第五節:異名の由来
ニケイラの叫びに首を傾げるケルティス達に対して、ラティルはその言葉を聞いてピタリとその身を硬直させた。
そして次の瞬間には、彼女はその顔を形容し難い渋いものへと歪めることになった。
「……“西のヤーナ”……?」
驚きと感激に深緑の瞳を潤ませるニケイラと、“虹色”の瞳を持つ目元や口元を引き攣らせるラティル……
その両者を交互に目をやりながら、ケルティスは少女――ニケイラが発した言葉の意味を吟味しようと頭を捻った。
* † *
“ヤーナ”とは、北方大陸北部域――ヤヌガリア地域に暮らす諸民族の祖として崇められる女神の名である。
神代の頃にあって、彼の女神は弓と銛を巧みに操る勇猛な女傑であったと伝えられ、狩猟と漁撈の女神として北方大陸で広く崇拝されている。その為、ヤヌガリア地域の貴人や武人の家系では、この女神の名にちなんだ名を与えられている女性が時に見られると聞く。
そんな女性達の中でも特に有名なのが、“大ヤーナ”と“小ヤーナ”の名で北方大陸史に残る二人の女傑である。
“大ヤーナ”と称される女性は、古代紀――ユロシア魔導帝国黎明期にあって、ヤヌガリア地域へと侵攻した魔動帝国の帝国軍に対して、起ち上がったヤヌガリア諸民族のある族長家の娘であったと伝えられている。
彼女は物陰に潜んで侵攻軍に近付き、自らの放った一箭によって、軍中央に在った侵攻軍の大将を一撃の下に射抜いて帝国軍を瓦解させ、帝国の侵攻軍から大陸北方域を守ったと伝えられている。
一方で、“小ヤーナ”と称される女性は、古代王国崩壊後――ロミナル帝国黎明期にあって、大陸北部域に成立して間もないヤヌガリア王国へと侵攻した帝国軍に対して、撃退の任を負った王国軍の将軍の一人であったと伝えられている。
彼女は、帝国と王国を隔てる山岳地帯の峠道の一つに陣取って侵攻軍を押し止め、遂には自らの放った遠矢の一箭によって、侵攻軍で陣頭指揮を執っていた帝国建国帝でもあったラルグタス一世に致命傷を与えて、帝国軍を撤退に至らしめたと伝えられている。
これらの逸話は、大陸北部域では広く知られる伝説であり、大陸西方域や大陸中原域でも少なからず知られるものとなっている。
特に大陸北部域においては、“大ヤーナ”と“小ヤーナ”の二人の女傑は“ヤーナ女神”とも同一視され、“勝利の女神”としても崇拝されている。
それに伴い、大陸北部域では、戦の勝敗を決する機会や要素を指して“ヤーナの矢”と呼ぶ言い回しや、勝敗が決する瞬間を指して“ヤーナの矢が放たれる”と言う慣用句などが存在している。
* † *
しかし、そんな“ヤーナ”の名がこの場で飛び出す訳は、ケルティスには分からぬままだった。
だが、そんな周囲の様子に気付いたこともなく、ニケイラはラティルに熱い視線と言葉を放ち続ける。
「……このセオミギアに来たら、もしかしたら逢えるかもって思っていたのに、こんなに早くお逢いすることが出来るなんて……!
これはもう、ナエレアナ女神様とヤーナ女神様に感謝、感激って所ですよね!」
「…………あの…………」
「早速、さっきの大聖堂でお礼のお祈りしないといけないかなって……
……あ、でも、これから学院学舎で入学式があるんでした。
あ、そうだ、放課後に行けば良いんですよね♪」
「…………ニケイラ……さん……」
「そう言えば、これから中等部に行くんでしたよね?
だったら、これからの学院生活で一緒にいられるってことなんですか?
学院で一緒ってことは、学院の講師なんですよね?
……ラティル先生……うん、素敵です!
ラティル先生の講義なら、欠かさず出席して見せます。
やっぱり、“西のヤーナ”とまで呼ばれた人の授業と言ったら……」
「……あの、ニケイラさん……」
のべつまくなしに捲くし立てていた少女の言葉の隙を突いて、ラティルは言葉を突き立てることに何とか成功する。その割り込まれた言葉に、ニケイラは少しばかり熱が冷めたのか、一つ瞬きをして言葉を途切れさせた。
「……なんでしょう……?」
「あの……どうして、“西のヤーナ”って名前を知っているの……?」
「え?……あ!……そうか、まだ言ってなかったですよね。
私の父は、ランギアの緑風騎士団の騎士なんです。あの“大挟撃戦役”に従軍していたんです。
それで……それで……あの一閃を目撃したんです。私は、父からいつもその時の話を聞いて育ったんです」
「…………あ……そうなのですか……なるほど……」
目を輝かせて答える少女の言葉で、ラティルの渋面を浮かべた表情に何処か納得した色が混ざる。
しかし、先程の問答で納得したラティルに対して、子供達三人はいまだ“西のヤーナ”の異名に関する疑問は依然として不明のままである。ともあれ、何となく察することのできる事柄は幾つかある。
「……“西のヤーナ”って……ラティルさんのことなんですか……?」
そうした察せられる事柄の確認にと、ケルティスは問いの言葉を紡ぐ。
「えぇ……“西のヤーナ”と言えば、大陸北方域で広まっているラティル先生の呼び名よ。何と言っても……!」
ケルティスの問いかけに、力を入った声で答えを返す。しかし、そんな少女の言葉を遮る様にラティルの言葉が被さる。
「……さ、さぁ、時間に余裕があると言っても、まだ目的の中等部学舎まで到着してないし……お喋りもこれ位にして学舎へ向かいましょう、ね?」
そう言って、強引に歩を進めようとしたラティルの背後で、別の声が飛び出して来る。
「だったら、歩きながら話を聞こうぜ。なあ、フォルン……?」
「うん、父様のことだし、ちょっと興味があるよね」
「………………」
我が子達から飛び出た思わぬ台詞に、後続の子供達へ見せぬ様にしながらも、ラティルの表情にまた微かに渋いものが混じることになる。だが、話を止める道理を思い付けずに、背後の会話を心の裡で耳を閉ざすことにして回廊を進むことにしたのだった。
* * *
回廊を進みながら、少女――ニケイラは嬉々として、父から聞かされ続けた一大活劇を身振りや手振りを交えて三人の少年少女に向けて語り始めた。
「レイアさん、フォルンさん、それにケルティスさん……皆さんは、“大挟撃戦役”と呼ばれる戦のこと、知っていますか?」
始めに問われたその内容に、三人が三様に承知の頷きを返す。
“大挟撃戦役”の通称で知られる戦役とは、レイアたちが生まれる以前……今より十数年昔に行われた戦争を指している。
大陸西方域の諸国家連合と大陸中原に広がる大帝国――ロミナル帝国の間には、それぞれの国家が成立して以降、幾度となく大小様々な紛争や戦争が繰り広げられている。
それは、ロミナル帝国が大陸統一を求めて大陸各地へと侵攻の魔手を伸ばす中で、それに対抗する為に大陸西方域の諸国家は“ユロシアの盟約”の名で知られる大同盟を締結した。そうして、両者の激突は度々激突を繰り返すことになっていたのだ。
“大挟撃戦役”は、そんな両国の間で交わされた戦争の一つである。
この戦役にはセイシア・レインの母娘のみではなく、ティアスやラティルも参戦していたこともあって、ケルティス達三人も折に触れて耳にする機会があった。
「私の国――ランギア王国は、ユロシア地域の中でも北東にあって、ロミナル帝国が侵攻する時も、騎士団主力が帝国と接するシルダリー王国へ派遣するだけで、直接戦に巻き込まれることはなかったんです。
でも、この戦いの時には、緑風騎士団の主要な騎士の方々がシルダリーへと出立された後に、隣国のガリシア王国から大軍が攻め寄せて来たんです。」
この点が、この戦役が“大挟撃”の異名で知られる由縁である。ロミナル帝国が大陸北方域の国家との脅迫染みた同盟関係を築いた上で、大陸西方域の北東部と南東部の二方向より攻め寄せたのである。
「残された緑風騎士団の方々と言えば、国境警備と治安維持の為の数部隊と見習いの騎士達くらいしかなかったんです。」
これがロミナル帝国の狙いであった。
“ユロシアの盟約”を締結した諸国家が想定していた敵国とは、基本的にロミナル帝国のみであり、大陸北方域の諸国家に対する警戒は全くない訳ではないものの、仮想敵として設定していない傾向にある。
それは、大陸北方域の諸国家も大陸西方域の国家群と同じく、ロミナル帝国とは敵対的な傾向にあったことにも影響している。
「でも、そんなロミナル帝国の策略は、我らが盟約軍の名軍師!……“仮面の魔導師”ルギアス様には全然、全くお見通しだったんです!」
そう力説するニケイラの様子に、三人は微妙な苦笑を漏らす。
少女が語るのは、“仮面の魔導師”や“大陸西方最高の軍師”との呼び名も高い人物――ルギアス=ペンコアトルのことである。
しかし、若き日の彼はティアスとは喧嘩友達……と言うよりも、口論友達の様な間柄であったとセイシアが度々口にしていたこともあって、コアトリア家の者達には、そんな印象の方が強い。
「ルギアス様の命で、白牙騎士団や岩爪騎士団、それに錬刃騎士団や暗牙騎士団の騎士達が、密かにランギアの都に集結していたんです。
攻め寄せるガリシア王国軍に、集まった連合騎士団の方々が立ち塞がったんです」
もっとも、ガリシア王国よりの侵攻軍に相対した連合騎士団は盟約軍主力ではなく、後方支援を主任務とする予備部隊の集合であった。そのことをケルティスは、とある事情もあって知っている。
白牙騎士団・岩爪騎士団及び錬刃騎士団の主力部隊はシルダリー王国へと派遣されており、セイシア=コアトリアもシルダリー側の戦線に参戦していた。
一方で、レイン=コアトリアは少女の話にあるランギアに派遣された部隊として参戦していた。
そんなことをつらつらと思い出していたケルティスの耳に、更に熱を帯びたニケイラの声が流れて行く。
「侵攻軍と盟約軍との激突は、一進一退の膠着状態に陥ったそうです。でも、その時……!
戦場の上空を切り裂く光が走ったんです!」
「「…………光……?」」
熱っぽく声の調子を上げたニケイラの言葉に、レイア達は思わず問いかけの言葉を漏らす。
「えぇ、光です!
戦場の上空を、都市ランギアの物見の塔の一つから、東に向かって、落雷の如き閃光と轟音を振り撒きながら、一直線に走ったんです。
そして……そして、その光は戦場を通り抜けて……ガリシア王国軍の本陣に掲げられた大軍旗の支柱をへし折ったんです!
大人が一抱えする程の……
太さをした支柱を……
戦場を隔てた遠い距離から……
一撃で……
へし折ったんですよ!」
話をすることで感極まったのか、頬を紅潮させて力の篭った声で、少女はそう言い切った。そんな少女の様子に、引き込まれる様に三人は次の言葉を待つ。
「……それで……大軍旗は、凄い物音を立てながら倒れ落ちたそうです。
その様子は戦場の何処からも判る程の出来事で、ガリシア軍はたちまちの内に崩れ去り、ガリシア王国へ逃げ去って行ったんです。
それで……戦場の上空を走った光こそが、ラティル先生の放った銃弾だったんです!」
そう言った少女の言葉に、レイア・フォルンの姉弟は驚いて親であるラティルの方へと首を巡らす。しかし、そんな子供達の視線を気付かないかの様に回廊を進み続ける。
そんな彼女を横目に、ニケイラは少し調子を落として言葉を続けた。
「戦場を走った光は、侵攻軍・盟約軍の誰もが目にした光景だったんですけど……最初は、誰が撃ったか誰も判らなかったそうです。
でも、戦役が終った後でラティル先生が撃ったことが判って、ランギアで評判になったんです。それが、和平が成立した後にガリシア王国にも伝わって、 “ユロシアにいるヤーナの化身”と凄く評判になったんです。
それで、大陸北方域やランギア王国では、“西のヤーナ”って言えば有名なんですよ」
「「「……へぇ……そうなんだ……」」」
「………………」
ニケイラの話が終わった所で、聞き入っていた三人は改めて前を進む女性の背に視線を集めた。
しかし、視線が集まっていることを承知しているだろうに、ラティルは素知らぬ素振りで、そのまま回廊を歩いて行く。
* † *
ラティル=コアトリア……旧名をラティル=ウィフェルと言うこの人物は、“虹の一族”として婿入りする以前より、大陸西方域において、ある程度名の知れた人物である。
それは、ティアスより、古代紀の西方大陸において用いられていた魔法機械武器――銃と呼ばれる武器を贈られ、北方大陸唯一の銃の使い手として、まず名が知られることとなった。
そんな彼は、銃と言う武器に適性を持っていたのか、様々な武勇伝を残すことになる。
曰く、乱戦の最中、入り組んだ味方達の隙間を縫う様にして一発の銃弾を打ち、一撃の下に魔獣を屠った……
曰く、十数発の銃弾を叩き込んだ筈の一つの的に、たった弾丸一発分の穴しか穿たれていなかった……
曰く、剣豪と名高いジェイナスに対して、互いの得物を用いた一騎打ちを行い、接近戦による銃撃と斬撃の応酬を繰り広げて、ジェイナスの剣を叩き折って勝利した……
曰く、乱戦で敵味方が入り乱れた最中、その乱戦の中に銃弾を打ち込んで、味方を襲う敵方の得物を尽く弾き飛ばした……
眉唾にも思える様々な噂が囁かれているが、上記の噂などについては本人やコアトリア家の面々も否定はしていない。そんな彼には、“銃使い”や“剣撃ち”と言った異名で呼び習わされている。
一方で、女性の姿を得たことで、女性時には本来の姿の時よりも高い魔力や魔法の才と“虹色”の瞳を有することとなり、“虹の瞳”の異名を持つ女性魔術師としても名が知られている。
* † *
黙したまま数歩進んだラティルは、やがて歩を止めた。
そこは、学院中等部の学舎が並ぶ区画にある広場……中等部の学院生徒が、憩いの場や交流の場として利用する為の場所である。そして、生徒達への伝言等を貼り出す為の掲示板も設置されている。
その掲示板には、何事か書き出された大きな紙が何枚か張り出されている。それらの紙を認めて、レイアが声を上げる。
「お!……もう学級の組分けの表が張り出されてる。
フォルン、それにケルティスとニケイラ!……早速、見に行こうぜ」
「そうだね、姉さん。二人とも、どの組に配されるか、一緒に見に行こう」
「…………は、はい……」
そう言って、掲示板へと駆け寄る“虹髪”の姉弟の後を、ニケイラは慌てて追いかける。
そんな三人の様子を見ながら、少し気になったケルティスは、彼女等を追わずに広場の入口に佇むラティルを見上げた。ケルティスが見上げたラティルは、掲示板へと駆け去る三人の後姿を見詰めながら、少し躊躇いがちに小さな呟きを溢す。
「…… “西のヤーナ”と言う異名……私は好きではないんです。
ヤーナ女神は“智慧神”ソフィクト神の眷族で、大・小ヤーナの二人とも同じく“智慧神”ソフィクト神の信徒……
対して、私は“知識神”ナエレアナ女神の信徒であり、広義には“虹翼の聖蛇”エルコアトルの眷族の末席に数えられる存在ですからね。
それに私は、女性の姿で魔力銃を撃つことはありませんから……」
その呟きを溢すとともに、ラティルは、ケルティスを含めて、その場にいる少年少女が知らない事実に思いを馳せる。
“剣撃ち”や“虹の瞳”と言った異名が、彼女――ラティルの行った功績や容姿から自然と広まったものであるのに対して、“西のヤーナ”はそうではない。
ニケイラは自然に流布したと思っている様子であったが、実際の所は“仮面の魔導師”の異名で名高いルギアス=ペンコアトルの策略の結果なのだ。
“ヤーナの矢”とは勝敗を決する一撃……と言う意味合いとともに、「侵略と言う悪」を誅伐する「正義の一撃」と言う意味合いも含まれている。
射撃の名手であり、女性としての姿を有するラティルを伝説のヤーナと関連させることで、先の戦いのヤヌガリア諸国側の非道を印象付け、以降ユロシアへの侵攻の意思を削ぐ為に、闇風騎士団や詩琴騎士団の特務騎士を用いて意図的に大陸北方域で流布させたのだ。
ルギアスより、この策略のことを耳にしたが故に、彼女はこの異名により複雑な思いを抱かずにはおれなかった。
しかし、このことで入学と言う晴れの日を迎えたケルティスやニケイラに水を差す訳には行かない。
そう思いつつ、物思いから我に返った彼女は、心配そうに自分を見上げるケルティスの姿を目にして、自分の目論見が些か失敗してしまったことに気付いたのだった。
ニケイラ嬢のマシンガントークが炸裂……何故かこうなってしまいました。
更に、全体としても、調子に乗って書き進めていたら、予想以上(予定以上)に長くなってしまいました……(苦笑)
よろしければ、ご意見・ご感想が頂けると幸いです。
※ 誤記部分を修正(12/13)