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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
きみの写真編
43/63

38・糸は捩じれてほぐれない

 小さな頃から見守ってくれていた腕の中。この腕の中だけが今の私に許されたたった一つの居場所……。


『離さないで』


――ちゃんと捕まえていて。そうでないとどうしようもない我が侭を吐き出してしまいそうなの。


 苦しそうに笑って私を抱き寄せる腕の力に、それだけでどれほどこの人が私を求めてくれているかが分かる。


――ごめんなさい。離せなくてごめんなさい。私、諒ちゃんが私を離せない理由を知っている。知っていて利用して私のそばに閉じ込めてる。そんな私を諒ちゃんが少しだけ憎いと思っていることも知ってる。でも離せないの。


『認めろよ。そうしたら次に進める』

『違うっ。諒ちゃんの言うようなことは思ってない。私が今そばにいるのは諒ちゃんなの。私が選んだの!』


――言わないで。それだけは認めるわけにはいかないの。そうしたら諒ちゃんも楽になれるって分かってるけど、認めてしまったら私……。


 それでも否定しがたい深い奥底で声が鳴る。


――私なんかが……ってごめんなさい。


 抑えきれない感情に気付いてはいけない。気付いてしまったら、この立ち位置さえ失ってしまうから私は沈黙して震えていた。


『そうして閉じ込めて、そこから抜け出せなくなってもあいつのことが……?』


 答えを知っている私は、答えを知らないふりをしていつまでも首を横に振り続ける。

 

――絶対に縦に振ってはいけないの。そう、絶対に……。


 ※ ※ ※


 目を開けると朝の日差しに夢は曖昧に掻き消えてしまっていた。

 私は胸に感じる鈍い重さを握り込む手で押さえ込んだ。


 公園で愛梨ちゃんとお兄ちゃんの姿を見かけてから二週間が経っていた。

 私のほうから何かお祝いの言葉というものをかけることはしていない。私は見かけただけであって、お兄ちゃんのほうからは何も報告などはされていないためだ。

 報告されたら笑顔で「おめでとう」と言っただろう。何も話に出てこないのであえてこちらから話を振ることもないだろうから静観しておこうと思う。というのは建前で、本当に報告されたらどういう反応になるのかは自分でも分かっていなかった。


 そしてまた、そういう理由もあったけれど、お兄ちゃんがなんだか塞ぎ込んでいるみたいに感じていたのも話に出せない理由の一つだった。

 好きな人を手に入れたはずなのに、お兄ちゃんは嬉しいというよりも何かに不安を感じているように瞳を揺らしていた。

 特に家の電話が鳴ったときにはあからさまに肩を揺らして、私が出ようとすると即座に立ち上がって自分で受話器を取っていた。まるで電話の向こうに恐ろしい何かが待ち受けているかのように受話器を上げて、相手の声を聞いて安全を確認しているかのようだった。

 妹が無邪気にはやし立てるような雰囲気とはまるで言えない状況だった。


 今朝もどこか気分が落ち込んでいるようで、朝一で入れたコーヒーは殆ど量を減らしていない。

 朝の挨拶をしても「あぁ、うん」と歯切れの悪い返答だった。これで学園に行けば明るく人当たりの良い桂木 恭平に戻るのだから、外面の良さは筋金入りだ。

 でも最近の様子のおかしさを指摘したところできっとはぐらかされてしまうのだろう。


(私に出来ることは、普段どおりの妹でいることしかできないんだ……)


 それが長年をかけて組み上げたお兄ちゃんとの関係だ。私はそれが壊れてしまうのが怖い。長年の習慣というものはぬるま湯のようで抜け出しがたいものがあった。

 ずっとこの人の妹であり続けることが、私にとってとても自然な状態なのだ。お湯から出てしまえばすぐに身体は冷え切ってしまう。

 

「お兄ちゃん、今日は髪はいいや。おろして行きたい気分だから」


 おバカな那智は大好きなお兄ちゃんの変化にも気がつかないもの。

 新聞をめくる視線は集中力に欠けているように見えた。こんな状態の兄に妹の面倒を見させるほど私も鬼じゃない。

 あくまで自分の都合で我が侭を言って、手早くブローをかけて準備を整えると一足先に玄関に向かった。

「先に行ってるから。一限目から小テストなんだ」

 こんなことはこれが初めてじゃない。この二週の間で三度目だ。

(数えている私もなんだろうね)

 多分、これからはこういうことが普通になる。完全にお兄ちゃんからは離れて、生活のリズムが兄妹で変化して交わることが減っていく。

 それを寂しく感じるのは、きっと一人になるのが怖いんだ。思っていたよりも重症な自分を振り切るように頭をぶんと振って歩き出した。 


 一人で学園へ向かう道のりは、二人で歩くよりも長く感じた。




「おはよう。委員長」

 門をくぐって下駄箱へ行く途中で道着姿の委員長に出くわした。軽く汗をかいていて、朝稽古が終わったところなのだろうと思った。

 道着姿の委員長は普段の二割り増しで格好良く見える。濃い藍色の道着は着古されて色が落ち始めていたけれど、それが程よい風合いをかもし出していた。元が良い人は汗をかいていても恰好良いのだなと世の中の不公平さを感じた。


 委員長がしばし無言で私を眺める。

(……ん?)

 上から下へ視線が移動してまた上に戻ってくる。この反応の仕方には以前にも覚えがある。

(……ぅうん?)

 またですか、と私はため息を吐いた。

 こうマジマジと異性に見つめられたら恥ずかしさが湧いてくるだろうに、私を見てくる委員長は対象物を観察する眼差しで恥ずかしさというよりもなんとも言えない居心地の悪さを感じた。

 私の髪型がいつもと違ったため、記憶の中の桂木 那智と齟齬が生じているのだ。そんなに私の顔は覚えづらいんだろうかと逆に不安になる。


「物覚えが悪いにもほどがあると思うよ、委員長」


 流していたままだった髪を二つに分けて「ほら」と見せる。きっと委員長は事件の犯人を目撃したところで、「あれは男だった」という区別くらいしかつかないのだろう。


「あぁ、桂木 那智か。……すまん」


 委員長が謝罪の頭を下げたけれど、角度は浅くて後頭部までは見えなかった。

 一度背の高い人の後頭部にチョップを入れてみたい、というのは私のささやかな願望だったりする。もしそれを実行するなら、私が高い位置にいかなければならないだろう。お願いしたらやらせてくれないだろか。

 堅物な委員長にしてみたらどんな反応が返ってくるだろうか。ちょっと手がうずうずした。

「いいよ、べつに気にしてないし。それに今ので覚えたでしょ。また髪型が変わったら覚えてくれたらいいんだから」

 そう返すと委員長はまた無言で私の顔を見てきた。しまった。うずうずする手に気がつかれたかもしれない。


「お前は怒らないんだな」


 短い言葉に疑問が含まれる。どうして怒らないんだ、と聞いているみたいだった。

「なんで? 今のって怒るところ?」

 委員長の今の言葉だけでは何が言いたいのか分からない。委員長に対しては言葉を重ねてようやく一文になるんじゃないかと思う。会話には根気の強さが求められます、という注意書きでも付けておけばいいんじゃないだろうか。

 私は感情の起伏が大きいほうだ。でも顔の判別がつかないくらいじゃ怒ったりしない。なのでこの短いやり取りにどこに怒りポイントがあったのか教えてほしい、と反対に首を捻って尋ねてみた。


「普通は大抵怒る」

「怒るって、認識が付かないこと?」

「そう。特に女子は」

「……あぁ、はいはい。うん、そういうこと」


 いい加減、委員長とのやり取りにも慣れてきた私だ。これだけのやり取りで何が言いたいのかだいたい分かってしまった。(特殊能力として自己ピーアールに使えないかな。って無理か)

「中学のとき、部活で同じ背丈で同じような髪型の女子マネージャーが二人いて」

「ふんふん、それでよく間違えていたとか?」

 こくりと委員長が頷く。

「しかも間違いに気がつかないで何度も違う名前で呼んでたとか?」

 これにもこくり。

「間違えすぎて泣かれたことがあったりする?」

「それもある」

 またまたこくり。

「一度二人して泣かれた」

(うわぁ、見えてくるよ情景が。無表情な委員長の前でしくしくと涙する女子の姿が。傍から見てたらいたたまれないこと半端なかっただろうな)

 多分その子たちは委員長のことが好きだったんだろう。好きな人に名前を間違えられたら、それは泣いてしまう。私なら絶対泣く。


「でも男子は間違えないよね」

「女子はころころ髪型が変わるから」

「もしかしてその子たちが髪型を変えてきて、委員長ってば今みたいに首を傾げたりした?」

 委員長の目が少しだけ大きくなる。何で分かるんだという表情だった。

「そしてまた泣かれた?」

「女子の扱いは難しい」

 その憮然とした言い方に私はぷっと吹き出した。委員長は女子二人に泣かれたのが本当に困ったこととして記憶されているみたいだ。困惑して無言でおろおろとする委員長の顔が浮かんで笑いがこみ上げた。

 髪型で人を判別する委員長にころころ髪型の変わる女子の判別をしろというほうが無理な話だったみたいだ。その子たちもそれを分かっていたら泣かないですんだかもしれない。

 委員長にしてみれば深刻な悩みかもしれないけど、こちらにとってはとんだ笑い話だ。

「じゃあ、一つ一つ覚えていってよ。二つ括りは覚えているでしょ。あとポニーテールは見たか。それとおろしたままの状態ね。そんなにバリエーションは変えるつもりはないからこんなもんかな。また変えたら声をかけるよ」

 指折り数えていると「前向きだな」という言葉が降ってくる。


「これくらいで怒るも泣くもないよ。それに後ろを向いていると歩けなくなるから。私の場合はだけど」


 多分、好きな人ができたら髪型が変わったくらいじゃ判別が付かないなんてこともその子限定ではなくなるだろう。そうなればお悩み解決じゃないか。根本的な解決にはなっていないかもしれないけど。

 そう思ったら、とても良い案のように感じて委員長に提案してみた。

「要は興味を持てばいいんだよ。男子の顔が判別がつくのもきっと女子よりは興味を持って接しているからじゃないのかな。女好きになれとは言わないけど、もう少し興味を持ってみたらいいと思う。たとえば……」

 委員長のことだから選び放題に違いない。彼にきちんと名前を呼んでもらいたがっている女子はたくさんいると思う。

(クラスにお勧めできる女子はいたかな。ハルちゃんは彼氏持ちだし、愛梨ちゃんはダメだし、えーっと他には……)


「次は間違えない」


 私の思考を切るように委員長が前に踏み出してきた。腕を掴まれて顔を覗きこまれる。


「覚えるから、次間違えたら怒ってくれ」


 じっと記憶に叩き込むように、委員長が言葉を噛み締めながら言う。その様子がなんだか必死で、私は頷きながら観察されるがままに浅く息をした。

「怒られたり泣かれたりしたら困るんじゃないの」

「いい」

 沈黙が痛くて出した声にも返事は短く、逆に痛さを増した。委員長の鋭い視線が私を縫いとめて、今にも息が止まりそうに感じたとき――、


「はーい、ストップ。不純異性交流はんたーい!」


 額に手が置かれて後ろに引っ張られた。握られていた腕が離れて到着した先で甘い匂いがふわりと香った。

 




委員長ファイト!

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