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私が傍観者な妹になった理由  作者: 夏澄
きみの写真編
37/63

33・逃げ込んだ先で

 お願いだから叫ばせてください。


(暑苦しいわっ!)


 腰に回された右手はきつく、声を出さないように口元を覆う左手に呼吸が制限される。

 空中に墨汁の香りがわずかに漂う。ロッカーには書道の道具が陳列され、壁には書道の授業で書かれた半紙が貼られている。

 その壁を背に私たちは密着して(私が望んだのではなく)息を殺して潜んでいた。

 扉の向こうでは私を抱きすくめる相手を探し回る声が二つ。

 一つはショートボブに分厚い唇が印象的なお姉さま。もう一つは内巻に巻かれたカールした茶色の髪が綺麗なギャル風のお姉さま。

 どちらも口にしていることは罵りの言葉だ。「よくも二股かけたわね」とか「私だけって言ったくせに」とか言っているので、何をやらかしたかなんて聞かなくても分かるというもの。


(うわぁ、サイテー。こんな人捕まってお仕置きされてしまえ)


「むがぁっ」

 何とか声を出して「お探しの相手はここですよー!」と教えてあげたいのに、口元を覆う手が邪魔となって声にならないむがむがという息が漏れるのみで終わっている。

「しっ。良い子だから静かに」

 耳元で囁かれる声はこの状況を楽しんでいるようにすら聞こえる。

「むーっ!(耳元に息を吹きかけるな!)」


 探し回る声は重なり、バタバタとあちらこちらを走り回る音が廊下に響く。

 腰に回された腕は、足音が近づいてくるたびにきつく締めてきた。(ぐえっ)

 書道教室の扉にはめられたすりガラス越しに幾度と無く影は映れど、声にならない呻きは届くことはなかった。

 壁に掛けられた時計がカチコチと秒針を打つ。

 何度目かの長い針が動いたのを見た後か、足音が次第に遠ざかっていき、口元を覆う手が少しだけ緩められたのを感じた瞬間にガブリと噛み付いた。

「ってぇ」

 完全に拘束が解かれたタイミングで素早く移動すると、整然と並べられている机を盾の代わりに挟んで相手を睨み付けた。


「よ、よくも私を使ってくれやがりましたね!」


 差した指の先では噛み跡のついた手を押さえながら「いててっ」と痛みを訴える声があがっている。

(ざまあみやがれ。人にセクハラを働いた罰だ)

 諒ちゃん直伝の対チカン撃退用攻撃‘噛み付き’の威力は絶大だったようだ。

「私がお姉さま方からイヤガラセを受けることになったらどうしてくれるんですか! このセクハラ大魔神がっ!」

 大変微妙な威嚇込みの敬語になってしまった私の腰が若干引いているのを見た相手は、手を押さえつつもにんまりと笑って近づいてきた。

(あぁ、諒ちゃんが言ってたな。攻撃直後は速攻逃げろって……)

 逃げる機会を逃してしまった私は、

「こら、そこ。動くなっ!」

 机の影に隠れるように腰を落として警告の声を発した。けれども相手は更に面白そうに目を細めただけで近付いてくる足を止めようとしない。

「可愛く語尾にハートマーク付きで‘お願い冬吾先輩’って言ってくれたら止めてあげる」

 机に肘を突いてこちらを覗き込んでくる顔は面白いおもちゃを見つけた子供のような顔をしていた。


「ふざけないでくださいっ。冬吾先輩」


 上級生の彼女たちとは理由は違うけれど、冬吾先輩に腹を立てて追いかけていたのは私だって同じだったはずなのに、なんで私のほうが追いつめられている状況になっているんだろう……。

 



 以前失くしたはずの十字架を届けてくれた相手を諒ちゃんと勘違いして愚痴をこぼしてしまったことに羞恥心を感じた私は、すぐさま国語科準備室を飛び出して目当ての人物の背中を追いかけた。

「待ってください、冬吾先輩」

 部屋を出てすぐのところで冬吾先輩を捕まえることはできた。

(はい、ここ。そもそもこの人に関わろうとしたところから間違ってるから)

 すぐに人に近付いてくる相手なので多少の警戒をして数歩離れたところからかけた声は、ゆったりとした動きを持って応えを返された。

 

「あーあ、あのままじっとしてれば良かったのに、追いかけてきちゃったんだ。来なければ相手にしないであげたのにな……」


 冬吾先輩が髪をかきあげながら私を振り返る。

 意味の分からないことを言われたけれど、なんか不穏な気配がびんびんと漂っていた。

(はーい、ここ注意。不穏な気配を察知しつつも逃げないのは間違いです)

 このときすぐさま退散しておけば良かった。なんでつっかかってしまうのか。ちょっと突かれるとすぐさま反応してしまう自分の頭をはたきたい。

 それはさておき、頭に血が昇っていた私は冬吾先輩に向かって少しだけ前のめりになって詰問を開始した。

「さっきのアレ、聞いてました? もし聞いていたなら忘れてください!」

「アレってなんのことかなぁ?」

 お前絶対聞いてただろ、という口調で冬吾先輩が私の発言を促す。

「と、とにかく忘れてください。私が国語科準備室にいたことすら記憶から末梢してください! いいですね!?」

 勢いのままもう一歩詰め寄ったところで背後から酷く殺気立った声がこちらに向かってかけられた。


「冬吾っ! 聞いたわよ。あんたF組のミチルとできてるんだってね」


 私と冬吾先輩から数メートル離れたところから通りの良い声で叫んだのは、ショートボブに分厚い唇が印象的な綺麗系のお姉さまだった。履いている上靴が青色なので冬吾先輩と同じ三年生だということが分かる。

「ミチルとあたし、どちらを取るか今すぐはっきりさせて!」

(うっわ、修羅場!?)

 発言の内容と殺気立った声から、間に入ることの危険性を感じた私は通行人Aとなるべくスッと身を引こうとした。

 けれど引こうとした体は冬吾先輩に咄嗟に掴まれた腕によって動くことを阻まれた。腕を力一杯振りほどこうとしても、掴んだ相手のほうの力が強くてびくともしない。

「ちょっと冬吾先輩、離してくださいってば」

 二人の会話の邪魔にならないように小声で離すよう伝えてみても、一向に腕は解き放たれない。

「ごめん、ユミカ。どちらも取れない。だって……」

 このままでは嫌なパターンに突入しかねないぞ、と私の頭が警鐘を鳴らす。冬吾先輩が全部を言い切らない間に逃げてしまわなければいけない、と掴まれた腕に空いているほうの手を掛けて引き抜こうとふんばった。が、遅かった。

 両腕が引かれて相手の胸に顔を押し付けられる。冬吾先輩らしい香水の匂いに全てをブロックされる。


「オレの本命はこの子だから。だから、ごめん」


(ああ、もう、サ・イ・ア・ク……)

 

 括った髪が持ち上げられてチュッと口づけされた。

 お姉さまの息を呑む音が聞こえる。

 それはもう大切に、というふうを装って抱擁される中、逃げたくても逃げられない力加減に、「私、オワッタ」と胸に押し付けられたことでくぐもる声で呻いた。

 この状況ではどう弁解しようと絶対に聞いてはもらえないだろう。せめて名前を知られていないことが幸いかも、とそう思った瞬間に、あろうことか冬吾先輩はそれはもうはっきりと相手に聞こえるように私の名前を口に乗せた。


「じゃあね、那智。オレ狙った子は必ず落とすから。覚悟しといて」


(何? 覚悟って命を狙われる覚悟ってことでいいんですかね?)

 言葉通りに取って良いとはまったく思えなかった。これが本気ならどんだけ天然さんだよ、と突っ込みを入れているが、あいにく相手は腹の内の読めないチャラ男だ。

 私相手に「本命」とかイヤガラセとしか思えない。

 相手の意表を突くための嘘にしては悪意を感じる。実は私のこと嫌いでしょ、と聞いてみたい。「嫌い」と言われたところで傷付きはしないが。「私もですよ」とハートマーク付きで言ってあげられる。


 解放されたことで自由になった体は、けれど今しがたされたことによる衝撃で固まっていた。

 冬吾先輩の発言と行動にショートボブのお姉さまも体が固まっている。


「ホントにごめんね」


 投げキッスを送って、誠意の欠片もない口調で軽快に歩き去っていく後ろ姿にいち早くはっと我に返ったのは私のほうだった。


「冬吾先輩っ!」


 お姉さまの殺気を気にして今後の学園生活を背後に注意しながら生活していくことになるなんて勘弁してもらいたい。

 百万歩譲って、冬吾先輩の「本命」が私だとしてもお断りだ。遊び人の相手とか、私は絶対にしたくない。

 とにかく今の発言をなかったことにしてもらいたい、と冬吾先輩を追いかける。

 そして渡り廊下の途中、日の光のもと立ち止まる冬吾先輩と諒ちゃんの姿に直角に足の向きを転回させて鼻息荒く近付こうとしたところで、冬吾先輩を追いかける女子第二弾と出くわしたのだ。

 冬吾先輩一人だけで逃げればいいのに、私を伴うものだから、第二弾のギャル系のお姉さまからも私は怒りをかってしまったことになる。

 できれば二人のお姉さま方が寛大な方であることを祈る。アーメン。




 そんな経緯をもって入り込んだ、言いかえれば逃げ込んだのが特別棟の一階にあるこの書道教室。

「オレに本命って言われても嬉しくないんだよね、人工物は」

 分かっているなら言わないでほしかった。眉を吊り上げる私にも冬吾先輩は楽しそうに私を見下ろした。

「そうやって誰かれ構わずちょっかいをかける人って嫌いです」

「ふうん、じゃあ一人に絞ればいいってこと? 例えばきみとか」


 本命発言したわりに、冬吾先輩の目には私に対する好意の「こ」の字も見られない。透けて見えるのは、彼の発言の一つ一つに私がどういう態度を取るのかへの興味の「き」の字だ。

 何が彼の興味を引いたのかは分からないけど、冬吾先輩は私が反応するたびに面白がって目を細めるのだ。だとしても今回のことはかなりたちが悪い。


「誰がそんなこと言いました!? うわっ、見てください。今の発言でトリハダ立っちゃいましたよ」

 それなら見せてやる、と私は本当にトリハダの立った腕を掲げてみせた。 

「えー、オレの誘いにトリハダ立てる子って初めて見たわ。傷付くなぁ」

 大げさに胸を押さえられても、本心から傷付いた様子はちらとも見られない。   

 冬吾先輩と会話するのは疲れる。暖簾に腕押し、ぬかに釘。とにかく手ごたえがない。真剣に言葉にしてもふわふわと流されてしまうのだ。

「本気でもないのに寒い冗談言うからですよ」

 私はトリハダの立った腕をさすりながらそう応えた。


「本気だって言ったら?」


 真面目そうな顔を作って冬吾先輩が身を乗り出して顔を近づけてくる。あくまで「作って」だ。これを本気ととらえたら、次の瞬間にはバカにされて大笑いされること請け合いだ。


「ユミカ、ミチル、マサミ、カナコ」


 苛立った私は呪文のように女子の名前を並べたてた。

「えっ」

 真面目な顔が崩れて目が泳ぎ始める。名前をあげるたびに「えっ、えっ」と動揺が走るのは見ていて少しだけ胸がすっとした。

「リナ、メイコ、えーと他にもユキでしたっけ」

 私は記憶を探って覚えている限りの名前を捻出していった。

 潮が引いていくように乗り出していた顔が引いていく。もっと引いてしまえ。

「なんでみんなの名前を……」

「否定しないということは全員当たりですか。先輩と噂になっている女の子たちの名前です。ただし学園内に限りますが」

 外部のことは知らない。

 でも学園内でもこれだけの女子と噂になっているのだから、このチャラ男のこと、外部でもそれなりに遊んでいるに違いない。

(この人、交友関係広そうだしな)


「本気だと言いたいのなら、そのあたりの清算を済ませてから言ってください。実際に清算されてこられても迷惑ですけど」


 じろりと睨み付けると、たじたじとなった冬吾先輩は頬をぽりぽりと掻きながら苦笑いを浮かべた。

「あはー、オレってみんなのこと愛しちゃってるんだよね」

「愛しているなら彼女たちの怒りも受け止めてさしあげたらいかがですか?」

 誠意を見せろ、という意味合いを込めて私は反撃に転じた。机から離れた冬吾先輩に代わって、今度は私が机に手を突いて身を乗り出す。

(いつもいつもからかわれる一方だと思うなよ)

「えー、それは痛いことになりそうだから嫌ぁ」

 名前をあげていったことで少しの動揺は誘えたみたいだけど、開き直った冬吾先輩はくねくねと体を揺らして私の言葉を流した。

(そういう態度だから誠意がないチャラ男って言われるんだよ)


「あれ絶対に家に帰ってから泣きますよ?」 


 今は怒りに駆られて勢いよく走り回っているけれど、いざ家に帰って一人になって冷静になるときっと泣いてしまうんじゃないだろうか。

 気が強いからって、何もかもに強い人って実はあんまりいないと思う。

 そういう人の痛みに気を向けられない人は私は嫌いだ。


「人工物って、攻撃態勢にある相手側の心理をよく分かってるよね」


 くねくねと揺れていた体が止まって、私を見透かすような視線が注がれる。

 その視線に、この人は分かっていてやっているんだと思った。

「みんな最初は遊びでいいって言って近付いてくるのに、いつの間にか自分だけは特別だって思っちゃうみたいなんだよね。……本当に迷惑」

 目元が笑っていて、口元も笑っていて、不自然なまでに自然に笑みを浮かべる。こういう類の表情をする人が身近にいるのでよく分かる。


(この人……)


 でも感じたのは親しみではなく恐怖心。


(怖い)

 

 その瞳の奥はまったく笑っていなかった。



反撃に出たのにまた押されてる。

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