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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
きみの写真編
42/63

37・絡み合う

今回、ちょっとごちゃごちゃしてます。

 とても綺麗な子。というのが第一印象だった。

「すみません」

 私に先んじて写真を拾い上げたのは、長い黒髪が印象的な女の子だった。落ちていく髪が流れる色はどこまでも黒くさらさらとしていて、触ったらとても気持ち良いのだろうなと感じた。

 日に当たってしまったらすぐに真っ赤になってしまいそうなほど透明感のある腕には白い日傘を差している。

 誰もが一目見て綺麗な子だと思うんだろうな。そんな感想を抱かせる女の子だった。


 でも、恐い。


 それが私が受けた第二印象だっった。

 ドクドクと胸が音を立てる。それはカエルがヘビを恐がるような、捕食者に見られてしまったという本能的な苦手意識。

 その子に対して私ははっきりと「恐い」と感じた。

「あ……の。ありがとう」

 恐怖を押し殺して声をかける。

「ん?」

 小首をかしげるのも、その綺麗な顔に似合いの動作で可愛らしい。

「えっと、その写真」

「ああ、これ」

 時間がとても遅く感じて、彼女の顔が疑問の表情から笑みに変わっていく様子がスローモーションのように流れていく。

 言われた彼女は口元をゆるめて優しく微笑んだ。

 

――彼女がこうやって笑うときはいつも嫌なことが起こるとき。


 そんな言葉が頭にふっと浮かんだ。初めて会った人だというのになんて失礼なことを考えているんだと思いながらも、それが正しいと誰かが囁く。

 この場から逃げ出したい衝動が私を包む。でも金縛りにあったみたいに彼女から視線を離すことができなかった。


「あなたの?」

 気位の高いネコが目を細めるように彼女が目を細める。笑いかけられているというのに、手が震える。同じ年の頃の女の子だというのに、圧迫感に胸がつぶれそうだ。

 恐い。けど写真は返してもらわないといけない。

「私の、というわけじゃないんだけど」

 私のほうから伸ばした震える指が写真をかすめようとしたとき、風が吹いた。

 びゅうと強い突風に写真が飛んでいく。

「待って」

 私は咄嗟に写真を追って走った。意識が写真に移れば簡単に金縛りは解けて、足はウソみたいに軽く動いた。

 ひらひらと舞って落ちていく先には池。濡れてしまえば写真が台無しになってしまうだろう。

 ただ素直に笑うあの写真の顔がぐしゃぐしゃになるところを想像すると、他人の物なのに体は勝手に動いていた。


 冬吾先輩があんな顔を見せるからだ。


 水音が鳴る。

 私は池に両足を膝下まで突っ込んで、それでもなんとか写真を濡らさずにキャッチすることに成功した。

 写真には一滴の水滴もついていない。私の足はびっちゃりしていたけど。


「何やってんの」

 あとから慌てた感じで冬吾先輩が走ってくる。

「そんな写真なんかに、女の子が濡れて喜ぶほどオレ鬼畜じゃないよ」

「ははっ。まぁ、そーなんですけどね……」

「早くあがっておいで」

 手を貸してもらい水からあがると、さっきまでそこにいた女の子は公園の入り口のほうへと去っていくところだった。

 日傘を持つ手とは反対の手を黒いシャツを着た男の人が引いていた。彼のほうは苛立ったように足を進めていて、女の子の方は早足でも足取りは軽ろやかに弾んでいた。

 その背中は笑っているようだった。


「わざと?……」


 さっき写真が飛んでいったとき、風が吹いたのは確かに偶然だった。でも彼女の動作に意識が引きつけられていた私は見ていたのだ。風を感じたその瞬間に、写真を持っていた指が開いたのを。

 私の疑問に「何が?」と冬吾先輩が尋ねる。

 初めて会った人に悪意を感じた、なんてことはとても言えなかった。憶測で簡単に物事を言ってしまえるほど冬吾先輩とは親しいわけじゃない。

 確信のない答えに私は困って「いえ、なんでもないです」と首を振るだけにとどめておいた。


 ※ ※ ※


「何やってんすか」

 手を引いて先を歩いていた男が公園を出たところで振り返る。

 予想だにしない出来事に肝を冷やしたと言う彼の額に浮かぶ汗は、それが言葉だけでなかったことを表している。

「少し近くで見てみたくなっただけよ。ほんの悪戯心じゃない」

 ふふっと笑みを浮かべる彼女の顔は早く歩かされたためか、わずかに上気していた。余程楽しかったのだろう。目が通常よりも生き生きと輝いている。

「どうせあっちは私の顔なんて知らないんだから、困るようなことにはならないでしょ。

 本当は気が付かないふりをして写真を踏みつけてやろうかとも思ったんだけど、タイミング良く風が吹いてくれて助かったわ。おかげであの子の足を水浸しにできたんだもの」

 この見た目日本人形の彼女は同じ年代の子よりも幼く見えることが多い。これで男よりも歳が二つ上なのだ。上気した頬は幼い顔立ちに花を添え、危ういバランスを感じさせる。


 けれど彼はそんなことには気を向けずにふうっと溜め息を吐いてうねる黒髪をぐしゃぐしゃと掻いた。

「つくづく桂木 那智のことが嫌いなんすね。でもいくら姫さんの顔をあっちが知らないっていっても、あんな小者みたいな真似しないでくださいよ。俺が親父に叱られる。あんたは引っ込んで裏で笑って見てればいいんすよ」

 小言に近い文句を並べるも、聞かされる彼女のほうにはなにも響いてはいないようだった。

「誰も叱りはしないわよ。これは私とお前しか知らない遊びじゃないの」

 日傘をくるくると回して自身も回る。クリーム色のスカートが光にはねて軽やかに流れた。

 幼い頃から彼女は変わらない。こうして楽しげにしながら、すべては遊びだと世の中を突き放した物言いをする。


『ねえ、暇なら私の遊びに付き合いなさいよ』

 

 男はその様子を眺めながら、耳に昔の懐かしい響きを思い出していた。 


 ※ ※ ※


 桂木家の近くの喫茶店を指定したのは彼だった。

 冬吾先輩との約束を断って向かった先では、肩を落とした彼の姿があった。


「電話があったんだ」


 目の前に置かれたホットコーヒーに一切手を付けずに彼はそう切り出した。

 誰から、とは聞かなかった。いつも笑顔が標準装備の彼をここまで動揺させる存在のことを自分はよく知っていた。

 詳しくを聞いたことはない。かいつまんでの事情なら彼の口から聞いたことならある。

 しかし知識としてその存在が彼に与える影響を知っていた。


「会って話がしたいって」


 胸のざわめきが止まらない。

 その存在が現れるのはまだ数か月も先のことのはずなのに。

 どうして今? まだ基盤もできていない。土壌がようやく整い始めたというのに。そんな思考ばかりが頭の中に嵐のように沸き起こる。

(ううん、ダメだ。今は目の前のこの人をなんとかしないと)

 テーブルに置いていた手を押さえられる。その手は震えていた。怒りと恐怖と哀しみと色々なものがないまぜになった感情なのだろう。


 そうして数時間を無言で過ごした。

 帰り道、彼の家の近くの公園に寄って話をした。

 突然呼び出してすまないということと、昔の出来事を少しだけ。彼にとっては唾棄すべき過去だ。

 自分も知っているので、彼の怒りと悲しみがよく分かる。

 もし昔の彼のそばにいられたなら、抱きしめて大丈夫だよと声を掛けてあげたいと祈るも、そんなことを言っても今の彼には届かないだろうと口をつぐむ。


 手を引かれたのは突然のことだった。

 

「俺のそばにいてくれないか。きみのそばなら心が静かなままでいられる。……でないとあの人への感情が溢れて止まらなくなりそうで、自分が恐い」


 息が苦しくなるほどに込められた力に、必死に溢れそうになる感情を押しとどめようとしているのだと思った。

 

 知識があることが今は恨めしい。

 これまでは何かがずれていても、それは楽しいずれだった。修正したりそのままにしたり、一進一退の攻防は自分には楽しくて、心が満たされていくのを感じていた。

 それが今はどうだ。予見していたはずのものが、目の前に迫っていることに焦りを感じる。なまじ知識を得ている分、時間が進むことに怖さを感じる。

「います。私がそばにいます」

 すがりつく体に腕を回した。

「愛梨……」

 大好きな声は抑えきれない感情を表していて、それだけ彼が追いつめられているということが分かった。

「恭平先輩に私ができることはこれくらいしかないから」

 もっと心を開いて何もかもを話し合える存在であればいいのだが、彼との関係はそこまで進展していない。だから今彼にできることは、彼が望むままにそばにいることだけ。それがもどかしい。

 たくさんの知識を持っているのに、できることは限られている。

「愛梨……ごめん」

 何に対する謝罪なのかは問わない。自分はその答えを知らないし、きっと彼にも分かっていないに違いない。


 それが正しいことなのか間違っていることなのか、このときは分かっていなかった。

 自分にすがってくる人がこれ以上傷付かないことに必死で、心を大切にしてあげたいもう一人に見られてしまったことなんて気付いていもいなかった。


 ※ ※ ※


 足早に家路とは逆方向に向かう。自分でもどこに向かっているのか分からない。

 後ろを冬吾先輩の足音が苦もなくついてくる。

「ついて来ないで」

「ついて行かないわけにはいかないでしょ」

 すごくイライラとしてる。私は今、変な顔をしているに違いない。

 濡れた靴が生乾きくらいになるまで裸足で過ごして、冬吾先輩が写真を撮り終わるのを眺めて、帰りは「いいですよ」と行ったがついてこられた。無理にでも断っておけばよかった。

 この人には醜態ばかり見られている。


 帰り道、駅の方角からは近所の小さな公園の前を通ることになる。そこに視線が行ったのは本当に偶然のことだった。

 見知った二人が抱き合っていた。

 遠くても分かった。お兄ちゃんが愛梨ちゃんを抱きしめる力はとても強い。

(あのとき、私……何て思った?)

 思った感情に戸惑っている。

 まだ夕方には早い。太陽の角度は少し下がっているけれど、日差しは昼間のもので私の顔を隠してはくれない時間帯だった。

 

「泣いてる女の子を放ってはおけないでしょ」

 くだけた物言いで、でも最低限の距離を取って冬吾先輩はどこまでも付いてくる。

「泣いてませんよ」

 けど眉間に皺がよっているのを感じる。すごいしかめっ面になってるんだろうな。顔が不細工になっているのは分かっているけど、直すことはできなかった。

「あんなの見たくらいで泣いたりしません。むしろ良かったっていうか、両手あげて万歳したいくらいです。それより冬吾先輩は残念でしたね。愛梨ちゃんのこと狙ってたでしょ」

 やっとお兄ちゃんは手に入れたのだ。大事にすべき存在を。心を許せる相手を。

(それなのに私、何を考えた?)


――そこは私の居場所なのに。


 それは私のものではない声なのに、私が感じた感情そのものを言い表していた。

「そうだけどね、でも今は愛梨ちゃんより人工物のが大事でしょ」

 私のこと嫌いなのに何でそんなことさらっと言えてしまうのか。

 冬吾先輩が私を捕まえて自分のほうに体を向けさせた。いつもなら近すぎる距離も今は間を開けられていて、その立ち位置に私が気遣うに値するくらい不機嫌になっているということを思い知らされた。

「オレのこと嫌いなんだから、気兼ねしないで言ってすっきりしちゃえば?」

「私のこと嫌いなくせに、なに優しくしてるんですか」

 ここにきて意地を張って突っぱねる。それは言ってはいけないことを言ってしまいそうだったから。溢れてきたら止まらなくなりそうな気がした。

「嫌いだよ。だからイジワルするんだ。人工物が吐き出したもの全部バカじゃないの、って笑ってあげるから、言ってみなよ」

 それは最大限の冬吾先輩なりの私への気遣いだった。目線を同じ高さに持ってこられて、ぐしゃぐしゃと頭を撫で繰り回されながら「言っちゃいなよ」と笑われる。

 言い方は私をからかうようなものだったけど、変な優しさを向けられるよりもマシな気がした。今はそうしてもらえるほうが気分が軽かった。

 

「私……」





 玄関に入る前に呼吸を整えて中に入る。

「あら、那智ったら足元ずぶ濡れじゃない」

 迎え出たお母さんにお風呂に連行された私は溜めたお風呂につかって冷えた体を温めながら、少しほっとしていた。

 出迎えてくれたのがお兄ちゃんじゃなくて良かった。

 冬吾先輩に話を聞いてもらったけど、まだ気持ちが落ち着いたところまではいっていなかったからだ。


 私が吐き出したものを笑い飛ばすと言った冬吾先輩は実際に笑いに変えた。

「私……」

 そう切り出したものの、そのまま固まってしまった先を冬吾先輩は裏声を使って続けた。

「大好きなお兄ちゃんが他の人のものになるのがムカつく。大好きなお兄ちゃんが自分から離れるのが寂しい。大好きなお兄ちゃんが」

「何ですかそれ!? 裏声使って、私の真似ですか!? 全然似てないんですけど。しかもそれ、まるで私が真性のブラコンみたいじゃないですか」

「あながち間違ってないだろ?」

 飄々と冬吾先輩が言い放つ。

「我慢しないでさ、自分の思ってることぶちまけてもいいんじゃない?」 

 そう言ったのは冬吾先輩だった。

「これは経験談。決定的にすれ違ってしまうまでため込んでると、修正が利かなくなっちゃうよ。オレは間違えちゃったけどね」

 苦く笑う冬吾先輩は普段のチャラ男の顔でなく、年長者の顔をして私に言い聞かせるように話してくれた。

 私の本当をぶつけたところで、お兄ちゃんはきっと困ってしまう。自分でも扱いに困るよく理解できていない感情を言ったところで倦厭されてしまうんじゃないだろうか。

 そう言う私の肩を冬吾先輩はぽんと叩いてくれた。

「せっかく二人しかいない兄妹なんだからさ、言っていいんだよ。ぶつけてすれ違っても、とことん話し合えばいい。離れてしまったらもう声も届かないんだから」

「それも経験談、ですか?」 

「まあね」

 肩をすくめる動作は軽いものだったけど、きっと冬吾先輩の中ではまだ何も決着のついていないことなんだろうと感じた。

 だからこそ目の前の後輩を放っておけない心境になったんじゃないだろうか。きっとそれはあの写真を私が見つけてしまったからだ。

「冬吾先輩って思ったよりお節介ですね」

「それは自分もだろ。嫌いな相手の思い出を水に濡れてまで守ってやろうなんてお節介でお人よしの奴がすることだ」

 先輩は写真を思い出と言って笑った。あのときみたいに「どうせ捨てるんだから」と目に入れたことさえ間違いだったという雰囲気はなくなっていた。


「そういうの余計なお世話って言うんだよ」

 ありがたがっているのか迷惑がっているのか判別しかねる言葉が出てくる。

「でも持っててくれると助かる。自分で持ってると捨てたくなるから」

 写真の所有権を私に与えて、冬吾先輩は家の前まで送ってくれた。その頃にはもう眉間に寄った力は抜けていた。

 何も吐き出したわけではないのに、心は軽くなっていた。

 変な慰めをかけられなかったのが良かったみたいだ。バカにしてあげるから、という前置きが私の中のもやもやを少しだけやわらかくしてくれたんだと思う。そこは冬吾先輩に感謝している。少しだけね。

 



 お風呂からあがったところでお兄ちゃんとすれ違った。

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

「ごめん、今はちょっとそんな気分じゃないから」

 掴んだ服にお兄ちゃんが少しだけ眉をしかめる。ただそれだけの動作が胸に突き刺さる。

(これじゃあ本当に真性のブラコンみたいじゃん……)

「そっか。ごめんね」

 服を掴んだ手を解くと、お兄ちゃんはほっとしたように息を吐いた。私に気付かれないようにそっと吐いた息も長年お兄ちゃんのことを観察してきた私には分かった。

 心を寄せられる相手を見つけられたから、私のことはいらなくなったのかもしれないという思いが胸をよぎる。

(このまますれ違ったままでいいの?)

 冬吾先輩が話してくれたことが私の背中を押す。声が届くうちに届けたらいいんだよ、と話してくれた先輩は詳しくは教えてくれなかったけれど自分自身にも言い聞かせるように笑っていた。笑った顔は「きみは間違えるんじゃないよ」と言っていた。


 リビングに向かおうとする背中を声で追う。

「お兄ちゃん、あのときの宣誓はまだ有効だからね。お兄ちゃんが那智をいらないって言っても那智はお兄ちゃんの妹だから。ずっとそうだから。それだけ……覚えておいて」

 言い置いて二階へ駆け上がった。嫌がられる顔を見ることはできなかった。

 



「……何で今それを言うんだよ」


 お兄ちゃんが額に手を当てて言う言葉は私の背中には届かなかった。


 


那智は真性ブラコンを認め始めた、のか?

その感情はブラコンでいいのか!?

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