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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
きみの写真編
38/63

34・声を消して

 たとえばお兄ちゃんが私に対して冷めた目を向けたときだって、私はそれを心の底から怖いと思ったことはない。

 それは私にとってお兄ちゃんが私を傷つける対象ではないからだ。そしてお兄ちゃんにとっては私は傷付けるべき敵ではなく身内。だからちょっとくらい引いても怖いと思うことはなかった。

 こうして比較してみると分かる。

 お兄ちゃんは私が傍にいることを許してくれていたんだということが。 


 私に冷たい目を向けるこの人が怖いのは、私にとって彼が敵か味方か分からないから。いや、むしろ敵認識されていると言ってもいいかもしれない。


 机に手を突いて身を乗り出す私の髪に冬吾先輩の指が絡みつく。巻いた髪をくるくるといじる手つきは女性慣れしたそれで、でも私はそうされることに対して彼のファンの言うようにドキドキとかウキウキとかいった感情はまったく湧いてこなかった。

 たかが指の先で触れられているだけ。けれど目が怖くて、そのたかが指先一つに捕えられて少し後ろに下がればいいだけのはずが身動きが取れない。

 私はされるがままに動きを止めて、静かにあえぐ呼吸を押しとどめていた。


「うーん、怖がられるのは心外だな。オレ、女の子を怖がらせる趣味はないんだ」


 やわらいだ目が私を解放する。最後とばかりに引かれた髪がくるんとうねって下に落ち、解放された体を後ろに引いたときには心臓がバクバクと音を立てて脈打っていた。 

 蛇に睨まれたカエルってこういうことを言うんじゃないだろうか。今はとりあえず解放はしてもらえたので、睨まれた後のカエルという気分だ。喰われなくて良かった。

 また違った意味でトリハダが立ってしまい、私は腕を擦って後ろへと下がる。

(これ以上この人と関わりたくない)

 冬吾先輩を追いかけたのは私だけど、お互いに嫌いならもうこれ以上関わらないほうがマシだろうからと、私は言葉を選びながら慎重に声を発した。


「私の言動で不愉快にさせたのならごめんなさい。冬吾先輩と彼女さんたちの間をどうこう言うつもりはありませんので、とにかく私を巻き込まないようにしてください。今回のことはもういいです。忘れます。先輩もそうしてください。これからは私もできるだけ先輩に関わらないようにしますから、先輩も私の存在はなかったものとして忘れてください」


 広い学園内ではあるが、顔を付き合わせることがまるっきりないということはないだろう。そういうときにはお互いに相手を気にしなければ穏便に済む話なのだ。だから関わらないでくれ、と私はなるべく失礼に当たらないように提案してみた。

 冬吾先輩の女性関係について押し問答を繰り広げるつもりはさらさらない。

(どうぞご勝手に)

 私が関与しないところで好きにやっている分にはどうとも思わない。

 今回のことは犬に咬まれたと思って忘れることにする。もしあのお姉さま方に何か言われたら泣きまねでもして誤解を解こう。

(どうせ冬吾先輩は誤解を解く気はないようだし、自分に降りかかってくる火の粉くらいは自分で払ってやるわ)

 そう思いながら私は後ずさって書道教室の扉へと向かった。


 冬吾先輩を警戒しつつ扉に手をかける。冬吾先輩はすでに私の存在については興味が失せたのか、つまらなそうに携帯を取り出して操作を開始する。もしかしたら他の女の子にでも連絡をとるつもりなのかもしれない。

 ならいいや、とほっとして扉のほうに顔を向けて開けようとしたとき、


『強くなりたい』

 

 機械を通して少し変質しているけれど、確かに私の声でそう呟く声が耳を突き抜けた。


 ばっと振り返る私に冬吾先輩がにやりと笑う。

「そ、そそ、それ」

「忘れろ、ったって忘れらんないんだよねぇ。それに男に忘れろって言うのは、自分のこと覚えていてほしいっていう意思表示にしか聞えないからね」

(男女の駆け引きのことなんざ聞いてないわ!)

 あわあわと口を動かす私に冬吾先輩は「これ着ボイスにしようかな」とポチポチと指を動かし始めた。

(なにそれ、なにそれ。なんてイヤガラセを思い付くんだっ)

 にこやかに操作する指先から、またあの『強くなりたい』という声が鳴る。


「いやぁぁっ! 今すぐその恥ずかしい台詞を削除してくださいっ!」


 よりにもよってあの現場に居合わせただけでなく、声を録音までされていたなんて……。

 あれは諒ちゃんに向かって言ったのであって、この人に向かって言ったのではない。他人に自分が弱音を吐くところを聞かれたなんて恥以外のなにものでもない。

 私は扉から離れて冬吾先輩が持つ携帯へと飛んで行った。けれど私の手が触れる寸前で、私の背では届かない位置まで携帯は頭上高く持ち上げられる。


「人工物は木村先生と付き合ってるの?」


 何を勘違いしているのか、冬吾先輩が頭上で携帯をぷらぷらと揺らしながら私に尋ねる。

 その動きに合わせて、私は右へ左へと悪あがきのようにぴょんぴょんとジャンプして腕を伸ばした。こんなことになるなら、普段から垂直飛びの練習でもしておけばよかった。世の中何が役に立つかは分からない。


「んなわけ、ない、でしょ。えいっ。りょうちゃ、いや木村先生は私の従兄ですよっ。やあっ。今すぐ、それを、消去してください!」


 ジャンプするたびに掛け声をかけて勢いをつけたけれどまったくの無駄に終わる。

 アホみたいにジャンプを繰り返す私がツボに入ったのか、冬吾先輩はげらげらと笑いながらさらに腕を伸ばして携帯を上に移動させた。

(きーっ! ムカつく! ってかなんでそんなに楽しそうなんだ!? そうか、私が困っている姿を見るのが楽しいのか)

 冬吾先輩の遊びに付き合う気はないけれど、あの音声がなにかの間違いで世の中に流出しないとも限らない。そんなことになったら登校拒否になる。

 ものすごく腹は立つけど、ねこじゃらしに飛びつく猫みたいに左右に揺らされる携帯を追って私はジャンプを繰り返した。


「ほーら、こっちだよぉ」


 笑われることに半泣きになる私を冬吾先輩が実に愉快そうに見下ろす。

(ムカつく。本当にムカつく! こうなったら――)


「とおっ!」


 届かないのならばと私はおもいっきり勢いをつけて冬吾先輩にタックルをかました。


 冬吾先輩に比べれば小柄な身ではあるけど、突然の全体重をかけたタックルにさすがの冬吾先輩も姿勢を保ったままではいられなかった。

 ドサッと冬吾先輩が後ろに尻餅をついて倒れこむ。それに覆いかぶさるようになって私も一緒に床に倒れこんだ。

 冬吾先輩の体をクッションとして受ける衝撃がわずかで済む中、私はすばやく顔をあげて行動を開始した。床に倒れる冬吾先輩の長身に跨ぐ形となって、目指すべき物体へと手を伸ばす。


「よし、ゲット」


 無防備になった手から携帯を奪い取ると、憎たらしいほど長い足から降り、冬吾先輩に背中を向けた状態で床に座り込んで私の声が入っているであろうデータを探った。


「どこだー? どこにあるー?」


 ポチポチポチッ


「いってぇ。本当に乱暴だなぁ、人工物は」


 お尻と一緒に背中も打ちつけたらしい冬吾先輩が背中をさすりながら身を起こす。実際、私の下敷きになった人への配慮は頭から抜け落ちていた。だって私を怒らせるのが悪いのだ。

「オレ、上に乗っかられるより上に乗っかるほうが好きなんだけど?」

 はい、そこセクハラでーす、な言葉が聞えてきたけどまるっと無視して聞えない振りをしてやった。なんでみんなこんなセクハラ大王が好きなのか理解できない。

 目を滑らせながら今までにない指さばきで操作するも、僅かな時間では目的のものを探し出すことはできなかった。


「だーぁめ」


 倒れこんだ体勢から復帰した冬吾先輩が覆いかぶさってきて手を上から押さえ込まれる。

 間近に冬吾先輩の香水の香りが寄ってきたけれど、とにかくデータの消去をしたい私は挟まれる腕の中で、せっかく奪い取った携帯を手放すものかとあがいてしっかりと手に携帯を握り込んだ。

 でも押さえ込まれた手では操作が上手くいかなくて、それならいっそのことへし折ってくれるわと、ぐぬぬ、と力を込めたけれど無駄だった。

 逆に力を込めたことに気付かれて、「こら、めっ!」ともっと力強く手を押さえ込まれて指の動きを封じられてしまった。(私は犬か!?)


「普通こんなイイ男に抱きつかれたら顔を赤らめるものだけどな……。つくづく人工物ってオレに興味ないよね」

 

(自分でイイ男って言うな。この歩く自意識過剰がっ)

 突っ込みを入れるのも疲れるので、心の中で言うだけに留めておく。

「じゃあ私は普通じゃないんでしょう。異常で良いので録音した音声を消してもらえませんか?」

「こんなおいしい状況でオレより携帯?」 

(だってあなた私のこと嫌いじゃないですか)

 私の中で冬吾先輩は私のことが嫌いなんだということはほぼ確定事項。

(じゃないとここまでイヤガラセしないでしょ)

 それにさっきの冷たく私を見る目は如実に私を嫌悪していたというのに、そんな相手に照れるとかありえない。


「こういう体勢で上目遣いは危ないよ?」

(うっさいわ。はよデータ消せ!)

 振り返って取り上げられた携帯(私のじゃないけど)を恨めしく睨み付けているだけなのにそんなことを言われても困る。

 嫌いな相手でさえ女ならばとりあえずセクハラしたくなるのか、冬吾先輩は先ほどの冷たい視線はなんだったのかというくらい楽しそうに再び私の髪に触れ始めた。

 ちなみに恋人同士でもない女子の髪に触れるのは充分なセクハラだ。会社勤めだったら訴えに出たら勝てる気がする。高校の場合はどこに訴えたら勝てるだろう。

「……生徒間のセクハラって、やっぱ教師? それとも事務とか?」

「こらこらこら、ぼそっと恐いこと言わないの」

 口元に手を当てて思案し始める私に冬吾先輩の突っ込みが入る。それでも髪に触れる手を止めないので、やっぱりこの人真性の女好きなんだろう。嫌いな相手にもこれって精神構造を疑う。


「あまりにも興味を持たれないってのもなんだよね」


 髪をいじっていた指に結んでいた黒いリボンが解かれる。お兄ちゃんによって固く結ばれていたリボンは冬吾先輩の指によって簡単に私の髪から引き離されていった。

 スルリと解けたリボンが長い指に絡まって私から離れていくのを見て「あっ」と声を漏らす。同時に無意識に伸ばした指が絡め取られて引かれた。

 私はただ離れていくリボンを目で追う。

 すっぽりと胸に捕えられる自分の体勢を気にすることもなく、冬吾先輩の手の先に意識を向けて瞬きすら忘れて引かれるままに腕を伸ばした。それがより相手と密着することになっても、私はただリボンを追って指の先までぐっと伸ばす。私を塞ぐ冬吾先輩の体が邪魔だった。

(届かない)

 細く見えて意外とがっしりとしている胸に頭を押し付けられながらも、私は指先に触れるリボンを凝視していた。

 冬吾先輩の腕まくりした素肌に手を置いて自分の体を前へと押そうとする。でも届かない。

 形が崩れてうねる一本のヒモと化したリボンが力失せて下へと垂れる様子に、私は頭にカッと血が昇って冬吾先輩の腕に置いた手に力を込めた。

 指の腹より少し長めに切りそろえた爪が柔らかい素肌にガリッと食い込む。


「いっつぅ」


 三度目の奇襲にも簡単に怯む冬吾先輩はチョロい。

 また上に乗っかってしまう体勢となってしまったのは癪に障るけれど、私は冬吾先輩の上をもぞもぞと移動してその指に絡んだリボンを抜き取った。

 素早く身を離して、手に返ってきたリボンを結ぶ。少々手先の器用でない私ではあるがリボンの完成だ。多少へにゃっとしているのはご愛嬌。結んでないよりずっと良い。二つ揃ってないと据わりが悪いのだ。


「ははっ。やっぱりヘタ。ほら貸して」


 またリボンが取られるかもしれないと身を固くする私に「警戒しなくていいから。ちゃんと直すって」と冬吾先輩が手を伸ばす。

 項垂れるリボンがもう一度解かれて、私よりは上手に、お兄ちゃんよりは少しヘタにリボンが元の位置に収まる。触れる手つきはさっきリボンを解いたときよりはちょっとだけ丁寧だった。

「次の……」

 傾いているリボンの位置を調整しながら冬吾先輩が言う。

 一応耳だけは傾けて「今度はなんですか」と私はじっとする。

「次の日曜日に愛梨ちゃんとデートするんだけどね」

 自分のこめかみがピクンと動くのが分かった。もちろん嫉妬なんかではない。断じて違う。なんで愛梨ちゃんはよりによってこんなセクハラ大王と出かけようとするのだ。もしかして本性を知らないのかもしれない。

「愛梨ちゃんて可愛いよね。毅然としているかと思えば時々すっごく男慣れしてなくて……手を出したくなる」


「だあぁぁっ! ぜぇったいに許しませんからね!」


 胸倉を掴む。顔が近いとかうんぬんなんて思考はぶっ飛んでいた。

 この何股しているか分からないような男と愛梨ちゃんを二人きりにさせたら何が起こるか分からない。

「今すぐ電話して約束をなかったことにぃっ」

 胸倉を掴まれても嬉しそうにする変態にがくがくと揺さぶって携帯を取り出させた私の勇姿。誰かに「えらかったね」と声をかけてもらいたい。ついでに「よくやったね」と頭を撫でてもらいたい。

「はいはい、分かったって」

 返事をしながら携帯を取り出すも、「あっ」という声と共に携帯を操作する指が止まる。


「あー、ごめんね。充電切れちゃった。あはっ」


 テヘペロな語尾に星マークが付きそうな軽い調子で差し出された画面は真っ黒で、一ミクロンも点灯する表示は見当たらなかった。

「あーっ!」

 電源が入らないということは、愛梨ちゃんに連絡も取れないし、しかもあの恥ずかしい音声も消すことができないということ。

(もー、やだこの人。抹殺したい)


「ごめんねぇ。それでさ、」


 この状況に顔を青くして両手で顔を覆う私に出されたのは一つの提案。


「荷物が多くなりそうだから大変かなぁって。荷物持ちで来てくれたら声のデータ消してあげないこともないよ?」


「行きます! 行かせて下さい!」


 返事は即答。心の内では「絶対に邪魔してやる。そして声のデータも消してやる」と意気込んでいた。

 そして日時や集合場所についてだけ言えば済むのに話を引き延ばす冬吾先輩に根気強く付き合って(最後はしびれをきらして胸倉を再度掴みあげたけど)、国語科準備室へ飛んで帰った私を待っていてくれた諒ちゃんにさらなる愛情が湧いたことは言うまでもないだろう。

 愚痴をまき散らす私の頭を撫でてくれる諒ちゃんに冬吾先輩への殺意を抑えつつ、私は明後日に待つ荷物持ちの任務にどうやって邪魔してやろうかと思いを馳せた。

 



今回のサブタイトル、正確には「(録音した)声を消して(ください。マジで)」

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