5・冬吾先輩と私
カメラ小僧と対面。
入学式の日、お兄ちゃんが可愛い桜の精との出会いを果たしたとき、わたしはその様子を離れたところから観察していた。
そのとき声を掛けてきたのが土屋 冬吾先輩だった。
「おい、そこの新入生。ちょっとそこどいてくんない?」
質の良い一眼レフを構えて、彼はそう言った。
私が立っていたのはこの学園でも大きな方に入る桜の木の下だったので、それを撮ろうと思った彼には私の存在が邪魔だったらしい。
「すみません、土屋先輩。今避けます」
私は彼の名前を呼んだ。「土屋 冬吾」の名前は中等部でも有名だった。同級生の女の子たちの間でよく話題に上る人でもあったので、特に恋愛ごとに興味のない私でも彼のことは知っていたのだ。
「なに? オレの名前を知ってるって、きみ、オレのファン?」
その形の良い唇を笑みに変えて近寄ってくる。
「いえ、私ではなく私の友達がですが。名前だけは知ってます」
(よくない噂もな)
彼の女好きは、これまた中等部でも有名な話だった。来る者拒まずだが、付き合っても一週間と続かないという遊び人。
私の友達は「遊びでもいいから付き合ってほしー!」と叫んでいた。
(それって、要は遊ばれたいってことだからね)
私は友達が被害にあうのは可哀想なので、「ああいうのは遠くで眺めるから良いんだよ」と助言をしておいた。その返しは「那智はあんな格好良いお兄ちゃんが四六時中傍にいるから分かんないんだよ」だったけど。
(分かってないよね。顔の綺麗なのは遠くで眺めるからこそ、見ごたえがあるんだよ。毎日見てるとお腹いっぱいになるんだから)
そんなことを思っているうちに、段々と土屋先輩との距離が短くなってくる。
「ん? よく見たら、桂木 恭平の妹じゃん」
向こうもこちらのことを知っていたらしい。
「土屋先輩こそ、私のことを知ってるって、私のファンですか?」
先ほどの意趣返しとしてそう言った。
「違うけど。桂木妹のブラコンは高等部でも有名だからね。でも、思ってたのと印象が違うな」
「どういう印象ですか」
(まあ、ロクでもない印象だろうな。お兄ちゃんの取り巻きを撃退するときは、兄バカの頭のゆるい妹を前面に押し出してるから)
「うーん、もっとロリっぽくてほわほわしてる感じ?」
(なんだそれは。オブラートに包んでるつもりか? 要はおバカってことじゃん)
「思ったより真面目な印象」
当たり前だ。兄の前ではお兄ちゃん大好きなブラコンを演じてるけど、所詮は(仮)が付く。必要時以外は私は常識的な行動をとっているんだから。
(ってか、近寄ってくんな)
さっきからジリジリと近寄ってくるこの人は何なんだ。
このときの私は知り合ったばかりの年上の先輩に向かって直接強く言う事ができなかった。(今では、はっきりと「近寄らないでください」って言えるけどね)
変わりに彼の興味を逸らすためにも何かないか、と頭をフル回転させる。
「つ、土屋先輩は写真を撮るのが好きなんですよね。被写体は自然物ばかりって本当なんですか?」
そう言ったとたん動きが止まったのは良かったが、私の発した言葉は彼にはお気に召さないものだったらしい。
「なんだよ。きみもオレに『人』を撮れって言うの?」
構えていたカメラを下ろして呆れたように髪を掻きあげる。
誰に言われたのか知らないけど、同じようなことを言われたことがあるらしい。「またか」という態度に、それを言われたのはつい最近の出来事なのだと推察できた。
「いえ、そうじゃなくて。人工物を撮ったりはしないのかなって……。例えば、建物とか、街とか」
「オレ、人工物は嫌い。無機質で面白くないし。自然な物の方が表情が変わって面白いと思う。人工物って作られたものだから、どっちかっていうと自然なままそこにあるものの方が良いんだよね」
これもまた女の子たちの噂話で聞きかじったことだが、彼が被写体とするのはその外見に似つかわしくない自然の風景ばかりなのだそうだ。
彼女に「私を撮ってよ」と言われても、「オレは人は撮らないから」と断るのだそうだ。
そんな部分が彼のファンからは「そこだけがストイックなんて素敵! そのギャップにやられちゃう!」(by.友人談)と好まれる部分なんだとか。呆れた目で見てたら、「自分の世界観を持ってるってのが格好良いんだよ」とご丁寧にも教えてくれた。
(世界観ねぇ。それって単なる嗜好の問題じゃないかな。人を撮るのが好きか、自然の風景を撮るのが好きか)
話題に出しておいてなんだが、私は彼が何を被写体に撮ろうがどうでもいいのだ。
(でも、人工物は嫌い、か)
私は視線をお兄ちゃんの方に向けた。そこには桜の精に花を付けてあげるお兄ちゃんの姿があった。
お兄ちゃんの笑顔は作り物で偽物だ。それでも、それはお兄ちゃんが作ったものだ。お兄ちゃんが長年をかけて他人と折り合いをつけるために作り上げた人工物。
そんな人工物でも、私は嫌いではなかった。
(うすら寒いときが大半なんだけど、結局お兄ちゃんの笑顔って綺麗なんだよね)
私がお兄ちゃんの本当の笑顔を見ることはないだろうけど、もしそれを見たら、それこそそっちの方が私にとっては偽物になるのだろう。
「私は……」
今、目の前にいる彼女はお兄ちゃんの救いになるだろうか。
「人工物も好きですけどね。無機質に見えて人の体温がそこにはあるから」
カシャッ
カメラのシャッター音が鳴り、振り向くと、土屋先輩が私の方にカメラを構えてファインダーを覗いていた。
「な、なに撮ってるんですかっ!? 肖像権の侵害です! 撮るなら何かよこして下さい!」
ぷりぷりと怒って手を差し出すと、その手を取られてそのまま引き寄せられた。
頬に柔らかい何かが当たる。
チュッ
詳しくないので何か分からなかったけど、香水の良い香りが鼻先を掠めて去って行った。
「じゃあ、これでチャラってことで」
ぱっと手を離された体はへなへなと冷たい地面に座り込み、頬だけが熱を伴って赤くなっていくのが分かった。
「い、いいい今の」
「うん、今のが報酬ってことで勘弁してよ。手持ちがなくってさ、ごめんね」
そう言うと、彼はチュッと投げキッスを放って去ってしまった。
去り際に
「オレのことは『土屋先輩』じゃなくて『冬吾先輩』って呼んで。みんなオレのことは下の名前で呼ぶから。じゃあね、人工物」
という台詞を吐いていたが、怒りにふつふつと頭を揺さぶられていた私の耳には入ってきていなかった。
「な、何が報酬だ! 待てや、この変態がぁっ!」
追いかけてその背中をど付きたかったけど、腰の抜けた私はしばらくその場を動くことができなくて、地面をドンドンと叩くしかなかった。
※ ※ ※
今思い返しても腹が立つ。
(やっぱ、無理をしてでもあのとき殴っておけばよかった)
私の初頬チューを奪った相手が、こんな軽いノリの人だなんて許しがたい。初チューはもちろん、初頬チューだって、乙女な年頃の私には妄想、いや夢があったのにそれをぶち壊したことは未だにムカついている。
この女好きは、あれ以来ちょくちょく私の視界に入ってきて鬱陶しい。
彼は愛梨ちゃんを気に入っているようで、彼女を「被写体」と呼んではよく中庭なんかで写真を撮っている。密かに「ついに土屋 冬吾に本命が!?」と囁かれてもいるようだ。
(そう簡単にくっつけさせてたまるか。愛梨ちゃんはお兄ちゃんの彼女候補なんだから)
お兄ちゃんの彼女候補とそうそう甘い雰囲気にさせてやるつもりはないから邪魔をしに行くため、嫌でも視界に入れざるをえないのだ。
二人が一緒にいるときは大抵長休みのときだから、邪魔をするときは友達を誘って外でボール投げをしたりバトミントンをしたりして、わざと二人の方向に飛ばす。
わざとらしく「ごめんなさーい」とか言いながら、二人に近づいてバシバシ殺気を放っていたら、
「ははっ。可愛い外見のわりに目つきが悪いな、人工物は」
とこいつは笑いながらカメラを構えてくるのだ。
(人は撮らないって、アレはデマか?)
「目つきは悪くても、那智は可愛いから良いんですよ」
どさくさにまぎれて「写真はもういいよね。愛梨ちゃん、冬吾先輩なんかと一緒にいないで那智と遊ぼうよ!」と愛梨ちゃんの腕を引くと、
カシャカシャッ
またシャッター音が鳴らされる。
「撮るな変態っ!」
私がこのチャラい先輩に言う捨て台詞はこの言葉が多い気がする。彼に関してはこれが日常化していっているので更に私をムカつかせる要員となっている。
(ヤダ。こんな日常。那智はお兄ちゃんのことで頭が一杯(恋愛的な意味じゃないよ)なのに……)
大抵、この人に会うときは愛梨ちゃんを交えてなので、こうして二人きりで会うことはない。
(愛梨ちゃんがいないんだから、話しかけてくるなよ)
「近づかないでください」
そう言って身を固くして顔をガードする私の頭をポンと一つ叩いて「冗談だよ」と良い香水の香りが通り過ぎた。
「リボン、取るんだろ?」
冬吾先輩はスルスルと木に絡まったリボンを取って私に渡してくれた。
こういった、お兄ちゃんとはまた違ったスマートさが女の子に人気の理由なのだろう。
私は受け取ったリボンを髪に結んだ。鏡もなく、どちらかというと不器用な部類に入る私が結ぶと、その仕上がりもお兄ちゃんのものよりずっと悪い。
へにゃっと垂れ下がったリボンが完成したが、無いよりはマシだ。
(これは後で友達に直してもらおう)
「ありがとうございます。冬吾先輩」
ペコっと頭を下げると、形の悪いリボンが頬の横でへにゃっと揺れた。
「ぷふっ。グチャグチャ」
口元に手をやって吹き出されたので、「いいんです! 後できちんと直しますから」とむくれる私に、冬吾先輩はスルリとリボンを解いて綺麗に結び直してくれた。
結ぶときに屈みこんできた顔が近すぎる気がしたけど、してもらっている身なのでジッと大人しくしていた。
結ぶときの真剣な顔はらしくないな、と思った。
「はい、できた。……で」
「で?」
ニヤニヤと笑ってくる冬吾先輩に首をかしげる。
「お礼はほっぺにチューでいいから」
ツンツンと自分の頬を突く冬吾先輩に、
「な、誰がしますかっ!」
ぐいっと頬を引っ張ってやった。
「イテテテテッ。悪かったって。人工物はこういうとこは初心なんだよね」
「初心言うなっ!」
ギュッ
「イテテッ」
私は知らなかった。
そんな私たちの様子を見て、なにかしらの思いを浮かべる二人がいたことに。
一人は不機嫌そうなお兄ちゃんの姿、そしてもう一人は……
「へぇ、あんなイベントも起こっちゃうんだ。さすがリアル。情報にないことも色々と起こるんだ……。これはうかうかしていられないな」
桜色の唇の口角を面白そうに上げる愛梨ちゃんの姿だった。
※ ※ ※
教室へ戻ると、愛梨ちゃんと彼女を間に挟んだ双子、そしてちらほらと登校し始めたクラスメイトの姿があった。
「おかえり、ナッチー」
「リボンあった?」
「はい、このとおり」
さっき冬吾先輩に綺麗に結び直してもらったリボンを見せる。
「「よかったねー」」
二人はそう言うと、愛梨ちゃんにもらったらしいパウンドケーキをもぐもぐと口に放り込んだ。
(朝からよく食べるなぁ。海道家はエンゲル係数高そうだ)
「那智、あんたサイコーっ!」
テンション高く飛び掛って来たのは、昨日約束を破ってしまった友人の一人、田辺 晴子(通称ハルちゃん)だった。
手に携帯を持ってキャッキャはしゃいでいるので、今朝送ったお兄ちゃんの写メはお気に召していただけたようだ。
「うふふー。こんな良いモノもらえるなら、もっと約束破ってオッケーだから!」
(いやいや、そう何度も約束は破らないよ)
他にも数人、同じように喜ぶ友人をいなしながら(はいはい、どーどー。みんな興奮しすぎだから)朝のHRを迎えた。
「「はーい、みんな注目ー!」」
パン パン
手を叩いてみんなの視線を自分達にむけさせる双子。静かにしながらも、みんな何が起こるのかそわそわとしている。私も今度はどんな面白いことがあるのだろう、と内心わくわくしながら二人に注目した。
「今度のゴールデンウィークの前日に行われるイベントが決定したよ」
「知ってる人もいるかもだけど、毎年、新入生歓迎会を兼ねて二・三年生主体で行われるイベントだよ」
「去年は大騎馬戦大会だったけど」
「今年は学園側の許可も降りたので」
「「学校全体を使った肝試し大会を執り行いまーす」」
その発表にクラス中から
「えー、うそー」
「きゃー、楽しみ」
等の声が上がる。
この学園は生徒間の交流を大切にしていて、毎年ゴールデンウィーク前日に新入生歓迎会の時間を設けているのだ。
去年は大騎馬戦大会で、学校中の生徒が入り乱れる乱戦となったそうだ。優勝したクラスは食券三か月分。高校生の私たちにとっては大変貴重なその優勝商品を巡って、すさまじい攻防が交わされたらしい。
因みに、優勝したのはお兄ちゃんのクラスだったとか。
(うえー、今年は肝試しかぁ)
さっき双子が言いかけたのはこのことだったらしい。二人にとっては「今年は楽しいドキドキイベントだよ」というつもりで教えてくれようとしたのかもしれないが、私にとっては拷問だ。
かくいう私は暗闇コワイ、幽霊コワイの人間なのだ。
どうしても生理的に受け付けない。テレビ番組で心霊特集なんてしている日には、少しでも目に入れたくないためテレビをつけないほど、と言えばわかるだろうか。
(イヤだなぁ)
サーっと血の気がひいていくのが分かる。
「ボクたちもお化け役で参加するからね」
「怖いからって、殴っちゃイヤだよ?」
いや、多分「コワイー」と言いながらも逆に飛びつかれそうだ、この二人は。
(私は殴っちゃうかも)
以前、ハルちゃん含め数人の友達と遊園地のお化け屋敷に入った時、あまりの怖さにお化け役の人を殴った前歴のある私だ。双子相手でも、そうしそうな気がする。
(そんなことより、どうしよう。当日、熱が出たって仮病使うかな。いや、それをするとお兄ちゃんが看病するとか言い出しかねないし……)
このイベントには学級委員長でもあるお兄ちゃんは絶対参加だ。
私が「熱がある」と言ったら、家族に対しても外面の良いお兄ちゃんのことだ。絶対に「那智を置いて行けないよ」とか言い出すに決まっている。
(参加するしかないのかな……)
喜ぶみんなとは裏腹に、私は頭を抱えて項垂れた。
冬吾先輩とのイベントでした。
そして肝試しイベントは間近に。
これまた、王道かと。