15・お仕置きと興味
私が体育倉庫に閉じ込められた翌日の金曜日。生徒会長による精神的に痛いお仕置きはさっそく開始されていた。
「あんたたち、もっと力を込めてしっかり磨くのよ! 恭平クンに迷惑掛けた罪は重いんだからね」
放課後、三年生の廊下にこだまする怒声に、階段から下りて靴箱へ向かっていた私は歩みを止めた。
見えたのは肩から『花嫁修業中』と書かれたタスキを掛けてジャージ姿で窓拭きに専念する彼女たち。その後ろでは我が学園の生徒会長が黄色いメガホン片手に怒気を飛ばしている。
通り過ぎる生徒たちは、書かれた文字とその状況にププッと笑って通り過ぎた。
彼女たちに課せられたお仕置きの一つがこれ。生徒会長の監視下での一週間の無償労働。他にも反省文三十枚と新入生歓迎会の参加取り消しが学園側から課されている。体育倉庫の鍵の無断借用にイジメに発展しかねないイヤガラセを行ったことに対する処分としては妥当なものだと思う。
因みに無償労働とは、生徒会長の嫁姑ごっこに付き合わされることを言う。窓拭きに廊下の雑巾掛け。他にも校庭の草むしりに朝の挨拶運動なんかも組み込まれている。一見すると楽に感じるかもしれないお仕置きだけど、変な文字の書かれたタスキを掛けさせられ、オネエ言葉で叱り飛ばされるというオプション付きなので、かなり恥ずかしいものがあるのだ。
好きな人には嫌われるわ、オネエにはしごかれるわで意気消沈した彼女たちは、窓を拭く力も弱々しいものだった。加えて自分たちに向けられた笑い声に顔を赤らめて下を向く二人にメガホンがパコパコと叩きつけられた。
「うつむいてんじゃないわよ。上を向きなさい。何を恥ずかしがってるの。あの子に焚きつけられたからってイヤガラセに走るなんて、自分に自信がない証拠よ。それに、まともに窓も拭けないで良い物件に嫁に行けるとでも思ってんの? ナメてかかってるから、意中の相手にだって歯牙にもかけてもらえないのよ。あたしがその性根叩きなおしてあげるから覚悟なさい」
オネエ言葉で叱り飛ばす本人は、額には『姑』という文字が書かれたハチマキを巻いて、肩には『私が生徒会長』というタスキを掛けいる。
私は知っている。あの人はそんなハチマキやタスキの文字など全然恥ずかしがっていないことを。むしろ楽しんでいるということが紅潮した頬から見て取れた。
我が樹ノ里学園の生徒会長「西園寺 吹雪」はれっきとした男である。例えその容姿がハニーブラウンの長くうねる髪に、派手すぎないナチュラルメイクでありながら美女としか形容しようがない顔であってもだ。知らない人が見たら、十中八九「女」と答えるだろうこの美女がうちの生徒会長様。
男のくせに笑い方が「ウフフ」とか「オーホッホッホ」とかであっても、もう誰も気に留めない。未だに気に留めるのは、生徒会顧問の堅物お爺ちゃん先生くらいのものだ。
方向性をどう間違ったのか、彼は中学三年の頃にこの道に目覚めて以来ずっとこの調子だ。無駄に明るい思考を持った女装男子。これが先生受けの微妙な部分なんだけど、彼が生徒会長としての能力を発揮している分には、お爺ちゃん先生以外の先生は諦め顔で流している。関わって疲弊するより、流す方が楽だと達観したんだと思う。だって入学式のとき、彼が壇上できゃっきゃしながら挨拶してても目に感情が灯らず聞き流していたから。(お爺ちゃん先生は「入学式くらい男の格好せんか!」と怒ってたみたいだけど)
私は彼に気付かれないように、こっそりと靴箱に向かおうとした。
けど、一瞬出遅れて彼と目が合ってしまった。
(あ、ヤベ、目が合った)
お兄ちゃんの自称親友だけあって、私と彼は一応の面識はある。断じて私と彼は友達という間柄なんかではない。顔見知り程度だ、としておきたい。むしろ他人でお願いします、と言いたい。
なのにヤツは私の姿を捉えると、目と口元をにんまりと笑みに変えて、おいでおいでと手を振った。
「ちょっと、そこのチビッコ。こっちに来なさい」
「なんで?」
ついつい口に出してしまった。
(絡みたくないんだよ。絡まれたくないんだよ。そこはスルーしといてよ)
「生徒会長に向かって口答えするすもり?」
ものすごく嫌そうな顔をして立ち止まると、彼は腰に手を当てて私を睨みつけた。見た目美女の彼は、そうやって立っているだけで女王様然としている。
(美女の怒り顔って恐いんだぜ?)
嫌々ながらも指示に従って近付いた私に満足そうに微笑むと、彼は傍にいた二人に振り向いた。
「あんたたち。アタシは今日は用事が出来たからもういいわ。解散」
(ねぇ、その用事って今思いついたよね。私と目が合うまでは、明らかに下校時刻まで嫁姑ごっこしながらしごくつもり満々だったよね。ねぇ)
「アタシは化粧直ししてくるから、生徒会室で待ってなさい」
どこをどう見ても美女の彼は、私の返事も待たずにスタスタと歩いていった。
残された彼女たちは私の姿に目を伏せる。
(あいつ、ワザと残してったな。どうしろって言うの)
どちらかが動きださないと、このまま時間だけが無駄に過ぎてしまうだろう。私に対する負い目がある分、相手二人はなおさら動きづらいに違いない。仕方が無いので私の方から動くことにした。
「お兄ちゃん、怖かったでしょ?」
私が無視して立ち去るものだと思っていた彼女たちが驚いたように顔を上げる。
「あの人、いつも笑ってるけど、怒ると怖いんだ」
お兄ちゃんの怒ったときの目は妹の私だって怖い。ファンとかミーハーな軽い気持ちでいたなら、百年の恋も覚めるというもの。
そのときのことを思い出したのか顔が引きつる彼女たちは、だからお兄ちゃんの彼女候補としては認められない。たとえ付き合えたとしても、到底付いていくことなんでできないだろう。今までの歴代の彼女たちのように女の本能で自分の事を好きではないことに気付いて去っていくのが関の山だ。
「あのさ、狂犬に噛まれたとでも思って忘れた方がいいよ。そんでマトモな人を好きになった方がいい」
そんなことを言うとお兄ちゃんがマトモじゃないように聞こえるけど、いいんだよ本当にマトモじゃないんだから。お兄ちゃんの見た目に騙されていた彼女たちは早々に想いを断ち切った方がいい。睨まれたくらいで揺らぐ恋心なら忘れた方が傷が浅くて済む。それに、お兄ちゃんはもう彼女たちを視界に入れることはないだろうから。
その点、愛梨ちゃんは合格点だ。そのときのことを話していたとき、愛梨ちゃんの目は怯えていなかったから。お兄ちゃんに向ける視線もいつも通りの優しいものだった。だから愛梨ちゃんには是非お兄ちゃんの彼女になっていただきたい。そして彼女たちにはお兄ちゃんのことは諦めて忘れていただきたい。
「あんた……」
「あんなことしたのに怒ってないの?」
呆気に取られたような声を出す彼女たちに、私は眉を吊り上げた。
「怒ってるに決まってんじゃん」
ツカツカと彼女たちの方に向かって歩く。ぎりぎり腕を伸ばせば届く位置に止まると、私は手を振り上げた。殴られると覚悟した彼女たちが身をすくめる。
キュッ
「ほらここ。まだ曇ってる。窓もロクに拭けないで、お兄ちゃんのお嫁さんなんてなれると思ってんの?」
嫌味たらしく拭き残しの曇った部分に指を滑らせて拭うと、カチンときた彼女たちがすぐさま雑巾で窓を拭いた。その手つきはさっきまでより乱暴で力強かった。
「これでいいでしょ」
こちらを睨む彼女たちに挑戦的に片眉を上げて肩をすくめる。
「いいんじゃない?」
私に敵意を向ける元気があるなら、これから続く生徒会長のお仕置きにも耐えられるだろう。
「ま、今後も花嫁修業ガンバッテね」
ひらひらと手を振り、今度こそ私はその場から立ち去った。背筋を張って優雅に見えるよう。嫌味に見えるよう。彼女たちが気に病まないよう。
(元はといえばお兄ちゃんのせいなんだから。あの外面笑顔で何人の女の子が泣いたことか。お兄ちゃんのフォローも大変なんだよね)
「あーあ、早く本命の彼女作ってくれないかな」
彼女たちから見えなくなった位置まで来ると、私は立ち止まってポリポリと頭を搔いた。
※ ※ ※
綺麗に磨かれた窓の外、今しがたのやり取りを聞く男子生徒が一人身を隠していた。手には高そうな一眼レフのカメラを持ち、壁を背に校舎内で交わされる会話に聞き耳を立てている。彼は風がそよりと撫でていく髪を鬱陶しそうに搔き上げた。
「やっぱり人工物は〝人工物〟だったか」
極度のブラコンと名高い彼女は、噂どおりの兄にべったりのおつむの弱い女の子ではなかった。
垣間見えたのは強さ。相手に気付かせないくらいの距離感で被害者ぶらない態度は、いっそ小気味良いと言えるだろう。
「けど、オレは嫌いだな」
彼女は見返り無く相手を思って行動するタイプだ。そういった子は、自分が傷付くことなんて屁とも思っていない節がある。
今だって自分を体育倉庫に閉じ込めた相手なのに、それと分からないようにフォローを入れていた。彼女たちは嫌味で返ししてもらったことで、酷いことをしたのだという罪の意識を軽減してもらったことに微塵も気付いていないことだろう。
「ホント苦手なタイプ」
そういう子と相対するのは、軽いノリで繕って本心を出さないような自分にとっては苦手とするところだ。むしろ自分に群がる女の子たちみたいに欲望むき出しの方が相手にしやすい。
あの水野 愛梨でさえ、何かしらの願望を持ってこちらに接してきているのだ。カメラのレンズを通して見る瞳は、「こちらを見て」と語りかけてくる。彼女は他の女子のようにガツガツしていなくて、こちらのペースに合わせるような雰囲気が好ましくて傍に寄るのだが、自分が「人工物」と呼ぶ彼女は違う。
自分のことを苦手としているくせに愛梨と二人きりになると何かと邪魔してくるの彼女の瞳は、レンズを通して見ても「こっちに来んな」と言っているのが如実に分かる。様子を見ていて感じたのは、愛梨に自分が近づくのが許せないらしいということ。
どうやら彼女は自分には何の好意も持っていないらしい。これでも人当たりが良く、モテるとは自負しているのだが。
あの桂木 恭平の妹だから、多少の見目の良さなんかには惑わされないのかもしれない。けれど、それにしては兄に盲目的なわけでもないように見えた。今のやり取りで、ブラコンと称される彼女は客観的に兄を捉えているということが伺えた。
ふと、ここで疑問が浮かぶ。
では、時折目にする兄にべったりと引っ付くブラコンな姿は何の為に作り上げたものなのだろう。彼女が作り上げた人工物な表面に興味が湧く。
今のところの自分の彼女への評価は、「苦手なタイプだけど、興味はある」だ。だが所詮は「今のところ」だ。人の気持ちは移ろいやすい。「苦手」が「嫌い」や「大嫌い」に変わることもある。その逆もまた然り。
「まあ、オレがあの子を好きになることなんてないだろうけど」
好みのタイプとはまったく違う彼女の姿を思う。
苦手なタイプだと思ったからこそ、からかって距離を置いていたはずなのに、何故か視界に入る子だ。向こうからわざわざ視界に入ってくるという一面はあれど、それはこちらに好意を抱かせるためではないということは重々分かっていた。
この思いは単なる探究心。噂と違う姿に興味を引かれただけ。
カメラを構えて中庭を映した。中庭は専属の庭師によって綺麗に整えられている。春の彩りを持つ庭の背後に、その向こう側にそびえる校舎が映り込んでしまった。けれど、庭の花によって人工的に作られた建物は温かみを持った色合いに見えた。いつもなら削除してしまうそれを保存して立ち上がる。
『私は人工物も好きですけどね』
無意識にどこかで聞いた言葉がよぎった。
「作り物のどこがいいんだか」
作り物は嫌いだ。見せ掛けばかりで、何の温かみもないから。
そこでふと歩みが止まった。あの言葉の後、彼女は自分に何か言った気がする。
(何だったっけ?)
桜の木の下で、遠くを見ながら言われた言葉――。
目の前に幻視の桜の花びらが舞った。
『無機質に見えて人の体温がそこにはあるから』
校舎を振り返る。けれどもう彼女の姿はそこにはなかった。
学園の生徒会長はオネエ。
攻略対象にはなりません。でもキャラの濃い人(笑)
冬吾は那智に興味を持ち始めた模様。




