第三十六節:昼食と問いかけと……
ヘルヴィスの見立てに一頻り首肯して見せたクリストであったが、休み時間も後僅かとなっていることに気付いて一年灰組の教室から去って行った。
立ち去る彼の後姿を見送りつつ、ケルティスの内心では感謝の思いが湧き上がっていた。その思いに突き動かされ、彼は立ち去るクリストに向けて無言で首を垂れていた。
何故なら、暗く沈んだ自分の心晴らす切欠を作ってくれたのだから……そして、同様に切欠を作り出してくれたヘルヴィスの方へと首を巡らす。
すると、居心地の悪そうな面持ちをした眼鏡の少年が片手を挙げて見詰め返していた。
「……僕には頭を下げてくれるなよ。そんな大した真似をした訳じゃなしな……」
「そんなことはありませんよ。ありがとうございます、ヘルヴィスさん」
「…………」
ヘルヴィスの言葉を聞きながらも、ケルティスは感謝の言葉と共に頭を垂れた。そんな彼の姿を少し憮然とした様子で受け取ったヘルヴィスは、自身の着いていた席の方へと歩み去って行ったのだった。
そんな彼の後姿を見送る“虹髪”の少年に向けて、青髪の少女より声がかけられる。
「ケルティスさん、もうすぐ次の講義が始まりますよ。そろそろ次の講義の準備をしておきませんか?」
「あ、はい……そうですね」
「あ、そうだね……」
カロネアの声に答えを返したケルティスとニケイラは、彼女の声に促される様に、ケルティスとニケイラは次の講義に使う教本や帳面を用意し始めた。
* * *
講義の時間が終わり、昼休みの時間がやって来た。
ケルティスは、昼食を食べに近場の食堂へ向かおうと席を立つ。そんな彼が立つのに合わせて普段通りにニケイラやカロネアも席を立った。
そうして三人が教室から出ようとした所で、不意に声がかかった。
「……お前達、昼食を一緒に出来ないか……?
お前に聞きたいことがあるからな……」
自身の方に視線を合わせて問いかけるヘルヴィスの姿に、ケルティスは首を傾げつつ答えの言葉を返そうと口を開いた。
「?……私は構いませんよ。ニケイラさんとカロネアさんはどうですか……?」
「私は……何か嫌な予感がするけど……ケルティスさんが良いなら、良いですよ……」
「私の方も構いませんよ」
ヘルヴィスへの返答に次いで紡がれたケルティスの問いかけに、ニケイラとカロネアは了解の言葉を返した。
そうして、四人は教室から食堂に向かって共に歩いて行った。
程なくして食堂に到着した四人は、各々が昼食の膳を受け取り、一つの卓に座った。各々が食前の祈りを唱えた後、四人は食事を取り始めた。
食事が幾分か進んだ所で、徐ろにヘルヴィスから言葉が紡ぎ出される。
「……ケルティス、お前は何者なんだ……?」
「……何者、ですか……?」
「少なくとも、普通の人間ではない筈だ……そうだろう……?」
「……な! ヘルヴィス!」
ヘルヴィスが紡ぎ出した問いの言葉に、ニケイラより怒気の混じった声が上がる。
「落ち着いて下さい、ニケイラさん。ヘルヴィスさんの言っていることが間違っている訳でもないですから……」
「……ケルティスさん……」
怒声を上げるニケイラを宥める為に、ケルティスより穏やかな声かけられ、彼女はその怒りを一旦引っ込める。それでも突き刺さんばかりの剣呑な眼差しをヘルヴィスに向けていた。
そんな視線に頓着する様子もなく、眼鏡の少年は言葉を続ける。
「元々、ティアス書院長自身が“聖蛇”エルコアトルの手で何らかの処置が施されたことは周知の事実だ。そして、その影響で常人離れした魔法の資質を有する存在と化していることもな……お蔭で、ここの大神殿魔法院や我が国の大学院の賢者の中には、ティアス書院長を始めとしたコアトリア家の者達は既に“人間ではない存在”と扱うべきだと言う論を展開している者もいる」
「……そうなの……?」
「……そうですね……そんな話を聞いたことがある気がします……」
滔々と言葉を紡ぎ上げるヘルヴィスの傍らで、彼の語る内容に目を白黒させたニケイラと普段通りの優雅さを崩さないカロネアが囁きを交し合う。だが、そんな外野のやり取りを半ば以上無視して、ヘルヴィスはケルティスへと問いの言葉を投げかける。
「だが、お前はその程度では済まない存在ではないのか……?」
「……如何して、ヘルヴィスさんはそう思うんですか……?」
しかし、ヘルヴィスの問いかけを、ケルティスは問いの言葉を投げ返した。
「この間の“炎の悪魔”との戦いの所為だ。お前が戦闘中に行使した魔法は、帝国魔法、神竜魔法……そして、聖霊魔法だった。
カロネア=フェイドル!……お前もこのことを不審に思っているんじゃないのか……?」
「え?……カロネアさん?」
ケルティスの問いへと返答し始めた眼鏡の少年は、不意に青髪の少女へと問いの言葉を投げかけた。その突然の展開に、ニケイラより困惑の声が上がる。
しかし、問いを投げかけられた当人は、然程驚いた様子を見せることなく言葉を返す。
「確かに……不可解に思っていることは……あります。
聖霊魔法と神竜魔法の両方を使いこなす方なんて、初めて拝見しましたから……」
穏やかな口調で紡がれたカロネアの言葉を聞き、ヘルヴィスは我が意を得たりと言わんばかりの面持ちで数度頷いてみせる。
「……その通り……と言うよりも、本来、聖霊魔法と神竜魔法の両者を行使出来る者は存在しない。
両者とも、自らが信仰・崇拝する神々の助力を受けることで発動させる性質を抱えている。この性質の影響で、自身が信仰・崇拝する以外の神々の系統ではなければ、同じ聖霊魔法や神竜魔法に分類される呪文であっても使用することは出来ない。
これは、“知識神”ナエレアナ女神を信仰し、その聖霊魔法を行使出来る者であれば、その従属神である“虹翼の聖蛇”エルコアトルや“全知者”アークス、或いは“医神”アエスケルと言った神々に関する呪文を使用することが可能であろうことを示している。しかし、その者が“白竜王”フォルグローンの神竜魔法を使用出来る筈がないのだ……常識的に考えればな……」
「え?……そうなの?……でも、確か……ケルティス君のお父様――ティアス書院長って、“知識神”ナエレアナ女神の聖霊魔法と神竜魔法を扱えるって話を聞いた気がするんだけど……?」
何処か坦々とした調子で語られた内容に、目を回している様なニケイラより疑問の声が割り込む。そんな彼女の茶々入れに気を悪くした風もなく、ヘルヴィスは言葉を続けた。
「それは、その通りだが……正確には、少し違う。
ティアス書院長は聖霊魔法と神竜魔法を同時に使える訳ではないらしい。父に聞いた所によるとな……」
そう言ってから、ヘルヴィスは短く息を吐いた。
そして、次の言葉を発する前に彼等の輪の外側から声が投げかけられる。
「……面白そうなお話をしているね」
その声のした方に一同の視線が集中した。そんな彼等の視線の先に立っていたのは、食膳を手に立つひょろ長い体躯の眼鏡をした少年の姿であった。
「……クリストさん……?」
半ば呆然とした声が漏れ出たケルティスに軽い目礼を送った彼は、自身に突き刺さる怪訝の色を宿す視線を気にすることもなく、卓の空いた席の一つに腰を下ろす。そして、膳に乗った食事に手を付けつつ、改めて卓を囲む一同に問いの言葉を投げかける。
「……で、何を話していたんだい……?」
「「「…………」」」
しかし、話の腰を折られた格好になったヘルヴィスは不機嫌そうに口を閉ざし、親友にとって微妙な話題と承知しているニケイラやカロネアも言い淀む。
そんな中にあって、三人の様子に気付いていない様な調子で、微苦笑を浮かべたケルティスより返答の言葉が紡がれる。
「……ヘルヴィスさんが、僕の正体を訪ねていたんです」
「ほぉ……正体、ねぇ……なるほど……
それで、ティアス書院長の魔法の話をしていた訳だ……で?」
ケルティスの返答を聞き、得心した様にクリストは数度頷いて見せる。その上で、眼鏡に隠れた彼の視線は、もう一人の眼鏡の少年――ヘルヴィスの方へと向けられる。
その視線に微かに眉を顰めたヘルヴィスは、一度咳払いをした後に言葉を紡ぎ始める。
「ゴホン……さっきも話したが、確かにティアス書院長も聖霊魔法と神竜魔法の両方の使い手であるには違いないが、同時に両方の魔法が使える訳ではないのだ。
あの方は――と言うか、コアトリア家の何人かには“異相体”と呼ばれる別の身体を持つ能力を保有している。講師ラティルやレイア先輩等がそうだ……」
ヘルヴィスの言葉に、ニケイラやカロネアは無言で相槌を打ってみせる。何と言っても、彼女達は挙げられた二人が“異相体”を入れ換えることで姿を変える瞬間を各々目撃していたからだ。
「そして、ティアス書院長は“異相体”によって、本来の“半天使”の身体と“半竜人”の身体を保有している。
この“身体を入れ換える”と言う行為を利用することで、聖霊魔法と神竜魔法を使い分けているのだ。つまり、“半天使”の身体の際には“知識神”ナエレアナ女神の聖霊魔法を使い、“半竜人”の身体の際には“白竜王”フォルグローンの神竜魔法を使うと言う具合にだ……」
「……へぇ……」
「……なるほど……」
ヘルヴィスの説明に、それを聞いていたニケイラ達から感心の色を帯びた呟きが漏れる。そんな彼女等の姿を目にして、ヘルヴィスの口角が僅かに上がった。
しかし、その場に呑気な調子でクリストより言葉が漏れる。
「あ、でも……父から聞いた話だけど、ティアス書院長の“半竜人の身体”って、“異相体”とはちょっと違う代物らしいよ……?」
「……何?……いや、今言いたいのは、そこじゃない……」
クリストの話に、一瞬眉を顰めたヘルヴィスだったが、気を取り直して次なる言葉を続けた。
「……先程の話に戻るが……あのティアス書院長でさえ、“異相体”の交換による身体を変化なくして聖霊魔法と神竜魔法の使い分けは不可能だ……
それを此奴は、そうした手順を一切見せることなく両方の魔法を使いこなして見せたのだからな……此奴が只の人間――いや、普通の“半天使”なんぞである訳がない……」
「…………ほぉ……それは、興味深いね……で、どうなのかな、ケルティス君……?」
ヘルヴィスの説明を聞いたクリストは、呟いた言葉通りに興味津々と言った様子でケルティスを食い入る様に見詰める。
問い詰める様に半ば睨むヘルヴィスの視線と、探究心丸出しと言った風情のクリストの視線……加えて、ヘルヴィスの言葉を聞いたことでニケイラとカロネアからも何処か問いかける様な視線が流れてくる。そうした視線を一身に浴びたケルティスは、怯えてその身を竦ませる。
「……あ、あの……それは……」
言い淀むケルティスであったが、内心では自身の正体を語っても良いのではないかと言う想いに傾きかけていた。確かに、自身の出生が常人から見れば酷く異様な代物に映る自覚はあるものの、そうした事柄で彼女等が態度を急変させる様なことはないのではないかと思えていたからだ。
とは言え、特段秘密にしていた訳でなくとも、改めて言葉として紡ぎ上げるのには難しく感じて、ケルティスは表情を曇らせる様にして考え込む。
「あの、ケルティスさん……言いたくないのであれば、無理に仰らなくても構わないのですよ」
そんな彼の様子に逸早く気付いたカロネアから声がかかる。彼女の言葉に、ニケイラも我に返った様に目を見張った後、ケルティスへ問い質す様な視線を送るヘルヴィスやクリストを睨み付ける。
「……いえ、別に皆さんになら隠すことじゃないとも思うんですが……」
そう呟く様に口を開いたケルティスの言葉は、再び彼等の輪の外から出た不意の言葉で遮られた。
「……お前等!……なにケルティスを苛めてんだ!」
その声に、ケルティスを含めた卓を囲んでいた一同の視線が再び声の聞こえた方向へと集まる。
その声の主とは、ケルティスの背後に当たる位置で仁王立ちに立つ“虹髪”と“虹瞳”を持つ剣呑な雰囲気と華やかさとを纏った少女であった。その少女の背後には、“虹髪”を持つ少女に比べればやや凡庸な雰囲気の少年が、鋭い視線で卓を囲む面々の顔触れを一瞥していた。
「「……レイアさん……?」」
「「……それに……フォルン先輩……」」
“虹髪”の姉弟が纏う険のある雰囲気に呑まれつつも、ニケイラ達は姉弟の名を呟いた。
そこに立っていたのは、レイア=コアトリアとフォルン=コアトリア――ケルティスの姪と甥に当たる姉弟であった。