紙でもヤバいのに、それまですると流石に問題に……」

「そんなだから翔子に最近舐められるのよ。ここらで一発教えてあげないと、増長されるばかりじゃない。いいのよ、どうせ誰にも言わないだろうから」


 そう言って、翔子の上履きを掴み、外へと持っていこうとした東川たち。

 サラサは証拠となる映像はばっちり抑えたことを確認し、浩之に頷いてゴーサインを出す。もう怒りを抑えなくていいという意思表示だ。

 それを待っていたとばかりに、浩之はサラサから手を離し、怒りを解き放つように右手で下駄箱の側面を殴る。

 人気のない昇降口に響き渡る激しい打音。突然放たれた音に驚き、慌てて振り返る東川たち。そして、そこにあるはずのない浩之とブレスレッドを外したサラサの姿に驚愕する。

 そんな彼女たちに、怒りを充満させた浩之は重く低い声で彼女たちに問いかける。


「てめえら……そいつは西森の上履きだろうが。それを持っていったい何をしようとしてやがる……?」

「あ、あ、荒波っ、君っ」

「なあ、質問に答えろや。お前たちは、俺の親友の上履きをどうするつもりなんだ……? しっかり事情を聞いてやるから言ってみろ」


 明らかに怒りを表情に出している浩之。その姿はどこの誰がみても怒りに震える不良にしか見えないほどに。

 なぜここに浩之がいるのか。もしや先ほどの光景を見られていたのか。いや、見られていない筈だ。誰もいなかったはずだ。このような状況でも、なんとか誤魔化すために言い訳をしようとした東川だが、それを制するようにサラサは不敵な笑みを浮かべて口を開く。


「言っておくけれど、さっきの君たちの会話と光景はばっちり録画してるからね……誤魔化そうたってそうはいかない……」

「な!? み、見てたの!?」

「やましいことをするときには、周囲にICレコーダーやカメラがないか確認するのは常識中の常識……その警戒を怠るなど十五を超える女子とあろうものが……まあ、警戒してても今回は無理だけどね……さあ、諦めるといい。絶望し、震えろ……天使を見る度、思い出せ……」


 先ほど録画した光景をそのままエンジェフォンで再生し、くけけと笑うサラサ。

 顔を真っ青にする東川たちに、浩之は無言で下駄箱に近づき、翔子に向けられた手紙を無理矢理開けて中身を読む。

 そのなかに並べたてられた罵詈雑言。それらを眺め終え、浩之は侮蔑の視線を彼女たちに向けて吐き捨てるように言葉を紡ぐ。


「てめえら、毎日毎日こんなことを西森に繰り返してやがったのか……西森が黙ってるのを良いことに、このクソアマどもが……」

「な、何よ! 確かに私たちがやったわよ! だけど、一方的に加害者にしないでよ!」

「んだと?」

「どうせ翔子だって、私たちの悪口を荒波君たちに言い続けてたんでしょ!? そうよ、そうじゃなきゃ私たちが犯人かもなんて気付く訳がないじゃない! 普段から私たちのこと散々に言って、そして今回も告げ口したから分かったんでしょ!? 何よ、やっぱり翔子だって最低……」

「てめえらと一緒にするんじゃねえ!」


 そう言って叫び、浩之は下駄箱を再び強く殴りつける。

 再び静寂が支配する昇降口の中で、奥歯を強く噛み締めながら、浩之は少女たちを睨みつけて言葉を紡ぐ。


「今回の件には西森から何一つ話を聞いてねえ。俺たちが勝手に動いたことだ。あいつはお前らにこんなふざけた真似をやられていることを、たったの一度も俺たちに話してねえんだよ。その理由が分かるか?」

「そ、そんなの、私たちが怖いから……」

「ざけんな! 西森はお前たちを怖がったわけじゃなく、心配したんだろうよ。俺たちに知られれば、お前たちを本気でぶっ潰すために動くことを西森は分かっていたからな。俺も辰哉も高城も、お前らが一年の頃に西森にしたこと、未だに許した訳じゃねえんだよ。あんな吐き気をする行為を嬉々としてやる連中なんざ、しっかり相応の報いを与えようってのが俺をはじめ、辰哉や高城の意見だった」

「う……」

「けど、俺たちはお前たちを追い込むことはしなかった。西森が嫌がったからだよ。東川たちだけが悪い訳じゃない、はっきり意見を言えなかった自分も悪い。だからこれ以上はもういいって、そうやって俺たちを止めたんだよ。だからこそ、あの一件で手打ちにして終わりにしたって言うのに……どこまで性根が腐ってんだ、てめえらは。西森は、過去の一度だってお前らの悪口を俺たちに言ったことなんざねえんだよ!」

「編入試験のとき、色々教師から話を聞いたりパンフレットを眺めたりしたんだけどさ……この学校って、『こういうの』に関して、本当に厳しいらしいんだよね……事情聴取は免れないよね……急に三人も呼び出しとなると、当然クラスメイトは理由を知ろうとするよね。そうなると君たちの悪行は広まっちゃうわけで……さて、ごたついた後でこの学園に君たちの居場所なんてあるのかね……特に翔子の親友の智を怒らせるのは致命傷だね、智は一年の女子ネットワーク全部網羅してるから……悪行が公にされ、問題行動で内申はズタズタ。どうみても詰みです、本当にありがとうございました……」


 そこにきて、少女たちは自分たちの重ねた罪の重さを知ることになる。

 ささいな嫌がらせから転がるように大きくなった罪を、誰も止めることが出来なかった。完全にブレーキを忘れ、調子に乗った末の結末。

 自業自得とはいえ、サラサに突き付けられた重い未来は少女たちが背負うには重すぎる。ようやく芽生えた遅過ぎる罪への呵責に一人、また一人と泣き始める。

 そんな少女たちに、浩之は怒りの矛先のやり場を失ってしまう。だが、サラサは容赦しない。ジト目を吊り上げたまま、少女たちに言葉を続ける。


「泣けば済むと思っているのか……泣いたら翔子の心の傷が癒えるとでも思っているのか……誠意とは涙ではなく言葉、言葉よりも行動……私たちに泣いて保身を考え、助けてと許しを乞うより、やるべきことがあるんじゃないのかね……」

「わ、私たち……」

「これ以上言葉は要るまい……去れ、一週間時間を与えてやる……罪を贖うためには、何をすべきかは、自分の胸に問いかけたまえ……」


 サラサの突き放した言葉に、東川をはじめとした少女たちは翔子の上履きを置いて、泣きながら去って行った。

 その光景を眺める浩之。翔子の上履きを元の場所に戻しながら、サラサはいつものやる気のないジト目に戻って浩之を窘める。


「駄目だよ、ヒロ……東川が泣いた瞬間、気を緩めたでしょ……『やり過ぎちまったかもしれない』と思ったでしょ……引いたら最後、向こうに付け込まれてたよ」

「う……」

「女にとって涙は攻めにも守りにも使える最強の武器なんだ……自分が悪くなくても、相手の涙に罪悪感を植え付けられたらいつのまにか加害者被害者の立場が逆転してたってこともあるんだ……泣かれても毅然とした態度をとること、そこをしっかり覚えておくといい」

「悪かったよ……けど、これで西森への舐めた行動は収まるかね」

「多分ね……接した感じ、翔子への嫌がらせを保身より優先するほど覚悟決めてやってたようにも思えないし……私たちの正義の行動で目が覚めて、きっと翔子に謝罪にいくよ……性善説を信じるんだ、ヒロ……人間はかくも美しい」

「いじめの現場見た後で人間賛歌されてもな……」

「駄目なら責任をしっかり取って貰うだけだし……」

「だな……しかし、すまなかった。そもそも今回の件は一番身近にいた俺たちがお前より先に気付かなきゃいけないっていうのに……情けねえな」

「それは違う……翔子は浩之たちにだけは絶対ばれたくなかったから隠し通せたんだ。そして、出会って間もない私だからこそ違和感に気付けた、ただそれだけのことだよ……翔子と東川たちの会話現場も偶然見られたのも運が良かっただけだし」

「そうか……そう言って貰えると助かる。本当にごめんな、サラサ。編入初日から嫌な目にあわせちまった」


 浩之の言葉に、サラサは一瞬きょとんとして首を傾げた。

 そして、やっと言葉が飲み込めたのか、軽く笑みを零してサラサは無い胸を張って浩之に語るのだ。


「何を言うんだヒロ……編入初日から、大切な親友のために頑張ることができたんだ。これほど嬉しく誇らしいことなんて他にないよ……」

「……サラサ」

「さ、夕食に遅れないように帰ろうじゃないか……録画したアニメも見なきゃいけないしね……浩之は私の宿題を全部頼んだ……」

「最後の最後にお前ってやつは……でも、ありがとな」


 呆れながら、浩之は笑ってサラサと並んで歩きだす。そっとサラサがさし出した左手を右手で掴んで。

 彼らの掌の中では、夕焼けに包まれながら『火』と『暴』が優しく重なり合い続けていた。家に辿り着くまでの間、ずっと。




 翌日の昼休み。昼食を教室で取ろうとしていた翔子のもとに来客が訪れる。隣のクラスの東川たちだ。

 少しだけ時間をもらえないかと翔子にお願いし、困惑しつつも了承し、東川と一緒に教室を離れる翔子。昨日の一件を知らない智や辰哉が険しい表情を浮かべる中、浩之は大丈夫だろうと二人を抑える。一瞬浩之やサラサと目が合ったとき、東川が申し訳なさげに頭を深く下げたのを見たからだ。

 何かあったら動いて制裁すればいい、浩之のその言葉に了承した二人だが、やがて戻ってきた翔子の表情に驚くばかりだ。

 何か良いことでもあったのか、とても嬉しそうな表情を浮かべて笑みを零す翔子。そんな彼女に智が首を傾げながら訊ねかける。


「翔子、翔子、どうしたの? 東川さんたちに呼ばれてたみたいだけど、そんな嬉しそうな顔して……何かあったの?」

「うん、うん。とても、とてもいいことがあったんだ。本当に……嬉しいことがあったんだ」

「えー、何があったのか教えてよお」

「それは、その……内緒」


 翔子の様子から、浩之は東川が翔子に正式に謝罪をしたのだと悟った。

 内緒にしているのは、そのことを話すと東川たちがこれまで翔子にしていたいじめをみんなに語らなければならないからだろう。

 とにかく、これで二度と翔子が嫌な思いをすることはない。そのことに安堵しつつ、今回の立役者であるサラサに浩之は感謝するのだった。

 浩之の隣で弁当箱を嬉々として開けながら、卵焼きを頬張るジト目の少女。彼女が頑張ってくれたから、親友は心から笑顔で笑うことができた。

 そのお礼を改めて告げようとした浩之だったが、サラサが翔子に対して口を開いたことでその想いが全てご破算となってしまう。


「ねえ、翔子……そんな君にもっともっと嬉しいことを与えたいと私は思う。ご褒美のスイーツみたいなものだ、是非受け取ってほしい……」

「ご褒美?」


 首を傾げる翔子に、サラサはくふふと何か企んでいる笑みを浮かべてポケットからエンジェフォンを取り出す。

 そして片手でエンジェフォンを操作し、何かの動画を選択する。その動画の再生ボタンを押して、翔子たちの前に突き出した。

 そのエンジェフォンの中には、浩之が真剣な表情をしている姿が映っており、何の映像だと浩之が突っ込むよりも早く、映像から絶叫が木霊した。


『俺は、西森を――翔子を守りたい!』


 エンジェフォンの中の浩之が大声でそう叫んだ瞬間、浩之は食べかけの弁当を喉に詰めそうになってしまった。

 映像の中でひたすらリピート再生で翔子を守ると叫ぶ浩之の姿。そんなものを見せられて驚かないわけがないのだから。

 対して他の面々も浩之の反応を見る余裕などない。智と辰哉は大笑いし、翔子はあわあわと顔を真っ赤に染め上げて。してやったりと笑うサラサに、浩之は目を吊り上げて問い詰める。


「サラサ! お前、いつの間にこんなムービー撮ってやがった!?」

「いつって、ヒロがこう叫んでいたときに決まってるじゃないか……こう、演出で気を逸らしているうちに、ぽちっと」


 サラサの言葉に思い出される前日のこと。屋上で、サラサに対して翔子を守りたいと叫んでいたとき、サラサの光の輪が光り輝いていた。

 あのとき、サラサはただの演出だと言っていたが、あれはあくまで浩之の気を逸らしてこの映像を確保するためのものだったのだ。

 ワナワナと震える浩之だが、悪戯好きの駄天使は楽しげに微笑んで胸を張って告げる。


「ヒロの格好良い姿を一生の記念に残したいという私の想いが伝わってくれたら嬉しい……」

「消せ! その映像を今すぐ携帯から消しやがれ!」

「消してもいいけど……もう翔子と智と辰哉の携帯に映像データ送っちゃったよ……これはあくまで翔子へのご褒美だからさ」

「てんめえええええっ! お前って奴は、お前って奴は、本当にお前って奴は!」

「あはははっ! 荒波君、最高だよこれっ! うん、しばらくこの映像の静止画像を私の待ち受けにしよっと!」

「お、それいいね。俺もそうしようかな」

「お前らも映像で遊んでんじゃねえっ! 消せ! 今すぐ消せえ!」

「人の過去は簡単に消せないんだね……ヒロ、未来志向でいこう、過去に捉われるよりも未来に向かって歩き出したほうが建設的じゃないか……」

「誰のせいだと思ってんだお前はああああ!」

「強いて言うなら、時代のせいかな……」


 憤慨して削除を求める浩之だが、どうやら彼の願いは届きそうもないらしい。

 ただ、一つだけ付け加えるなら、サラサの意図する狙いはきっちり叶ったということだろうか。その日、西森翔子という少女の宝物が一つ増えたことは間違いないのだから。顔を真っ赤にしながらも、翔子はサラサに送ってもらった映像に映る少年の姿を見て、全てを理解した。そして心の中で恋する少年と大切な親友にそっと告げるのだ――本当に、ありがとう、と。







 

ここまでお読み下さり、ありがとうございました。次も頑張ります。


※3話にまとめていたものを分割して3、4話として投稿し直しました。

文字数が三万と多過ぎるための処置です。内容に変更はありません。大変ご迷惑をおかけしました。


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