21・肝試し大会、出発
暗い廊下は昼間の賑やかさが嘘のように深い静寂に包まれていた。
(あ、足が進みたくないって言ってるよぅ)
誇張でなく両足がぶるぶると震えているのが分かる。
私は唯一の縋り付く先として、ペアとなった相手の服の裾をギュッと握った。ギュッと可愛らしい音を当ててみたけれど、手の握力全開で握りしめているので本当に皺ができそうな勢いだ。多分、握ったものが空き缶だったら潰れている。そう思えるくらい、私は力を込めていた。
「あ、あの。皺になったらゴメン」
「気にするな」
私の前を行く委員長が少しだけ振り返る。視線を感じてうつむきがちな顔を頑張って上げると、気遣わしげな瞳と目が合った。
「ははっ。怖がりもここまでくると引いちゃうよね。自分でもバカみたいって思うんだけど、どうしようもなくて……ホント情けない」
私の空笑いにも、委員長は笑ったり引いたりしないでいてくれた。さっきも窓に映る自分の影に肩をビクッとさせても、「大丈夫」と声を掛けてくれた。
ファンが付くのも頷ける。
歩みのノロい私の歩調に忍耐強く合わせてくれるのは、委員長という責務からくるものだけじゃなく、彼の本質が優しいからだと感じた。
委員長は良い人だ。
今回のペア決めでも、私のことを心配して順番を変わってくれた――。
委員長のまるで最初から自分が引いたのは七番だったと言わんばかりの態度に、私は色々と突っ込みたい言葉を飲み込んで、ただ「何で?」と呟いた。
私の隣でハルちゃんが「お、さっそくドキドキな展開!?」と目を輝かせている。
期待に満ちたハルちゃんには悪いけど、彼のこの行動は私には「えっ!? この人もしかして私のことが好きなの?」というふうにはとれなかった。
「顔色」
「へ?」
委員長の期待外れの言葉にハルちゃんが声を出す。
「悪かったから」
(ですよねぇ。うん、なんかそんな気がしてた)
彼は委員長として、ビビって顔色を悪くする私を心配して順番を代わってくれたのだ。きちんと言葉にしないから分かりづらいけれど、まあそんなところで概ね間違ってはいないだろう。
色恋沙汰を期待していたハルちゃんが口を「へ?」の形にしてポカーンとしている。
理解が追いついていないようだったので、肩をポンと叩いて教えてあげた。
「委員長の責務として、ビビリすぎて顔色の悪い私を放っておけなかった。ってとこだと思うよ」
委員長に「そうだよね?」と聞くと「ん」と返事が返ってきた。
私の予想通りの返答だ。
言葉が少ないので、委員長に好意を寄せている子だったら確実に勘違いをしていたところだ。
(良かったね、委員長。相手が私で)
いらない勘違いを起こしかねないので、委員長はもう少し会話能力を身に着けた方がいいと思う。
「なぁんだ。つまんないの」
そう口をとがらせながらもハルちゃんは私を引っ張って、委員長に聞こえないようにこっそりと耳打ちしてきた。
「でも、委員長が名乗り出てくれたのは良かったかもね。いい、那智。絶対にお化け役は殴らないこと! 委員長の後ろに引っ込んで大人しくしているのよ!」
かつてお化け屋敷に私を無理やり連れて入ったのはいいものの、私の凶行に一生懸命謝り倒してくれたハルちゃんだ。私を肝試しに参加させることのリスクをよく知っている。
(あのときはお世話になりました)
「分かってるって」
「分かってても心配なの。はい、復唱。お化けは殴らない!」
「お化けは殴らない」
(復唱って私は幼稚園児か)
小さい子に言い聞かせるようにハルちゃんはそれから同じ言葉を二度復唱させた。
「うーん、まだ不安だなぁ。この際、委員長にも気に止めておいてもらおうね」
「え、それはや」
やだ、そう言う間もなくハルちゃんは行動に移した。
(何でこういうときの行動は早いんだ。運動神経鈍いくせに。あぅ、私の恥が晒される)
「委員長、お願いがあるんだけど。顔色の悪さからも分かると思うけど、那智ってものすごく怖がりなんだ。だから傍に付いて絶対目を離さないであげてね。お化けが出てくるときは必ず前に立って。あ、できれば手は押さえていた方がいいと思う」
ハルちゃんは私の凶行に触れないようにオブラートに包んで注意を促した。
(ありがとうハルちゃん。その言い回しなら私がお化け役を殴るような危険人物だって分かんないよ。ナイス言い回し!)
「ほら、那智。あんたからもお願いしときな」
私も自分の恥は暴露したくない。が、お化け役を殴るような凶行にも走りたくない。事前にお願いしておけば、委員長なら持ち前の反射神経でもって私を止めてくれるに違いない。そう思って私もハルちゃんに続いて口を開いた。
オブラートに包んで話を進めよう、と容量の少ない頭を回転させたのがまずかったと気付くのは後になってから。
「あの、委員長……私から目を離さないでね」
(でないと何をしでかすか分かんないからね)
私が危険な行為に及ばないように目を配ってもらわないと困る。
「守って欲しいの」
(私からお化け役の人を)
できれば羽交い絞めにしてまで止めてもらいたい。けれど、そこまで言うのは紳士な委員長には酷だろうから、前にいてもらうことを強くお願いしておいた。
「私、怖がりで。できればお化け役の人が出てきたら、視界に入らないように前にいて」
視界に入らなければまだマシだと思う。いきなり殴りかかるようなことはしない、そう思いたい。
「私を委員長の後ろにいさせてほしいの」
後ろにいれば手を出そうにも届かないだろう。
(あぁ、どんだけ危険人物なんだ私)
何て恥ずかしいお願いだろうか、と最後は気恥ずかしさに俯いてしまった。
「……分かった」
なんとか了承してもらったことに安堵する。けど俯いていた顔を上げると、ふいと視線をそらされてしまった。
(ん? 何故そこで目を逸らす? 耳がちょっと赤いって、今の私の説明で笑いをかみ殺しているなんてことはないよね)
横を見ると、ハルちゃんが「グッジョブ!」と親指を立てていた。
そこで今言った言葉を反芻して噛み砕いて、私ははっとした。
(今のはまるでか弱い乙女の懇願のようじゃないか。私がか弱い乙女(笑)……じゃない。否定、訂正、やり直し!)
「ちょ、待って。今のなし。忘れ、もがっ」
ハルちゃんが私の口を塞いだ。
「こら、せっかく美味しい展開になってるんだから。黙ってな。勘違いさせておけばいいの! 使命感で守ってくれるから。あんたからお化け役を……ぷふっ」
(美味しい展開って何だ!? 嫌な予感しかしないよ? それに最後のセリフ。笑いながら言っただろ。せめてお化け役からあんたをと言って欲しかった。正しいけどさ!)
結局、委員長への訂正はハルちゃんが出発まで目を光らせていたのですることはできなかった――。
以上、回想。
因みに未だに訂正はできていない。ビビリすぎて正直そんなことに構っている余裕がない。
ただでさえ暗い廊下に恐怖を覚えているのに、さっきから遠くの方で「ぎゃーっ」という叫び声が聞こえてくるのが私の恐怖感を割り増しさせていた。
あれは部室棟の方角だ。三ルートの中で一番お化けが多いというのはだてではなかったみたい。
握った手に更に力を込める。
足を止めたい。けど足を止めなかったのは、委員長が少しずつ前へと進んでいてくれたからだった。握った服がツンと前へ進むので、私も引っ張られて進んでいる状態だった。
(握らせてくれてありがとう。皴になったらアイロン掛けくらいはするからね)
本当は手を握ってもいいとの申し出があったけれど、ハルちゃんに美味しいネタを提供するのは勘弁したかったので、服を握らせてもらったのだ。
何かにしがみ付いていたかった。ペアの相手がお兄ちゃんだったら腕にしがみ付いていたところなんだけど、他人様なのでそうはいかない。恋愛感情もないのに異性に飛びつくなんて恥女な真似できない。だから手を繋ぐのは無理だけど、せめて服だけは握らせて欲しいと頼んだ結果がこれ。
たぶん、誘導してもらえなかったら恐怖で動けなくなっていただろう。
「行けるか?」
「う、うん」
委員長にかぼそい声で応え、なんとか震える足を前に出した。
私と委員長が今いる場所は特別棟の南階段の二階部分。私達が進む第一ルートは、まずは特別棟の南階段を使って三階まで上がって廊下を北の端まで進むことになる。端まで行ったら二階に下りて、今度は中央階段まで進んで一階へ。そしてまた北へ進んで校舎を出るまでが第一ルートの道のりだった。その後は体育館へ札を取りに行くだけだ。
その「後は体育館へ札を取りに行くだけ」に到達するまでに、私のノミの心臓は持ってくれるだろうか。
(めちゃくちゃ不安……)
まだお化けが出てきてもいないのに、私の心臓はバクバクと音を立てていた。今なら心臓に耳を当てなくても音が聞こえると思う。
階段に二人分の上履きの擦れる音が鳴る。
カタン
明らかに私たちの立てた音ではない音が耳に届いた。
(う、上に誰かいる……?)
委員長のものとは違う視線を感じる。見たくないのに勝手に顔が動く。サイコサスペンス映画とか、何でそこで見ちゃうんだよってとこで主人公が視線を向けるシーンがあったりするけど、これって見なければいけないって引力が働いちゃうんだ。今、やっと理由が分かった。全然嬉しくないけど。
上階、ちょうど三階の部分から私たちを見下ろす影と目が合った。影と目が合うって可笑しな表現だと思うけど、本当に目が合った気がしたのだ。
その影の頭には、人にはない耳が付いていた。ふわふわ、もこもこな手触りの良さそうな耳が。
「あ、あ、あれ。み、耳が付いてる。お、お化けがこっち見て」
握っていた手を離し、叫びださないように口元を覆った。
そしてやらかしてしまった。
私はここが階段であることも忘れて一歩後ろに下がってしまったのだ。
とたんにカクンと体勢が崩れる。浮遊感が私を襲った。重力に従って身体が下に向かっていく。
(このまま落ちて気を失った方が楽かも)
そんな感想を抱いたけれど、私の身体は落下せず、左腕がぐっと引き寄せられた。左腕を掴んだ手にはかなり力がこもっていて痛かった。
後頭部ではなく額にトンと小さな衝撃が当たる。それでもバランスが悪くて私の腕は空をかき、反射的に落ちないように相手の胴体にしがみついた。不快ではない汗と日溜まりの匂い、そして暖かい熱が私を包む。
委員長が持っていた懐中電灯が音を立てて階段を落ちていき、私たちのいる段から数段下の位置で止まった。足元だけが明るく照らされて、暗がりに自分たちの下肢がぼうっと浮かび上がる。
耳元に、ふうっと息を吐く音が通った。
(え、あ、この体勢って……)
先日の鬼ごっこをした放課後のことが頭をよぎる。あのときも不可抗力で(愛梨ちゃんと間違えて)この人にしがみついてしまった。
委員長は階段の途中で振り返り、右腕で私の腕を取り、左腕で手すりを掴んでいた。そんな委員長に私は今、しがみついている。もとい抱き着いている。
暗闇で見えづらい分、余計に感覚が研ぎ澄まされて、身体に触れる委員長の熱が熱く感じた。
今の状況とあのときの恥ずかしい記憶とが重なって、私の頭が混乱していく。
「バカっ、離すなっ!」
咄嗟に腕を解いた私の背中に委員長の左腕が回された。落ちないように支えられた身体が委員長の固い胸に押し付けられる。階段に座り込む形となり、私たちはさっきよりももっと密着した形で抱き合う体勢になってしまった。
日溜まりの匂いが更に強くなる。
「田辺 晴子の目を離さないで手を押さえておけ、の意味が分かった」
若干違うけど、間違いではないと思う。
「うっ、ごめん」
恥ずかしさのせいで怖さが薄れた。上を見上げると、さっきの耳付きの影は姿を消していた。
「さっきの影はお化け役だろう」
委員長の淡々とした声は気持ちを落ち着かせてくれる。
「立てるか?」
私に抱き着かれても顔色一つ変えないので、逆に意識しすぎる私の方がおかしいみたいに思えてきた。感情の起伏の少ない言葉遣いは恐怖でバクバク脈打つ心臓のリズムをわずかだけれど抑えてくれる。
手を取って立ち上がらせてくれた委員長が、ポンポンと手を叩いてきた。
「深呼吸」
私の呼吸に合わせて委員長が一緒に吸って吐いてを繰り返した。
お化けに会う前からこんな調子で本当に大丈夫だろうか。
呼吸を繰り返して落ち着いた私は、「大丈夫。もう行けるよ」と口角を無理やり持ち上げた。笑えば少しは恐怖感が薄れる。
「行くぞ」
私の強がりに委員長が歩き出す。そのペースはやっぱり歩みのノロい私の歩調に合わせたものだった。
(お化け役さーん、桂木 那智が通りますよー。私が通るときはみんな休憩していてくださーい。ご自分の身の安全の為にも!)
心で呟く。どうか急に出てきて怪我をすることのないように。……無理かもしれないけど、お化け役の人が私の被害に合わないためにもそう祈った。
来るのはお化けだけどね(笑)
転びかけて抱きとめるのも展開としては王道だけど、胸熱です。




