緋色の瞳
世界観(時代は違います)は『マーマンに愛された娘』と同じです。
ああ、好きだ。
この眼を見る度、つくづくそう思う。彼は自身の瞳を、好ましくは思っていないようだけれど。
カシャリと眼鏡を外し、私を見下ろすその瞳。彼の色はとても珍しい色彩をしていて、それに惹かれたのも事実。
やや赤みがかった黒。黒色は全てを飲み込む色なだけに、何を混ぜても黒にしかならない。なのに、その赤はしっかりと見て取れる程に存在感を示していた。
「……本当に、良いのか?」
テノールの声音、端正な顔立ち。程々に鍛えられた無駄の無い身体。
「良いよ」
私は今夜、彼のものとなる。それが例え私の片思いだとしても、彼の心は私に無いとしても……それでも良い。
彼の秘密を知っている身として、それでもこの道を選んだのは自分だ。彼にとって、私は贄。
不意に、窓から満月の白銀の光が差し込み、照らされた彼を見て息を飲んだ。瞳から黒が消え、真紅の瞳孔が縦に切れた……人間では無い眼。息を飲んだのは恐ろしさでは無く、その美しさ故。
彼らにとって人間は贄。たった一人、己に合う血を持つ人間を見つけ出し生涯の主食とする。そこに、愛情なんてものは無い。そのたった一人を見つけ出し伴侶とする。その為に人に紛れ、人間として生活するのだ。
彼が自身の紅い瞳を良く思わないのは、人間にそんな色の瞳を持つ者が居ないから。紛れて暮らすには、紅い瞳はさぞかし目立つだろう。それ故に眼鏡で誤魔化している、というわけだ。彼らは視力が落ちる事が無い為、本来は眼鏡なんて必要無い。
彼らの伴侶となるという事は、これまでの生活を捨てる事だ。契りを結ぶ事で、己も驚異的な永い寿命を生きなくてはならなくなり、それは……自分の家族、周りの親族、友人知人全てと縁を切る事なのだから。
時折見せてくれる、彼の優しさ。そこに愛が無いと知っていても、惹かれてしまう。
「……ッ!」
繋がり、彼の顔が首筋に埋まる。チクッと小さな痛みに、牙を立てられたのだと解った。
「やはりお前は極上だな……」
呻きに似た囁き。その声も、遠のく意識の中で僅かに聞き取れるだけ。
「これでお前は俺だけのものだ。……まだ、気を失うな。俺はお前と……」
何か言っているのは理解出来たが、結局気付いたのは夜明け前だった。隣には彼が居た。その瞳は元の色に戻り、ただ、私を見ていた。
「……どうかしたの?」
いつも私が寝る時には居ないのに。
「考えていたのだ、この気持ちがなんなのか」
「え……?」
ゆっくり私の髪を撫でる。今までとは明らかに違う、彼の優しさに胸が高鳴った。
「満ち足りた気持ちと言うのは、恐らく……この様な気分を指すのだろう。お前は極上の血を持った、俺の贄だ。だがそれだけでは無い。手離したくは無いのだ、絶対に」
「……生涯でたった一人の贄なのだから、当たり前の事じゃないの?」
「そうでは無い」
間髪入れずに返って来た言葉に、上体を起こしている彼を見上げる。吸血された後だからか、凄く身体が怠い。
私を見下ろすその表情は、とても優しい顔をしていた。
「……愛しい。
これはお前と契って初めて感じたのだ。お前を見つけるまでに幾度も他の者を食して来たが、お前程の極上の血を持つ者は居ない。そして、また契りたいと思わせる者も」
「……」
「これからも、他と変わらず贄の関係は変わらないだろう。だが……そこに一つくらい、違うものが交じっても構わないか?」
「違うもの……」
ドキン、ドキンと鼓動が速くなっていく。
「お前への愛情だ。……いつもお前からは感じていたが、ずっと、俺には良く解らなかったのだ。だが」
端正な顔が近付き、唇を塞がれた。
「……悪く無い」
間近で妖しげな、蠱惑的な笑みが浮かぶ。彼の誘惑される笑みに、内心溜息を吐いた。
まだまだ、彼への愛の中での恋心は収まりそうにないな、と。
時期は未定ですが、恐らく連載版を載せると思われます。