二話 駄天使候補、初めての外出をする
サラサが浩之の家の居候となり、今日で一週間が経過する。
学校を終え、重い足取りで浩之は帰宅していた。家に戻れば嫌でも『アレ』と顔を突き合わさねばならなくなるからだ。
自宅の玄関扉を開き、母に『ただいま』と力なく声をかけ、意を決して浩之は自分の部屋へ続く階段を昇っていく。
自室の前に辿り着き、強い意志と覚悟を以って戦場へと臨む。今度は『アレ』に流されないように、強く覚悟を決めて扉を開けた。
浩之の室内、それは一週間前の状態とはほぼ変わりがない。ただ、一つだけ異物が混ざり込んでしまっただけ。
部屋の隅っこに敷かれた布団、それに包まって小さな寝息を立てる異物。ほのかに香る甘い匂いに気を奪われそうになるものの、頭を強く振って余計な思考を振り払い、浩之は心を強くする。
部屋の隅にある布団の塊、その端に手をかけ、全力で引っ張りながら浩之は絶叫するのだった。
「もう五時前だっつーのにいつまで寝てんだお前はあああああああっ!」
全力で引っぺがした布団の中で小さく丸まる薄青髪の少女――サラサである。
一週間前まで浩之が愛用していたはずのダボダボのパーカーとジャージに身を包んだサラサは、閉じられた瞳をゆっくりと開き、いつもの十倍はやる気なさげなジト目で浩之へ視線を一度送り、そして再びその瞳を閉じた。見事なまでの二度寝だ。
それが浩之には堪らなく苛立たしい。自分を無視して二度寝という横暴を敢行する少女を許してはおけないとばかりに、今度は敷布団へと手をかけ、思いっきり引きあげながら二度目の咆哮。
「毎日毎日毎日毎日こんな時間まで寝やがって! 今日こそ話し合いをするぞ! ほら、起きろ!」
掛け布団に敷布団まで剥がれてしまい、サラサは床へと転がされてしまう。
愛する二枚の布団を奪われたことで、ようやく観念したのか、サラサは枕を腕に抱きながら、もそっと起き上ってジト目を浩之に向ける。
小さな口から大きな欠伸を一つ。未だ夢の世界に半分浸かりつつ、彼に抗議をするのだった。
「我が眠りを妨げる者は誰だ……相応の覚悟があってのことなのだろうな……ほう、あのときの小僧か、見違えたぞ……」
「いったいどこのラスボスだお前は! ほら、さっさと意識をしっかりさせろ!」
「あああ……揺れる……それでも地球は揺れる……」
両手で少女の頭を掴み、ゆさゆさと揺さぶる浩之に、弱々しく悲鳴をあげるサラサ。
一緒に生活するようになって一週間、その期間でサラサに対する遠慮は微塵もなくなったらしい。むろん、サラサは最初から浩之に遠慮など微塵もしていなかったが。
完全にシェイクされ、不本意ながら完全に意識を覚醒させられたサラサはちょこんとその場に座り、浩之に訊ねかける。
「何……晩御飯ならまだ時間まで二時間もあるじゃない。部屋に入るなり私を起こすなんて……近所のガキ大将にでもいじめられたか、ヒロ太」
「誰がヒロ太だ! 今日はな、真面目な話し合いをするんだよ。だから急いで帰って来たんだ」
「真面目な話し合い……恋愛相談か。ふふ、ウブな小僧がすっかり色気づきおって……さあ話せ、いったいどんな学園のマドンナに身分不相応な劣情を催したんだ……」
「劣情とか言うな! 今日の話し合いはそんなどうでもいいことじゃねえ、お前のことだ!」
「私……やだ、ヒロったら、私に劣情を催したのね……私、美少女だからね、しかたないね」
「だから劣情とか言うんじゃねえ! お前みたいなちんちくりんに欲情するわけねえだろ!」
「酷いこと言うね……確かに私は平均より控えめかもしれないが、まだまだ発展途上ということを忘れてもらっては困る。臥薪嘗胆、耐えがたきを耐え……」
また下らぬ冗談を放とうとするサラサに突っ込みを入れようとしたところで、浩之は必死に己を押し込めて我慢する。
そう、いつもいつも彼女のペースに巻き込まれ、結局話し合いはうやむやの内に終わってしまうのだ。今日だけは、今日だけは絶対にそれはさせない。
断固たる決意のもと、浩之は大きく息を吐き出し、怒りを抑えてサラサに言葉を紡ぐ。
「なあ、サラサ。今から話し合うのはお前のこの一週間の生活に関してだ。お前、これまでの一週間を振り返って自分がどんな生活をしてたか言ってみろ」
「どんな生活……夕方七時前に起きて、ご飯を食べて、夜の十一時までリビングでテレビを見て、お風呂入って、そこから朝までネットして、朝ごはんを食べて、朝十時に寝る……この繰り返しかな」
「ああ、そうだな。そんな自分の生活を振り返って、何か思うところはないのか?」
「最高に幸せだと思う……生きているって素晴らしいね、ヒロ」
迷うことなく言い切ったサラサの言葉に、ヒロは拳を怒りでワナワナと震わせるが必死に自制する。
そう、彼女の自白するとおり、サラサはこの家に来てから一週間、大いに自堕落な生活を送っていた。
浩之の部屋、用意された布団の上で天人界から持ってきたノート型パソコンで悠々自適にネットをして昼夜逆転生活を送る日々。
それを間近で延々と見せつけられた浩之は堪ったものではない。最初は見過ごしていたが、一週間も続けば流石に限界も来る。同室で過ごす少女が腐っていく様子は見るに忍びないのだ。
微塵も悪びれないサラサ。ここで怒ってはサラサの思う壺だというのは、何度も経験してきたことだ。こういうときこそ、冷静に対応しなければ相手に踊らされるだけ。何度も何度も自分を落ちつけ、会話を続行する。
「お前は確かに幸せかもしれない。最高に楽しいかもしれない。けどな、サラサ、そんなお前の自堕落な生活を間近で見せつけられている身にもなってほしい訳だ」
「まるでニートの娘を持つ父親のようだ……先に言っておく、働かずに食う飯は最高に美味いぞ、ヒロ。おかわりだってしちゃうね……」
「胸張って言うんじゃねえ! ……いや、怒鳴って悪かった。確かにお前と一年一緒に過ごす約束はした。けど、こんな生活が続くのは絶対によくないと俺は思うんだ」
「私、ニート志望だって最初に言ったじゃん……天使候補の務めなんて果たすつもりはない、人間界で面白おかしく自堕落に生きたいって宣言したじゃん……そこを責めるのは契約違反だよね」
「その点を踏まえた上で話し合いを持ちかけてるんだ。サラサ、お前の望む面白おかしくの世界の範囲を広げてみるつもりはないか?」
「世界を広げる……?」
浩之の言葉に興味を示すようにサラサが反芻する。表情には出さないが、浩之は『食いついた』と心の中でガッツポーズを取る。
この一週間、どんなに怒れどサラサは浩之に言葉に微塵も素直に従わなかった。まさしく筋金入りのニート志望天人だった。
そんな彼女をいったいどうすればまともな生活に戻せるのか。それは彼女に興味を持たせるしかない。自堕落に引き篭もるよりも楽しいことが外の世界に待ってることを、少しずつでもいいから触れさせて教えるしかない。それが浩之のこの一週間、授業中すらも悩み抜き、教師に説教を喰らってもなお必死に考え抜いた結論だった。
興味を示したサラサに、浩之はもう少しだと更に甘い言葉をかける。
「そうだ、今から俺がお前を街に案内する。そこで色々遊んでいこうぜ。帰りには何か食って帰るのもいいな、勿論そのことは母さんには許可貰ってる。金は俺が持つ、俺の奢りだ」
「おお……」
「それを経験して、駄目だったなら今の生活を続ければいいさ。でもな、何も経験せずに最初からつまらないと決めつけるのも変だろ。お前の時間を少しだけ俺に貸してくれ。どうだ、駄目か?」
浩之の申し出に、サラサはじっと浩之を見つめ続けていた。彼の瞳の奥、深淵を覗きこむように真っ直ぐ。
そして、たっぷり数十秒は沈黙を保ち続けた後、小さくぺこりと首を縦に振る。同意を得て、浩之は心の中で両腕で改心のガッツポーズを振り上げた。まるで一人娘が初めて自転車に乗れたことを喜ぶ父親の如く、盛大に。
そんな浩之の胸の内を知る由もなく、サラサはその場に立ちあがり、浩之に淡々と告げた。
「それじゃ、準備する……」
「ああ、ダボダボな俺の服を着て外に出るのも変だしな。確か母さんがお前の服用意したって張り切ってたから、それ取って来――」
そこまで口にして、浩之の時間は止まることになる。
彼の視線の先で、サラサがするするとパーカーとジャージを音を立てて脱ぎ始めたのだ。今の彼女は完全に下着姿以外の何物でもない。
酸欠のようにパクパクと口を動かす浩之、そんな彼にサラサはジト目を向けながら口元を緩めて言うのだ。
「どうした、ヒロ……顔が真っ赤だけど」
「お、お前っ、なんで、ふ、服っ」
「私みたいなちんちくりんに欲情なんてしないなら、別にここで着替えても大丈夫でしょ……あれか、もしかして妖艶な私の体に劣情を催したのか、催してしまったのか……いけない子だ」
そこまで言われ、浩之は初めて今自分がサラサにからかわれていることに気付く。
『馬鹿野郎』と声を荒げ、慌てて部屋を飛び出した浩之。そんな彼の背中を見つめながら、サラサは小さく、そして穏やかに微笑むのだった。
着替え終えたサラサを連れ、浩之は繁華街へと訪れていた。
彼の住む縦浜市は大都会と言う訳でもなく、かといって寂れている訳でもない地方都市の人が賑わう街だった。
その繁華街ということもあり、高層ビルや巨大な駅施設などが立ち並び、多くの人間が道の上で繰り返しすれ違っている。
そんな街の中心部で、二人並び立つ浩之とサラサ。浩之は動きやすいシャツにジーンズというラフな格好、対してサラサは白のカットソーに上からカーディガンを羽織り、下は灰色のスカートに長めのブーツという装いだ。己佐緒が文字通り、気合を入れに入れて金を惜しまず購入した一品らしく、それだけ彼女が娘を持つことをいかに夢見ていたかが窺える。
それをまごうことなき美少女であるサラサが着こなしているのだが、その全てはやる気の無さそうなジト目で台無しだ。夕日に差し掛かる太陽光を浴びながら、サラサは背負ったエンジェリュックを再度背負い直しながら浩之に言葉を紡ぐ。
「もう駄目だ……ここまで歩いて来ただけで、私の体力は限界だよ……」
「どんだけ体力落ちてんだよ!? まだ何もしてないだろ!」
「こんなに太陽光を浴び続けるのも無理だ……私の体は太陽光に耐性がないんだよ……ああ、力は山を抜き、気は世を蓋う、時に利有らず、 騅逝かず騅の逝かざるをいかんすべき、虞や虞や汝を如何せん……」
「ああもう……ほら、さっさと遊びに行くぞ。楽しいことしたいんだろ? 面白い世界を見つけるんだろ?」
「ヒロ、おぶって……今なら背中に心地よい感触が触れるドキドキサービスタイムが訪れるかもしれないよ……」」
「サービス出来るほどねえだろ」
「本当に失礼だね、君は……ちょっとはあるよ、ちょっとは」
ぶつくさと文句を言いつつも、浩之に連れられるままにサラサは繁華街の歩道を歩き始める。
賑わう街並みをキョロキョロとせわしなく見つめるサラサ。その姿を見て、浩之は思わず苦笑してしまう。疲れただのなんだの言いながら、結局のところ興味津々らしい。
天人界とは違う世界に興味津々のサラサ。そんな彼女に、浩之は連れてきたことは正解だったと強く確信する。サラサは面倒がって外に出ようとせず、行動していなかっただけで、ちょっとしたきっかけを与えてやれば外の世界に興味を持ってくれるのではないかと考えていた。
この世界は彼女にとって異世界、これまで住んでいた場所とは異なる世界。そんな未知の世界に触れる楽しさを知れば、きっと少しは生活も変わるだろうと密かに期待していた。
幼子のようにジト目をきょろきょろとさせるサラサに、浩之は訊ねかける。
「それじゃどうする? 遊ぶか、それとも少し早いけど食べるか?」
「遊ぶ……ゲームセンターに行こう、ゲームセンター」
「ゲームセンターって……お前、人間界初めてのくせに、変な知識ばっかり持ってるよな。そういうのは知ってるのか」
「ふふ、伊達に天人界でもだらだら過ごしていたわけじゃないよ……エンジェルネットで人間界の雑学はばっちりだ。雑学女王に、私はなる……」
「分かった、分かったから行くぞ。ゲームセンターはこっちだ」
「あのね、カモノハシって生き物がいるんだけど、水中で目を瞑って泳ぐ可愛い習性がね……」
「語るのかよ! 分かった、歩きながら聞いてやるから。ほら、行くぞ」
歩道を歩きながら、サラサは得意げにやれカモノハシだビーバーだの知識を浩之に語っていく。
あまり興味を示せずはいはいと適当な相槌を打っては、それがばれてサラサが浩之の袖をクイクイと引いて真面目に聞けと訴える。
それに謝りながら、浩之は歩調を少女にあわせてゲームセンターへ向かう。隣で楽しそうにジト目で語るサラサを小動物みたいだな、などと思いながら。
そして、ゲームセンターまであと五十メートルといった距離のところで、浩之は偶然知人たちに出会うことになる。
浩之の視線の先で、浩之とサラサを眺めて目をまん丸としている制服姿の男女。男の方は170後半、浩之より少し高いくらいの黒短髪、少しつりあがった浩之の目とは違い、優しそうな雰囲気を感じさせる間違いなく美男子だ。
そして、その横に並ぶ隣の少女は身長にして150中盤程度。茶髪のウェーブがかった髪を背中ほどまで伸ばしている。人懐っこそうな印象を受ける可愛らしいおっとり系美少女だ。その二人にしっかり視線でロックオンされ、浩之は大きく溜息をつく。二人が視線を逸らすはずもない、彼らは浩之の数少ない友人、それも『親友』なのだから。
浩之が自分たちに気付いたことを感じ取ったのか、二人はそそくさと物陰に隠れようとするが、時すでに遅し。浩之は肩を落としながらサラサに事情を説明する。
「悪い、学校のダチに見つかった。お前のこと紹介する事になるけど、いいか?」
「いいよ……というかヒロ、別に私は社交性の無い対人恐怖症という訳じゃないから確認取らなくてもいいよ……こう見えて、上っ面だけの社交性には自信がある……昔ゲームでギルドクイーンと呼ばれていたこともある……」
「何の話かは突っ込まないからな。おい! 隠れてもバレバレだから出てこいっつーの!」
本屋の看板の裏に隠れた二人に対し、浩之は声を上げて呼びかける。
ようやく観念したのか、二人は申し訳なさげに照れ笑いをしながら浩之の前に現れる。そして浩之に声をかける。
「悪いな、浩之。まさかお前が高城さんや西森さん以外の女の子と歩いてくるなんて思わなくて……つい現実の出来事かと。ね、高城さん」
「うん、うん、だって荒波くんが、あの荒波君が翔子以外の、それもこんなすっごい美人の女の子と一緒に歩いてくるなんて……幻かと」
「お前らな……」
「ヒロ、もしかして君、学校で社交性ゼロなのかい……ボッチはつらいね、泣くな、ヒロ」
「勝手に人を可哀想な子認定して慰めてんじゃねえ!」
「私はいつだってヒロの味方だよ……とりあえず私のやってるネトゲのアカウント作成からしよっか。すぐおいつけるように1000万ゼニゼニを無償であげるから……強くてニューゲームだ」
「しねえよ! しねえから具体的な内容語りだすんじゃねえ!」
突っ込みをきっちり入れつつも、友人二人からその娘を紹介しろという矢のような催促が視線で次々と突き刺さっていく。
プレッシャーに負け、サラサへの突っ込みを止めて浩之は二人にサラサを紹介する。
「あー、こいつはサラサ。俺の従姉妹、少し前まで外国に住んでたんだけど、つい最近日本に来たんだ。よろしくしてやってくれると嬉しい」
「サラサです……うちのヒロがお世話になっているようで。こんなボッチ属性な子ですが、どうか優しくしてあげてください……」
「人にボッチ属性を付与するのをやめろ! 軽く泣きたくなるだろ!」
「いや、仲が良いんだな……俺は松本辰哉。浩之と同じ学校で、同じクラス、一年の頃からの馬鹿友達だ。よろしくね、サラサさん」
「私は高城智。松本君と一緒で、荒波君と同じクラスメイトで友達だよ。気軽にトモちゃんって呼んでくれると嬉しいな。よろしくね、サラサちゃん」
「よろしく……あと私のことはさん付けもちゃん付けも別にしなくてもいいんだよ……様ならつけてもいいけど。サラサ様、実に甘美な響きだ……」
二人と簡単に挨拶を交わし合い、握手をする。ただ、二人ともサラサにさんづけちゃんづけを止めるつもりはないらしい。
そして、二人の口から矢継ぎ早に出てくるサラサへの見当外れな賞賛の嵐に、浩之は首を傾げることになる。
「浩之の従姉妹ってことはサラサさんってハーフなんだよね? こんな綺麗な金色の髪、テレビの中だけの世界かと思ってたよ」
「父がブリテン、母が日本人……父はコモドオオトカゲと生身で戦う屈強で勇敢な戦士だった。母は毎日雀荘に入り浸って裏の世界で生き続ける闇の住人だった」
「それに凄く美人だし、スタイルもまさに外人って感じだし……うう、流石にこの差を見せられると自信なくしちゃうよ、私」
「気にするな、トモ……生まれ持った差は諦めるしかない。あとはそこからどれだけ自分を磨けるかだ……」
「いやいやいやいやいや、おかしいだろ!? お前は金髪でもなければスタイル語る資格なんて一切ねえだろ!?」
「おいおい、浩之……いくら従姉妹ちゃん相手でも、流石にそれは失礼だろ。こんな超絶美少女相手に無茶苦茶言い過ぎだって」
「そうだよっ。荒波君、サラサちゃんにちゃんと謝りなさい、めっ」
「は、はあああ? 何で俺が……」
全然二人と会話がかみ合わず、疑問符が頭を踊りまわる浩之。そんな彼の裾をクイクイと引っ張るサラサ。
彼女がにんまりとジト目で笑う表情を見て、浩之は瞬時に悟る。またこいつ、何かやりやがった、と。
ちょっと待ってくれと二人に告げ、浩之は少し離れた場所までサラサを連れ出し小声で訊ねかける。
「おい、お前二人に何をしやがった。金髪だのスタイル良いだの美少女だの、現実とは思えない言葉のオンパレードが出てきてるじゃねえか」
「美少女はあってるでしょ……二人だけじゃなくて、浩之以外の人間には私の姿がこの姿とは別物に見えるようにしてるんだよ。これね、これのおかげ」
そう言ってサラサは首にかけていた小さなネックレスを浩之に見せる。どこにでもありそうな小物のシルバーアクセを指差しながら、サラサは説明を続ける。
「アマツガハラ電気街の露店でタダ同然で買った『ツゴウヨクミエミエ』。これをつけてると、他人の目には自分の姿が都合の良いように映るんだ……」
「またそんなヤバそうなもんを適当な方法で手に入れやがって……他人に都合の良いように見えるって詐欺だろ、それ」
「何を言う……こんなの化粧するのと何も変わらないじゃない。女はいつだって綺麗に見られたいものなんだよ……女心の分からない奴め……」
「お前に女心が何ぞやを説かれてもな……それで、ちなみに二人にお前はどんな風に見えているんだ?」
「……気になる?」
「……気になる」
心偽らず正直に話す浩之に、満足気に笑いながらサラサは『自分を携帯で写真に撮ると良い』と語る。
浩之だけが対象外となっているので、機械を通した写真でもしっかり効果は伝わっていると。直接ではなく間接的に見ることで、浩之もその姿を見ることができるというのがサラサの説明だった。
なるほどと納得し、浩之はサラサをぱちりと携帯で写真に収め、その撮れたての映像を覗きこむ。そこにはサラサのサの字も残っていない別の何かが存在していた。
身長、髪型は確かにサラサだ。だが、明らかに胸の膨らみが違い過ぎる。現実がちんちくりんに対し、携帯の中のブロンドガールはまさにダイナマイツ。豊満過ぎるほどに女性らしさをアピールしていた。
それだけならまだしも、サラサの目が全然違う。現実のやる気なしジト目は影も形も残っておらず、眩いばかりにキラキラ輝く美少女の瞳がまん丸と映っているではないか。逆に言えば、瞳の印象だけが問題で、サラサのそれ以外のパーツがまごうことなき絶世の美少女である証明なのだが、冷静さを失った浩之はそんなことには気づかない。
携帯をポケットに収め、無言のままサラサの頬を両手で掴み引っ張り上げる。
「な、なにをする……はんらんぐんめ……」
「やかましいっ! 化粧どころか人間変わってんじゃねえか! 胸なんか盛り過ぎってレベルじゃねえぞ!?」
「より望みは高く持ちたいじゃない……ガールズビーアンビシャス」
ボケと突っ込みの応酬を繰り広げていた二人だが、いつまでも友人たちを待たせておくのも申し訳ない。
サラサの頬から手を離し、二人は辰哉と智のもとへと戻っていく。遠くから浩之たちの漫才を見ていた二人だが、彼らにとっては浩之とサラサがいちゃついているようにしか見えなかったようだ。
辰哉は面白そうに笑っているし、智は小さく肩を落として溜息をついている。そんな二人の反応に、訝しげな目を向けて浩之は訊ねかける。
「なんだよ、その反応は」
「いや、これから面白そうなことになりそうだと思って」
「私は友人の不幸をどうやって励ますか考えてる最中だよ……翔子にまさかこんなとんでもないライバルが現れるなんて、あの娘豆腐メンタルだから絶対落ち込むだろうなあ、と」
「言ってる意味が全然分かんねーよ! とにかくそういうことだから、俺たちはもう行くからな。それじゃまた学校で……ぐぇ」
サラサの背を押してそそくさと二人の元から去ろうとした浩之だが、そうは簡単に問屋が卸してくれないらしい。
逃げようとした浩之の襟首を辰哉が掴み、逃がすものとかと智がサラサの腕をとってニコニコとしている。放課後、娯楽に飢えていた彼らにとって浩之たちはまさに格好の獲物なのだ。
「お前ら、何しやがるっ」
「まあまあまあ、そう急ぐなって。これから二人は何しに行くの?」
「ゲーセン……ヒロが何コインでも奢ってくれるって言うから」
「言ってねえよ!」
「ゲーセン行くなら私たちも一緒に遊んでいいよね? 私たちも暇なんだよー。やることないから翔子のバイトしてる喫茶店にでも行こうかなって思ってたところだったんだけど、折角こうしてサラサちゃんと知り合えたんだし、もっと仲良くなりたいしね。あ、もしかして私たちお邪魔虫だったり?」
「んなわけあるかっ!」
茶々を入れる智を一喝しつつ、浩之はサラサに視線を向け直す。その顔は浩之にしては珍しく申し訳なさそうな顔だ。
サラサに興味津々の二人は、浩之たちを簡単に手放そうとはしないだろう。サラサを楽しませるための時間なのに、悪友二人がついてくることになるかもしれない。
それゆえに浩之は頭を下げながら相変わらずジト目のサラサに確認を取る。
「こいつら、お前と一緒に遊びたいらしいんだが……どうする、サラサ? 嫌なら勿論断ってもいいんだぞ? 今日はお前が外に出た初日なんだ、いきなり無理をすることはないんだぞ?」
「ヒロ、君はどうも私を本家本元のヒキコモリンピック・ゴールドメダリストか何かと勘違いしているよね……私はいいよ、ヒロの友達にも興味あるから」
「そ、そうか……本当にすまん、そう言って貰えると助かる」
「ん」
ぺこんと頭を下げて頷くサラサ。その際に光の輪が浩之の顔に突き刺さって浩之は呻くはめになったが、サラサは素知らぬ顔だ。
光の輪が見えていない友人二人には、浩之が意味不明に苦悶の表情を浮かべているようにしか見えず、頭の上を疑問符が飛ぶばかり。
真っ赤になった顔を抑えながら、浩之は二人にサラサの同意を得たことを伝える。
「サラサが良いってよ。お前たちとも一緒に遊んでみたいって。こいつに感謝してくれよ」
「おお、良かった。ありがとな、サラサさん」
「わあ、ありがとうサラサちゃんっ!」
「さんもちゃんも要らないって……様づけなら二十四時間年中無休で、いつでも受け付けているけれども」
抱きつく智にも、サラサは人形のようにされるがままだ。
そんな二人に息をつきつつも、浩之は三人にゲーセンへ向かうように声をかけるのだった。
「ほら、話はまとまったしゲーセンいくぞ。あんまり遅くなると遊ぶ時間が減っちまう」
「だねだねっ、さあ、ゲームセンターへ向かって全速前進っ」
智の号令と共に、ゲームセンターへと入っていく三人。
そのとき浩之はサラサとのことをからかってくる辰哉の相手で気付くことはなかった。サラサの表情がとても柔らかく、楽しげに微笑んでいたことに。むろん、やる気の感じられないジト目なのは相変わらずだったのだが。
ゲームセンターに滞在すること一時間。浩之たちは恐ろしいほどの戦果を巻き上げてゲームセンターを後にしていた。
「サラサちゃん、ゲーム本当にうまいんだね……私、びっくりしたよ」
「いや、これは上手いなんてレベルじゃねえだろ……」
智の感嘆じみた呟きに浩之は力なく突っ込みを入れるだけ。
サラサを含め、彼らの両手は完全に塞がっている。手に持つ袋の中には人形やお菓子といった景品の山、山、山。
それらは全て、サラサがクレーンゲームなどでほぼ一発で仕留めた哀れな獲物たちだ。ファンシーなコアラのぬいぐるみを抱き締めながら、サラサは自信満々に胸を張って口を開く。
「ふふん……かつてアマツガハラの裏女帝と呼ばれた私を舐めてもらっては困る……こんなサービス設定など、ただで景品を差し出しますって言ってるに等しい」
「それにしたってこれはねえだろ……こんなぬいぐるみの山なんかどうするんだよ……」
「部屋に飾るといい……ヒロの部屋って本当に最低限の物しかないから、一緒の部屋で寝泊まりしてると息苦しく思う時があるから」
「俺の部屋に文句付けるなら別の部屋で寝ろよ」
「やだよ……空いてる部屋ないじゃん。おじさんとおばさんの寝室で寝たら、浩之の歳の離れた弟や妹が出来なくなってしまうかもしれないという私なりの配慮だよ……年子の兄弟は可愛いらしいよ」
「お前、ほんっとーに最低な!」
袋からライオンのぬいぐるみを取り出し、それをサラサの顔面に容赦なくグリグリと押し付ける浩之。嫌がるサラサ。
そんな二人を眺めてポカンとする辰哉と智。そんな二人に『どうした』と訊ねかける浩之だが、まともな回答は二人から返ってくるはずもない。
「一つ屋根の下で、しかも同じ部屋で寝泊まりって……いくら従姉妹でもそれは、なあ?」
「うう……私、いったい何て翔子に説明すればいいんだよ……翔子のメンタルはもうボロボロだよ」
「何か言ったか?」
「いんや、何も。それよりも浩之、もう今日はここで解散か?」
「いや、西森のところで飯食って帰るつもりだ。お前たち二人に紹介したんだし、西森にもサラサのこと紹介しねえと」
浩之の一言に、辰哉と智は表情を強張らせる。そんな二人を余所に、未だライオンを顔に押し付けられたまま、サラサはジト目で浩之に訊ねかける。
「ねえ、ヒロ……西森って誰?」
「ああ、こいつらと同じで俺の友達。学校ではだいたいそいつ含めた四人で固まってるからな。まあ、面白い奴だよ」
「ふーん……それは是非とも挨拶にいかなければ。ウチの愚息が大変お世話になっておりますにゅう……」
「誰が愚息だ誰が」
グリグリと再びライオンを強く頬に押し付けられて呻くサラサ。
そんな二人を置いて、どうやら作戦タイムは終わったのか、智が浩之に提案する。
「ね、ね、私たちも一緒に晩御飯食べてもいい? 元から翔子の喫茶店行く予定だったし」
「別に構わねえけど、お前らの分は奢らないからな。あくまでサラサの分だけだぞ」
「もちもちっ、流石に二人だけで喫茶店でデートみたいにご飯食べてたら、翔子明日学校これなくなっちゃうし」
「何でだよ」
「なーんでも」
ニコニコと笑って誤魔化す智に、眉を顰めるしかできない浩之。
だが、サラサは浩之ほど鈍くはない。智の言葉の意味するところをしっかり把握し、これは面白いことになりそうだと静かにジト目で笑うだけ。
彼らの向かう先は、ゲームセンターから歩いて五分、大きな駅施設近くの雑貨ビル二階に存在する喫茶店『パピー』。あまり広さは無いが、手頃な価格で軽食ランチディナー何でも楽しめるというそこそこに賑わっている店だ。
店の扉を先頭を歩く智が開き、店内にちりんちりんという簡素な鈴の音が木霊する。そして、浩之たちを出迎えたのは白を基調としたふわふわのフリル付き制服に身を包んだ見知った少女。真っ直ぐに綺麗な黒髪を一つに束ね、少しつり目気味の整った容貌から意思の強そうな印象を与える。また、身体つきはスレンダーでモデルのようだ。
彼女は来客が知人だと知ると、軽く息をついて困ったように言葉を紡ぐ。
「お前たち、頼むから前以って連絡なしで店に来るのは控えてくれってこの前言ったばかりじゃないか……心の準備なしでこの格好見られるの、恥ずかしいんだぞ」
「ええー、いいじゃない、減るもんじゃないし。翔子、スタイル良いから凄く似合ってるよ、カッコ可愛いよ。ほらほら、荒波君にも見て貰いなよ」
「なっ、ひ、浩之まで来てるのかっ」
彼の名前が智から口にされることで、店員――西森翔子は慌てて姿勢を正しながら智の背後にいる浩之の姿を見つけた。彼は入店が最後だったので、その姿に気付かなかったようだ。
浩之と視線が重なり、あうあうと困り果てる翔子。そんな彼女に浩之は片手を軽く上げて声をかける。
「遊びに来たぞ。今日は冷やかしでジュース一杯なんて真似はしない、晩飯を食いに来た上客だ」
「あ、ああ、か、歓迎する……せ、席に案内しようっ」
「なぜそんなに挙動不審な動きになる。手を足が同時に出てるぞ」
浩之の指摘通り、四人を席へと案内しようと歩きだした翔子の手足は完全にロボットの如く連動している。
突如現れた浩之の姿に完全に動揺し、冷静さを取り戻せていないらしい。そんな彼女に案内されるまま、四人用のテーブル席へと案内される。浩之とサラサ、辰哉と智が並んで座る姿をぎこちなくつりあがったままの表情で見つめながら、ようやく翔子は少しばかり冷静さを取り戻した。
そして、親友たちのメンバーの中に見慣れない少女、サラサの姿があることに気付き、困惑しつつ翔子は浩之たちに訊ねかける。
「あ、あの、浩之……その隣の人は?」
「こいつはサラサ。俺の従姉妹で、最近外国からウチにホームステイに来たんだ。今日はこいつを西森に紹介しようと思って。ほら、サラサ」
「サラサと言います……浩之とヒロイックって響きが似てるよね、どうぞよろしく……」
「あ、ああ……私は翔子、西森翔子、浩之のクラスメート。よろしく、サラサさん」
「別にサラサでイインダヨ……」
「そ、そう……私も翔子で構わないからな、サラサ」
「ふふ……色々とよろしく、翔子」
ジト目のまま、何やら怪しい笑みを浮かべながら翔子と握手を交わすサラサ。それは面白い玩具を見つけた子供のような笑みに近い。
握手を交わしながら、ほうと溜息をついてサラサに魅入る翔子。当然だ、翔子の目にはジト目のぺったん娘ではなく、山のような胸を持つ金髪美少女が映し出されているのだから。完全に見惚れてしまっている翔子だが、ふと先ほどの浩之の言葉が引っ掛かったのか、注文を取らなければならないという己の仕事も忘れて浩之に問いかける。
「あ、あのっ! 浩之、さっきこの娘がホームステイするって、それ……」
「ああ、ウチに居候してる。もし気が向いたら是非ともこいつと遊んでやってくれ、こいつも俺も喜ぶからさ」
「う、うん……って、違うっ! それって、こんな美人な娘と、浩之、ど、ど、ど、同棲してるってこと!? 一つ屋根の下ってこと!?」
「ばっ、変な言い方するな! ただ普通にこいつがウチに厄介になってるだけだ! それに両親が毎日家にいるんだぞ!? 変なこと何か微塵もねえよ!」
「そ、そうだよね……いや、ごめん、ちょっと取り乱して」
「でも、同じ部屋で寝てるよね、私たち……この七日間、浩之の寝息を誰より傍で感じてたけどね、私」
「……っ!」
「ちょ、痛い痛い痛いっ! 何で客の俺がメニュー表で店員に叩かれにゃならんのだ! サラサも余計なこと言うんじゃねえ!」
「やれやれ、注文の多い料理店だ……翔子、冗談。私とヒロ、そんなんじゃないから安心して。ヒロと私の関係は、例えるなら野良犬とダニ、人間と蚊……そんな仲睦まじい関係なんだ」
「思いっきり俺のこと養分にしてるだけじゃねえか! とにかく、お前の思うような変なことは一切ねえからな、西森」
目尻に涙を溜めた翔子に対し、浩之は必死に説得する。そもそもなぜ自分が友人にサラサに対する誤解を解かねばならないのか未だ理解できない状態で。
だが、浩之の説明にも翔子は納得できず、涙目のジト目で浩之を睨みつけるばかり。横からはサラサがこの世の春とばかりに楽しそうなジト目を向けてきている。二組のジト目を向けられ、浩之は困り果てるばかりだ。夕食に友人のバイト先に飯に来ただけで、なぜこんなに理不尽な怒りをぶつけられなければならないのか。
そんな彼の窮地を救ったのは正面で静観していた友人二人だ。笑いながら翔子に対して浩之へのフォローを送る。
「本当にただの従姉妹ちゃんみたいだよ、浩之とサラサちゃん。さっきまで私と辰哉も一緒に遊んでたんだもん、間違いないよっ」
「そうそう。それに浩之がそういうの全然駄目だって西森さんもよく知ってるでしょ。大丈夫だって」
「そ、そうだな……ごめん、浩之。変な邪推してた」
「いや、別にいいけどよ……とにかくそういう訳で、こいつのことこれからもよろしく頼む。日本に一年は滞在してるからさ」
「ジャパニーズカルチャーをしっかり学ぶつもりだから……よろしくね、ジャパニーズメイドガール。ちなみに写真撮影は許されるのかい……?」
「う、ウチはそういうの禁止だから駄目だ。それよりも注文、注文を取ってしまおう。何にする?」
「この店で一番高いやつから順番に十個ほど……にゅううう」
「食いきれる分だけにしろ!」
ライオンだけでなく、袋からタイガー人形まで取り出した浩之による二つの人形で両頬を圧迫されるサラサ。
その光景がますますいちゃついているように見えて、目に見える程に凹んでいく翔子。そんな彼女を励ましながら、メニューを頼んでいく辰哉と智。そして長い交渉の果てに、ハンバーグ定食とメロンソーダ特盛りを頼むことにしたサラサだった。
注文を受け、フラフラとした足取りで厨房へ向かう翔子。そんな彼女を見届けながら、智はうーんと悩みながら言葉を紡ぐ。
「まあ、ショックは早いうちに受けた方がいいよね。私達が緩衝材になることで、翔子もぎりぎりのところでメンタル踏ん張ったみたいだし。でも、今夜絶対翔子からの電話攻めがくるんだろうなあ……宿題する暇ないから、荒波君朝は宿題うつさせてね」
「何で俺が……」
「当たり前じゃない。私は荒波君の不手際不始末の後処理をするために宿題ができなくなるんだもん。翔子の機嫌が直ることを考えれば、宿題の一つや二つお安いもんでしょ。いやでしょ、翔子がずーんと沈んだ学園生活なんて」
「それは嫌だな……分かったよ、これで貸し借り無しだからな」
「浩之ももう少し女心を理解した方がいいぞ。まあ、無茶な話だとは言ってる俺も分かるんだけども」
「全くだ……女心の微塵も分からぬ鈍感野郎め……女の敵だ、敵は本能に有り」
「何でお前らにまで好き放題言われにゃならんのだ……」
忌々しげに二人を睨みながらも、浩之はそれ以上口にしない。三人が結託し、圧倒的に自分が不利であることを悟っているためだ。
出会って数時間と経っていないというのに、サラサは友人二人と見事に馴染んでしまっている。社交性がないわけではないというのは真実のようだ。初対面の相手にも気後れしたりする素振りは無い。
そんな観察をしている浩之をおいて、三人は雑談に興じていく。サラサが二人に対し思っていた疑問を口にした。
「出会ったときから思ってたんだけど、二人って恋人……? 付き合ってるの……?」
「ぷ、あははっ! ないない、ありえないありえない。私と松本君はただの友達だよ。荒波君と翔子と四人でいつも学校で一緒にいる友達」
「そういうこと。今日も二人でいたのは、浩之と西森さんが捕まらなかったからだよ。西森さんはここのバイトがあったし、浩之は遊びに誘おうとしたら、あっという間に断って帰っちゃったからね。どうしたんだろうって思ってたところに、サラサさんと浩之と偶然会ったって訳」
「なるほど……いいね、そういうの。私、向こうで全然友達いなかったから、ちょっと羨ましい」
「そうなの? サラサちゃんってこんなに綺麗だし、話は面白いし、意外かも」
「色々事情があってね……」
きょとんとした目で話す智の言葉に、サラサは少しばかり寂しそうに笑って返す。それは浩之が初めてみるサラサの表情だったかもしれない。
この一週間、浩之の部屋に引きこもっても何一つ顔色を変えずこの生活が一番だと言っていたサラサが、そんな言葉を放つなんて想像すらしていなかった。友達がいることを羨ましいと思う性格だとは思っていなかった。
外に出したことで、他人と触れ合ったことでサラサの『本当の顔』が覗けたのかもしれない。そのことを浩之は少しだけ安堵する。
「そんな訳だから、これからもよろしくね……」
「もちろんっ! サラサちゃん、今日から私は友達、フレンドだからねっ! お姉ちゃんと思って胸に飛びこんできていいんだからねっ!」
「友達なのか姉なのか分かんねえなもう……でも、ありがとな、高城、辰哉」
「サラサさんならこっちから望むところさ。ホームステイ期間は一年だっけ、楽しい年になりそうだ」
温かく迎え入れてくれる友人たちに、浩之は心から感謝する。きっとこういう直接の触れ合いこそが、今のサラサに何より必要なものだろうから。
笑いあう三人を見守る浩之だったが、そんな彼の裾をクイクイと引っ張る少女が一人。隣に座るサラサからジト目を向けられ、何事かとサラサに訊ねかけた。
「どうした、サラサ。トイレなら右行って奥だ」
「最低だね、ヒロは……そうじゃなくて、ヒロは何で智や翔子のことを名字で呼ぶのかなって」
「別に不思議じゃねえだろ。辰哉だってそう呼んでるじゃねえか」
「辰哉は女性への優しい扱いに長けた人だってのは分かるから違和感ないんだけど、荒っぽい浩之が智や翔子を名字で呼ぶのは何か違和感があるんだよね……なんで?」
「理由なんてあるか。辰哉は辰哉だし、高城は高城、西森は西森だ、それでいいだろ。男友達は下の名前、女友達は上の名字、それだけだ」
「そういう性別で区別するのはよくない……そもそも私のことをサラサと呼んでいる時点でその論理は破綻しているじゃない……」
「お前は女じゃねえだろ。女に近いよく似た何かだ」
「本当に失礼な男だね、君は……ねえ、智のこと名前で呼んでみてよ。一度でいいから」
「やけに食い下がるな……嫌だよ、今更改めてそういうのって恥ずかしいだろ」
「ははーん、やっぱり女の子を名前で呼ぶのが恥ずかしいだけなんだ……とんだ純情ボーイだ、小学生かね君は……」
「こいつ……」
「賛成賛成私もさんせーい」
挑発してくるサラサに人形による制裁を加えようとした浩之だが、正面に座る智からまさかの追撃が襲ってくる。
予想外の追撃に目を丸くして驚く浩之に、智は腕を組んでしみじみと語る。
「やー、友達になってもう一年が経つんだよ。私もいい加減荒波君のこと浩之君って呼びたかったんだよね。でも、浩之君いつまで経っても私たちのこと高城高城西森西森って上でしか呼んでくれないんだもん」
「ば、お前、それはお前だって辰哉だって同じだろうが」
「私は荒波君に遠慮してるだけだよ。荒波君さえ下の名前で呼んでくれたら、今すぐ松本君のことも辰哉君って呼ぶよ、私」
「そういうこと。ほら、頑張って気合入れて呼んでみなって浩之。俺たちが駄目なら西森さんだけでいいんだって。一度でいいから彼女のこと下の名前で呼んでみてくれよ、な?」
「恥ずかしいから呼べないとかちょー受けるんですけど……ちょーださすぎるんですけど……これはもうおばさんに告げ口するしかないね、あなたの息子さん女の子の名前も呼べないらしいんですけどって言うしかないね……」
「ぐ、お前ら……いいだろう、そこまで馬鹿にされて黙ってられるか。西森を名前で呼べばいいんだろ? 楽勝だっつーの」
売り言葉に買い言葉、煽りに煽られた結果、浩之は腕を組み翔子の来訪を気合を入れて待つことになる。
その光景を三人は楽しげににやにやと眺めている。そして待つこと数分、サラサの頼んだ特盛メロンソーダを先に運んできた翔子がやってくる。
トレイにジュースを載せたまま、少しばかり元気を取り戻した翔子は微笑みながら口を開くが。
「お待たせ。先にサラサの頼んだメロンソーダを持ってきたぞ、他の注文もそんなに時間掛からずに持ってくるから」
「あ、ああ……ありがとよ、し、翔子……って、ぎゃーーーー! 冷てええええーーーーー!」
浩之が彼女の名前を紡いだ瞬間、翔子の手からトレイがするりと零れおち、メロンソーダが浩之のジーンズ目がけて急降下する。
盛大に緑の液体をぶちまけられ、あまりの冷たさに絶叫する浩之、未だ再起動できず顔を真っ赤にしてあわあわとしている翔子。慌てふためきながら他の店員に布巾を借りてくる智と辰哉。むろん、その際に翔子が零したと言わず、自分が不注意で零してしまったと伝えて翔子のミスにしないあたり、しっかり友達想いである。そんな騒がしい光景を、サラサはお腹を抱えて笑っていた。心から楽しそうに。
夕食を終え、店の外で友人たちと別れ、浩之とサラサは街灯の照らす夜道を二人で歩いていた。
ゲームセンターで獲得した景品は友人たちと分配したため、荷物としてだいぶ減ってはいるものの、それでも浩之の両手はいまだ埋まっている。
袋一杯の人形と菓子類を運びながら、浩之はサラサに話しかける。
「騒がしい奴らだけど、気の良い連中だっただろ?」
「ん……初対面の私相手にも、とても良くしてくれたね。ヒロには勿体無さ過ぎる良い友達だ……どこで友達を買ったの?」
「やかましい」
突っ込みを入れつつ、サラサの表情を覗き見て浩之は安堵する。
相変わらずのやる気のないジト目こそ変わらないが、家を出るまでとは比べ物にならないくらいサラサが穏やかに笑っている。外の刺激を楽しんでいるサラサの姿がそこにあった。
何はともあれ、サラサにとって今日が良い一日となったならそれでいい。サラサにとって健康に良いとは言い難い生活のサイクルから脱却するための一助になればそれでいい。それが浩之の本音だった。
完全な引きこもり生活による反転生活、それによる生活リズムの崩壊、無茶苦茶な食生活。そんなものを続ければ、必ずサラサの健康が損なわれてしまう。そのことが浩之は何よりも不安だったのだ。
だからこそ、強引にでもサラサを外に連れ出し、生活を考え直す手助けを行った。そして今、サラサは外の世界の熱を確かに感じている。
昨日の今日で大きく生活を変えろとは言わない。ただ、小さな変化でも良い、少しずつサラサの中で何かが変わってくれたらそれでいい。それが浩之の今日彼女を連れ回した全てだった。
まるでニートの娘をもった親の心境だが、浩之はサラサを放っておけなかった。口は悪いが、すこぶる面倒見の良い性格の浩之にとって、サラサの面倒をみると決めた以上、途中で見捨てるつもりはなかったのだから。
そんな浩之の心の内を知ってか知らずか、サラサは楽しげにニコニコしながら夜道を彼と並んで歩く。そして、浩之にそっと言葉を紡ぐのだ。
「ヒロ、今日はありがと……」
「なんだ、改まって。お前にも礼を言うなんて殊勝なことができたのか。こりゃ明日は雨かもな」
「本当に口が悪いね、君は……でも、そんなヒロも私は良いと思うよ。思ってることを隠されるより、そうやって遠慮なく言ってくれる方が気持ちいいから……」
一度言葉を切り、サラサは浩之から視線を外して夜空を見上げる。
そんなサラサの横顔を黙って見つめる浩之に、やがてサラサはゆっくりと言葉を続ける。
「さっき智には言ったけど、私って天人界じゃ友達なんていなかったんだ……」
「性格の問題か?」
「容赦ないね……家庭の問題だよ。私の両親、ちょっと特別な人でさ……自分で言うのもなんだけど、私って凄いお嬢様なんだよね……」
「ほー、お前がお嬢様か。ふーん」
「信じてないな……ふふふ、こやつめ。まあ冗談半分と思って聞いてよ。私の両親、天人界でも本当に特別な偉い『天使』で、天人界では知らない人がいないってくらいに高名な『天使』なんだよ……だから、私は常に学校では腫れ物扱いだった。私と遊んで何か問題が起きると責任問題になるからって、小さい頃は一人だけ学校で別クラスで授業受けてたくらいなんだから……凄いでしょ、まさに天上人だよね」
「……なんだよ、それ」
「だから、気付いた頃には友達なんて一人もいなかったんだ……結局、上の学校に進む『分別ある年頃』になった頃には、みんなと同じ教室に通うことができたんだけど、そこから友達を作れなんて無茶ゲーだよね……結局浮いちゃって、みんな愛想笑いして私を避けて、その状況を改善する力も気力も無くて、気付けばこんなやる気皆無な感じになっちゃった訳だけど……あれ、結局これって私の性格の問題かも、やるね、ヒロ……」
自嘲気味に笑うサラサに、浩之は何も言えない。ただ、胸の内に煮えたぎる何かを感じていた。
浩之の胸で熱を帯びる感情、それは怒りだった。サラサが友達のいない理由は決してサラサ一人の責任なんかではない、間違いなく彼女をそんな状況へと追いやった大人たちの責任だ。
右も左も分からぬ子どもを隔離して人と触れる機会を断ってしまえば、友達など作れる筈が無い。その経験を積まなかったサラサに、成長した後に今から作れと言われてもできるわけがない。サラサは友達の作り方など、人との触れあい方など学べなかったのだから。
同級生たちに腫れ物のように扱われ、物珍しい動物のように遠巻きに眺められ、そしてサラサは折れた。自分の世界に引きこもり、世界に対する熱を求めることを止めてしまった。形式上だけの人づきあいだけ得意になってしまった。何のことは無い、全てがそうだとは言わないが、責任の大凡が彼女を形成する世界の残酷さにあったのだ。
あまりの理不尽さに浩之は目を吊り上げて怒りを露わにしてしまう。隠し事やポーカーフェイスが下手で、直情的な浩之にはその怒りを隠すことができなかった。
そんな浩之に、サラサはなぜか柔らかに微笑んで喜ぶだけ。彼女の予想外の反応に、浩之は眉を顰めて訊ねかける。
「なんでお前、そんな嬉しそうな顔してんだよ」
「ううん……ヒロはさ、良いね。初めて出会ったときから、ずっと思ってた。ヒロのそういうところ、私は好きだよ」
「いきなり何を言い出すんだお前は。そういうところって、どういう……」
「――他人の為に本気になれるところ。ヒロはいつも私を怒るとき、心から私のことを考えて行動に移してくれてる……それが凄く伝わるから、私はヒロが好きなんだよ。そんなヒロだから、初めて会ったとき、迷わず『君がいい』って思ったんだ」
そう言って微笑むサラサに、浩之は言葉を失ってしまう。闇が染める夜の中、街灯に照らされて微笑む少女、それはまるで物語の天使のようで。
一瞬見惚れてしまった浩之。そんな彼に、サラサは即座にいつものジト目に戻り、口元を抑えていやらしく笑うのだ。
「勿論、好きはライクの好きだけどね……ねえ、期待した? 期待しちゃった? ん? どうなんだ、このむっつりシャイボーイめ……」
「っ、うるせえ! お前みたいな盆地平野に何を期待するんだっつーの!」
「照れてる照れてる……愛い奴め」
にししと笑う悪戯天使候補に、浩之は憮然とした顔で『さっさと行くぞ』と強引に話を断ち切り家へ向かおうとする。
そんな浩之の背中を追いながら、サラサは彼の背中へ向けてそっと言葉を紡ぐのだ。
「ヒロ、私、一歩踏み出してみるよ……ヒロが背中を押してくれたんだもん、もうちょっとだけ頑張ってみる。ヒロの教えてくれたこの世界は……泣きたくなるくらい、楽しかったから」
「……そうか。まあ、無理だけはするなよ。少しずつでいいんだからな」
「ん……」
ぶっきらぼうな浩之の返事に、サラサは嬉しそうに言葉を返して、そっと彼の服の端を手で掴む。
彼女に服を引っ張られながら、浩之は突っ込むことなく小さく笑い、そのまま家へと向かうのだ。
今日という日が、サラサにとって良い日であったならそれでいい。彼女が少しでも前向きになれたのなら、小遣い二か月分の散財など痛くもなんともないのだから。
そして家に戻り、浩之は自室でベッドの上に寝転んで携帯を弄る。友人達に『サラサのこと、ありがとう』とメールで伝えるためだ。
帰宅早々、サラサは浩之の両親に何かを相談していた。きっと明日からの生活について、前向きに話し合っているのだろう。それはとても良いことだと浩之は思う。
どんなに小さな一歩ずつでもいい、小さな変化の積み重ねはきっとサラサにとって良い変化になる。
瞳を閉じ、先ほどのサラサの独白と表情を思い浮かべる浩之。サラサが友達のいない理由、天人界での生活、それは浩之が想像すらしていなかったものだった。
苛立たしく思う。サラサをそんな状況へと追いやった連中も、状況も何もかも。だからこそ、サラサにはこの人間界で同じことを繰り返してほしくはないと強く思う。多くの人に、熱に触れ、世界を大いに楽しんでほしい。
最悪な出会いを果たし、強引に同棲に持ち込まれた浩之であったが、今となってはサラサに対して完全に情が移ってしまっていた。ただでさえ面倒見の良い浩之にとって、サラサは生きる術を知らない子犬のようなものだ。迷惑もかけるだろう、不快な思いもさせるだろう、けど、それ以上に彼女は自分なりに精いっぱいなのだと浩之は理解してしまった。
だからこそ、見捨てない。一年間という約束の間だけど、サラサのことは絶対に見捨てない。それが浩之の胸に宿る確かな決意だ。
そんな自分の胸の内に、浩之は自嘲する。『まるで娘離れできない父親のようだ』と。
やがて時計の針も進み、宿題にでも取りかかろうとした浩之だが、部屋にサラサが戻ってきて告げた一言に取り出した教科書を床に落としてしまうことになる。
「ヒロ、私決めたよ……ヒロたちと同じ学校に通うことにする。私も学校でヒロや智や翔子や辰哉と遊ぶんだ……」
「……は?」
相変わらずのジト目を向け、無い胸を張って主張するサラサに、浩之は言葉を返すことが出来なかった。
いくらなんでもお前、それは極端すぎる前進ではないだろうかと、突っ込むことすら出来ずに呆然とサラサを見つめ返す浩之だった。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。次も頑張ります。