第三十八節:対策と公表と……
フォルンに促されたケルティス達が午後からの講義へと向かうことにした頃、セオミギア大神殿学院の院長執務室には数人の人々が集まっていた。
その面々は、この部屋の主である学院長ギルダーフ=ホライソム翁、中等部統括の役職を負う高位の女神官クインティア=サントゥール、そして書院長を務めるティアス=コアトリア、彼の女婿にして学院の臨時講師を務めるラティル=コアトリアの四人であった。
彼等四人は、執務室の中央に据えられた応接卓を囲む長椅子に座って向かい合っていた。
そんな中、色の抜けた白く長い鬚を扱きつつギルダーフ翁が徐ろに口を開いた。
「さて……噂の現状は、如何なっておるかね……?」
「……はい、私が把握している所では、一年生を中心に中等部の間で広まっております。その内容なのですが……」
「……“人外の化物”……でした、よね……」
言い淀むクインティア師の台詞を続ける様に、ラティルは言葉を紡ぐ。その言葉に部屋にいる一同の面が曇る。
重い雰囲気が訪れる中、それを払拭できる様子もなくクインティアよりの言葉が紡がれる。
「少なくとも、最初の方では、先の事件にケルティスが関わっていると言った程度の話だったらしいのですが……何時の間にか、ラティル師の仰る様な内容に変質してしまっていて……」
「変質、ですか……
しかし、必ずしも間違っている訳ではありませんからね……」
「申し訳ありません……後日公開されるだろうとも思って、生徒達へ事件に関することを口外しない様にと言い含めることを怠っていました……
こんな噂が拡まることを予測できないなんて……」
憂いを含んだ呟きがティアスより漏れ、それを受けて後悔の色を帯びる言葉がラティルより紡がれる。そんな中、再びギルダーフ翁より声が告げられる。
「ふむ……ここにおる儂等であれば、誰が噂の起点となったか、誰によって変質して行ったかを知ることは然程難しくはあるまいが……
問題はむしろ、今後を如何に処理するか、じゃからのう……」
「……はい、そうですね」
「……あぁ、そうですよね……」
「……確かに、仰る通りですね」
翁の言葉に、一同のから同意の言葉が返された。そうして頷く一同へと首を巡らせた学院長たる翁は、その役職に相応しい厳かな声音で再び言葉を紡ぎ始める。
「さて、この様な仕儀となったからには、あの子――ケルティス=コアトリアの出生に関する事情を公表するべきと考えるが……皆の意見は如何かな……?」
「……確かに、そうした方が良いのかも知れませんね……」
「…………!」
老院長の言葉に、一拍の間を置いて同じ院長の職を預かるティアスより同意の言葉が返される。その言葉に驚きを隠せぬ様子で、“虹瞳”が輝く目を丸くしたラティルが、師にして舅であるティアスへと顔を向ける。
そんな彼女の姿に微苦笑を見せて、ティアスは続く言葉を紡ぎ始める。
「先日、友人達に指摘されたのですよ。ケルティスの出生を公表したした方が良いのではないか……とね」
「……そんなことが……」
ティアスの言葉に、ラティルから感嘆の色を帯びた呟きが返る。そこにクインティア師より言葉が割り込む。
「……しかし、彼の事情を一般生徒に公表するにしても、その説明をしっかりと行わないと、“噂”をただ煽り立てる一因になりかねません」
「それはそうですね。彼の出生は今の時代には馴染みのないものですからね」
クインティアの言葉に、ティアスも表情を若干曇らせ同意の言葉を漏らした。そんな彼等に向けて、纏める様にギルダーフ翁より言葉が紡がれた。
「そう言うことも含めて、公表を行う前に講師達で事前の打ち合わせを詰めて置かんといかんな……クインティア、ラティル殿、その辺りのこと任せて良いかな?」
「「はい、了解しました」」
最後の学院長からの呼びかけに、二人の女神官は頷きと共に言葉を返したのだった。
* * *
それから然程日を置かぬ朝……
朝礼を前にして、一年灰組の教室には灰組の生徒達が集まっていた。
さて、ケルティス絡み“噂”は、中等部だけでなく初等部や高等部の方へも伝播しつつあるらしく、ケルティスは学院の何処を歩いても不審な視線や陰口を叩く者達の姿を見ない所はない程の状況になっていた。
そんな状況の中、ケルティスの周囲は、入学初期からの友人であるニケイラとカロネア……そして、ヘルヴィスの姿があるのみで、ぽっかりと間隙が出来上がる格好になっていた。周囲から露骨に避けられている自身の境遇に、ケルティスは自らの面差しに翳りを落としていた。暗くなりがちな彼にニケイラやカロネアは何かと励ましの声をかけていた。
やがて、予鈴の音が響き、暫くして担任講師である“虹瞳”の女神官――ラティル=コアトリアが教室にやって来たのだった。
彼女はざわめく生徒達に呼びかけ、静かにさせた後で出席を取る。それらは普段通りの朝の風景と言えた。
しかし、次に紡ぎ出された言葉は、普段のそれとは異なるものであった。
「……さて、最近不穏な噂を耳にしていますが……皆さんは、その内容を知っていますか……?」
徐ろに紡がれたラティルの言葉に、教室にいる生徒達の動揺した雰囲気が波紋の如く拡がって行く。動揺する生徒達の姿を一通り眺めた後、彼女は再び口を開いた。
「確かに、“虹の一族”の異名を持つコアトリア家の者は、常人に比べて魔法に関する諸能力が優れていることが確認されています。賢者の方々の中には『“虹の一族”は、通常の人間や半天使とは異なる存在である』と言う説を唱える方もいらっしゃいます。
その様な点を踏まえれば、今流布している“噂”も、全く事実無根と言う訳ではないのかも知れません……」
そこまでを口にして、ラティルは教室に並ぶ生徒達を睥睨する。生徒一同の顔を一通り眺めた後、ラティルはその“虹瞳”に鋭い光を湛えて、再び口を開いた。
「……しかし、“化物”と呼ばれる謂れはありません!」
「「「…………!」」」
ラティルの鋭い眼光に、多くの生徒が息を呑む。教室は、一拍程の間、静寂に包まれた。
その沈黙を破ったのは、僅かに眼光の鋭さを緩めたラティルであった。
「……実の所、ケルティス君は、出生に関して特殊な事情を持っています。このことは、大神殿の各院の主要な方々も承知している事情です……」
そこまで言ったラティルは、再び口を閉ざして一拍の間を置く。
「その事情とは、ケルティス=コアトリアが“分枝体”である……と言うことです」
「「「…………?」」」
再び紡ぎ上げられたラティルの言葉を聞き、殆どの生徒達はその意味が分からず、怪訝な思いからざわめきが湧き始める。
「…………!」
しかし、ヘルヴィスはラティルが紡いだ単語に驚き、目を見開いて斜め前に座るケルティスを凝視する。
「「……ケルティスさん……?」」
一方で、ヘルヴィスの前に座る二人の少女は、隣に座るケルティスの方へと首を巡らす。
生徒達のざわめきが教室全体へと拡がった頃、ラティルは数度手を叩いて生徒達に静まる様に呼びかける。教室が一応の静寂を取り戻した頃合いを見計らって、ラティルは再び言葉を紡ぎ始める。
そうして紡がれた言葉は、生徒達の予想していたものとは異なるものから始まった。
「今より遥か昔となる神代の昔……
この世界に最初に現れた神――“始原神”ヤフィスは、自らの身体を切り分けて二柱の“始原の巨人”――“朱の巨人”と“蒼の巨人”を創造したと伝えられています。
そして、“始原の巨人”が相争い、互いが互いを滅ぼし合った後に、“始原神”は創世に関わる十一柱の神々を創造した、と伝えられています。
この十一柱の内の数えられる八柱の神々こそ、“智慧神”ソフィクト神や“知識神”ナエレアナ女神を始めとする“八大神人”と言うことになる訳ですが……
この“八大神人”は、“始原神”ヤフィスの行いに倣って、自らの身体の一部を切り分けて、自らの眷属を創造しました。この時、創造されたのが、“邪知の魔王”ヤーングートを始めとした――後に“八大魔王”、そして“鳥王”ガルーフィニスや“神銀の聖馬”フィーリニームの様な“八大聖獣”の内で“広義の竜王”ではない存在に代表される“八大神人”の最高位眷族とされる“天使族の始祖”だったとされています。
更に、この“天使族の始祖”達は、主君にして創造主たる“八大神人”に倣い、自らの身を切り分けて、自身の子たる同胞・眷族を生み出して行ったのです」
ラティルの紡ぎ始めた説明の言葉に、生徒達の殆どが怪訝な表情をその顔に色濃く浮かべて行く。そんな生徒達の姿を見渡しながら、ラティルは何処か淡々した調子で言葉を紡ぎ続ける。
「一方で、男女――或いは、雌雄のつがいが交わることで子を生すと言う手法は、“二大神竜”が最初に行ったと伝えられています。
故に、両親の交わりによって子の産むと言う手法は、神代の黎明期には“神竜”の眷属である竜族の間を中心に行われていました。しかし、やがて“神人”の眷族である天使族の中にもこの手法が広まっていきました。
そうして、“子を生す”と言えば、両親の契りをもって行うことが一般的なものとなって行ったのです。ですが……」
そこで、彼女は一旦言葉を留め、一拍の間を置いて言葉を紡ぎ直す。
「……ですが、“自らの身を切り分けて子を生す”と言う行為が全く行われなくなった訳ではありません。
私達――“人間族”の始祖とも言える“天使族”は、その殆どが両性具有の姿で生を受けますが、稀に性別を持たない“無性体”の者が誕生することが知られています。
こうした“無性体”の者は、自らの子を生す為に、聖霊魔法の高位呪文である『分枝体創造』によって、“自らの身を切り分けて子を生す”と言う行為を行うのです。
こうして生み出された存在を指して、“分枝体”と呼びます。
先程も言った通り、ケルティス=コアトリア君は、書院長――ティアス=コアトリアの“分枝体”として誕生した存在になるのです」
そこまで言って、ラティルは一拍の間を空け、言葉を紡ぎ直す。
「さて、この“分枝体”と言う存在は、親とも創造主とも呼べる存在である“基幹体”の霊的・身体的な一部分を魔法的手段によって分離独立して成立した存在と言えます。
その性質上、“分枝体”は、“基幹体”の容姿や身体的潜在力等の肉体的諸特徴だけでなく、その性格や魔法的諸能力も共通したものとなります。そして、“基幹体”が保有する知識や経験の一部も引き継がれることになります。
ですから、ケルティス君には、“基幹体”であるティアス書院長の知識や経験の一部を受け継ぎ、生後間もなくから様々な魔法等の技を操ることが出来ていました。ですから、貴方達の様な中等部生徒に比べて、優れた技量を示すことが出来ると言う事情もあります……勿論、ケルティス君が受け継いだ経験を自身のものへと昇華する努力を怠らなかったからでもありますけれどね……」
そこまで語って、ラティルは喉元に手を当て一瞬瞑目して、再度の言葉を紡ぎ始める。
「ですから……ケルティス君が、貴方達と少々異なる存在に見えることは仕方がないかも知れません。
ですが……ケルティス君は、決して“魔物”の様な人に仇なす存在でも、“世の理”から外れた存在でもありません。
同じ学年、同じ組の仲間として、向き合う様にして下さい」
そう言って、少し硬い表情のままラティルは教室中の生徒達へと視線を巡らせた後、深く頭を垂れたのだった。
頭を下げた講師の姿に、殆どの生徒達は理解が追い付かず、当惑の表情のまま隣同士で顔を見合わせると言った行為を見せた。
そんな中、一人の少年がすっと自らの右手を挙げ、落ち着いたものでありながら教室に響く声を張り上げた。
「……講師ラティル、質問があります」
その声に、下げていた頭を上げつつ、ラティルは声の主へと言葉を返した。
「……何でしょう、ヘルヴィス君……?」
生徒達からの視線が集中する中、怯む様子も見せずにヘルヴィスは質問の言葉を紡ぎ始めた。
「それでは……ケルティス=コアトリアには先程の説明だけでは不可解な点が一つあります。
私は――私達は、先の事件でケルティスが“聖霊魔法”と“神竜魔法”を同時に行使する所を目にしました。この二系統の魔法は同一の人物が修得することは基本的に不可能な筈です。
これはどう言うことなのでしょうか?」
ヘルヴィスの質問に教室内のどよめきの音量が増加する。やがて、驚愕や畏怖の色が微かに滲んだ視線がケルティスの方へと流れ始める。
そんな生徒達の様子を眺めながら、ラティルは深く溜息を吐いた。
この事実は出来れば公表せずに済ませられれば、と心の片隅で思っていたことだったからかも知れない。
若干無理のある展開かつ、単なる説明回となってしまい芳しい出来とは言えないと思わなくはないのですが……上梓させて頂きます。
それと、ヘルヴィス君への回答は、次回へと持ち越しさせて頂きます。