第四十節:驚嘆の事実と……
衝撃的な事実が告げられた朝礼より数時間が経過した頃、一年灰組の生徒達の間には微妙な空気とでも言うべき代物が漂っていた。
それは、当然と言えば当然のことなのかも知れない。“化物”と言う噂を聞き気味悪がっていた同級生が、“神仙”かも知れない存在なのだと説明されたのだ……怖れれば良いのか、畏れれば良いのか判別出来ずに、取り敢えず遠巻きに状況を窺うと言う選択を採った生徒達は多かった。
そう言う訳で、ケルティスの周囲は、今まで通りの面々――ニケイラとカロネア、それにヘルヴィスと言う顔触れが集まるのみであった。
とは言え、ケルティスに注がれる視線の色合いが、朝方のそれとは異なるものへと変化しており、ある種の刺々しさが和らいだ様に感じられたからだ。さりとて、これは事態が完全に好転したとは言い難いものではあった。
更に言えば、彼の周囲に集まっている面々についても、余り芳しい状況と呼べるものとは言えなかった。ニケイラ達の態度の中に、僅かに滲む隔意をケルティスは感じてしまっていた。とは言っても、“分枝体”の生まれと言うことや、“神仙”である可能性などと言った事柄を聞いて、全く動じることなく接し方を変えないだけの胆力と持つ者自体が稀だと言えるだろう。
ともあれ、昼休みの時間が始まった時、強く一度頷いたカロネアが何らかの決意を込め、若干沈んだ様子のケルティスに向かって声をかけた。
「……ケルティスさん、今日も昼食をご一緒しませんか……?」
「……え……?」
カロネアの提案に、ケルティスよりその言葉の意味を把握しかねた返答を漏らす。そんな彼の様子に戸惑った様子を見せずに、カロネアは傍らに座る少女――ニケイラにも声をかける。
「ニケイラさんも、ご一緒でよろしいですよね……?」
「……え?……えぇ、勿論です!」
最初は戸惑った様子を見せたニケイラも、次の瞬間には勢い良く同意の言葉を返したのだった。そんなニケイラの様子を目にして、カロネアは顔を綻ばせる。そして、彼女達は改めてケルティスの方へと向き直った。
「ケルティスさんは、如何ですか……?」
再度呼びかけられたケルティスは、躊躇いがちに言葉を返した。
「えっと……あの、良いんですか……?」
「えぇ、こちらからお願いしているのですから……」
ケルティスの問いかけに、カロネアは微笑みとともに返答を紡いだ。そんな彼女の顔を見て、ケルティスの顔にも微笑みが浮かぶのだった。
そして、そんな三人に向けて、不意に声がかけられる。
「……その席に、僕が同席しても構わないか?」
振り返った三人が目にしたのは、眼鏡の少年――ヘルヴィスであった。
「……僕は、構いませんが……?」
「私も構いませんよ」
「……あたしも、別に良いよ」
三者三様に返された答えは、何れも同意を示すものであった。
そうして四人は、普段通りの食堂に向かって行ったのだった。
* * *
食堂にやって来たケルティス達は、またしても衆人から突き刺さる視線を浴びることとなった。
どうやら、一年灰組と同様に各学級の朝礼でケルティスに関する事情の説明が行われたらしく、それ故に一年の生徒達を中心に注目を集める結果となった様であった。
それとなく視線を走らせたヘルヴィスやカロネアの目には、ケルティスを横目に見る一年灰組の生徒と他の組の生徒が頻りに囁きを交わしている姿の幾つかが映っていた。
ともあれ、そんな視線が集まる中、ケルティス達は昼食の膳を受け取り、適当に空いた卓の一つに腰を下ろした。
そうして昼食を食べ始めて間もなく、ヘルヴィスより問いの言葉が漏れる。
「……で、お前の見立てでどちらなんだ、カロネア……?」
「…………何のことでしょう……?」
ヘルヴィスの言葉に、一瞬眉を顰め、怪訝な面持ちでカロネアが問い返す。
そんな彼女の姿に、ヘルヴィスは微かに眉を寄せた後、問いの言葉を言い直す。
「……ケルティスが“神仙”か否かの見立てだ……」
そう言うと彼は、手にしたパンを一口大に千切って口に放り込む。一通りパンを咀嚼した彼は、再度言葉を紡ぐ。
「……確か、“聖霊魔法”の使い手であれば、神族の纏う霊気――“神気”の類を感じ取ることも出来ると聞いたことがあるからな……」
「……そうなの……?」
ヘルヴィスの言葉に、ニケイラより問いかけの言葉が漏れる。しかし、そんな親友の問いかけに、カロネアは少しばかり困った様子で言葉を返した。
「確かに、相応の技量を持つ“神官”や“巫女”であれば、対面した者が神気を纏う方々――“神仙”であるかの判別は出来ますが……
私はまだ、“巫女見習い”ですよ……そんな判別が出来る訳、無い筈でしょうに……」
カロネアは微苦笑を浮かべて紡いだ言葉に対して、ヘルヴィスの言葉が割り込む。
「……確かに、お前では判別は難しいかもな……
だが、お前の守護聖霊――チンチュアは、神代紀の中位聖霊だろう?……そんな高位の聖霊であれば、充分見立ては可能だと思うがな……?」
「……チンチュア様……ですか……?」
突然出て来た自らの守護聖霊の名に、カロネアは目を丸くして虚空に向けて首を巡らす。
その虚空の先には酒瓶を抱えた蒼き聖霊の姿があった。彼の聖霊は、妖艶さ漂う微笑を浮かべていた。
少しばかり困惑した様子で虚空を見詰めるカロネアの姿に、ヘルヴィスは苛立たしげに眼鏡のブリッジに手を添えて言葉を漏らす。
「……で?……どうなんだ?」
「……それが…………」
言い淀むカロネアと微笑を漏らすチンチュアの姿に、ケルティスは困惑の表情を浮かべて二人――より正しくは、一人と一柱の姿を交互に視線を動かす。
その姿を目にしたヘルヴィスは、ケルティスへと声をかける。
「ケルティス、聖霊チンチュアに直接質問したい……どうにか出来ないか?」
「え?……あ、はい……出来ると思いますけど……『……我が守護者たる“虹翼の聖蛇”に請い願う……この者達に……』
ヘルヴィスの問いに答えを返したケルティスは、素早く“聖霊魔法”の呪文を囁く。その呪文の名は『霊視付与』……聖霊を視ることの出来ないヘルヴィスやニケイラに、チンチュアとの会話を可能とさせる呪文であった。
一方で、ケルティスが唱える呪文の旋律を聞き、周囲で様子を窺っていた生徒から静かなどよめきが湧き上がる。しかし、詠唱に集中しているケルティスは気付くことはなく、気付いていたカロネアやヘルヴィスも敢えてそれを指摘することはしなかった。
ともあれ、周囲の静かなどよめきに我関せずと言った風情で、ケルティス達一同はカロネアの傍らの虚空へと視線を集中させていた。即ち、カロネアの守護聖霊――チンチュアへと視線を向けていた。
自身に視線が集中しているに関わらず、蒼髪狐面の聖霊は涼しい顔を崩すことなく、嫣然とした笑みを袖で半ば隠した姿で一同を見詰め返していた。
そんな彼女の様子を見て、不機嫌そうに眉を寄せたヘルヴィスは、その表情に見合った声音で言葉を紡いだ。
「……貴女が、カロネア=フェイドルの守護聖霊――チンチュアか……先程カロネアに問うた問いの返答を頂きたい」
『おやおや……妾の姿を目にして、最初に口にすることが‘それ’とは……見掛けによらず豪胆な気性よな……』
睨み付ける眼鏡の少年を見下ろし、蒼髪狐面の聖霊は嫣然とした笑みと共に言葉を返した。
そんな彼女の姿に、ヘルヴィスは更に表情を険しくする。しかし、そんな少年に向けて、聖霊より問いの言葉が返された。
『……さて、あの子――ケルティスが“神仙”か、否か……と言う話であったな……
結論を言ってしまえば、ケルティスは“神仙”とは言えぬ』
「……え……?」
「……では……!」
チンチュアの告げた結論に、ニケイラやヘルヴィスから驚きの声が漏れる。しかし、そうした言葉を遮る様にチンチュアより言葉が続く。
『慌てるでない……確かに“神仙”とは言えぬが、“神仙”ではないとも言い切れぬ……少なくとも、尋常な人間とは異なる存在であるとは言えようさ……』
チンチュアが紡いだその謎かけの様な言葉に、卓を囲む少年少女達は各々首を傾げる。そんな少年少女達に向けて、狐面の聖霊より更なる言葉が続けられる。
『そも、今世において、“神仙”とは何ぞ一芸を窮めし者よ……この者――ケルティスは、未だその域に達しておらぬ。
しかし、神代の昔においては少々事情が異なる……彼の時代にあっては、“神仙”と“常人”の境は曖昧でな……神々に仕えることを誓約した者の殆どは、概ね“神仙”となっておったからな……
ケルティスからは、そんな神代の頃の“人”に似た気配を感じるな……』
「「…………?」」
「……“神代の人”だと……?」
チンチュアが続けた返答に、卓を囲む一同は各々怪訝な表情を浮かべる。
そんな中、ニケイラやカロネア等――少女二人は狐面の聖霊が告げた内容を今一つ理解しきれなかったが故に首を傾げ、ヘルヴィスは狐面の聖霊が告げた内容に思い当たるものを感じて眉を寄せた。
そんな三者の反応を眺めつつ、チンチュアは嫣然とした笑みを浮かべ、澄ました表情のまま口を閉ざした。
* † *
敢えて沈黙したまま一同を見下ろす聖霊を仰ぎ見ながら、眼鏡の少年は“神代の頃の人”と言う単語を聞いたことで、愕然とした感覚を味わっていた。
神代――正式には“神代紀”と呼称される時代は、文字通り“神々が存在した時代”である。
“始原神”の出現――或いは、誕生をもって始まりとし、神魔大戦の終結をもって終わりとなる時代を指しており、主に天地創造が進められた時代であると解釈されている。また、その呼称が指し示すように、“神人”や“神竜”によって生み出された様々な神々・神仙が活躍した時代でもある。
こうした中、“神々”が自らの眷属として、そして、この世界の住人として様々な種族を生み出すこととなった。こうして生み出された諸種族は、今の時代の人々から見れば、神々の如き存在であったと解釈できる部分が多分にある。
それは、基本的に不老不死や不老長命であったと思われる節があり、その体躯も大きく強靭であった例も多いと言われており、更にはその知性や見識・保有魔力や魔法の技量に関しても高度なものを持っていたと思しき点は多々見受けられる。こうした諸種族こそが、所謂“始祖種”と呼ばれる亜種区分に該当する諸存在である。
しかし、“始祖種”から派生・分化することで誕生した現行の諸種族は、概ね“始祖種”を超える能力を持つには至っていない。より端的に言うならば、明らかに劣化した存在と化している。
何故、その様な状態にあるのかと言う疑問に幾つかの説が提示されてはいる。
曰く、天地創造が行われている中、“八大神人”が進めていた“世界律”の規定によって、様々な制限が付与されて行ったことによると言うもの……これにより、多くの種族が“寿命”と言う死すべき定めを持つこととなったと言われている。
曰く、神魔大戦の闘争の中で、敵対する神々や神仙が、互いに相手取る神々や神仙とその眷属たる種族に向けて、様々な呪詛を掛け合った結果であると言うもの……これは、 “智慧神”ソフィクトの孫神の一柱たる高い“知”を示し、“六大竜王”と伍する膂力と“武”を誇った“真なる妖魔王”イヴリグと互角の戦いを繰り広げる“武”をも示したと伝わる“人祖”アドリムの眷属にして末裔たる“人間族”が、その諸能力において他種族の後塵を拝する状況にある理由として、“妖魔王”イヴリグを始めとする魔王軍の諸将を務めた数多の魔族が“人祖”アドリムと“人間族”に対して無数の呪詛を投げかた結果であると言う説がある。
ともあれ、何れにしても現行種族は、神々や魔王――そして、聖霊や邪霊による様々な制約や枷を受けることで、神代黎明に誕生した“始祖種”よりも様々な面で制限された能力しか持ちえない状態にあると考えられている。
これは逆の言い方をするならば、各種族を縛り上げている神々による制約や枷から、自らの心身を練磨することで脱却した存在を指して“神仙”と呼ぶのだと言う解釈も成立している。
即ち、聖霊チンチュアは、ケルティスを“神仙”ではないと返答した。しかし同時に、聖霊チンチュアは、ケルティスが“神仙”に準ずる存在である“神代の人々”に似た存在であるとも告げていたのだ。
* † *
聖霊チンチュアの呟きを聞き、目を丸くするヘルヴィスの姿を知ってか知らずか、彼女は更なる言葉を続けた。
『うむ……世の理――“世界律”を弄る様な真似は出来はせぬが、神霊や魔王の方々が施した幾らかの制約を受けておらぬようだ……』
「…………な、なるほど……」
「……よ、よく分かんないけど……凄いんですね、ケルティス君って……」
「……そうですね……」
彼女の言葉に、半ば呆然とした様子で少年少女達は呟きを漏らす。だが、怯み気味な少年少女達に向けて、微苦笑を含んだ様子で言葉を続けた。
『……まぁ、気にすることはない……
“世界律”より課せられた枷の一部を受けず、基幹体より幾分かの知識を譲り受けているとは言え……その本質は、只の稚い嬰児であろう……のぅ、ケルティス……?』
「……は、はい……」
聖霊チンチュアの問いかけに、些か首を竦めるようにして“虹髪”の少年は答えた。
「「……嬰児……?」」
聖霊チンチュアより告げられた言葉と親友たる少年の返答に、少女達は首を傾げる。それに続いて、ヘルヴィスはある可能性に気付いて、ケルティスに向けて問いの言葉を発する。
「…………ケルティス……お前、歳は幾つになる……?」
その問いかけを耳にして、ニケイラやカロネアも釣られる様にケルティスの方へと視線を向けた。
一同の視線が集中する中、その視線に首を竦めたケルティスは、おずおずとした口調で答えを呟いた。
「……あの、えっと……1歳と半年……くらい、です……」
その返答を耳にした一同は、一拍の沈黙が卓の間に漂った。
「……1歳……?」
「……と、半年……?」
「……だと……?」
ケルティスより紡がれた返答に、三人は驚嘆の呟きを漏らした。
それは三人にとって、今日知ることとなった事柄の中でも、最も驚愕の事実であったのかも知れなかった。
キリも良いので、今回はここまでと言うことで……
ともあれ、ケルティスの出生の事情の暴露は概ね終了することが叶いました。楽しんで頂けていると良いのですが……