36・大嫌いだ
愛梨ちゃんとのデートが流れてしまったというのに、冬吾先輩はあまり落胆しているようには見えなかった。
いつも通り被写体にカメラを向けてカシャカシャとシャッター音を立てている。
(いや、いつも以上に……かな)
学園内で撮る姿を見る時は、大抵愛梨ちゃんと一緒の時、そうでないなら私をからかうためにカメラを向けている時くらいだ。
私を撮るときは論外として、公園の木々や花を撮る今の冬吾先輩は、話をしながらなごやかに愛梨ちゃんに向けてシャッターを切っているときとは違い、寡黙で真剣な目をしていた。
賞に入選している腕前だけはある。その被写体に向ける視線はプロのものだった。
私に対してはチャラくて不真面目な態度ばかりしていたので、こんなに真剣に何かに対して取り組むことがある人だとは思わなかった。カメラを構えている間は、私の存在も忘れて没頭しているようだった。
少しだけ、す~こ~し~だけ感心した。
そういうことが出来るのなら、もっと人に対しても真剣になればいいのに。
「それにしても……重い」
冬吾先輩の持ってきた荷物は本当に重くて、移動のたびに私の腕をぷるぷるさせた。
何が入っているのかと聞いたら、替えのカメラにレンズが数種類、予備のバッテリーにその他諸々……だそうだ。
(何だその他諸々って。私へのイヤガラセに鉄アレイでも仕込んでるんですか)
荷物の移動で疲れを見せ始める私に「持とうか?」と先輩が手を差し出してくる。
「いえ、大丈夫ですよ。荷物持ちですから」
こうなったらもう意地だ、と私は満面の笑みでそう答えた。
公園正面の木々が立ち並ぶ空間を抜け、キャッチボールが出来るくらいの芝生の広場にブランコ、滑り台などの遊具があるスペースを横目に通り過ぎて奥へと進む。公園は奥のほうに行くと池があってボート乗り場も併設されているくらいに広い敷地を持っていた。
その中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりするものだから、時間はあっというまに十一時半を過ぎ、荷物持ちの私の体力はあっという間に削られていった。
「意地っ張りだよなぁ、人工物は」
ベンチにへたり込む私に冬吾先輩がレンズを取り替えながら言う。
「いい加減、その呼び名どうにかならないんですか。生き物と認識されてないみたいでイヤなんですけど」
冬吾先輩が「人工物」と呼べば振り向くくらいには自分のことを指しているんだという認識はあるけれど、自分が物になったみたいで嫌なのだ。私のことは嫌いでも、せめて人間に昇格させてほしい。
「そう? オレは結構気に入ってるんだけど」
「私は気に入ってません」
どこがお気に入りポイントなのか簡潔に説明願いたい。
「じゃあ、那智って呼ぼうか? 語尾にハートマーク込みで」
「トリハダが立つんで遠慮しときます」
話を振るんじゃなかった。語尾にハートマークとか、人工物呼ばわりよりもっとイヤだ。それを聞かされるたびに震えが走るに違いない。
ため息を吐いて空を見上げる。
春らしい澄んだ青い空。少し離れたベンチではお爺さんが鳩に餌をやっている。私たちが来た方角からは遊具で遊ぶ子供たちの声が聞えてきていた。
いかにもなうららかな春の日曜日に、何が悲しくてお互いに嫌いな相手と過ごしているんだか。
かと言って、家に篭っているのももったいないくらいのお天気だ。
(これで愛梨ちゃんがいてくれたら気分も変わるんだけどなぁ……。
腹の内の読めないチャラ男より、天使の微笑みを持つ愛梨ちゃんといるほうが何十倍もお得だと思う。
急用じゃ仕方がないよね。はあっ)
じんわり汗をかいて蒸れるキャップを外してぱたぱたとあおる。木陰で休んでいる分には気持ちが良いけど、動き回っていたので暑いのだ。
疲れた様子の私に、
「ちょっと早いけど、そろそろ昼休憩にしようか」
冬吾先輩がそう声をかけてくれた。
けれど、公園内には飲み物の自動販売機はあっても、何かお腹に入れられそうな食べ物を売っている場所がない。
一旦外に出るのかと尋ねると、「いいや」と返される。ではどうするんだろうと見ると、持ってきた重たい荷物の中から先輩が何かを取り出した。
「昼ご飯は持って来てるから」
取り出されたものはプラスチックのケース。
開かれたフタの中には、ポテトサラダにから揚げと卵焼き、そしておにぎりがぎっしりと詰め込まれていた。
「ポテトサラダとから揚げは市販のものだけどね、卵焼きとおにぎりはオレ特製でーす」
冬吾先輩はつくづくギャップの人だ。
まさかお手製の弁当を持って来ているとは思わなかった。卵焼きはきれいな焦げ目がついていて、ふんわりと形よく仕上がっている。これは慣れている人の作る卵焼きだ。
絶対に料理なんてしないだろうなという人が実は料理が出来るんだ、ってなんてプラスな設定なんだろう。これはみんな惚れるわ。私は惚れないけど。
(デートにこんなことをされたら、好感度上昇間違いなしだよ。よかったぁ。この場に愛梨ちゃんがいなくて)
私はこのギャップを口外しないことに決めた。もちろん愛梨ちゃんゲットのためだ。このギャップに愛梨ちゃんの心が揺れないとは限らない。
冬吾先輩が持参してきた手作り弁当は、女子に好かれているのは外見上だけのことじゃないんだと感心せざるをえない出来栄えだった。
ベンチで並んで間に弁当を広げて食べる。
「美味しい?」
冬吾先輩がこれまた持参してきた水筒に入ったお茶を汲んで出してくれる。至れり尽くせりですね。これが荷物に入っていたその他諸々ですか。
「悔しいですけど美味しいです。荷物持ちをした甲斐があったというくらいには」
「素直に美味しいって言えばいいのに。あ、ミルクティーも持って来てるよ」
(だからあんなに重たかったんかい)
荷物の中には二リットル容量の水筒が二つも入っていたらしい。でも汲んでもらったミルクティーは甘くて疲れた体には美味しかった。お粗末様です。
本当なら私というお邪魔虫はいても、愛梨ちゃんと二人で弁当を囲んで仲良く食べたかったんだろうな。
誠実さに欠けるこの人だけど、愛梨ちゃんに対しては他の女の子とは違う気がしていたから、私一人が御馳走になってしまったことには悪い気がした。
でも素直にごめんなさいと言ったところで、冬吾先輩のことだからちゃかされて終了な気がして声を出しづらかった。
「先輩、これ何ですか?」
用意してもらったので、代わりに弁当を片づける私の目に入ってきたのは黒い表紙のファイルだった。
「あぁ、これ? 今まで撮った写真。どんな風な仕上がりになったのか見せてあげようかと思って」
見せてあげたい相手はもちろん愛梨ちゃんだったのだろう。来られなくて残念だったと思う。これに関してはざまあみろとは言えない。写真に関しては真剣なのだと知ってしまったから。
でも冬吾先輩は気の良い笑みで「見てもいいよ」と言ってくれた。人当たりだけは良いのだ。
適当にピックアップしてきたというそれのページをめくる。
中身はどこかの風景の写真ばかりだった。葉に止まる蝶。高台から撮ったのだろうか、遠く先のほうまで続く山々。せせらぎの聴こえてきそうな清流の水。たくさんの季節、たくさんの顔の自然がそこには収まっていた。
「そっちは風景写真。こっちは愛梨ちゃんを撮ったやつ」
荷物の中から別の一冊を取り出して渡してくれる。
写っているのは、当然ながら学園内での愛梨ちゃんの姿だった。花壇をバックに笑う愛梨ちゃん。木の横に立つ愛梨ちゃん。学園の中にもこんな風景があったんだと、「へえっ」と頷きながら私は次々と写真を見ていった。
「まるで全体の一部……」
愛梨ちゃんの姿は綺麗に背景の空気感に溶け込んでいた。
「素直な感想を言っていいよ」
冬吾先輩がそう言うものだから、遠慮なく私は感じた感想を率直に述べた。
「お花みたいですね」
自然を被写体とする冬吾先輩らしい写真だった。
周りの草花に溶け込むように、愛梨ちゃんが一輪の花として収まっている。全部で一つの自然の風景。
でも愛梨ちゃんの隠しきれない存在感がそこにはあって、「私を見て」と言っているみたいに周囲から浮き上がっていた。
周りに押し込めようとする先輩の意思と、花には成り得ない愛梨ちゃんの確かな存在感が拮抗している。私にはそう感じられた。
「良い写真だと思いますよ。愛梨ちゃんが可愛く写ってるし。でも私は本物の愛梨ちゃんのほうが好きです」
写真を見たら愛梨ちゃんに会いたくなった。写真の中の愛梨ちゃんは、私が知っているものとは違う微笑を浮かべていたから。愛梨ちゃんは笑うともっと可愛いのだ。いつも周りより大人びた表情をしているんだけど、もっと同世代の女の子って感じで屈託ない笑みを浮かべるのだ。
「先輩、愛梨ちゃんはお花じゃないですよ」
そう言って、パタンとファイルを閉じた。
「本当に遠慮なしだなぁ。でも……自分でも言葉にならなかった違和感の正体が分かった気がする。ありがと。なんかすっきりした。……うん、人工物にしてよかった」
最後は私にも分からない納得の仕方をして、冬吾先輩は再度「ありがとね」と口に乗せた。
何が私にしてよかった、なんだろう。
疑問を浮かべても、「なーいしょ」と唇に指を置いてウィンクするだけで答えてはくれなかった。
(っていうかウィンクを飛ばしてくるな。だから軽いって噂されるんですよ)
見えないウィンクの光線を私は身をよじって避けた。
昼食を食べて元気の戻った私は再び公園内を引き回されることになった。
食べた分荷物は軽くなったけど、それでもまだ重くて、冬吾先輩が撮影のために立ち止まるたびに私は肩に負荷がかかりすぎないように荷物を下に置いた。
帰ったら熱いお湯に浸かってゆっくりしたい。マッサージをしないと明日はきっと筋肉痛だ。
冬吾先輩は午後からは公園の水辺を中心にカメラを向けた。
幾らか撮ると画面表示で映像の確認を行なう。覗いてみると、私には見えていなかった園内の風景がそこには映っていた。
「カメラを通すとまるで別物ですね」
感想を漏らす私に、同じ風景でも撮る人によっては何もかも世界が違うんだと冬吾先輩はレクチャーをしてくれた。
私がカメラを向けたらまた違った世界が見えるんだろうか。比べてみたい気もしたけれど、素人の腕前では比べるまでもない出来になりそうで嫌だと思った。
「荷物の中に雑誌が入っているから見てみるといいよ」
カメラを他に向けているときは、私への棘は少ないみたいだ。イジワルをされないのなら横にいても問題はない。
私は言われるままに荷物の中を捜索してみる。
出てきたのは三冊の雑誌だった。すべて写真に関連しているようだ。一冊は古いカメラの写真が表紙で、他二冊は山の写真が表紙となっていた。
荷物の重量の何%かはこれの重さもあったたらしい。かなり読み込まれているようで、表面はよれて端のほうが破れかけていた。
「アングルに悩んだときなんかは参考にしてるんだ」
中身は写真家たちのモノクロだったりカラーだったりの様々な風景が載っていた。写真の横に記載された細かい文字には、どういうカメラでどういうアングルで撮られたものかが細かく記載されている。
「これが冬吾先輩の教科書なんですね」
「まあね」
被写体に視線を向けたままで冬吾先輩が頷く。横にいる女子のことなんかアウトオブ眼中なのが、私には逆に好ましく思えた。カメラに集中している表情は、人をからかっているときの表情よりずっといい。
一枚一枚をめくっていくうちに、雑誌の中ほどからはらりと何かの紙が落ちてきた。
地面に落ちるそれを拾いあげる。古い写真のようだった。
少し色あせた写真に写っているのは、笑った男の子の写真だった。なんの裏もなく、ただ楽しげに笑みを浮かべて、カメラの向こうにいる人物に笑いかけている。垂れ目がちなのが冬吾先輩によく似ていた。(……というより、本人そのもの?)
「この男の子、もしかして冬吾先輩ですか?」
掲げた写真に、振り向いた顔は固く変化する。
「あぁ、この間整理し忘れてたのか……」
冬吾先輩は嫌なものを見られたみたいな、気まずい表情で私の手から写真を受け取った。
「小学生の頃のオレだよ。撮ったのは……オレの姉貴だけど」
なにかを思い出すようにしばらく見入ってから、冬吾先輩は写真から目を逸らした。痛い物を見た後にする目だと思った。
人が過ぎ去った幸せな時間を直視できないときにする目だ。私のお母さんがそうだった。
お父さんが死んだときにお母さんは今の冬吾先輩と同じような目をしてアルバムのすべてを見えないところにしまいこんでいた。
何をしているのか聞いた私に「なんでもないよ」と笑った顔は泣いているように見えた。
「いいや。もう捨てようと思ってたし。オレ、この写真大嫌いなんだよね」
写真に力が込められた瞬間に、私は冬吾先輩の手から写真を奪い取った。
「く、ください! わーい、冬吾先輩の貴重な子供時代の写真だぁ」
(もらったところで全然嬉しくなんかないんだけどね)
でも捨ててはいけないような気がした。捨てた後で気が変わっても、捨ててしまったものは二度と戻ってはこないのだ。
これは大切な写真なのではないかと思った。そうでないと何年も持ち続けたりはしないだろう。
「ありがとうございまーす。宝物にしまーす」
くれるとも言われていないのに、私は写真を胸に抱え込んだ。実際は宝物にするどころか、せいぜい折り曲げないように机の引き出しに仕舞い込もうと思っていた。
返せと言われればすぐにそうできるように持っておこうと思ったのは、過去のお母さんの悲しい表情を思い出してしまったからだ。所詮は自己満足にすぎない。
「そんなこと言って、オレのこと嫌いって言ってたじゃん」
「冬吾先輩の顔だけは好みなんです! 観賞用です」
(大嘘でーす。好みで言ったら、お兄ちゃんや諒ちゃんのほうがよっぽど好みでーす)
取り返そうとする冬吾先輩を避けて私は後ろへ下がる。
「どうせ捨てるなら、私がもらっても問題はないですよね」
トンッ
そのときだった。
何かにぶつかって、私は手にしていた写真を落としてしまった。
ひらひらと写真が地面に落ちていく。
「うわっ。すみません」
謝って落ちた写真を拾い上げようとする。
そんな私よりも先に写真はぶつかった相手に拾い上げられて、指先を通り過ぎて行った。
拾い上げたのは――。
誰だよ?なところで次回へ回します。
なにげに仲良くやってるよね、この二人。




