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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
きみの写真編
44/63

39・それは不純で

今回は同じような始まりで2パターン。

「不純異性交流って……」

 不順異性交遊の間違いでは?……なんて思う間もなく、引き寄せられて後ろに傾いた体を支えたのは、その最先端を行くような人だった。

 甘い香水の匂いは今日も芳しい。


「あっやしーい。絶対あやしい! 俺も混ぜてー」


 言葉軽く楽しげな様子でふざけたことを言ってくる声は、二週間前の日曜日に一緒に出かけるはめになってしまった人だった。

(あれから校内で会うたびに「あの時のデート楽しかったね」とか「またデートしようね」とか言ってくるけど、無視だ無視。あれはデートなんかじゃない。っと今はそれどころじゃなかった)

「嫌です! というかそもそもあやしくありませんから!」

 ぐいと近い体を押して「ね、委員長」と言うと、帰ってきたのは歯切れの悪い「ああ」という返事だった。

 委員長の表情はいつもどおりな感じがしたけど、声の出し方がなんとなく元気がないように思えた。


「どうしたの。風邪でもひいた?」

 

 体調が悪いのかと思って手を伸ばそうとすると、それを阻まれて冬吾先輩に指先に音を立ててキスされた。

(うわっ。トリハダ! トリハダ!!)

 引き抜いて服に擦り付ける。

 だからなんでこの人は軽々しくこんなことができるんだろうか。ラテン系の血でも流れているんじゃなかろうか。ごしごし。


「違うよね。むしろ助かったって思ってるよね。そんでもってちょっと機嫌が悪いんだよね」


 背後で冬吾先輩がくすりと笑うのが聞えた。

 それはまるで私をからかってくるときのようで、私以外にもからかう対象がいたのかと驚くと同時にからかわれる対象になってしまった委員長に対して同情を感じた。


 委員長が眉をさらに不機嫌そうに寄せて「阿呆らしい」と呟く。

「あ、ごめっ」

 反射的に謝ろうとした(私が悪いわけではなかったけど)言葉は最後まで聞いてもらえず、委員長はこの場から去っていった。冬吾先輩の言った「機嫌が悪い」というのは正しいらしく、その背中はむすっとした空気を漂わせていた。

(うっわぁ……あれは絶対怒ってるって。もー、なんで冬吾先輩は人を怒らせるのが得意なんだろう。そんな才能あったって無駄だってば)

 じと目で見るも、冬吾先輩は楽しそうに口元をにまにまとさせているだけだった。

(わざとだ。この人分かっててわざと怒らせたんだ。たちが悪い)

「先輩……なんで怒らせるんですか」

「違うよ。俺はちょっとつついただけ」

 こんなふうにね、と頬をつつかれたので「ていっ」と払い落とす。

「先輩はそうそう会うこともないだろうからいいでしょうけど、私は後で教室で会うんだから怒らせないでくださいよ」

 迷惑な人だ、という感じで言うと、冬吾先輩は分かったようにうんうんと頷いた。

「そうだよね。一緒のクラスってのも困りものだよね。彼も大変だ」

「なんで委員長のほうなんですか」

 そう聞くと「なんでだろうねぇ」とにやにや顔で言われたので、もういいやとそこで会話を終わらせることにして身をよじって冬吾先輩の傍から離れた。

「もういいです」

(この人相手に怒っても暖簾に腕押しな気がしてきた。疲れる)

 歩いていこうとすると、後ろから声がかかった。


「今日は髪括ってないんだね。おろしてるのもかわいーよ」


 女の子を褒めるのは冬吾先輩の口癖で挨拶みたいなものだ。言われた言葉は心がこもっていないものだった。

 先輩の言葉は大概本心が含まれていない。本心と呼べるような言葉はたまにしか出てこない。

 あの日曜日の帰りに、私を慰めてくれた冬吾先輩の言葉は優しかった。

 話を聞いてくれて、心を少しだけ軽くしてもらって、あの瞬間の私は確かに冬吾先輩のことが嫌いではなかった。

 でもあの日のことは「デート」というからかいの文字に置き換わって、わずかだけ垣間見えたお互いの本心は無かったことにされていた。

 あのとき、私たちは通常なら踏み込まない相手の領域に触れてしまった。

 それはどちらも予期していなかったことで、まさかたまたま一緒にいた相手に見られたくない部分を見せることになろうとはお互いに思いもしていなかったに違いない。

 実は次の日に冬吾先輩に会うのが怖かった。どんな顔をして会えばいいのか分からなかったからだ。

 でも先輩は普通の顔をして私をからかってくるものだから、私のほうも何もなかったかのように振舞っていた。

 次の日にはいつものようなからかう口調に戻っていたことに安心していたのは私だけなのだろうか。

 多分違う。

 私への配慮というより、冬吾先輩の態度はあのとき見てしまった写真のことをわざと避けているように感じられた。


 私の背後で冬吾先輩がひらひらと手を振る。これで本日の戯れは終了。そう言っているような表情だった。

 冬吾先輩が本心を見せることってあるのだろうか。ふとそんなことを考える。

 どんなときも笑ってするりとかわされて、実体に触れられない感覚……

(あ、この感じ……お兄ちゃんと似てる)

 ふいに浮かんだことだが、お兄ちゃんに感じるあの触れられない感覚に今の冬吾先輩は似ている気がした。

(お兄ちゃんは笑顔を武器にして、冬吾先輩は軽い態度を盾にして……)

 表面上は異なるけれど、二人が見せないようにしている本質の部分がとても似ているような気がした。

 お兄ちゃんは鉄壁の笑顔で相手を威嚇して自分に触れさせず、冬吾先輩は軽い態度で寄ってくる相手を翻弄する。

 どちらも自分を守るため。誰も立ち入ってくるなと言っているのだ。

 それを先日、私は踏み込みかけた。

 あれ以来、写真のことは何も言われていない。触れたくない、そして触れられたくない部分があの写真にはあったのだろう。


「写真、返して欲しくなったらいつでも言ってください。返してくれって言われるまで、持ってますから。できれば早めに言ってくれると助かります。いつまでもしまっているとカビが生えそうなんで」


(あれが先輩の守りたい領域……)


 だから、ぎりぎり深みまでは踏み込まない。

 あの写真を嫌う原因を知ろうとは思わない。

 でも、いつか返して欲しいと言ってきてくれたらいいのに、と私は思った。

 それが何をきっかけにしてそうなるかは分からないけど、いつか「返してくれ」と言ってきてもらえたら、少しは冬吾先輩のことが嫌いじゃなくなるかもしれない。

 理由はないけど、そう思った。


「いつか言うよ。そんな日が来ればね」


 先輩は少しだけ眉根を下げて笑った。


 ※ ※ ※


「あー、不純異性交流はっけーん!」


 同じ時間帯、別の場所で那智にかけられたものと同じような言葉があがっていた。

 声をかけられたのは自分ともう一人。国語教師の木村だった。

 木村が放課後に国語科準備室で資料整理の手伝いを願い出て、それを「放課後は用事があるので」と困り顔で断っていたところだった。

 態度の不自然さに怪訝そうに木村が頭に手を添えたときにその明るい声はかけられた。


「意味不明なことを言うな。しかもそれ、不純異性交流じゃなくて不純異性交遊だからな。俺の目の前で間違った日本語を使うな。ついでに不純じゃないから。変な誤解を招くようなことを叫ばない」

「そうですよ、星太先輩。先生に手伝いを頼まれたんだけど、用事があるからって断ってたところなんです」

 そう言って木村に対して「ごめんなさい」と頭を下げる。

「いや、用事があるんなら仕方ないって。また時間が空いたときに手伝ってくれたら助かる。でも、本当に体調が悪いんじゃないか? 顔色が悪い」

 伸ばした手に一瞬だけびくりと肩を揺らしたところで、星太が間に入ってきて背中に隠れる形となった。間に入ってきて壁になってくれている星太の存在にほっとしている自分がいた。


「そーやってすぐ女の子に触ろうとするのはセクハラだよ。いやーん、先生のエッチー!」


 木村はくねくねと体をくねらせる星太にため息をついて、

「だから人聞きの悪いことを言うな!」

 とその額に軽くデコピンを放った。星太が「もぉ、暴力はんたーい」と痛くもないだろう額を押さえる。

「水野、体調が悪いんなら早めに保健室に行っておけよ」

 言い置いて歩き去っていくその背中は「やれやれ」と言っているようだった。

 見送った背中に安堵の息を吐く。その自分の態度に彼と対峙した緊張で息が詰まっていたんだと気がついて、今度は罪悪感で息を吐いた。


「おはよ、愛梨ちゃん」


 吐いた息にも気がついていないような明るい声がかかる。彼らしい普段どおりの明るい声だった。

 遅ればせながらの朝の挨拶にとまどいながらも「おはようございます」と笑顔で返す。

「ふふっ、貞操の危機だったね。愛梨ちゃんの騎士ナイトただ今参上!」

 なんちゃって、と笑う星太に反射で「あれはっ」と声をあげてしまう。声をあげたものの、自分に待ったをかけたのは、何を弁解しようとしているのかと思ったからだ。

 何故動揺しているのか、と自分自身に投げかける。

 さっきのはただの教師と生徒の会話で、何も弁解するようなことはない。今の「貞操の危機」という言葉だって、星太なりのおふざけの言葉に過ぎないのだ。

 そう納得させるも、もやもやとしたおもりが胸に圧し掛かってくるだけで気持ちははれなかった。


「うん、分かってる。愛梨ちゃんは木村先生のことが好きなんだよね」


 なんでもないことのようにさらりと言われた言葉に口元を押さえた。はっと息をのむ頭を星太が撫でる。

「違います。そんなこと……」

 否定の言葉は小さく消えていく。それでも星太は構わないように頭をそっと撫で続けた。


 しばらくの沈黙の後、ぽつりと呟く。

「違います。好きじゃないです。私が先生のこと好きだなんて……あるわけないです」

 自分にとっては精一杯出した星太への返事だった。

 好きではないと口にするたび、胸がちくちくと痛むことは気にしてはならないことだった。

 この痛みは星太先輩に誤解されているための痛みなんだ、と自分に言い聞かせる。思うたびにどこかで「違う」と言う心のことについては無視を決めこんだ。


「先輩が何を勘違いしてるか知りませんけど、私は好きじゃないですから」


 どんなときでも相手の目を見てものを言ってきた自分が、今は相手の目を見ることができていないことなど気付いてもいなかった。気付かないくらいに、否定することに必死だった。

 首を振る様子を星太は優しげに見つめる。自分が出すどのような答えも見守るつもりであるかのようだった。


「そっか。ボクの勘違いか。じゃあこれも勘違い? アイリちゃんはキョンキョン先輩と付き合っている」


 目を見開いて顔をあげた。今度こそ言葉に詰まってしまう。

 二週間前から何かとあると恭平と一緒にいた。放課後は一緒に帰ったし、それ以外でも昼食時や授業の合間の休憩時間に都合がつけば一緒に過ごした。

 クラスの中でもそれとなく聞いてくる人もいたくらいだ。星太がそれに気がつかないわけがない。

 最近は攻略云々など頭になく、ただ恭平の心を救うためだけに動いていた。

 応援すると言った岩田の部活のこともあまり介入できておらず放置したままだし、冬吾の写真の被写体になることもこのごろはすっかり間遠になっている。

 海道兄弟のことも、教室や廊下で会えば話をしていたが、積極的に会いに行くことはしていなかった。

 女神との約束がおろそかになっていることは自覚していた。ついこの間しっかりするんだと決意した心もすっかり萎えてしまっている。

 なによりも大切だったはずの彼等の攻略は、恭平に降りかかった異変にすっかり頭の隅に追いやられていた。

 すべてをなおざりにして過ごしてきたこの二週間は、日々意気消沈していく恭平に対して傍にいることしかできない自分に無力感を感じる日々だった。


(私、本当にダメだ……)


 だから木村にも顔色が悪いと指摘されるし、星太にも簡単に見抜かれて、こうして突っ込まれている。

(なんて無力なんだろう)

「付き合ってはないです」

「そう。けど好きでもない、でしょ?」

 確信しているように星太が尋ねる。それに対しては正直にこくんと首を縦に振る。

(そう違う。好きじゃない。でも……)

「でも、大切な人なんです。傍にいたいんです」

 どのような誤解をされても、今は恭平の傍にいるしかなかった。それしか自分にはできないのだと、選んだ答えを変えるつもりはなかった。

「私にはそれしかできないから……」

 言う言葉に自分が押しつぶされていくような感覚がした。呼吸が重いと肺が訴えかけてくる。

 目の前にいる星太はそれでも軽蔑したような顔はせず、優しく微笑んでいた。

(どうして? どうして星太先輩はこんなに優しく笑っていることができるんだろう)

 これまでの海道 星太なら、他の人に心を傾けることを許すことはしなかっただろう。晃太と一緒になって、一番に自分たちのことを考えるように仕向けるはずだ。それが彼等の孤独ゆえの行動パターンのはずなのだ。

 それが分かっていて、それでも言わずにはいられなかった言葉を星太は許容するようにただ微笑んでいた。

(なんで星太先輩は責めてこないんだろう)

 星太の微笑はこれまで見たことのないようなものだった。いつもの無邪気な笑い方ではなく、大人びた表情の混じった微笑み。それは誰が作ったものなのだろうか。ふと、那智の顔が浮かんだ。

 

「それこそ不純、だよ」


 星太はそう言って愛梨の鼻をちょんと突いた。

「好きでもないのに、大切な人だって言って男の子の傍にいるなんて。でもボクは、そんなアイリちゃんが好きなんだ。だからアイリちゃんの意思を尊重する。アイリちゃんがそうしなきゃと思うんなら、今はそうしなきゃいけないんだ」

 他の人の傍にいるのだと答えたはずなのに、星太はそれでいいんだと両手で愛梨の手を握り込んだ。

「アイリちゃんのしたいこと、ボクは応援するよ。でも、ため息を吐いちゃうくらい頑張ってるアイリちゃんをボクは心配する。だから、何か相談したいこととかあったら何でも言って。聞く耳くらいは持ち合わせているつもりだから」

 言ってぽんぽと手を叩いてくるその仕草に、愛梨は思った。


(あぁ、もう星太先輩は大丈夫なんだ)


 頭に書き込まれたどの星太よりも彼は心が安定している顔をしていた。

 何も力になれなかった自分。とても女神との約束を遂行できているとは言えない状況だ。

 それでも何かに吹っ切れたように笑う星太は、現在困難な状況下において細やかな幸福感をもたらした。


「星太先輩は今、幸せですか?」


 今のやり取りでどうしてこのような質問が口をついたのだろうか。でも聞きたいと思った。

 聞かれた星太は初めは驚いた様子を見せていたが、うーんと首を捻った後、こう答えた。


「苦しいこともたくさんあるけど、幸せだと思うよ」


 それは予想していた通りの解答であったが、少しだけ胸が締め付けられるような解答だった。

 今自分がそれを聞かれたとしても澱みなくそう答えられる自信はない。そう答えられる星太を羨ましいと感じた。

 良かったという思いと、少しだけよぎる寂しさに、滲む涙をこっそりと拭き取った。


 ※ ※ ※


 放課後、恭平のもとへと向かう前に滑り込んできた便箋。

 好感度を示す%表示が昨日と変わりない数値を並べる中、一人だけ%表示がされていない名前があった。

「なにこれ……」


『星太:clear』


 何がどうしてそのような表記になったのかが分からない。

 ただ、結果は女神だけが理解しているものなので、彼女がそう判断したのならばそうなのだろう。

 人の心は人が動かすものだと言って直接には介入してこない彼女は気まぐれで、今回の判断も何の気まぐれかと思って目を何度も擦ったが、表示は変わらず「clear」の文字を示していた。


「意味がわかんない」


 でもこれだけは言える。


「私は……何もしてないよ」


 歯がゆさを込めて紙をくしゃくしゃと握りつぶした。

 ゴミ箱に落ちていく紙にメッセージが浮かんでいたが、それには気付かず、自分を待つ人のもとへと歩いていった。


『そうでもないよ』


 それは間の悪い女神が残した励ましを込めたメッセージだった。




星太クリア。

愛梨は納得いかない様子。

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