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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
きみの写真編
50/63

幕間:水曜日・朝

翌日。

タケル:


 高層ビルの上階に位置する窓からの見晴らしは、他を圧倒してそこにのし上がろうとする者にとっては自己満足を満たすには程良い高さなのだろうか。それともまだこの高さでも足りないのだろうか。


 我がまま姫の気持ちが治まるのを待って一日休みを取った翌日、週の半ばの水曜日。

 高いビルの最上階のボタンを押して上へと上る力を感じながら、エレベーターの端に背中をつけた。地上から離れるにつれて、心が冷たく冷えていくのを感じていた。


「先日、染嶋のお嬢さんが学校を飛び出したそうじゃないか。お前がきちんと見てやらないでどうするんだ。アレの相手が出来るのはお前だけなのだと、あちらから懇願されているうちが好機なのだと何度言ったら分かるんだ」

 子供の面倒を見るのは親の役目じゃないのかよ。そう思わないではなかったが、長年の歪な関係はそう簡単には修復できないほどにねじれきっている。

 子供が子供の面倒を見るのを当たり前というこのおっさんもどうかしている。その事実にすら、人を顎で使ってきた人間では気づくことすらできないのだろう。

 だって、この人が目指すのはいつだって高みにあるものだけなのだから。


「おい、聞いているのか」

「聞いていますよ。一日休みを頂いて付き添いましたが、もう安定しています。今日はきちんと登校させました。滅多なことがない限り、しばらくは大人しくしているでしょうよ」

 伝えると、満足げに頷く。そのままお前はうまく取り入っておくんだ、とでも言いたげだ。言葉にされなくても分かる。あぁ、反吐が出そうだ。

「もういいですか。授業の一限目をすっぽかしてここに来ているんです。あなただって、子供が学園で教師に目をつけられるのはさすがに控えたいでしょう」

 返事を待たずに後ろに下がった。

 これ以上一緒にいるとあれこれと文句を言いたくなる。こいつに期待することなんて何も無い。

 扉を閉める間際、「まったく、年々反抗的になっていく。誰に似たんだか」という呟きが聞こえてきた。――自分のことを差し置いてよく言うものだ。

「あんたに、だよ」

 扉の閉まる音に紛れて、唾棄するように吐いた。


 朝からいらない時間をとってしまった。

 だが行かないで報告を怠れば、必要な援助を打ち切られる可能性があるのだ。

高層ビルの上階の主はそういったことへの対応だけは早いので手を抜けない。学園に通えなくなるのは困る。――将来のためというよりは現在のために。

 自分に時間が満ちていくのを感じるのは、あの壊れたお姫様と遊んでいる間だけだ。彼女の突飛な行動は逐一把握が難しく扱いづらいものがあるのだが、その予測の付かなさが逆に心を浮き立たせる。

 昨日もらった休みの一日で自分たちが何をしてきたのかなど、あちらの親もこちらの親も感知はしていないだろう。そもそも感知する気もないだろうが。彼等が望むのは、子供たちが親の言うことを聞いて大人しくしていることだけだ。

「本当にやることがえげつなくて面白いよな、うちのお姫様は」

 空の下、昨日の記憶を思い起こしてにやりと笑った。



 ※ ※ ※



姫乃:


 今日は少し体が軽い。

 肺に入ってくる空気も、先日とは違ってやわらかく感じる。

 昨日はタケルと出かけた。いつもより遠出をしたが、疲れはまったく感じなかった。あんな田舎、両親とも行ったことがない。

 長距離を歩きなれない体も、目的のためならと前に進めることができた。

 

 手の平をじっと見る。

 昨日、ずっと繋いでいた手の固さを思い出す。

 タケルはいつも文句を言うけれど、最後は絶対に言うことを聞いてくれる。これまでもたくさんのお願いをしてきたが、そのどれもに忠実に従ってくれた。

 タケルが遊んでくれると少しだけ生きていることが楽しい。――タケルだけは私の手を絶対に離さない。

 握りこむ指は空をかいて柔らかい手の平に落ち着く。その柔らかさが、いつか握った手と重なった。


『どうせいつかはみんな骨になるんだ……』

 タケルの母親の葬儀後、火葬場での言葉だった。

 記憶に残るのは真っ黒な小学校の制服、風にひるがえる黒いスカート、夏の日差しにたちこめる陽炎、セミの声――。

 人は最後には死んでしまうのだ。何も残りはしないのに、生きることの意味が分からない。何もかもどうでもよく感じる。

 この世を呪う言葉の羅列は続き、葬儀に来ない父親を罵り、酷い父親を信じていた母親を罵る言葉へ、そして金のために父親に取り入ろうと無駄な努力をした自分を罵る言葉へと変わっていった。

『オレ以外全部めちゃくちゃにつぶれたらいいのに』

 全部めちゃくちゃにと言いつつ、繋いだ手を離さない幼さに文句は言わず握り返すに留めておいた。

 幼いわりに力は強かった。今だったらすぐに「痛いわね、離しなさいよ」と手を振り払うことだろう。

『生きることの意味なんて考えるだけ時間の無駄よ。意味なんてない。それが答えよ。そんなこと誰だって分かっていることでしょ』

 ふっと笑ったのは、隣に並ぶ子供をバカだと思ったからだ。――私と同じ、バカな子供。

 そう思うと心が満ち足りていった。こちらへと向けられるギラギラとした光る目は生意気だと思ったが、けれど不思議と不快さは感じなかった。

『ねえ、暇なら私の遊びに付き合いなさいよ。どうせこれからすることだって何も思いつかないんでしょ』

 図星を突かれたように唇を噛むのは、その当時、彼がまだ思ったことをそのまま顔に出してしまうほどに幼かったのだと今なら分かる。今はどう性格がねじまがったのか、飄々として掴みどころがなくなっている。

『この世界は楽しんだ者勝ちなのよ。生きることがつまらないなら、骨になって消えてしまう前に私と遊びなさい。無意味に生きるよりはマシな気分になれるかもしれないわよ』

『それってあんたの妄想ごっこに付き合えってこと?』

 ようやくひねり出したものは皮肉にも取れないような言葉。

『そうよ。でも人の言葉を簡単に妄想と切り捨てるのはどうかと思うわよ。――そうね、まずは彼らを探し出すのはどう? 彼らが存在することが分かればただの妄想じゃないって分かるでしょ』


 差し出した手を取ったのはタケルの意思。

 だからタケルは絶対に私の手を離すことができない。そうしないと生きることの意味というつまらないことを考えてしまうからだ。


 胸に吹く風の正体をこの身はまだ知らない。知る必要もない。

 ただ、今は――その成長して固くなった手に無情なお願いをし続けるだけ。

 遊びの時間はまだ残っている。

 仕掛けた種がどう芽吹くのか注意深く観察する必要がある。

「まだまだ遊びは終わらないからね、タケル」

 ふふっと笑うと、つられたように長い黒髪が跳ねるように揺れた。





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