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7・確認と宣誓

今までと少し毛色が違います。

『――お兄ちゃんはずっと那智のお兄ちゃんでいてくれる?』


 そう言ったのは、小五の秋だったか。

 新しく父と兄になる二人との出会いから半年が過ぎ、双方の親が仕事の都合を付け、家族だけの式を挙げることが決まった。

 その頃にはもう荷物を新しい家へ運び入れ、新しい家族と一緒に暮らし始めて二ヶ月が経っていた。

 新しく父となった人はなかなかに仕事は忙しそうなんだけど、家族に対しては甘々で私のこともちゃんと可愛がってくれる良いお父さんだった。

「パパって呼んでほしいな」

 そうお願いされたけど、それは抵抗があったので「お父さん」と呼んでいる。

(だって、お母さんのことは「お母さん」と呼んでいるのに片方は「パパ」って何かおかしいでしょ)

 兄となった人とは隣同士の部屋になった。それでもお互いの部屋に行き来することはなかった。それなりに互いのプライベートの空間に入り込まないだけの分別はあったのだ。

(家族にまで外面の良さを発揮する人には、一部屋くらい確実に息つくスペースがないと可哀想だもんね)


 式を三日後に控えた日のこと、私は気持ちの整理をつけるため、引っ越す前に住んでいたアパートを訪れていた。

 まだ新しい入居者が決まっていないことを良いことに、こっそりと中に侵入する。

「さよなら」

 荷物がなくなり、だだっ広くなった部屋に別れを告げる。しんとした静寂に包まれた部屋にわたしの息遣いだけが響いた。

「ばいばい」

 傷の付いた柱、染みの付いたふすま、一つ一つに触れて別れを告げた。

 母と亡くなった父と私の三人で暮らしていた部屋は、たった二ヶ月で人の生活の匂いをすっかり失っていた。

(これからは新しい家族と一緒に、新しい家で暮らしていく)

 私は空っぽの押入れに入り込んだ。

 夜、寝るときにだけ布団を出したことで出来る空間が、私にとっては格好の秘密基地だった。よくお菓子や絵本を持ち込んでは母に怒られた。

 中に入って膝を抱えて丸くなった。十センチ程隙間を開けて外を覗く。そこからはいつも台所に立つ母の姿と茶の間に置いた小さなテーブルが見えていた。いまはただもぬけのカラになった部屋だけがあり、日の光に照らされて小さな埃がふわふわと舞っていた。

(こうしてると、パパが「ただいま」って帰ってきそう)

 目を閉じてじっとしているうちに眠気に襲われた私は、いつの間にか眠りについていた。


(いけない、帰らきゃ)

 目を開けると、もうすっかり日が暮れていて、部屋は真っ暗になり、唯一の光源は外の街灯の明かりだけとなっていた。私が押入れの中から這い出そうとしたとき、

  プルルルルッ

 隣の部屋からだったかもしれない。小さく電話の鳴る音がした。


 真っ暗な部屋、鳴る電話の音、押入れの秘密基地。


(怖い)

 私の中に眠らせていた暗い思い出がフラッシュバックする。

  ハァ ハァ

 呼吸がどんどん荒くなる。記憶の渦に飲み込まれそうな感覚に陥る。ただひたすらに息が苦しかった。




 未だ鮮やかな記憶の渦が私を飲み込んだ。


 ――プルルルルッ

  ガチャ

『はい』

 いつものように押入れの秘密基地に入り込んでいた私は、暗い空間から明かりのついた外を覗き込んだ。

 洗い物を片付けていたママが手を止め、受話器を取り、返事をしていた。

 小さい頃は私は父と母のことを「パパ」「ママ」と呼んでいた。

(パパかもしれない)

 パパは仕事で遅くなるときは、いつも家の電話にかけてくる。きっと今の電話もそうなのだろうと、漏れ聞こえる音にパパの声を捜して耳を澄ました。

『……ご主人が……事故……て』

 ポロリとママの手から受話器が零れ落ちた。それはスローモーションのようにゆっくりと落ちていき、

  コトンッ

と小さく音を立てた。

『搬送され…病院は……。もしもし?…奥さん?……』

 血の気を失って床に崩れ落ちるママ。私はただその様子を押し入れの中から見ていることしかできなかった。言っていることの半分も意味を理解できなかったけど、ただ事ではないことだけは分かった。

(ママ、パパどうしたの?)

 そう声に出したかったのに、声が出なくて、空気を取り入れようとひゅうっと息を呑んだ――。


  ハァ ハァ

(息が苦しい)

 急激に呼吸が乱れて、動悸を訴える胸を押さえてふすまに手を掛けた。でも、力が入らなくて開けることができない。

  ハァ ハァ

(たす、けて。誰か……)

 いよいよ意識が薄れかけたとき、

  カタン

 アパートの扉が開く音がして、誰かが部屋の中に入ってきた。

「那智?」

 その人はふすまをスッと開けてかがみこんできた。

「お、兄ちゃん……」

「大丈夫。落ち着いて、ゆっくり深呼吸するんだ」

 そう言って、お兄ちゃんは背中をさすってくれた。

「暗くなっても帰ってこないからみんな心配していたよ。お母さんがもしかしたらここにいるかもって言ってたから、来てみたんだ」

 そのときの私は多分、頭が湧いていたんだと思う。心配そうな声を作ったお兄ちゃんの存在に酷く安心感を覚えてしまったのだ。

 徐々に呼吸が楽になり、酸素が正常に肺に取り込まれる。


 外面が良いために、面倒な妹の捜索までするはめになったお兄ちゃんに同情する。

(自分が心配したとは言わないとこがお兄ちゃんらしいや。その外面の良さは結構、損な感じだね。本当は面倒だよね。できたばっかりの、可愛くもなんともない妹を捜しに来るのって)

 突っ込み属性な私は脳内でお兄ちゃんに苦言を呈した。

(あー、変なところ見られちゃったな)

 誰にも言っていないけれど、私はあの出来事から暗闇が怖くなってしまったのだ。寝るときはいつも豆電球とテーブルライトを付けてないと安心できない。言ったら、お母さんも諒ちゃんも気にしてしまうから。諒ちゃんにはポロっと「暗闇は苦手」と言ってあるけど、ここまで酷いということは教えていない。


 他の人だったら、こんなにすぐ冷静に戻れはしなかっただろう。嘘くさいお兄ちゃんの物言いが逆に私の頭を冷静にさせた。

 けれど、酸素の不足した私の脳は、冷静さを取り戻しつつも「見られたついでに言ってしまえ」と、こんな言葉を繰り出しやがった。

「ねぇ、お兄ちゃんはずっと那智のお兄ちゃんでいてくれる? パパみたいにいなくならないで、ずっと、おじいちゃんになっても那智のお兄ちゃんでいてくれる?」

 否定されても構わなかった。

 ただ、世界に一人きりになったみたいで、何かにすがりつきたくてたまらなかった。そんなときにたまたま目の前に現れたのがお兄ちゃんだっただけのこと。「うわっ、面倒くさっ」って顔されてもいい。どんな顔をされても、上辺だけの言葉でも「いるよ」と返事を返して欲しかった。

(そりゃ、そんな顔されたらちょっとはショックだけどさ)


 そのとき、お兄ちゃんは少しの間だけ固まって、そして答えをくれた。

「いるよ。ずっと那智のお兄ちゃんでいる」

 残念ながら、薄暗闇の部屋ではお兄ちゃんの表情はよく判別できなかった。でも、その口から発せられる言葉は嘘くさいものばかりだと思っていたけど、その言葉だけは信用に値すると思った。

「那智もおばあちゃんになっても、俺の妹でいてくれる?」

 聞かれた言葉に、私は返事の代わりにお兄ちゃんに飛びついた。


 帰り道、お兄ちゃんは私をおぶって帰ってくれた。今は体格差もあり、私を背負うなんて楽々だろうが、当時まだ成長途中だったお兄ちゃんにはとんだ苦行だったと思う。

(つくづくごめんね、お兄ちゃん)

 家に戻ると、お母さんがぎゅうぎゅうと私を抱きしめてきた。

「那智っ。那智が反対するなら、お母さん再婚なんてしないからっ!」

 どうやら、母の中で私は、実は再婚に反対で家出したものだという認識に行きついたようだ。新しいお父さんも、「そうだよ」と悲しそうな顔をして頷いていた。

(まあ、発見場所が前住んでいたアパートだったからね)

「ち、違うよ。前の家にお別れしに行ってただけだよ」

 私は慌てて否定した。誤解を解くのには苦労したけど、最後には

「こんな素敵なお兄ちゃんができたのに、今更嫌だなんて言うわけないでしょ! お兄ちゃんと離れるなんて、それこそ嫌だよ!」

とお兄ちゃんの腕にしがみついて泣きそうな顔を作って納得してもらった。

 この両親は共に思い込んだら一途だ。そこでやっと納得して、今度は「こんなに仲良くなってくれて嬉しいわ!」とキャッキャし始めたのには脱力した。


 ※ ※ ※


 まあ、それからだ。

 お互いに不安になったとき、「ずっと兄妹だよね」と確認するようになったのは。

 それだけが、自分たちの存在を確かなものにする手段であるかのように。

(私もお兄ちゃんも現実主義的な考えしてるくせに、ドリーマーなんだよね。ずっと一緒にいてくれる確かな存在を欲しがってるなんて……)


 そんな昔のことを思い出しながら、やってくるお兄ちゃんを見つめる。

 お兄ちゃんは少しだけ驚いた顔をしてこちらに向かってきた。

「那智、待っててくれたのか?」

 コクンと一つ頷く。私は唇を弧に描いて

「じゃーん。呼ばれて飛び出てやって来ました! 貴方の妹、桂木 那智参上っ!」

 勤めて明るく、バカみたいに背筋を伸ばして敬礼した。

「いや、呼んでないけど」

 目の前に立つお兄ちゃんからは、妹の突飛な言動に対して冷たい反応が返された。必要時以外は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と寄っていかない私が、こうしてわざわざ待っていたということがお兄ちゃんには理解不能だったらしい。

 いつもなら優しい言葉をかけてくれるのに、素の反応が出てしまっている。


「呼んだんだよ? お兄ちゃんが気付いていないだけで、心の中で那智を呼んでた」


(こら、そこ。電波な娘とか思わないでね! いいんだよ、お兄ちゃんにはこれくらいの対応で。だって那智は頭のゆるい妹って設定なんだから。うぅ、自分で言ってて寒いわ。私、本当はこんなキャラじゃないんだよ。根は真面目な良い子なんだよ。言い訳じゃないんだからね。ぷんぷん。あ、しまった、ついいつもの癖が)

 心の中で葛藤しながらも、私はもう少しテンションを持続させ、右手を上げ、左手を胸に当てて宣誓の形をとった。


「はいっ。那智は宣誓します! 生涯変わらず、お兄ちゃんの妹であり続けることを! なお、この宣誓が撤回されることはありません。お兄ちゃんが那智を「いらない」って言っても続行されますのであしからず!」


 これを一息で言ったところで、「ふふっ」とお兄ちゃんが笑い出した。

「ふふっ。やだな那智。あははっ」

(おー、珍しく心から笑っとりますな)

「言わないよ」

 優しく頭を撫でられる。

「いらない、なんて絶対言わない」

 そのままぎゅーっと抱きしめられた。

「困ったな。これじゃ、当分妹離れできそうにない」

 しばらくそうしていた私たちは、放課後とはいえ十分に衆人環視の元に晒された。


 数分後、耐え切れなくなった私は

「おーい、お兄ちゃん。ほどほどにしてお家に帰ろうよ」

 ポフポフと抱きしめてホールドかけてくるお兄ちゃんの腕を叩いて言った。

「もう少しだけ」

 お兄ちゃんはくすくすと笑う。困ったような声を出す私の反応が面白かったのかもしれない。

(でも、もう機嫌直ったよね? これくらいにしとかないと、愛梨ちゃんに見られでもしたらどうするんだ? 変な誤解されて好感度下がるなんてイヤだよ?)

 せっかくのイケニエ、いや彼女候補に逃げられてはたまらない、と再度ポフポフとお兄ちゃんの腕を叩いて言った。

「いい加減にしてお家に帰ろー? 那智お腹が空いちゃった」


 本当にお腹が空いていた私のお腹の虫が、夕焼けに薄くたなびく雲が浮かぶ中、グゥーとご飯の要求を鳴らした。





那智の「暗闇怖い」の原因となった話でした。

次回からは、また他のキャラとの絡み入れていきます。

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