17・那智の休日 1
体育倉庫での出来事からすぐの日曜日。私は一人で街にショッピングに出掛けていた。
いつもならクラスメイトの田辺 晴子ことハルちゃんと来たりするんだけど、彼氏とデートということで断られた。他の子も概ねそんな感じで断られた。
(ちっ。リア充共め。羨ましくなんてないんだからね。私は一人だって平気だもん)
だからといって大好き(仮)なお兄ちゃんを誘ったりはしなかった。休みの日くらい、那智のお兄ちゃんという枠から開放してあげたいので、「お買い物にいってきます」と言って家を出た。私が誘えば来たかもしれないけど、当然お兄ちゃんは付いてこなかった。
両親はデートで帰りは夜中になるし、私も家を出たので、お兄ちゃんは日中は一人でのんびり過ごせることになる。今日は家で本を読むと言っていたから、今頃は窓際に座って日に当たりながら読書に励んでいることだろう。いくらお兄ちゃんでも、読書をしているときはさすがに無表情だ。その無表情すら端整な顔立ちのお兄ちゃんは様になる。(美形って得だな)
観賞に値するその顔を見ていてもいいんだけど、気遣い屋のお兄ちゃんはきっと読書に集中出来ないだろう。見てたら、きっと私に声を掛けてくるからそんなことはできない。
私はじっと観賞していられるくらいにはお兄ちゃんの顔が好きだ。一緒にいると作り笑顔をしなくちゃいけないから疲れるんだけど、そうしなくていいなら小一時間は見ていられる。「美形は観賞用!」とハルちゃんは言っていた。大いに賛成だ。見ているだけなら疲れない。私だって乙女。綺麗な異性は嫌いじゃない。見るだけで済むなら、こちらに害が及ばない範囲で遠巻きに見ていたい。
(見ているだけで良いならねぇ。楽なんだけど……)
その美形が身内となるとそうも言っていられないのが事実。関与しないわけにもいかないので、早く関与しないで済む環境になってほしいものだ。
本音を言うなら、彼女でも作って休日はどっかに遊びに行けよと思っている。そうしたら私も気を使って一人寂しく外に出ないといけないようなことにならないだろうか、と。
(お兄ちゃんには気を許す時間なり人が必要なんだよね)
私は日中の間だけでもお兄ちゃんが自由になれる時間を作ってあげようと、一人ならささっと見て終わるであろうウィンドウショッピングに時間を費やした。
しばらくして暇をもてあそんだウィンドウショッピングにも飽きてきた頃、通りの向こうで騒がしくする男女二人組の姿が目に入ってきた。
休日で人通りも多い通りの中で、人の流れがそこだけを避けて流れていく。
(あれは……)
距離が近づいて見えてきた顔が、私の知っている人のような気がする。
「ちょっと、気安く人の肩に触ってんじゃないわよ!」
細身の黒ジーンズにUネックのラメ入りグレーのニットをざっくりと着こなした美人が眉間にシワを寄せて怒鳴っていた。
それに纏わり付いているのは、いかにもな感じのナンパ男。ナンパ男は相手の性別に気付いていない様子で、デレデレとその肩を抱いている。チャラい。同じチャラいなら、まだ冬吾先輩の方が爽やかな分マシな気がする。
「オレね、映画の無料券持ってるんだ。しかも二枚。一緒に行ってくれる相手がいないところに丁度キミみたいな超カワイイ子が来たってわけ」
「しつこいのよっ。それにアタシは超カワイイじゃなくて、超キレイなの! 見る目のない人間に付き合う程ヒマじゃないのよ」
「えー、いいじゃん。そう堅くならないでさ」
けんもほろろに断られているにも関わらず、ナンパ男は下心丸出しで寄せた顔を更に近づけた。
吹雪ちゃんの眉間のシワが深くなる。瞳に力がこもり、口元がひくついている。
(そこのナンパ男。それくらいにして離れた方がいいよ。吹雪ちゃんのその顔、キレる三秒前だから)
私は心の中で数を数えた。
(一、二――)
「だ・か・ら、気安く触ってんじゃねぇ!」
吹雪ちゃんがナンパ男を突き飛ばす。続いて、決して静かではない通りに重たい衝撃音が鳴り響いた。
(はい、ご愁傷様でした)
ナンパ男は突き飛ばされただけでなく、天高く伸びたキレイな足によって脳天に踵落としを食らわされた。
白目を向いて地面に倒れこむ男に、吹雪ちゃんは「ふうっ」とハニーブラウンの長い髪を掻き揚げた。その立ち姿は戦場に降り立った戦女神。あまりの美しい攻撃にちらほらと拍手が起こっている。でもここは平和を愛する国、日本。良い子のみなさんは真似をしてはいけません。
(ようし、私は何も見なかった。今から私は通行人A)
吹雪ちゃんのことは嫌いじゃないけど、正直あんまり関わりたくない。見た目も目を引く容姿なのに、その言動の奇行っぷりに一緒にいる私まで変人に見られかねない。要は悪目立ちするから、傍に寄りたくないのだ。
ただでさえお兄ちゃんの傍にいて普段から注目を浴びているのに、休日くらいは一般市民でいたい。
私は来た道を戻るべく、吹雪ちゃんのいる方向に背を向けた。
ガシッ
「あらチビッコ。こんなところで会うなんて奇遇ね」
けど、歩き出そうとした体は力を込めて肩に乗せられた手によって動くことは叶わなかった。
「あはは。そうだね。奇遇だね。じゃあ私はこれで」
早々に別れの挨拶をして手を振る私に、吹雪ちゃんは私の肩に乗せた手に更に力を込めた。
「また今度、なんてアタシが言うとでも思っているの?」
(ちょ、痛っ。こら、そこの美女。力を込めるな。アザができるわ。いや、ホント痛いから。痛すぎて泣く)
「この間はよくも恭平クンにアタシを売ったわね。お陰で痛い愛のムチを食らっちゃったじゃない」
「最初に売ったのは吹雪ちゃんじゃん。その後、お兄ちゃんに床に沈められてたけど。ほら、吹雪ちゃんなら痛みも快楽に変えられるって」
グイッ
「スミマセンデシタ。私ガ悪ウゴザイマシタ」
背後の黒いオーラに誠心誠意謝ると、ようやくこめられた力を解いてもらえた。ちょっと目の端に涙が溜まっていた。もうちょい手加減してほしい。
(吹雪ちゃんてばお兄ちゃんに対してはマゾだけど、私に対してはサドだよね)
痛む肩をぐるぐる回して正常に動くか確かめていると、吹雪ちゃんはオレンジのグロスを塗った唇をニッコリと微笑みに変えた。手には二枚のペラペラとした紙を持っている。
「あんた一人? 丁度ここに映画の無料券があるのよね。暇なら付き合いなさいよ」
「それ、今のナンパ男から奪ったやつだよね? いつの間に……」
吹雪ちゃんの手際の良さに脱帽する。
(生徒会長が凶暴な上に手癖まで悪いって、大丈夫か? うちの学園)
「アタシが直々に映画に誘ってあげてるんだから断らないわよね? そんでもって、この優しい気遣いに感謝して、今見たことは忘れなさいよ」
(あげくに口止め!?)
細められた目が、時代劇の悪代官に見えてきた。
そんなことしなくても学園側に告げ口なんてしたりしないのに、嫌がる私を引き連れて吹雪ちゃんは映画館の方に向かって行った。
「あー、チビッコの嫌がる顔って本当に面白いわ」
そんなことを呟いていたので、九割は私に対するイヤガラセでしかなかったみたいだ。
映画は純愛物の日本映画だった。心理描写が多くて起伏の少ない淡々とした流れに眠くなった私は、開始十分で健やかな眠りにつき、終了五分前に眠りから覚めた。
それでも内容が分かったので、そう大した映画でもなかったというのが素直な感想だった。
横で見ていた吹雪ちゃんは感動してウルウルしていたので、一般的にはそれなりに面白い映画だったらしい。こういった映画で感動すらできない私は、乙女として何か負けている気がした。
「面白かったわね。感動したわ」
浮かんだ涙をハンカチで拭う吹雪ちゃん。
「感動的すぎて涙が出るね」
対してあくびをして浮かんだ涙を手で拭う私。
「あんた開始十分で寝てたじゃない。ちょっと、手で拭うんじゃないわよ。擦れて赤くなっちゃう」
劇場を出たところで立ち止まって、ハンカチで涙を押さえてもらっていると、
「「あーっ! ナッチー」」
重なる二つの声が私たちに掛けられた。
「え、海道先輩方……何でここに? それに愛梨ちゃんも」
振り返ると、ピンク色のワンピースにオフホワイトのカーディガンを羽織った私服も美少女っぷりが愛らしい愛梨ちゃんを挟んだ海道兄弟が動作を合わせてこちらを指差していた。
いつものキラキラ金髪におそろいの帽子を被り、色違いのスニーカーを履いた双子は、私服では尚更人目を引くようだ。映画館から出てくる人たち(特に女性)がチラチラと二人を見るのが分かった。
ついでに言うと、その他の男性の視線は愛梨ちゃんと吹雪ちゃんに注がれていた。中の中くらいの容姿の私はみんなのオーラに埋もれて視線を注がれなかったので良かったといえば良かったのだけど、それはそれで何か哀しかった。(もうお家に帰って良いですか?)
「ボクたちは一緒に映画を見に来てたんだよ」
そう言った星太先輩の手には、今話題のコメディ要素もたっぷりのアクション映画の半券が握られていた。明るく楽しいことが大好きな二人がチョイスしそうな映画だ。私もどうせ見るならそっちの方が良かった。女の子を誘うためとはいえ、純愛物をチョイスしたナンパ男を少し恨めしく思った。
今の状況を楽しげに教えてくれる星太先輩に対し、晃太先輩は面白くなさそうにツカツカと私の方に詰め寄ってきた。
「ナッチー、何で生徒会長と二人っきりなのさ。もしかして付き合ってるとか!?」
(まぁ、性別を知ってる身としては、顔を突き合わせているこの状況はそう取れなくもないよね。……でもないわ。吹雪ちゃんはないわ)
吹雪ちゃんに憧れはあっても恋愛感情はこれっぽっちも持っていないのだから、そんな勘違いをされてもらっては困る。
突進をかましてくる晃太先輩に、私は適度に体を離して首を振った。
「海道先輩、私にオネエの趣味はないですよ。それに吹雪ちゃんには彼女だっているし」
私がそう言うと、双子は声を合わせて驚いた。
「ウソ、マジで? だってオネエだよ?」
「ウソ、ホント? だってこの人だよ?」
失礼な物言いに吹雪ちゃんが二人の頭を小突く。ついでに私も小突かれた。(何で?)
「恭平クンは別として、アタシの恋愛対象は女よ。アタシは自分に似合う格好をしてるだけ。美しい人間が美しい格好をしないなんて冒涜よ。怠惰よ」
自論はともかく、吹雪ちゃんに彼女がいるのは事実だ。それも隣に並んでも遜色ない美人。
(ちっ。オネエのクセに彼女持ちとか。リア充め。羨ましいな。コンチクショー)
私には厳しい吹雪ちゃんだけど、彼女には優しく接している。むしろとても大切にしていると言っていいだろう。彼女も吹雪ちゃんに接するときは表情が柔らかい。二人でいるときは互いに想い合っているんだなということがよく分かる。
吹雪ちゃんの彼女は奇特な人で、こんな成りをしている吹雪ちゃんのことを普通に受け入れている。中学のとき吹雪ちゃんがこんな風になってしまったときも、彼が彼らしく振舞っていればそれで良いのだとそんなことを言っていた気がする。ある意味変わった人とも言えるかもしれない。
それでも二人は一緒にいるのが自然で、私たち兄妹みたいに「ずっと一緒に」と口にしなくてもいい関係を築いている。
そう、私たち兄妹みたいにイビツじゃなくてマトモな関係を――
「……羨ましいな」
「――ッチー。ナッチーってば」
ふと面を上げると、目の前で晃太先輩がひらひらと手を振っていた。
「ボクたちの話聞いてた?」
「あっ、海道先輩すみません。少しぼんやりしてました」
「もうっ。ナッチーってば。これからみんなで移動して何か食べようって話をしてたの。ナッチーも行くんだから、ボーっとしてると迷子になっちゃうよ?」
プンプンと頬を膨らましている顔は、女の私がするよりも可愛らしくて様になっている気がした。
(なんかムカつく。その頬突いて割ってやろうか。しかもさりげなく私も強制参加とか、いつ決まった)
面倒くさいから帰りたいと言いたかったけど、私が帰ると愛梨ちゃんがこの濃いメンバーに一人残されてしまう。それは可哀想なので残ることにした。
それに愛梨ちゃんを残して、双子に好意を寄せるようなことにならないか心配だった。ただでさえ三人でデートまがいのお出かけをしているのに、私の見ていないところで愛梨ちゃんの気持ちが双子に傾いたりしたらお兄ちゃんが可哀想だ。
(良い雰囲気にならないように邪魔してやろう)
そんなことをつらつらと考えていると、横で晃太先輩がまた何か言っていた。今度も聞いていなかったとか言ったら拗ねそうだったので耳を傾ける。
「――それにまた苗字で呼んでる。苗字じゃなくて」
「名前で呼んで、ですよね。分かってますよ、晃太先輩」
世の中には苗字で呼ばれるよりも積極的に名前で呼ばれることの方を喜ぶ人がいる。晃太先輩もその類の人らしい。私は親しい人以外は苗字で呼ぶスタンスなので若干の抵抗があったけど、本人がそう望むのならばと名前で呼んだ。
晃太先輩はそれで満足したらしく、私が名前で呼ぶとにっこりと笑って傍に寄ってきた。尻尾があったらブンブン振っていそうだ。
「あんたたち、さっさと移動するわよ」
「ナッチーも晃太も止まってないで歩いて歩いて」
先の方で吹雪ちゃんと星太先輩が私たちをせかす。
「はーい」
歩き出す私に晃太先輩が手を絡めてきた。ニコニコと笑うその顔は子犬みたいで可愛かったけど、いかんせん顔が近かった。
「やっぱりナッチーはボクたちの区別がはっきりついてるんだね」
私は顔を覗き込んでくる晃太先輩の額をグッと押してどかした。ついでに手も振り払って解いた。
「区別がつくのは愛梨ちゃんもそうじゃないですか」
「そうだけどね。えへへっ。ナッチーにもきちんと見分けがついてるってとこが嬉しいんだよ」
何を今更そんなことで嬉しがっているんだかわけが分からなかったけれど、晃太先輩は嬉しそうに再び手を繋いでこようとしてきた。私は持ち前の反射神経でもって手を振ってそれを交わす。
「名前では呼びますけど、仲良く手を繋ぐことは了承してませんよ」
嫌そうに言ったのに、晃太先輩は面白がっているように見えた。私の中で晃太先輩マゾ疑惑が持ち上がる。いや、この場合は私は嫌そうにしているのでサドかもしれない。どっちにしろ、この顔でマゾとかサドとか止めてほしい。普通が一番だと思う。
「えー、いいじゃん。繋ごうよぉ」
「繋ぎません。幼児じゃあるまいし、手を繋がなくても迷子になったりしませんよ」
「ナッチー、そういう意味じゃないんだけど……」
店に到着するまでの間、私と晃太先輩は手を繋ぐ繋がないの攻防を密やかに繰り広げていた。
出掛けたら誰かに出会うのもまた王道。
今回出会ったのは双子と愛梨でした。
逆に言えば、愛梨が順調にイベントをこなしているとも言えますが。
もう少し続きます。




