第三十七節:憤りと困惑と……
その時、食堂は不自然な沈黙で包まれた。
抑え気味とは言え、怒気を纏った“虹髪虹瞳”の少女――レイア=コアトリアと、同様の風情を示す“虹髪”の少年――フォルン=コアトリア……この二人が、縁者でもあるケルティスの背後に立ち怒声を放ったのだ。
彼女の気性の激しさは、学院内では広く知られる事実である。そして、彼女の弟も怒らせたら恐ろしいと言うことも、学院の生徒の間ではそれなり知られてもいた。
更に言えば、彼女等の持つ“七つの色が絡み合って”生まれる“虹色”の色合いが、持ち主の感情等に影響されてその七色の割合が微妙に変化することも、一部では知られていた。そんな姉弟の髪の色は怒気を纏っている時に特有な色の配色を呈していたのだ。
そんな姉弟が明らかに怒気を纏って立っている姿を目にした者達は、彼女等の怒りが自らに飛び火してくることを恐れて、殆どの者が彼女等から目を逸らした。そして、この嵐が素早く過ぎ去ってくれることを祈った。
とは言え、嵐の渦中の真っ只中に陥っていた者達にとって、目を逸らすなどと言う手段が採れる筈もなく、姉弟の怒気に当てられて一瞬の硬直を余儀なくされた。
だが、その二人に向かって一人の少年が呼びかける。
「レイアさん、違います!……僕が苛められてなんかいません」
「え?……そうなの?」
“虹髪”の少年――ケルティスの言葉に、怒気の篭った瞳で一同の睨み付けていたレイアは、途端にキョトンとした顔となって間の抜けた声を漏らした。
「そう言えば……そこにいるのは、ニケイラさんとカロネアさんだよね……」
その背後に控えていた弟――フォルンの方もやや険の取れた声で呟く。
「「……は、はい……」」
フォルンの呼びかけに二人少女が呆けた様な声音の返事が漏れる。そんな一連のやり取りの後、フォルンは改めてケルティスへと問いの言葉を紡いだ。
「……で、何の話をしていたの……?」
「えっと、それは……その、僕の正体が知りたいと言われて……」
フォルンの問いかけに、少し躊躇いがちな様子でケルティスは返答の言葉を紡ぐ。しかし、紡がれた言葉の内容に、フォルン達――姉弟の首が傾いだ。
「「……正体……?」」
「あの……出生に関わる事柄で良いかと思うんですけど……」
「……あぁ……」
「……なるほどね……」
補足する様に紡がれたケルティスの言葉を聞くと、首を傾げていた姉弟は得心した様に頷きを見せた。だが、その直後、再び少しばかり険が含まれた“虹瞳”で卓の面々を見下ろしつつ、レイアが問いの言葉を投げ落とす。
「……で、そんなことを言い出した奴は何奴だ?」
「……僕です、レイア先輩」
そのドスの利いた声に、若干の緊張を纏わせつつも、神妙なヘルヴィスの声が返された。
「お前は……?」
「ヘルヴィス=ペンコアトル君です。僕と同じクラスの同級生なんです」
「ふ~ん……確かに見覚えのある顔だな……で、お前がケルティスを苛めていた訳じゃないんだな……?」
ケルティスの紹介を意に介した様子もなく、レイアは鋭い視線のままにヘルヴィスへと問いかけを続ける。
「その様なつもりはありません。僕はただ、事実の確認をして置きたかっただけです」
「確認とは、どう言うことです?」
返答を口にしたヘルヴィスの内容に、フォルンより更なる問いかけが投げかけられる。それに対して、幾許か落ち着いて来たのか普段通りの坦々とした調子で再び返答の言葉を紡ぐ。
「あの時――“大書庫”での事件の時、ケルティスが見せたその能力は、驚異的と形容するには生温いものです。
僕達と同程度の歳で、“炎の悪魔”と渡り合う武術や魔法の技量も、尋常なものではないと言えますが、全く許容できないものとは言えません。何と言っても、“虹の一族”はこと魔法に関して尋常な存在でないことは周知の事実です。
ですが、使用した魔法の内容が異常です。“聖霊魔法”と“神竜魔法”が同時に使用できる存在なぞいる筈がない……そうでしょう?」
「……な……!」
「……あぁ……」
返されたヘルヴィスの言葉に、レイアとフォルンは驚きで短い声が漏れたあと、お互いに顔を見合わせる。そして、その視線はケルティスに向かって降りて行く。そんな姉弟の顔や“髪の色”には憤りや怒りの色合いはすっかり抜け落ち、困惑や躊躇いの色合いを帯び始める。
そうして、幼い叔父と年若い姪と甥と言う“虹色”を帯びた三人は、暫し複雑な面持ちで互いに視線を交わし合う。やがて、視線を交し合っていたケルティスより言葉が漏れる。
「……ここにいる皆んなには話して良いと思うんですけど……?」
「……でもなぁ……」
「別に神殿でも隠している訳ではないじゃないですか。父さんやラティルさんがいる書院やセスタスさんがいる薬院だけじゃなく、魔法院や施政院……それに法院の方々も御存知のことじゃないですか……」
「……それは……確かに、そうですけど…………ッ!」
少しおずおずとした調子で紡がれた言葉に、レイアやフォルンが躊躇いがちに抗弁の色合いを含んだ言葉を漏らす。
しかし、そんな呟きを漏らしつつ視線を外したフォルンは、何かに気付いた様に目を見開いた後、小さく舌打ちをしてから言葉を紡ぎ直す。
「どちらにしても、ここで話す様な内容じゃないみたいですよ。姉さんが怒鳴り込んだ所為かどうかは分かりませんけど、注目されてるみたいだし……」
「「「……え……?」」」
フォルンの言葉に目を丸くしたレイアや卓を囲む面々は、咄嗟に視線を周囲に走らせる。
そんな視線の先では、次々と視線を逸らす様に顔を背ける生徒達の姿が捉えられた。生徒達の挙動を目にして、レイアや卓を囲むニケイラ達はその面持ちを気まず気なものへと変えていた。
「……取り敢えず、ここを出ませんか?」
何とも微妙な雰囲気となった一同をとりなす様に、フォルンがやや明るめな調子で声をかける。その声に、卓を囲む一同は席を立とうと各々の膳に手を伸ばす。
しかし、そこに別の声が上がる。
「ちょ、ちょっと待って下さい!……今、食べ終わりますから……」
一同に向けて手を挙げてそう言ったのは、ヘルヴィスとは異なる眼鏡の少年――クリストであった。彼は皆の動きが一旦止まったことを確認すると、慌てて半分程残っていた昼食を自分の口の中へと掻き込み始めた。
そんなクリストの様子を半眼で見詰めるレイアから声が漏れる。
「……こいつは、誰だ……?」
「えっと……クリスト=ルギア君と言うそうです。別の組の人なんですけど、僕に興味があるって、言っていました。
ちょっと変わっているかも知れないですけど、悪い人じゃないと思いますよ……」
「……ふ~~ん……」
ケルティスが紡いだ返答に、レイアは半眼のまま呟きにもならない声を返したのだった。
ともあれ、焦る様にして昼食を掻き込んでいだクリストは間もなく食事を終え、一同は素早く食堂を後にしたのだった。
* * *
食堂を後にした一同は、やや足早に廊下を進んで行く。
“虹髪”を持つレイア・フォルン・ケルティスに加えて、異国風の美少女であるカロネアや、学園内でも天才との噂が立ちつつあるヘルヴィスと言った面々が集まって移動する姿は、擦れ違う生徒の視線を引き寄せる効果がある様だった。
そんな視線を苛立たしく睨み返しつつ、レイアが唸りを漏らす。
「う~~……何だ、コイツ等は……」
「姉さん、イライラしないでよ。僕等は色々と目立つんだから、これぐらい仕様がないでしょ……?」
「だけどなぁ……」
「さっき、ちょっと微妙な話題が出ていた所為で、余計に気になっているだけだから……少しは落ち着いたら……?」
「………………」
苛立ちを見せる姉――レイアに、フォルンは宥める為の言葉を紡ぐ。そんな弟――フォルンの言葉にやや納得がいかない素振りを示しつつも、レイアはその表情等に現れていた苛立ちを収めて行く。
そんな姉弟のやり取りを目にしながら、ケルティスは脳裏に浮かんだ疑問を口にする。
「あの……どうして、あそこにレイアさん達がいたんですか?
入学したての数日は一緒に昼食をしていたけど、ニケイラさんやカロネアさんと一緒に昼食をするになってからは、別の食堂の方で食べるからって言っていたのに……」
「……あぁ……それか……」
その問いかけに、前を進んでいたレイアが言い難そうに目を逸らす。そんな彼女の様子に首を傾げるケルティスに向けて、フォルンより返答の言葉が紡がれる。
「実は、今日の昼食を取っている時にケルティス君の噂を耳にしてね。慌てて君を探し回ってたんだよ」
「……噂……って、あの、アレですか?……ケルティス君が……」
フォルンの返答にニケイラから問いの言葉が漏れる。その顔には微かに躊躇いと不快感が覗いていた。
「あぁ、君達も聞いていたのか……うん、ケルティス君が“化物”だって言うね……」
フォルンの返答に、彼等姉弟の後に続いていたニケイラ達の間から「なるほど」と言った類の呟きが漏れる。そうした声を背に聞きながら、憤然とした様子でレイアが声を漏らす。
「……ったく!……何なんだあの“噂”は……!
性質が悪いにも程がある!」
「確かにね……ケルティス君が――と言うか、僕達コアトリア家の人間が“人外の存在”扱いされるのは今に始まったことじゃないけど……“化物”って言うのは酷いよね……」
愚痴を漏らした姉の言葉に対して、弟のフォルンより呟きが返される。そこまで呟きを漏らした後、彼は背後を振り返って後に続く後輩達へと問いの言葉をかける。
「……所で、君達はあの噂について、何かしらないかい?」
その問いかけに、ニケイラ達――一年の面々は互いに顔を見合わせつつ、暫しの逡巡の後で、まずはニケイラから言葉を紡ぎ出す。
「……実は、私やカロネアさんも今朝になって知ったばかりだったんですけど……ここにいるクリスト君が、“噂”のことを教えてくれた所なんです」
「“噂”と言うものは、当人やその周囲には届き難いとも言いますし……」
ニケイラの言葉にカロネアの言葉が言い添えられる。そして、二人の視線は彼女等に情報をもたらした眼鏡の少年へと向かって行く。その視線に促される様に、クリストから言葉が紡がれる。
「まぁ、一年生を中心に広まっていたんですが……最初は、ケルティス君の強さを称賛する傾向が窺えたんですけど、次第にケルティス君は“化物”だって種類の噂にすり替わって行ったみたいですね……でも、さっきヘルヴィス君が面白い仮説を開陳してくれましたよ」
「……何……?」
「……どんな仮説なのかな……?」
クリストが最後に告げた内容に、前を行く“虹髪”の姉弟の視線がもう一人の眼鏡の少年――ヘルヴィスの方へと集中する。
「おそらく、この噂の発信元……少なくとも、悪意ある改変にはデュナン=ディケンタルが関わっていると言うものです」
「……デュナン……?」
「ほら……入学の時にケルティス君に絡んでいた……」
「あぁ、あの馬鹿か……チッ、下らないことをやってくれる!
彼奴、絞めてやろうか……」
ヘルヴィスが述べた推測の内容と、弟――フォルンの補足情報を耳にして、レイアはかなり物騒な雰囲気を纏って剣呑な台詞を呟く。
「…………まぁ、程々にね……」
姉の台詞に怯えを見せる後輩達を横目に、フォルンは憮然とした調子で言葉を投げかける。そして、彼は気を取り直して後方へと振り返り、後輩達に穏やかな調子で声をかけた。
「さて、そろそろ昼休みも終わりそうだし、教室に戻ろうか?
ケルティス君のことについては、また日を改めて話をしよう。それで良いかな……?」
笑顔で紡がれたフォルンの言葉に、ケルティスを始めとする一年生達は有無を言わさず頷く以外の反応を返すことは出来なかったのだった。
思いの外、物語が前に進んでくれません。
読み手の皆様には、気を長く待って頂けると有難いのですが……