第七節:最初の朝礼
さて、ケルティス達が教室に入った頃、神殿の別所において素っ頓狂な声が響き渡る。
「…………わ、私がですか……?」
驚愕の余り部屋に響いた声を耳にして、そこにいる者達の視線を一斉に集める。
声を上げた彼女は、愕然とした叫びと共に席を立ち、そのまま呆然と立ち尽くす。
そんな彼女へ上座に座る老爺が、その白く長い自らの髭を撫でながら声をかけた。
「……ふむ……受けてくれんかね?
あの子の相手をするのに、其方が適任ではないか、と言うのが多くの者の意見じゃ」
「…………それは……確かに、そうかもしれませんが……しかし……」
「無論、不慣れな其方の為にも、協力や補佐を惜しむつもりはないしの……」
そう言って、老爺は部屋を見渡す。その視線に応える様に部屋の中の皆は、立ったままの彼女に向けて頷きを返して行く。
その様子を目にして、躊躇いが窺える様子ではあるが、彼女は承諾の頷きを老爺に返した。
† * †
ケルティスは、ニケイラとカロネアへ自分の家族に関して簡単な紹介を述べて行く。
「はぁ……ケルティスさんのお母様が、“漆黒の姫将軍”……
しかも、その実家がミレニアン家だったなんて……名門の姫君じゃないですか」
「あれ?……ニケイラさん、貴女のお父さんは緑風騎士団の騎士だって言ってませんでしたか……?
同じ盟約軍の騎士になるんだし、知っているんじゃ……?」
「いえいえ、私の家――ティティス家って、万年平騎士な下級貴族の家柄ですから……
他国の貴族の方々のお話なんかあんまり耳に入ってきませんって……」
ケルティスの説明に感嘆の溜息を漏らすニケイラと、そんな彼女にケルティスは些細な疑問を投げかける。そんな二人の会話を眺めていたカロネアから声がかかる。
「それにしても、セイシア様のご子息で、レイン隊長の弟君と言うことなら……大分、年の離れたご姉弟になるのですね」
「そうですよね……ラティル先生と義理の御兄弟ってことになるから……え~っと、20歳位の年の差ってことなのかな……?」
「え……えぇ、そうですね……」
カロネアの呟きに応じたニケイラの言葉に、ケルティスはその返事の言葉を濁して呟く。彼は自分の出生や年齢等に関した事柄を話せずにいた。
それは、折角得られた友達に隔意を持たれることを恐れたからかも知れない。
ともあれ、そんな心持ちが彼に無意識に働きかけたのか、心に浮かんだ疑問をカロネアに向けて投げかける。
「そう言えば……如何してカロネアさんは、セイシア……母さんやレイン姉さんのことを知っているんですか?」
その問いかけに、カロネアは目を丸くして瞬いて見せた後、軽く笑って答えを返した。
「それは、私が下町の育ちだからですよ。
レイン隊長は、都市の治安を預かる責任者として、折りを見て下町にも足を運んで下さいますし……セイシア様の武勇伝は、上流の貴族の方々よりも、下町に住む下々の者の方が親しんでいるのではないでしょうか」
そう答える彼女の仕草は、下町育ちにしては優雅な挙措ではないか……と、ケルティスとニケイラは思ったが、深く追求する様なことはしなかった。
ケルティスが、ニケイラとカロネアに自分の家族のことなどを話し始めて暫くした頃、次々と学院生徒が教室に入室し始めていた。
やがて、ケルティス達の話が一段落する頃には、教室は数十人の学院生徒が集まり、教室内の席は概ね埋められた状態になっていた。
話に夢中であったケルティスやニケイラは余り気付いていなかったが、この教室――中等部一年灰組の教室に入室した生徒達は、入ってすぐの所で一応に驚きの表情を浮かべることになっていた。それは教室の中央辺りの席で、談笑する三人の少年少女の中に“虹色”の髪を持つ少年の姿を認め、更に少年の傍らには、この国では珍しい青い髪を持つ飛び切りの美少女の姿も見受けられたからだ。
こんな珍しい髪の色を持つ同級生の姿に驚き、そんな同級生ととともに学生生活を送ることに好奇心や興味が湧き起こり、そして一部の者達はその同級生達の正体に気付いて更に驚嘆することになるのだった。
* * *
この一年灰組へと配された生徒一同が集まり、程なくした頃合に教室入口の扉が開いた。
「「……あ……!」」
教室に入って来た人物の姿を目にして、ケルティスやニケイラ、それに一部の生徒達が驚きの声を短く漏らすことになる。
その人物とは、くすんだ金髪を伸ばした一人の女神官であった。出席簿らしい帳面を小脇に抱えた彼女の瞳の色は、“虹色”である。この色の瞳を持つ人物は、世界でも二人しかいないとされている。
そう……教室に入室して来た人物とは、ラティル=コアトリア、その人だったのだ。
ケルティスとニケイラは先程まで一緒にいた人物の登場に驚いていた。他の生徒達の殆どは、噂を見聞きしても、その顔を知らずにいる。しかし、噂に聞く特徴を目にして彼女と覚った者は、意外な人物の登場に驚きを隠せずにいた。
動揺にざわめく教室内を、敢えて気に留める様子も見せず、ラティルは教室の前に置かれた教壇の方へと歩を進めた。厳かに悠然とした足取りで教壇に向かうラティルの姿を目にして、生徒達のざわめきも徐々に静まって行く。
そうして教室内が物静かな雰囲気に包まれようとし始めた時……
一段高くなっている教壇に足をかけようとしたラティルは……
教壇から足を踏み外し……
盛大な音を立てて……
教壇へと……物の見事に倒れ込んだ。
倒れた時に手放してしまった帳簿が……
教壇の上の虚空を舞い……
彼女に遅れて……
一際高い音を立てて……教壇に倒れ落ちる。
* * *
「「「………………」」」
暫しの間、教室内は異様な沈黙に包まれていた。
「…………プッ……」
「…………ククッ……」
「「……フフフッ……」」
「「……ハハハッ……」」
しかし次の瞬間、押し殺した笑い声が漏れ始める。
「「「ワハハハ……!」」」
「「「アーッハッハッハッ……!」」」
そこから笑い声が教室内を伝播して行き、遂には爆笑の渦へと変化して行った。
「………………」
そんな爆笑が響く教室の中で、ラティルは黙然として立ち上がり、転げ落ちた帳簿を拾い上げる。
そして、教壇の中央に置かれた教卓の許に立って、教卓に抱えていた帳簿を置いた。
「……コホン……」
爆笑する生徒達の声に掻き消される程度の音で、ラティルは細やかな咳払いを行う。
そして、生徒達に向かって声を上げる。
「……皆さん、静かにして下さい」
「「「ハーッハッハッハッ……!」」」
「「「ケラケラケラ……!」」」
「「「ヒーッ、ヒャッハッハッハッ……!」」」
しかし、それに生徒達は気付いた様子もなく、爆笑の声を上げ続ける。
「…………静かに……皆さん、静かに……」
爆笑する生徒達に向けて、ラティルは懸命に声を張り上げる。
しかし、そんな彼女に構うことなく笑声は途絶える様子は見えない。
そんな教室の様子に、ケルティスは戸惑いの余り、幾度となく周囲に首を巡らす。
ケルティスの様に、爆笑する面々とは異なる面持ちで周囲や教壇を見詰める者達も少しはいるものの、爆笑の中になる教室の雰囲気に埋没していた。
* * *
爆笑の渦がいまだ渦巻く教室の中、制止の声を上げ続けていたラティルは、一転して教卓へと視線を落とした。そうして、頭を垂れた姿のまま、彼女は長く長い一息を吐く。
しかし、そんな彼女の様子に気付いた者は、この時点ではケルティスぐらいしかおらず、気付いた彼は、次の瞬間に備えて身構える。
彼がその身を硬くして備えた刹那、無表情な顔を上げた彼女の口より、低く重く短い声が教室内に拡がる。
「…………黙れ……」
「「「……………………」」」
たった一言、「黙れ」と言った彼女の声で、教室には慄然とした静寂の中に陥っていた。
教室を一瞬睨み付けた彼女の姿に、笑い転げていた生徒達は一転して恐怖に慄きの余り、声を発することを忘れる。
* † *
何故、この様なことが起こったのか……それは、彼女が言葉と共に自らの魔力を教室全域に向けて放ったからだ。
しかも、ただの魔力を放ったのではない。彼女が放った魔力には、とある感情が込められていたのだ。
その感情の名は、殺意……
殺気を纏った濃密な魔力が教室に満ちることにより、そんな感情と縁のない生徒達は、その圧迫に精神や魂魄が軋み、恐怖と言う感情を絞り出す結果となっていた。
実の所、この強烈な威圧は、お転婆が過ぎるレイアに対して、叱り付ける為に身に付けたと言って過言ではない。
悪戯や悪ふざけが過ぎることに幾ら言葉を連ねて叱っても、一向に悪びれた色も見せない娘に対して、非常手段として半ば本気で殺気を放つと言う方法を彼女は採るようになった。
冒険者としてある程度の功績を記すラティルは、幾つかの修羅場や死線を経験している。そんな彼女が放つ殺気は、相当な凄味がある。
流石に、人間に対して非殺を旨としている彼――もしくは彼女――は、本気の殺意や殺気を放っている訳ではないが、レイアの様な子供には十二分以上な威力を発揮する。
ちなみに、コアトリア家でこの方法が用いられる頻度はそれ程多くはない。
これはレイアの悪戯が少なくなっている……と言う訳ではなく、この方法を使った際、近くにメイ達――コアトリア家侍女の面々がいた場合、高確率で彼女達が機能停止して昏倒するからだ。強い感情が篭る魔力が、魔法機械の誤作動を誘発することが原因らしい。
ラティルは、人ならぬ侍女達のことを思って、普段はこの方法を自粛しているのだ。
* † *
慄然とした沈黙の中、教壇よりラティルは生徒一人一人を睨み付ける様に首を巡らす。
そして、その背後の虚空では密やかに漂う彼女の守護聖霊――リュッセルの目が、人間の瞳の形状とは異なる物と化していた。
その虹彩は金色に輝き、その瞳孔は紡錘形と言った形状を成している。それは“竜瞳”と称される代物であり、魔力や精霊力を知覚し、制する力を秘めていると伝えられており、本来なら人間が持つことのない瞳とケルティスは聞き及んでいる。
生徒達に見える筈はないものの、彼はラティルの背後で浮かびつつ “竜瞳”で一同を睥睨する。その口元をニヤリと歪めたその表情は、浄き聖霊と言うよりも意地の悪い邪霊の様にも見えた。
ともあれ、沈黙する生徒一同を一頻り見渡した後、ラティルは一旦、軽く頭を垂れる。
そして面を上げた時には、教室に伸し掛かっていた殺気は雲散霧消し、朗らかで柔和な笑みを浮かべたラティルが生徒達の前に立っていた。
その余りの変貌振りに、唖然・呆然する生徒が散見されることも構わず、教壇の彼女は言葉を紡いだ。
「おはようございます、皆さん。私の名前は、ラティル=コアトリア……この学級の担任を務めることになりました。今年一年、よろしくお願いしますね」
「「「………………」」」
朗らかな笑みと共に紡がれたその言葉と、先程までの異様過ぎる威圧の懸隔から、生徒達は一様にその返事の言葉を迷う。
しかし、そんな生徒達の様子を気にすることもなく、ラティルは言葉を続けた。
「それでは、これから間もなくして入学の式典が始まります。
式典が始まる前に、皆さんは大講堂へと移動して貰うことになりますが……
その前に、幾つかの注意事項をここで述べておきます。初等部からの進級した生徒の皆さんは知っているかもしれませんが、確認の為にも良く聞いておく様に……」
そう言ってから、帳簿を手にしたラティルは式典に関する注意事項を順に述べて行ったのだった。
式典の注意事項を説明が終った後、教室の一同はラティルの先導の下、入学の式典に参加する為に大講堂へと向かったのだった。
副題の文言を、「本当は怖いラティル先生」……ってのにしても良さそうな内容に仕上がってしまいました……(ダウシテカウナッタ?)
生徒の家族が担任を務めるとか、始業初日になって担任が決まるとかは、現実世界では避けられる、と思うのですが……
そこは政教一致も問題ない様な異世界の物語と言うことで、ご容赦願いたい所……