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三話 駄天使候補、学園でも遊ぶ





 平日の朝。もうすぐ浩之が学校へと向かわねばならなくなる時刻。

 自室で新品の制服に身を通し、楽しげにくるくると回る薄青髪の少女へ向けて、浩之は今更ながら息を吐き出して感嘆と言葉を紡ぐ。


「お前、本当にウチの学校に今日から通うんだよな……」

「何を今更……どうした、ヒロ。まだ寝ぼけているのか……」

「いや、サラサがこうして制服姿になっているのを見ると……つい、な」

「似合い過ぎて言葉も出ないか……存分に魅入るといい」

「いや、本気で似合わねえな、と。お前のいつものニートスタイルばかり見てたからなあ」

「本当に失礼だね、君は……」


 ぶつぶつとジト目で文句を言うサラサに、悪い悪いと軽く謝りながら浩之は今日までのことを振り返る。

 今から三週間前、浩之との外出から帰ってきたサラサは何をどう間違ってエンジンがかかってしまったのか、浩之の学校に通うと両親に直訴した。

 浩之としては、生活サイクルを昼夜逆転から平常へと戻してくれるだけでよかったのだが、どうやら予想以上にサラサに火がついてしまったらしい。

 浩之の通う学園への編入を希望するサラサだが、浩之は当然ながら無理だと考えていた。サラサは人間ではなく天人。当然、戸籍もなければこれまで人間界の学校に通ったこともない。

 そんなサラサがいったいどうやって学園に編入する事ができるのか。そう思っていた浩之だが、そこはサラサ……というより、天人の無茶苦茶がまかり通るところ。

 彼女が親を通じて学園に編入試験を申し込んだところ、何も問題なくすんなり受け入れられたという。あんぐりとして驚く浩之に、サラサは勝ち誇って『契約者と傍にいるためなら、天使に乗り越えられない壁はないんだよ』などと訳の分からないことを言う始末。後で聞いた話だが、このあたりもエンジェリュックの中の怪しい道具でなんとかしたらしい。

 編入試験もそれらの怪しい道具を使って乗り越えるのかと思っていた浩之だが、そこだけはサラサは真面目に受けた。浩之に一通りの教科書やノートを借り、試験日までひたすらそれを眺めるだけの日々。道具を使わないのかという浩之の問いかけに、サラサは笑って『ヒロに格好良いところみせたいから』と言うだけ。サラサが天人界で劣等生と聞いていただけに、大丈夫かと不安いっぱいなヒロに対し、サラサは静かに微笑み続けていた。

 そして、編入試験の結果は見事に合格。それも全教科満点を叩きだすという始末。特別特待生として迎え入れられることになったサラサに浩之は言葉も無くしてしまった。合格と特別特待生を勝ちとったサラサは、煎餅を齧りながら浩之にピースを突き出して結果を誇る。

 そう、サラサは天才だった。天人界では天使になりたくないという気持ちゆえ、わざと授業をボイコットしたり居眠りしたり適当な回答をしたりと散々な行動をとっていたのだが、それは偽りの姿。彼女が本気になれば、学園の入学試験など何の問題もなかった。

 教科書を軽く眺めるだけで、その全てを暗記する能力。この結果をみて、浩之は納得したくはないが、理解してしまう。どうして天人界の大人たちが、彼女を特別な子どもとして見做していたのかを。親がとんでもない立場ということもあるだろうが、それ以上にサラサは天才なのだった。

 晴れて学園生活の切符を手にしたサラサは、こうして学園生活初日を迎えることができたという訳だ。

 未だ、サラサの制服姿が脳に馴染まない浩之だが、これはサラサの頑張りの結果。認めてやるしかないと一息吐き、そっぽを向いてサラサに告げる。


「まあ、何はともあれ、おめでとさん。頑張ったな、偉いぞ」

「何その投げやりな褒め方は……もっと心から褒めるといい。ほら、ヒロの大好きな制服だぞ……スカートめくってみたいだろ……?」

「人を勝手に制服フェチにすんじゃねえ!」


 突っ込みを入れつつ、登校時間が押していることに気付き、浩之は鞄を肩に下げて『行くぞ』とサラサに声をかける。

 サラサも教科書類を詰め込んだエンジェリュックを背負い、トコトコと浩之の後をついていく。その姿を視界に入れながら、確認するように浩之は訊ねかけた。


「お前、学園にもそのリュックでいくのか?」

「校則に鞄は自由だって書いてたからね……この中にはアマツガハラで手に入れた天使道具が山ほど入っている……何かあったときにすぐ対処できるし、何より私はこのエンジェリュックが気に入っている……可愛いよね」

「まあ、小さいサラサにはマッチしてるとは思うけども」

「本当に一言余計だよね、ヒロって……素直に褒められないのかな。可愛いって言えよ……可愛いって思ってるんだろ? ん?」

「あー、鬱陶しい鬱陶しい。ほら、行くぞ。初日から遅刻なんて洒落にならんだろ」

「うい」


 家から出て、浩之はサラサと並んで学園への道を歩き始める。

 天気は快晴、サラサの門出を祝うように青空が広がり、太陽が優しく差し込んできていた。浩之の通う学園まで徒歩にして二十分、そこまで遠くはない、むしろかなり近い部類であると言えるだろう。

 歩くこと数分、浩之たちだけではなく他の通学中の生徒の姿もちらほらと見え始める。人が増えてくると同時に、嫌でも気付くことがある。道を行く誰も彼もが、浩之の隣を歩くサラサへ視線を向けてくるということだ。

 完全に注目の的になっているサラサだが、それは当然のことだ。なにせ彼女の姿は天使道具により、ブロンド髪、スタイル抜群、何より絶世の美少女に見えているのだから。

 実際は薄青髪、スタイル貧相、絶世の美少女であることは間違いないが、非常にやる気のないジト目が残念過ぎる、そんなサラサである。

 彼女の偽りの姿に見惚れ、ざわめきたつ他の生徒たち。遠巻きに眺めてくる生徒たちを見て、浩之は息を吐きながらサラサに訊ねかける。


「お前、注目の的になってるけどいいのか? 人の視線が怖かったりするなら、俺が追っ払ってやるけど」

「ヒロ、君は少し過保護だよね……将来が心配だよ、娘ができたりしたら本物の親馬鹿になりそうだ」

「うっせえな……それで、大丈夫なんだな」

「余裕……悪意が込められてる訳でもないし、私が美人過ぎて注目を浴びているだけだし……美少女として注目を浴びる、実に良い気分だ」

「その美少女像は作りモノなんだけどな」

「ふーん……その作りモノの美少女にこういうことされたら、周りはなんて思うんだろうね……えいっ」

「なっ――」


 そう言って悪戯っ子のような笑みを浮かべ、サラサは浩之の腕に飛び込むように抱きついた。

 その瞬間、野次馬たちから一際大きなざわめきが起こる。それもそうだ、絶世の美少女が男子生徒に嬉しそうに抱きついたのだ、これをみて騒がない訳がない。

 あいつ誰だ、俺知ってるなどと浩之の名前が飛び交う中で、浩之の心の限界が訪れる。見世物状態になるのは御免だとばかりに目を吊り上げ、浩之は周囲の生徒たちに怒鳴り散らすのだった。


「おらっ! 見世物じゃねえぞ! 何か言いたいことある奴ぁ俺の前に来て直接言ってこいや! 無いんならさっさと散りやがれ!」


 浩之の怒声に、周囲の生徒たちは慌てて蜘蛛の子を散らすように掃けていった。

 二人だけとなった通学路で、浩之はやっちまったと軽く息をつきながら、サラサの額に軽くデコピンをする。

 あう、と仰け反りながら、サラサは浩之に遠慮なく訊ねかける。


「凄い怒声だったね……そうやって学園で猫のように威嚇を続けたがために、友達がほとんどいなくなったんだね……ヒロ、目つき悪いし言葉遣い荒々しいから怖がる人沢山いそうだしね……」

「勝手に人の過去をねつ造すんじゃねえ! けど、まあ……あながち外れてもいなんだけどな……」

「ヒロ、気にすること無いよ。私もボッチ、ヒロもボッチ、二人が一緒なら私たちはボッチ卒業だ……同じ業を背負う者、ボッ竹馬の友として寒風吹き荒れる世間を歩いていこうじゃないか……」

「誰がボッ竹馬の友だ! とにかく、さっさと学園に行くぞ。あと腕を離せ腕を」

「そう言うなよ……口ではそう言いながら、腕に当たる柔らかな感触を楽しんでいるんだろ、このエロ少年め……」

「前から思ってたんだけど、今はっきり言うわ。お前、自分が思ってるほど胸マジでねえぞ。平坦だわ」

「な……ん……だと……」


 浩之の隣で全力で凹むサラサを引きずりながら、浩之は学園へと到着する。私立星風学園、この地域でもなかなか有名な進学校である。

 相変わらず好奇の目に晒され続けているが、サラサが『別にいい』と言ってる以上、放置する事にした。

 そして、職員室の前までサラサを連れて行き、扉の前で一度別れを告げる。サラサが今日からこの学園、それも浩之のクラスに編入する事は事前に分かっていることだ。そこまで『偶然』が重なった理由をサラサは日頃の行いなどとのたまっていたが、間違いなく例の天使パワーだろうと浩之は見ていた。入学試験は実力でパスしたので、同じクラスになるためのズルくらいは追及しなかったが。

 サラサと別れ、自分のクラスへと向かう浩之。彼のクラスは二年B組、親友三人と同じクラスである。

 入室してきた浩之に、待っていたとばかりに手を振る三人の友人。こっちこっちと呼び寄せられ、浩之は鞄を自分の机に置き、三人の方へと近づいた。


「いやー、待ちわびたよ。サラサちゃんは? ねえ、サラサちゃんは?」

「どんだけサラサを待ち焦がれてるんだお前は。職員室だよ。まずは教師に話通して、そっからホームルームで俺たちに顔合わせするんだろ」

「やー、もー、早くサラサちゃんに会いたくて昨日はなかなか寝られなくって。思わず夜中なのに翔子に三回も電話しちゃった」

「それは……大変だったな、西森」

「うん……本当に大変だった。私、結局三時間しか寝てない……」


 溜息をつく翔子と、あっけらかんと笑う智。智の電話を途中で切れなかったあたり、翔子の性格が現れているのかもしれない。

 ちなみに、彼らは当然事前に浩之からサラサが今日から編入するという情報を仕入れている。それどころか、編入試験を受けるという話を耳にしたときには、サラサに自分たちのノートを是非と貸したりしたほどだ。

 サラサが試験に満点合格したときには、五人で簡単ながらパーティも開いたりした。連絡先を交換し合ったりと、まだ学園初日のサラサだが、彼女がずっと欲していた友達というものは既に手にすることができていた。

 翔子に対して悪びれない智に、反省しろよと注意を促す浩之。そんな彼に辰哉が楽しそうに笑って話題を提供する。


「サラサちゃんと一緒に通学したんだろ? 随分噂になってたぞ、B組の荒波がとんでもない美少女と一緒に登校してるって」

「家が一緒なんだからそりゃ一緒に登校するだろ」

「そのこと隠さなくてもいいんだよな? 俺たちは二人の関係が従姉妹でホームステイってことを知ってるけど、他の連中は知らないからな。何だったら、そのこと説明して回ってもいいぞ?」

「気を遣わせたみたいで悪いな。大丈夫だ、サラサもこの状況を楽しんでるみたいだし、何か余計なことを言ってくる奴がいたら俺が直接対応すりゃいい」

「……そういうとこ、変わらないんだな。浩之は」

「何で俺が変わる必要があるんだよ……俺は俺だろ。誰に何を言われても変わらねえよ、いつまで経っても」


 浩之の言葉に、心から嬉しそうに笑う翔子。その笑顔の意味を知るだけに、辰哉も智も同様に優しく笑うだけ。

 自分以外の三人で楽しまれているようで、何となく居心地の悪さを感じていた浩之だったが、智から別の話題を提供され、逃げるようにそちらに食いつく。


「サラサちゃんの席ってどうするのかな。まだどこにもないよね、椅子も机も」

「ホームルームが終わって用意するんだろ? この階の空き教室に机も椅子もたんまり余ってるしな」

「それじゃ、先に持ってきておこうよ。それで、荒波君の机の横に無理矢理置くの。荒波君の隣なら、サラサちゃんも不安なんてないと思うし」

「賛成。やっぱり、初めての教室っていうのは凄く不安なんだと思うんだ……強引にでも、浩之の傍に置いてあげるべきだ」

「他の誰でもないビビりで豆腐メンタルのお前が言うと、すげー説得力あるよな、西森……痛え痛え痛え! 筆箱で人を叩くんじゃねえ!」


 顔を真っ赤にして攻撃を始めた翔子を必死で食いとめながら、四人は空き教室へ向かい机と椅子を運んでくる。

 窓際最後尾の浩之の机にぴったり並ぶように設置し、元より右側にいた男子には頭を下げて少しだけ右に寄って貰う。隣に噂の留学生美少女がくると分かるや否や、隣の男子生徒はノリノリで机を嬉々として動かしていた。

 机の準備が終わるころには、ホームルームの時間も近づき、四人は簡単な打ち合わせをして各々の席へと座る。

 そして、チャイムの音から遅れること数分。担任の教師が教室へ入り、壇上に立って挨拶をする。もうすぐ三十路を迎える筋骨隆々の体育教師だ。学生時代は柔道に精を出していたらしい。

 生徒たちの一礼を確認し、出席の前に転入生の話を始めた。


「今日のホームルームなんだが、既にお前らも知ってる通り、ウチに編入生が今日から入ってくる。同じ学園で学ぶ学友として温かく迎えてやってくれ。入ってきていいぞ、ゴンザレス!」


 教師の発した名字に目玉が飛び出そうになる浩之。よく突っ込みの声を抑えたものだと褒めてやりたいくらいである。

 編入するにあたり、名前しかないサラサの名字をどうするかは確かに気になっていたが、適当に決めたとサラサが言っていたので大丈夫なんだろうと思っていたが、まさかそんな男らしい名字になるとは思いもしていなかった。

 必死に心の中の絶叫を抑えつける苦悶の浩之だが、そんな中で教室の前扉が開き、そこからサラサが入室する。

 彼女の姿を見て、歓声をあげる男子生徒たち。感嘆の声をもらす女子生徒たち。静まれと一喝する教師。そんな喧騒の中で、サラサはいつものジト目でぺこりと一礼し、クラスメイトたちに挨拶をするのだった。


「ブリテンからやってきました、サラサ・アルバラード・ルイス・ゴンザレスです。母は日本人で、このクラスの荒波君とは従姉妹になります。日本のことを学ぶために、留学にきました。まだ日本に慣れておらず、分からないことばかりですが、よろしくお願いします」


 名字長過ぎるだろ、そう突っ込む寸前だった浩之を置いて、教室の熱気はピークに達する。

 半狂乱で大喜びする男子生徒たち、浩之と従姉妹という言葉を聞き逃さずおどろおどろしい視線を向けてくる一部の男子たち、モデルのような振舞いにますます熱狂する女子生徒たち。

 そんな大騒ぎの中で、サラサの簡単な自己紹介は終わる。そして、サラサの席を決めるというところで、智が勢いよく手を挙げて担任に提案する。


「はいはいはーい、先生サラサちゃんの席は荒波君の横がいいと思いまーす。まだ日本にきて不安がいっぱいだと思うので、従兄弟の荒波君が傍にいれば安心すると思いますし」

「俺もそう思います。そのために机と椅子も前もって準備しましたし」

「む、確かにそうだな。日本に来たばかりで不安も多いだろう、その不安を少しでも解消してやることが我らの務めだ。ゴンザレス、それでいいか?」

「はい」


 智に加え、辰哉の援護射撃もあり、サラサは無事浩之の隣の席に決定された。

 担任に促され、サラサは浩之の隣の席へ向かい、腰を下ろす。上機嫌なジト目でしてやったりと覗きこんでくるサラサに浩之は軽く息をついて担任へと視線を向け直す。編入生の紹介は終わり、今日の予定などについて話している最中だ。

 照れ隠しのようにサラサから視線を逸らし続ける浩之の横顔を、サラサは担任の話が終わるまで楽しそうにジト目で眺め続けていた。




 ホームルームの終わりから、最初の授業である数学が終わり迎えた休み時間、サラサの席の周りには人だかりの山ができていた。

 ブリテン出身のハーフの美少女留学生、ということになっているサラサはクラスメイトたちから注目の的であり、次々と質問が乱れ飛んでいる。

 それらの問いかけに対し、サラサは慌てることなく一つ一つ丁寧に受け答えしていた。ときどき斜め上の意味不明な回答を行っているのは相変わらずだが。

 その光景を離れた場所から浩之は見守りつつ、特に問題がないようなので安堵する。そんな離れた場所に立つ浩之に、訊ねかける翔子。


「いいのか? 浩之はサラサから離れてて。その、傍にいてあげた方がいいんじゃないのか?」

「俺があいつの隣に座っていつまでもガン飛ばしてたら、クラスの連中はサラサに声掛けにくくなるだろ」

「ふふっ、浩之、怖いもんな」

「西森、お前な……まあ、サラサの奴に困ったことがあったら、そのときは幾らでも手を貸すだけだ。……ちょっと甘やかし過ぎか?」

「ううん、浩之らしくて私はいいと思う。サラサもきっと喜ぶ」


 くすくすと微笑む翔子に、何とも言えず頭をかく浩之。

 そんな二人のもとに、自販機までジュースを買いに行っていた智と辰哉が戻ってきて、二人に昼の予定を提案する。


「ねえねえ、昼ご飯なんだけど、学食と屋上どっちがいいかな? 編入初日としては、記念にどっちか経験するのがいいと思うんだよね。学食戦争と屋上庭園、どっちも思い出に残ると思うなあ」

「今日は俺もサラサも弁当持ってきてるから学食は無理だぞ。弁当で学食の席についてたら、席取れなくてうろうろしてる奴の視線が痛いしな」

「確かにそだね。よーし、それじゃ今日は屋上でお昼をみんなで取ることにしようね。多分、お昼休みまではサラサちゃん他のみんなに独占されてるだろうし、昼は独占し返しちゃうよ。早くサラサちゃんと色々話したいのになあ」

「昨日の夜もサラサに長時間電話かけて話しまくってたじゃねえか。まだ足りないのか高城は」

「電話で話すのと直接顔見て話すのは全然違うんだよ、荒波君は分かってないなあ。家で食べるおにぎりと遠足先で食べるおにぎりの味の違いみたいなものだよ。山の上で食べるおにぎりは格別って言うでしょ? 電話と会話も一緒一緒」

「そんなもんなのか」

「そんなもんなのです」


 きっぱり言い放つ智に、俺には理解できないと首を振って聞き流すことにする浩之だった。

 雑談に興じていると、チャイムが鳴り響き、浩之たちは次の授業のために自分の席へ着く。

 その際、隣の席からジト目で浩之を睨みつけてくる少女が一人。いつものやる気無いジト目だが、それが少しばかり不機嫌さが込められていることは、この一カ月あまりの付き合いで浩之は嫌というほど理解していた。

 なぜサラサが機嫌を損ねているのか分からず、浩之はサラサに首を傾げて訊ねかける。


「どうした、クラスの連中に何か言われたのか?」

「ヒロ、君はなぜ私を置いて智や翔子、辰哉と遊んでいるんだね……不公平じゃないか、私も一緒に連れてってよ……」

「いや、なぜってお前、俺たちが一緒に遊んでたらクラスの連中がサラサと会話できないじゃねえか。編入初日の最初の休み時間くらい我慢しろよ」

「むう……次の休み時間からは私も連れてってよ。ヒロと一緒じゃなきゃ嫌だ……学園に入った意味がないじゃない……私が何のためにこの学園に来たと思ってるんだ。ヒロたちと遊びたいからここに入ったんじゃないか……」

「親離れできない子どもかお前は」

「いいじゃん、ヒロだって娘離れできない父親みたいなもんだし……あ痛」

 

 サラサの額を軽く指で弾きながらも、結局サラサのジト目の圧力に負け、『次の休み時間からな』と言ってしまう浩之。

 言葉が荒かったりする浩之ではあるが、やはりサラサには何だかんだで甘いらしい。そんな彼の様子を離れた席から友人三人が笑って見つめるのだった。




 午前中の授業はつつがなく終わりを迎え、浩之たちは昼食をとるために弁当片手に五人で学園の屋上へと向かう。

 階段を昇り、屋上への扉を開き、そこに広がる光景にサラサは感嘆の言葉を漏らす。

 屋上には花々が咲き乱れるほどにガーデニングが整えられており、緑生い茂る中でベンチに座り昼食を取っている生徒がちらほらと見受けられた。


「おお……緑が、屋上に緑が広がっておる……東京砂漠の中にもオアシスが存在していたのか……」

「ここ東京じゃねえからな。とりあえず芝生のとこ行くか。ベンチに五人並んで座るのもあれだろ」

「はいはいはーい、私シート持ってきてるよ。いつでも屋上で食べられるように、ロッカーに常備してるんだ」

「おお、流石は智……策士は常に三歩先の手を読むものよ……」

「ふっふっふ、褒めない褒めない」


 嬉しそうにはにかみながら、智はビニール袋からシートを取り出し、空いた芝生の上へと広げていく。

 この芝生は生徒が上に乗れるように、人工芝となっているため、芝生を痛めることもない。みんなで広げたシートの上に、それぞれ腰を下ろして弁当を広げていく。

 浩之とサラサは当然ながら浩之の母の手作りのため、同じ弁当だ。ただ、サラサは小柄で女の子なので、一回り小さい弁当箱ではあるのだが。

 弁当箱を開けながら、サラサは興味津々に他の友人の弁当へと視線を移動させていく。辰哉は学食の売店から買ってきた惣菜パン二つにコーヒーだから除外で、残る二人の女の子の弁当だ。

 智の弁当に視線を向けているサラサに、智は胸を張って弁当箱の蓋を開く。猫の顔が描かれた弁当箱から現れたのは、白ご飯と色とりどりのおかずたち。


「おお、これが智の弁当……」

「ふっふーん、私は毎日自分の弁当を手作りしているんだよ。褒めて褒めて、どんどん褒めていいんだよ」

「おかずの九割は冷凍食品や昨日の残り物なんだよな」

「ああ、荒波君、私がオープンする前のネタバレは反則っ」


 既に弁当を食べ始めている浩之の突っ込みに、智は顔を膨れさせて文句を言う。

 彼の言う通り、智の弁当は白ご飯を詰めて、残りは冷凍食品や昨晩の残り物であり、実は智が料理をしているわけではない。

 ほほうとジト目を向けるサラサに、恥ずかしそうにしながら智はあっけらかんとネタばらしをする。


「私、料理駄目なんだよね。けど、ほら、料理出来る女の子って響きがいいじゃない? だからこうやって形だけでも、ね!」

「智、安心するといい……自慢じゃないが、私は包丁すら握ったことがないよ。ライスボールを作ろうとしたらベースボールになってしまうのは誰もが通る道……夏草やベースボールの人遠し……」

「分かる分かるっ。どうしても三角にならないんだよねえ。もう最近は食べられたらいいじゃんって思うようになってきたよ。私、将来旦那様を捕まえるときはおにぎりが丸くても平気な人を探すことに決めたんだ」

「智、お願いだから練習しような……すぐできるようになるから」


 翔子の突っ込みに智は『そのうちね』と笑って誤魔化すだけ。絶対やらない奴のパターンだと白飯をかきこみながら浩之は思っていた。

 続いて、サラサの注目が移ったのは翔子の弁当だ。無地の弁当箱を開いて出てきた中身に、サラサは『ほわあ』と歓声をあげる。

 色とりどりのメニュー、バランスを考えられたおかず、作り手の性格が見事に現れたような弁当にサラサは目を輝かせるばかり。

 そんなサラサの視線に恥ずかしそうに顔を赤らめる翔子。照れる彼女の代わりに、智が我がことのように胸を張ってサラサに自慢する。


「翔子は料理が得意で、この弁当は全部翔子が作ってるんだよ。ふふん、どうだ、おそれいったかー」

「なんでお前が偉そうにするんだ。サラサ、高城はどうでもいいから西森を褒めてやれよ」

「翔子、どうか一生のお願いだ……どうか私に、その黄金に輝く唐揚げを一つ分けてくれないだろうか……唐揚げをもらえるなら、鬼退治にだって勇んで付き従う所存に候……」

「いきなりさらっと要求してんじゃねえ!」

「い、いいよ……サラサ、遠慮なく取っていいよ。口に合わなかったらごめんな」


 おずおずと弁当箱を差し出す翔子に、サラサはぺこりと一礼して唐揚げを拝借する。

 ぱくっと口に運んで咀嚼すること数秒、その刹那、サラサの表情がこの世の春だとばかりに弛緩する。あいかわらずのジト目だが。

 心から幸せそうに唐揚げを頬張りながら、サラサは唐揚げの感想を述べるのだった。


「何という美味さ……口の中で弾ける味覚の五重奏、これは最早芸術に近い……冷凍唐揚げなんて二度と食べられない体になってしまう……最高に美味しいよ、翔子」

「大袈裟だから……でも、ありがとう、サラサ、本当に嬉しいよ」

「大袈裟なものか……こんなものを食べてしまえば、他の食べ物が胃を受け付けなくなってしまう……翔子、結婚して。私のために毎日料理を作っておくれ……」

「え、えええっ」


 困り果てる翔子にサラサは遠慮せずすり寄って無茶苦茶なお願いを要求し続ける。それを見て智も辰哉も笑うばかり。

 しかたないと溜息をつき、浩之は片手でサラサの襟首を掴んで翔子から引き離し注意をする。


「西森が困ってるだろうが。あんまり無茶ばっかり言うんじゃねえ」

「だって、本当においしいんだもん……ヒロ、君は食べたことがないからそんなこと言えるんだ。一個もらって食べてみるといい……それを食せば最後、翔子以外奥さんに迎える気なんて更々しなくなること間違いなし……」

「い、いやいやっ、そんなことないからなっ!」

「……そんなに美味いのか」

「そんなに美味いんだ……ヒロ、食べてみなって。世界変わるよ、本当に……天人、嘘付かない」


 サラサの言葉に思考する浩之。だが、翔子の弁当箱から漂う食欲をそそる香りの誘惑に負け、翔子に向き直って頭を下げる。


「悪い、西森。こいつがここまで言うから俺も食べたくなっちまった。一個貰ってもいいか?」

「ひ、浩之が食べるのかっ!?」

「そのつもりだけど……やっぱ駄目か?」

「い、いやっ、駄目ってことはなくて、でも、その、心の準備がまだっ」


 顔を真っ赤にしてあわあわと慌てふためく翔子。そんな彼女をニヤニヤと楽しげに見つめるサラサ。計画通りとでも呟きそうなほどに悪い顔だ。

 その視線を見て、サラサの狙いを読みとった智が援護射撃を試みる。美しきは女の友情、智もニコニコと笑顔で翔子の背をぐいぐいと押し続ける。


「サラサにだけあげて荒波君にはあげないのは不公平じゃないかなー? うんうん、友達同士で差を作るのって、やっぱりいけないと思うんだよね。荒波君も翔子のお弁当、食べたいよね?」

「あ、ああ、いや、嫌なら無理にとは……」

「減点! 下がるの禁止! 男なら食べたいって言いなさいっ!」

「何で俺が怒られてんだよ!? 理不尽過ぎるだろ!」

「いや、今のは浩之が悪いだろ。流石にそこで下がるのは男としてどうなんだと思うぞ」

「ほら、ほら、ヒロ、あーん……」

「ああっ? んぐっ」


 翔子の弁当箱から唐揚げを一つ掴み、サラサは箸ごと浩之の口の中に強引に押し込んだ。

 口の中を転がる唐揚げに驚くものの、やがて先ほどのサラサのようにゆっくりと咀嚼する浩之。その光景を泣きそうな顔でじっと見続ける翔子。あまりの緊張のためか心臓の音が隣のサラサに聞こえてきそうな勢いだ。

 ゆっくりと味わい、飲み込み。そして浩之は軽く一息ついて、心から紡がれた感想を述べるのだ。


「いや、本当に美味いなこれ。こんなに美味い唐揚げは過去に食ったことがないくらいだ。サラサがべた褒めするのも分かる」

「あ……」

「ありがとな、西森。唐揚げ、最高に美味かったぞ――って、おおおおい! どこいくんだお前!?」


 浩之のその言葉が限界だったのか、翔子は顔を真っ赤にして目を回しながら、弁当を置いて屋上への入り口まで駆けていってしまった。

 弁当をその場において、慌てて翔子を追いかける浩之。そんな二人を見つめながら、サラサはしみじみと語るのだ。


「いやあ……青春だねえ……これぞ学園生活って感じがしてきたよ……ヒロがアホなくらい鈍感過ぎてちょー受けるんですけど……」

「あれだけバレバレな姿見せてるのにねー。もうちょっと荒波君には女の子の機微というか、そういうのを分かってほしいよ。げきおこげきおこ」

「まあまあ、今日くらいは許してあげようよ。サラサさん、クリームパンあるけど食べる?」

「食べる……私は甘いものにも目がない方だから……糖分補充はむはむ」


 辰哉から受け取ったクリームパンにかぶりつきながら、サラサは幸せそうに表情を弛緩させる。ちなみに、サラサの弁当箱は既に空だ。

 結局、浩之と翔子が屋上に戻ってきたのは、それから二十分も後のことになる。その際、なぜか空になっていた浩之と翔子の弁当について糾弾されたサラサであったが黙秘をつらぬいていた。頬にごはんつぶをつけながら。






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