閑話:恭平、まどろみの中で・家族
前半は、お気に入り登録4000件突破記念で活動報告にもあげていた話です。
後半は、それに加えて執筆。
[まどろみの中で]
今日は両親も外出してしまい、那智も街に買い物へ行くと一人出掛けてしまった。
特に出掛ける用事もなかったので、買い溜めていた本を読むことにする。たまには一日家でゆっくりするのも悪くない。
小説を読んでいるうちに、春の日差しにうつらうつらと脳が睡眠状態に推移していった。
懐かしい夢を見た。
『君が僕の妹になる那智ちゃんだね? 嬉しいな。お母さんが出来て、その上こんなに可愛い妹ができるなんて』
心にも思っていない言葉。
(どうせなら妹よりも弟のほうが良かった)
『那智も嬉しい。こんなに格好良いお兄ちゃんができて。これからよろしくね、お兄ちゃん』
新しく妹となるその女の子は、目を輝かせ、頬を紅潮させて伸ばした手を取った。
(こいつもか)
顔では笑って、内心ではしらけていた。
『へー、妹ちゃんはフツーなんだね』
そう言ったのは誰だっただろう。もう名前も覚えていない。顔もぼやけて記憶に薄れている。
(まぁ、いいか。覚えておく必要もないし)
隣に俺という強力な味方がいるのにも関わらず、妹はこちらに助けを求めてきたりはしない。ただ俯いて悔しそうに唇を噛んでいる。
助けを求める相手が横にいることに気付かないバカなのか、助けを求めたくないという強がりなのか……。
バチャバチャ
家に戻った妹が洗面台で勢い良く顔に水を掛けている。手に掬った水が腕を伝って床にこぼれていく。
泣いているのだと、そう思った。
慰めるのもわずらわしかったので、そのまま見なかった振りをして自分の部屋に戻った。
『那智が帰ってこないの』
夕暮れ時になっても戻ってこないその子をみんな総出で探しに行く。
正直面倒臭かったけれど、探さないわけにもいかなかったので、以前耳にしたアパートへ向かってみた。
そこにいたのは、苦しそうに喘ぐ一人の女の子。
『お兄ちゃんはずっと那智のお兄ちゃんでいてくれる?』
暗がりで必死に腕を掴まれ言われた言葉に、助けを求める方法を知らないだけだったのだと分かる。
こちらの好意や愛情を求めているのではない、ただ「助けて」と訴えかける瞳。
(何故、伸ばされた腕を取ったんだろう? 何故、約束を交わしたんだろう?)
『那智もおばあちゃんになっても、俺の妹でいてくれる?』
(何故……)
何も分からない。
けれど、返した返事に飛びつかれても嫌だと感じない。それどころか、自分も腕を伸ばしてその小さな身体を抱きとめた。
パラパラと紙をめくる音に夢から覚める。
見えたのは、読みかけで伏せていた推理小説を読む後ろ姿。
いつもなら誰かが近づいてきたらすぐに起きるのに、それほど深く眠っていた自分にびっくりする。
那智はまだ自分が起きたことに気が付いていない。
柔らかな日差しの中で、静寂にページをめくる音と那智の息遣いだけが響く。
誰かと共にいることを違和感なく受け入れている自分がいる。それくらい、この妹の存在が傍にいて当たり前の存在になってしまったということか……。
(最初はあんなに抵抗があったのにな……)
後姿だけでなくちゃんと顔を見たくなって、髪をツンツンと引っ張った。
「おかえり、那智」
ただいまと言えばおかえりと返ってくる。その逆もまた……。いつの間にかそれが当たり前の日常となり、それをそんなに悪くないと受け入れている自分がいる。
バカで可愛い妹。助けの求め方を知らない妹に手を焼かされるのは嫌いじゃない。
「でも、何で吹雪なんかとつるむかなぁ」
「うぅっ、はい。すみません。ごめんなさい」
自分から正座して謝る妹に苦言を呈しつつ説教をするのは、この数分後のこと――。
※ ※ ※
[家族]
両親が連れ立って外で食べてくると言うので、夕食は二人でカレーを作ることにした。母の「私も食べたいから、たくさん作ってね」との言葉により、大鍋で作ることにする。
自分はサラダ用にレタスの水気を切り、那智は包丁でジャガイモの皮を剥いている。しばらく母子家庭で過ごしていた那智にとって、料理をすることはそれほど面倒臭いことではないようだ。普段から進んで母親の手伝いをかってでているので、包丁を握る手付きも慣れたものだ。
台所は二人で作業しても邪魔にならないくらいには広く、器具は家族が使いやすいように配置されている。
ここに住み始めた頃は「あれ、ボウルってどこに置いてたっけ?」とオロオロしていた那智も、今ではどこになにが配置されているか把握して使っていた。
その姿を横目で見ながら冷蔵庫から真っ赤なトマトを取り出す。先ほどのまどろみで見た那智を探し回った日の夕暮れの太陽が思い出された。
あの日、真っ赤な夕日が地平線に沈み、暗くなった夜道。
重いから降ろして欲しいと頼む那智を「そんなに重くないよ」と背中に乗せてゆっくりと歩いた帰りのことだ。
「ねえ、お兄ちゃん」
遠慮がちな声が後ろから掛かる。
「ん、なに?」
背中に掛かる重みは暖かく、腕に掛かる負担は苦ではなかった。
「那智がお兄ちゃんの妹になることを許してくれてありがとう」
この新しくできた妹の中にも、家族が増えるということには少なからず葛藤はあったらしい。
以前住んでいた家に別れを告げに行ったことも、心配をかけさせたことはあれだが、心の整理をつけるためには必要だったのだと思う。
こうして折り合いを付けて家族になっていこうと努力しているのだ。
新しい家族にも当たり障りなく程よい距離で接しようと思っていたが、前に向けて頑張ろうとする妹の頑張りは、困ることがあれば助けてやろうという気分にさせられる。努力する人間は嫌いじゃない。
街灯に照らされて重なる影は不明瞭で、それでいて一人分よりは大きな形を作っていた。
帰った先の家で母親にもみくちゃにされながらもこちらを見上げた妹は、自分自身に言い聞かせるように宣言した。
「私、頑張ってお兄ちゃんの妹になるよ」
家族になるのに頑張るもなにもあるのかと人は言うかもしれない。
けれど、物事の分別が付く年齢で新しく家族を迎えた自分たちにとっては、一つ一つの確認が必要だったのだ。
ふふっ、と笑えば那智が不思議そうな顔をして首を傾ける。
「いや、那智はここに来たばかりの頃はよく寝ぼけて階段を踏み外していたなぁって」
慣れない家に、朝寝ぼけているときはよく階段を踏み外しては大きな音を立てていた。それがなくなったのは、身体がこの家に馴染んだという証。
傍らにこの妹がいて普通と感じる日が来るなんて、初めて出会った頃は思ってもいなかった。家族と名の付く他人が増えることが、ただ面倒に感じていた。
「いつぐらい前の話だよ。最初の数ヶ月くらいじゃん」
怒った顔をしてタマネギを炒め始めた那智の耳が少し赤い。那智にとっては他人には知られたくない黒歴史の一つなのだろう。
数ヶ月とはいえ、かなり長い期間、結構な頻度で家の階段を踏み外していたことは恥ずかしいから外では言わないでと口止めをされる。
「ぜったいに言わないでよね!」
那智は他人の目も構わず引っ付いてくるくせに、変なところでプライドが高い。
「言わないよ。こんな面白いこと」
笑うと、むくれた那智が頬を膨らませる。むすっとした空気から、怒っていることが分かった。
これくらいのことを他人に知られたとしても三分で忘れ去られてしまうだろうに、本当に怒ってしまうところは実に子供っぽい。
女子に囲まれていると威嚇するように自分に纏わりつく那智は、自分のいないところでは少しは静かにしているようだ。多分、こんな顔も他所ではしていないだろう。
(そんなこと俺だけが知っていればいい)
「……?」
ふとよぎった思いは、瞬時に掻き消える。
「あーっ!」
那智が肉に掛けようとしたカレー粉をぶちまけていた。カレー粉は事前に肉に掛けておくと味が付いてより本格的なカレーになる。我が家の隠し味となるそのカレー粉の入った缶のフタが堅くて苦戦した結果、フタが飛んでついでに中身も飛散させてしまったようだ。
空中にカレー臭が舞う。
その惨事に、よぎった思いすら吹き飛んでしまった。
「本当に今日は厄日かも……」
さっきもお茶をこぼした那智は、二度目のぶちまけに項垂れて床を拭き始めた。下を向く頭に、髪に結んだリボンも一緒にヘタッと項垂れているように見えるのが可笑しかった。
「気にしない、気にしない。明日は良いことがあるよ。きっと」
こんな失態にもうんざりとした気持ちが起きないのは、きっと相手が那智だからだ。
項垂れるリボンを見ているのも面白いが、優しい兄としては共に片付けるのが普通だろう。二人して雑巾を持って床に落ちたカレー粉を拭き取った。
こうして自分たちは家族になっていく。
香ばしいカレーの匂いが台所に満ちていた。
[余談]
ようやく完成したカレーを食べる段になって、それはやって来た。
ピンポーン
玄関のチャイムが耳に届く。
「僕が出るよ。那智はカレーをついでいて」
返事をして開けた玄関の先では、見たくない顔トップスリーに入るうちの一人が立っていた。(因みに一人は吹雪だ)
「どーも、カレーを頂きに来ました」
学園の国語教師である諒一は軽妙に笑って玄関に踏み込んできた。笑った拍子に色素の薄い茶色の髪がふわりと揺れる。学園では人気者の彼だが、自分は苦手としていた。
「何しに来たんですか?」
笑顔で応対するも、上がってくるなという空気は醸し出しておく。だからといってひるむ彼ではないので、にっこりと笑みを作って返してきた。大人の余裕だろうか、喰えない男だ。
「何って、カレーを頂きに。伯母さんがカレーがたくさんあるから食べにおいで、ってメールくれたんだよ」
那智と新しく家族になって、自分の従兄ともなった彼が家に夕食を食べに来ることはそれほど珍しいことではない。いつもは母親の手前素直に入れるのだが、今日はなんとなく入れたくない気分だった。
「そうですか。じゃあ、タッパーに入れてきますから待っていてください」
「うわっ。一人寂しく食べろっての? 冷たい奴だな」
ショックを受けたわけでもないのに、ショックを受けたような顔を作る。女子受けは良いのかもしれないが、自分がされるとなると腹立たしい以外の何ものでもない。
「いい年した大人が一人でご飯を食べるのが寂しいとか言わないでください。気持ち悪い」
自分が相手では埒が明かないと判断した彼は、家の奥の妹へと声を張り上げた。
「おーい、那智。お兄さんが家にあげてくれませーん。お土産にエクレアあげるからおいでー!」
お土産に反応した那智がタタタッと駆けてくる。
「やったぁ。エクレアー!」
さすが長年の付き合いだけあって、那智の扱い方は慣れている。お土産の魅力の前に普段なら敏感に空気を察する那智も「さ、あがってあがって。今カレーが出来たところだよ」と従兄を促して家にあげさせた。
ふふん、という顔で家にあがるこの従兄が本当にうとましい。
カレーを食べたら早々にご帰宅願おう、と二人に続いてカレーが漂うダイニングへと戻った。
夕食を食べてもまだリビングでくつろぐ従兄に「早く帰って授業の準備でもしたらどうですか」と帰れコールをするのは、またしばらく後のこと――。
カレー臭に兄の思いは消えゆく。
余談は遊びです。兄妹水入らずに入り込む従兄が書きたかっただけ(笑)




