6・スペシャルAランチと諒ちゃんと私
憂鬱な気持ちで午前の授業が終わり、昼食の時間を迎えた。
「さてお昼、お昼」
(今日は何にしようか)
先日、欲しかった雑誌が相次いで刊行されたため、お財布の中身は少々寂しい。お金持ちなお父さんが出来た割りに私のお小遣いはそうたいして多くないのだ。庶民出なもので、もらえる金額は周りに比べたら微々たるもの。
(購買でパンとジュースかなぁ)
無事に次のお小遣い日まで乗り切るため、ささやかな昼食を取ることに決める。鞄の中から財布を取り出して準備をしていると、
「那智、奢ってあげるから一緒に食堂に行こう」
お兄ちゃんが教室の入り口から声を掛けてきた。
(どうしたんだろう? 愛梨ちゃん関連でもないよな。取り巻きは朝の双子くらいで、岩田委員長とも絡みはなかったように思うけど)
「どうしたのお兄ちゃん」
駆け寄ると、その笑顔がほんのわずかに陰っていた。
「たまには那智と一緒にご飯を食べようかと思ってね」
(ご飯はいつも家で一緒に食べてますが?)
言った口調も若干低い。この違いは他の人には分からない。長年、お兄ちゃんと一緒に暮らしてきたからこそ分かるもの。
これはお兄ちゃんが憂鬱な気分のときの特長だ。
私への誘い方も、そこまで乗り気じゃないときは「一緒に行かないか?」なのに、さっき言ったのは「一緒に行こう」だから、何気なく断れないようにしている。
(まぁ、奢りだということだし)
「じゃあ、せっかくだし、愛梨ちゃんも一緒に」
「ごめん、今日は那智と二人で食べたい気分なんだ」
自分の席にいた愛梨ちゃんが「私?」と可愛らしく小首を傾げていたけど、お兄ちゃんはすぐさま断りを入れた。
(をいをい、断っちゃいますか。愛梨ちゃんが一緒に来たら気分も晴れるんじゃないかと思ったんだけど……)
「そうですか。それなら私は購買で何か買ってこようかな」
断られたにも関わらず、愛梨ちゃんは嫌味なくそう言って立ち上がった。その態度に、私の中で彼女に対するポイントがまた一つ上がる。
(ここで自分は一人で食堂に行く、ってならないとこが良いよね。断った相手が食堂に来ちゃったら心苦しいし。さりげなく気を使ってるのがツボだわ)
愛梨ちゃんが通り過ぎる間際、
「私に何か出来ることがあったら言って下さいね」
そんな言葉が聞こえた。
私に聞こえないよう配慮されたものだったけど、耳をダンボにしていたので私にも聞こえた。
(さすが愛梨ちゃん。この兄の変化に気が付くとは)
お兄ちゃんもはっとした表情で愛梨ちゃんの方を見る。私の中でまた一つ愛梨ちゃんに対するポイントが上がった。
うちの学園の食堂は学生の私たちのお財布に優しいリーズナブルな価格設定で、栄養バランスも良く、味も量も満足いくものを提供している。
しかも、大食漢の子に対しては、プラス五十円で大盛りも可能だ。
「僕は日替わり定食にしようかな。那智はどうする? スペシャルAランチでもいいよ?」
スペシャルAランチは、ちょっと贅沢したいときの特別メニューだ。
えびフライ、クリームコロッケなどの揚げ物とサラダにスープ、五穀米のプレートランチで、デザートにミニパフェと食後の飲み物(コーヒー又は紅茶)付き。
このミニパフェが美味しく、季節ごとに味が違うのだ。春はイチゴアイスと真っ赤なイチゴがトッピングされている女の子に人気のメニュー。
(ミニパフェには惹かれるけど……)
「うぅっ。でも那智ダイエットしないと」
木から落ちたことが後を引きずっていた。あと一キロでも軽かったら落ちなかったかな、とか考えてしまう。年頃の女の子特有の悩みは、私にだってあるのだ。
そのため、カロリーの高いものは避けたいところ。
(うどんとかサンドイッチくらいにしとこうかな)
「那智はそのままで十分軽いし可愛いから大丈夫だよ」
(はい、そんな台詞は彼女になる人に言ってあげてくださーい)
「ね?」
にっこりと後光が差すような微笑を浮かべられたら、もう私に拒否権はございません。
「うっ……じゃあスペシャルAランチ、コーヒーで」
唸るように声を出した私の後ろで、お兄ちゃんの後光差す微笑みに心臓を打ち抜かれた数名の女生徒が真っ赤になって腰砕けになっていた。
「はい、那智。あーん」
ランチプレートを美味しく頂き、デザートのミニパフェに取り掛かる段となり、向かいに座っていたお兄ちゃんがスプーンを取り上げて私にそうかましてきた。
お兄ちゃんがこれをするときは、別れ際の彼女が鬱陶しいときだ。妹との仲の良さを見せ付けることで、より彼女の怒りを買って別れやすくするための行為。
決して妹可愛さにするような人ではない。(……はず?)
(あれー、ここ最近は彼女いなかったよね? どうしたお兄様?)
いぶかしみつつも反射的に「あーん」と口を開ける私は、なかなかに手懐けられているように思う。
「美味しい?」
「うん、美味しいよ」
(そして可笑しいよ?お兄ちゃん。いまどき公衆の面前で「あーん」って、どこのバカップルだよ)
ツッコミたいけど、気にしない。気にしたら負けだ。
「ねえ、那智……」
お兄ちゃんの後光差す微笑みが一瞬掻き消える。
「那智は、ずっと俺の妹だよね」
(あっ。「僕」じゃなくて「俺」って言った)
お兄ちゃんが自分のことを「俺」って言うときは、結構素に近いときだ。
少しだけひそめられた眉。答えを待つ、すがるような目。
確認するように言われるその台詞は、私たちがお互いに不安になったときに交わされる台詞だ。
(何がお兄ちゃんを不安にさせてるんだろう?)
理由は分からないけど、何かに不安を覚えているとき、その台詞を言った方に寄り添うのが私たち兄妹の不文律だ。
私はテーブルを回って、お兄ちゃんの隣に移動した。
他の人からは見えないように、テーブルの下でその手を取る。(さすがに兄妹とはいえ、真剣な顔をして堂々と手を繋ぐとか、怪しい噂を立てられたら困るからね)
「那智はずっとお兄ちゃんの妹だよ」
繋いだ手が、弱々しく握り返された。
「おばーちゃんになっても、那智はお兄ちゃんの妹だよ」
(ときどきメンタル弱くなっちゃうんだよね、お兄ちゃん)
その手を空いた方の手でポンポンと叩く。
(どうか、この人の心を救ってくれる人が現れますように)
心の中で願う。
私はどこまでもお兄ちゃんが大好き(仮)な妹であることを選んだ。そして、お兄ちゃんも妹を大事に扱う兄であることを選んだ。
それは兄妹ならずっと一緒にいられるからだ。
お互いに、ずっと一緒にいられる相手を探していた頃に出会った兄妹。
それが私たち。
兄妹だから支えあえる部分があるけど、逆に踏み込めない距離がある。だから、その距離を詰めることが出来る彼女を私は探しているのだ。
(そうでないと、私も安心して彼氏なんて作れないし……。欲しいんですよ。常に。お年頃だからね。
こんな不安定なお兄ちゃんを持ってると、彼氏作りにかまけてる暇なんてないんだよ。本当に。誰か、この人もらってやってください! 返品不可で)
願いを込めて、繋いだ手に少しだけ力を入れた。
教室まで送ってもらって(お兄ちゃんは妹に対しても紳士だからね)別れ際、
「那智、リボンが歪んでる」
そう言ってお兄ちゃんは右側のリボンをスルリと解いて丁寧に結び直してくれた。
(おっと、いつの間に歪んでいたんだか。お兄ちゃんが結んでくれるリボンはいつも家に帰るまできっちり結ばれているんだけど……。やっぱ、他の人だと結び方が甘いんだな)
のほほんと呑気にそんなことを考える私に、「はい、できた」とお兄ちゃんは満足そうに笑いかけた。
※ ※ ※
放課後、委員長会議に出る前の委員長を捕まえて、明日以降の計画を伝える。
「多分、犯人は次も朝一の誰もいない時間帯を狙って仕掛けてくると思うんだ。だから、早めに来て見張るのが一番確実だと思う」
「賛成」
「じゃあ明日から開始ってことで」
委員長の短い返事を得て、いつもより三十分早く登校して見張ることを約束した。
きっと犯人は教科書を拾ったのが私だとも知らず、衝撃を受けていない様子の愛梨ちゃんを見てまた何か仕掛けてくるはず。それはそう先の話ではないだろう。
「よろしくね、ゴツゴツ委員長」
冗談めかして言ったら、
「分かった、ナッチー」
委員長が表情を変えず、そう返してきた。
(うわっ。委員長が冗談返すことがあるんだ)
しかし、その言い方は双子の海道兄弟と比べるとまったく可愛げがない。
(えっ、ここ笑うとこ? 「あはは、委員長ったらオカシー」とか言っとくべき?)
「どうした?」
「いや、あの、委員長でも冗談言えるんだって思って……」
「たまには」
目を見開く私に、うっすらと口角を上げてポンポンと頭を叩く。その目もほんのわずかに笑っているように思った。
「また明日、桂木 那智」
「はあ、また明日」
(反応しづらいよ、委員長)
叩かれた頭を押さえて溜め息をついた。
※ ※ ※
委員長会議は生徒会と各クラスの委員長・副委員長が出席し、時間はだいたい一時間くらいかかる。
私はそれを待って、図書館で時間をつぶしてから校門へと向かった。
花が散って緑の葉をさわさわと揺らす桜の木の下に陣取って、ここを通るはずの人を待つ。
「お、那智。こんなところでどうした。兄貴でも待ってんのか?」
そう私に声を掛けてきたのは、国語教師の木村 諒一。私の母の弟の息子、要は従兄。手には会議の資料なのか、数冊のファイルをかかえている。スラリと高い背、趣味の良いピシッとしたスーツ姿だけど固すぎない印象なのは、生徒に向けた営業スマイルがものをいっているのだろう。その若い年齢もあり、生徒に一番人気の先生だったりする。
けれど、女生徒に人気の色素の薄い茶色の髪が、実は昔のヤンチャのせいで色が抜けてしまったなごりなのだということは私しか知らないだろう。(私が小さい頃は、目に痛いキンキンの金髪だった)
「あ、諒ちゃん、二十六歳、独身、彼女募集中。もう会議終わったの?」
諒ちゃんにはみんなを纏めるカリスマ性ってのがあるみたいで、若いけれど学園の生徒会の副顧問を任されているのだ。(顧問は堅物のお爺ちゃん先生)
仕事量も多い生徒会を管理する立場を与えられているということは、能力があると認められている証拠。
「何だその説明文的呼びかけは。彼女募集中とか、涙が出るわ」
「ウソつけ。女子高生には大モテのくせに」
「俺はガキに興味はないんだよ」
これが私達の通常のやり取り。私は彼を普段は「木村先生」と呼ぶけど、他の人がいないところでは「諒ちゃん」と呼び、彼は私を「那智」と呼ぶ。私が赤ん坊のときからの付き合いだ。諒ちゃんの前では、限りなく素でいられるので楽。だから自然と口が悪くなってしまう。
「そのガキに手を出してるのはどこのどいつだか」
彼も例に漏れず、よく愛梨ちゃんと一緒にいるのを見かける。
(諒ちゃんのくせに邪魔)
「資料整理とか言って、よく国語科準備室に呼びつけてるみたいじゃん」
「水野は別格。あれはガキには見えんだろ」
「ふーん。諒ちゃん。私、今「水野 愛梨」の名前は一度だって出してないと思うけど?」
ジッと下からねめつけるように見上げると、諒ちゃんはわたわたと動揺し始めた。
「ぐっ。それはだな。えっと、その」
「いいよ。弁解しなくても。それより早く行ってよね。私はお兄ちゃんを待ってるんだから」
私が待っていたのは諒ちゃんではないのだ。
お昼のときの兄の様子が気にかかっていた。
『ねぇ、お兄ちゃんはずっと那智のお兄ちゃんでいてくれる?』
始めにそう言ったのは私だ。
(まだ小学生だったころの私の言葉が始まり……)
それから、お互いに不安になったときは「ずっと兄妹だよね」と確認するようになった。
しっしと追い払う動作をすると、諒ちゃんがコホンと咳払いをして言った。
「やっぱり、あの不安定兄貴を待ってたのか。いい加減、彼氏でも作んないと、あの兄貴から離れられなくなっちまうぞ」
諒ちゃんにはお兄ちゃんのことを話していた(というか愚痴っていた)ので、お兄ちゃんの本性を諒ちゃんは知っている。知っていて、「さっさと兄離れしろ」と言ってくるので、彼なりに私達兄妹のことを心配してくれているみたいだ。
「だったら協力してよね。愛梨ちゃんのことは私が狙ってるんだから」
「例の本命彼女探しか? えー、でも、それとこれとは別の話。俺だって彼女欲しいもん」
「だからって教え子狙うなよ。あっ、お兄ちゃんだ。ほら、さっさと消えて」
校舎の方からお兄ちゃんが歩いてくるのが見えた。委員会で一緒だったのだろう数名の女の子に笑顔で挨拶を交わしている。
再度しっしと追い払うと、ようやく止まってた諒ちゃんの足が動き出した。
「へいへい。那智の大好きなお兄ちゃんに嫌われてる諒ちゃんは退散しますよぉ」
何気にお兄ちゃんと諒ちゃんは仲が悪い。対面するとお兄ちゃんは眉をしかめるし、諒ちゃんはそれを挑発するようにニヤニヤと笑うのだ。理由は分からないが、出会った当初からそんな感じなのだ。
(まったくやめてよね。間に入らされる私の立場も考えてよ)
こちらとしては、彼らは血の繋がりはなくとも親戚になるのだから仲が悪いのは勘弁して欲しい。
「そうだ、那智。今度駅前の新しくできたケーキ屋、一緒に行こうな」
それでも諒ちゃんは私に甘い。片親だけの期間が長かった私の保護者みたいなものだ。その存在は兄というより父に近い。
「もちろん俺の奢りで」
(行ったら行ったで、ケーキを頬張る私を前に、「うえっ」って顔をしながらコーヒー飲むくせに)
自分は甘い物が苦手なのに、こうして、ときどき甘やかすようにケーキなどを奢ってくれる。
「当然でしょ」
それが私の了承の仕方。諒ちゃんに対しては、「奢ってくれてありがとう」な態度はとらない。
(だって、家族に対して「ありがとう」なんて言いづらいでしょ)
諒ちゃんも立派な私の家族なのだ。
諒ちゃんを見送った私は、こちらに歩いてくるお兄ちゃんに向けて手を振った。
「お兄ちゃん、一緒に帰ろう!」
ちょっとびっくりした顔のお兄ちゃんが私のいる桜の木の下へと歩いてきた。
やっと登場人物を出し切りました。
これ以上増やすと管理しきれない・・・。
恭平が諒一を嫌うのは、自分の信者である那智が懐いている相手だから。
妹を「何も分かってない」と小バカにしてるのに、自分から離れるのはムカつくという面倒くさい兄貴(笑)