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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
真実の欠片たち編
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53・愛梨という存在

愛梨という存在が出来上がるまで。

 水野 愛梨という存在を語るにおいて、より子という人間は絶対に欠いてはいけないものである。


 より子はどこにでもいるごく普通の少女だった。

 容姿は普通、学校の成績は中の下、運動神経は悪くないかなという程度。そのスペックだけを見れば本当にごく普通の少女だ。

 ただ、より子はとても寂しい少女だった。

 両親はより子よりも妹のほうを大切なものとして扱った。

 成長するにつれてそれは顕著になり、両親は目に見えて可愛らしくて出来の良い妹のほうばかりかまうようになり、より子のことは忘れがちになっていった。


 寂しい少女は次第に笑顔が少なくなり、友達も減っていった。

 中学を過ぎても自分のことを「より子はね」と言うのは、寂しさのあまりの幼児返りの兆候だったのかもしれない。

 そんな彼女を旧友たちはイジメの標的とした。靴を隠し、教科書を破り、机に花瓶を置いて彼女をいないものと扱った。かけられる言葉に温かみなど存在しない。

 冷たく陰湿で、蔑みのこもった瞳を向けられることが普通のことだった。当たり前すぎて、より子がそれが異質であることに留意できなくないくらいに……。

 イジメの跡を消してまわるというのが彼女の日課となっていった。

 それでも彼女は誰かを恨んだりはしなかった。両親や教師に訴え出ることもしなかった。

 誰かに助けを求めるという選択肢が、より子の中には概念として存在しえなかったのだ。


 そんな彼女にもひとつだけ望むことがあった。あの完璧を絵に描いたような家族の一部に指先だけでもいいから入りたい――。

 願いが果たされることは最後までなかった。

 誰もいない家に戻り、置き手紙に「みんなで食事に行ってきます」と書かれてあるのを見て、小さくため息をつくことだけが彼女の失望の表れだった。


 寂しい少女はある日、学校の階段から落ちて死んでしまった。

 雨の日で濡れていた階段を踏み外してしまったのだ。運悪く、そこは階段の一番上で、彼女が打ちつけた頭部の位置は最悪の場所だった。


 寂しい魂は漂い、うっかり女神の領域に侵入してしまった。迎えがなければ入れない、通常では来られない場所だ。

 驚いた女神はより子の魂の記憶を読み取り、ひどく胸を痛めた。

 そして契約よりは束縛性のない約束を彼女の魂と交わした。


『あなたの魂が癒されるまで、楽しい時間を繰り返してあげる。その代わり、他の寂しい魂を救けてあげて』


 女神は条件に合う場所をすでに見つけていた。

 それは寂しい魂の寄り場だった。高校という学生生活の中で息苦しく暮らす人がたまたま揃っている場所。

 きっと長い時間をかければ彼らなりの救いを見つけていくことだろうが、少しくらい手を貸してもいいだろうと安易に考えた。

 女神はその気持ちが己が神の力を持っているからという奢りであることには微塵も気づいてはいなかった。


 女神は寂しいより子の魂を回収し、新たなる器に入れた。

 その器は美しく賢く、誰もを魅了する力を秘めていた。

 完璧なのは当然だ。神の作った器なのだから。

 神は女神よりも力のある存在で、仮称として女神は「兄様」と呼んでいた。

 彼は度々女神の人間臭さを嗜めていたが、自分もたまに下界に降りたりするという人間臭さを持っている風変わりな神だった。

 器はその下界降臨のための神の器であった。その数は無限にあった。

――お前は使うんじゃないよ。まだまだ未熟者なのだから。

 そんなことは知ったことではないとばかりに彼の作品の中から適当な器を失敬する。

 女神は神のように生きた器を作ることはできなかったが、器に魂を込めることは造作もないくらいには力があった。


 こうしてより子は「水野 愛梨」と名付けられた器を得て、新しい生活を過ごすことになった。


 より子は喜んだ。

 誰かに大切にされることの気恥ずかしさを知り、誰かに愛されることの喜びを知った。

 彼女は与えられる愛を貪欲に吸収し、成長していった。

 望むことを許された世界で、彼女の願望は深くなっていく――。

 押さえつけられた欲求は高みを知ることなく、彼女は何度も時間を繰り返した。

 自分の言葉ひとつで一喜一憂する存在たちに彼女の優越感は際限なく膨れ上がっていった。

 だが、次第に運命の軋みは激しくなっていく――。

 彼女は誰かを愛し誰かに愛されることに飽くようになっていった。誰かを幸せにした分、必ず誰かを不幸に導くようになった。それこそ自分が神にでもなったかのように――。

 最も不幸になるのはいつだって桂木 那智だった。それはより子の中で決定事項のようで、那智が泣いて絶望するたびに彼女は愉悦に笑みを浮かべた。

 女神は「何故」と問うた。「彼ら」の中には那智という存在も入っているというのに。

「嫌いだから」

 返ってくる言葉はそっけなく、だがとても深い暗がりを感じさせるものだった。女神であっても真意は測れないほどに。


 修復は不可能だった。

 いまやより子の魂は出会った当初の輝きを失い、黒く変色してしまっていた。

 何度も繰り返すたびにバランスのおかしくなる世界に女神は頭を悩ませ考え抜いたあげく、より子の魂を愛梨の器から引き剥がすことを決めた。

 穢れてしまった魂に、もはや以前の記憶はあってはならないものだった。

 新たに生まれ直させることにしたと告げたとき、より子は願った。


――せめてあの人たちと同じ時代に生まれさせて。


 記憶は残らないと告げたが、大切に想ってきた彼らのそばに記憶はなくとも暮らしていけたらまたやり直せるかもしれない。

 そう必死に訴えられては願いを叶えないわけにはいかない。

 女神はより子の願いを聞き届け、記憶のすべてを封印して新たなる生を与えた。


 そして残る魂の救済措置として、次の新たなる愛梨を作ることにした。

 愛梨の手によって捩れた運命は新しい愛梨によって巻き戻されなければならない。彼女の存在は彼らの運命に関わりすぎていたから。


 見つけたのは「生きたい」と強く願う魂だった。肉体は吹けば飛ぶほどにか弱かったが、その魂はより子の魂よりも強い輝きを放っていた。

 ひと目見て気に入った。

 彼女ならすべてを救えるかもしれない。間違いを正し、良き方向へと導くことが――。




「それで私を選んだ、ということ」


 目の前にいる愛梨は魂を吹き込まれて活き活きとした光を放っている。

 机に肘をついて顎に置かれる指先までが白くたおやかで美しい。――さすが兄様の作る芸術品。完成度が素晴らしい。


「で?」

「んっ?」

 部屋の中、呆れたようにため息を吐く愛梨を見上げる。

 彼女の部屋はとても物が少ない。いずれいなくなる部屋だからと必要なものしか揃えていないのだ。

 いなくなるときはどうせ神の力で一掃するのだから気を遣わなくてもいいのに。

 前愛梨は物欲も強かった。欲しいものを好きなだけ買い、飽きては捨てて新しいものを買い求めた。

 同じ器を得ても違うものだ。

 しみじみと思っていると聞いているのかと問いかける声が降ってくる。聞いていると返せば、本当かしらという雰囲気で再びため息が漏らされた。


「それで、何であなた下界に降りてきているの」


 問いかける彼女に「へへへっ」と笑うと、額をぴしっと指先で弾かれた。

 夢幻の世界では魂に触れ続けると相手の魂が傷付いてしまう可能性があるが、現実世界では触れても触れられても互いに魂の干渉を受けることはない。

 つまり、今の自分はこの世に生を持つ者と同等の存在であるといえる。肉体的な接触は不可能ではないのだ。

 数秒遅れて、額にじんとした痛みが広がっていく。

「い、痛ぁいっ」

 知らなかった。人に攻撃されって、こんなにも痛いことだったのね……。




 兄様、見ていますか。

 女神は今下界に降りてきています。

 兄様は自分でしでかしたことは自分で解決してこいと私を下界に落としましたね。

 あまりの高さに女神は「これが神の死か」と思ったものです。

 でも気づいたときには下界に無事に降りていたので良かったです。生きているってとても素晴らしいことなのだと初めて知りました。

 とりあえず今のところは元気です。……でも早く帰りたいです。

(下界降臨一時間後、女神より)





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