第三十五節:噂と謝罪と……
“大書庫”の事件から数日の時が経過した。
これまでの数日の間、ケルティス達は“大書庫”所属を中心とした神官達によって、事件の顛末に関する聴取が行われていた。
事件直後に簡単な事情の説明を求められた後、彼等は一応の叱責を受けた上で解放された。しかし、“大書庫”に残った“召喚の器”の残骸や周囲の書棚の被害状況等の確認に、書庫探索を行っている書院付神官達が現場を訪れた後、詳細な事情を確認する為にと、書院の方へと幾度が招集を受け、事件の状況を説明を行う様に求められた。
そうして聴取された内容は、“大書庫”探索班の神官達が提出した報告書と合わせて、事件の全体像を把握する為に纏められ、最終的に大神殿の見解として公開されることとなるのだろう。
ともあれ、聴取を受ける日々から解放され、落ち着いて学業に就ける日々へと戻れるとの思いを抱いて登校したケルティスは、何らか違和感をその場に感じていた。
「…………?」
周囲へと視線を巡らせつつ、首を傾げていたケルティスは、自らの疑問の解答らしきものを感じ取った。
それは、学院の生徒達からの視線であった。今までであっても、遠巻きに見詰めることはあった。しかし、彼等の視線に含まれる感情が、以前と今のでは何処か異なる色合いを帯びている様に見受けられた。
とは言え、首を傾げるケルティスには、彼等の視線に宿る感情の色合いの正体に気付くことは出来なかった。
時折、居心地の悪い視線に首を傾げながら、ケルティスは学院の廊下を進み、一年灰組の教室へと到着した。彼は教室の扉を開け、普段通りに教室に向けて挨拶の言葉をかける。
「……おはようございます」
「「「…………!」」」
その声が響き渡った時、教室に集まっていた生徒達の視線が集中した。その視線に思わずたじろいだケルティスに声がかけられる。
「……あ……おはよう、ケルティスさん……」
「……おはようございます、ケルティスさん……」
「おはようございます、ニケイラさん、カロネアさん………?」
挨拶の言葉と共に歩み寄る二人の友人の姿を見詰めながら、またしてもケルティスは首が傾げる思いを感じていた。それは二人の面差しの中に僅かに屈託したものを感じ取れたからだった。
「……どうしたんですか、二人とも?……何か、元気がないようですけど……?」
「……え?……そ、そんなことはない、よ……」
「そんな……気になさるようなことはありませんよ……」
「……そう、ですか……?」
些か気にはなるものの、ケルティスは特に追求することなく、二人と共に教室に並ぶ席の方へと歩を進めた。
そんな二人の様子を見詰めている中で、彼は周囲の変化することになった理由の一つが察せられた。それは先の事件で自らが用いて見せた“神竜魔法”や、それによって変じた自らの異形の姿……そう言った常人ならざる自らの在り様に、皆が恐れを抱いているのかも知れないと言うものであった。
事件自体の詳細な内容は、未だ調査中として公表されている訳ではなく、おそらく詳細が判明しても、諸事情を勘案して、事件に関わった生徒達の名前が公開される事態になる可能性は低いと思われる。そう言った意味でなら、この様な事件が発生した場合、誰がどの様にその事件に関わっているのかは、一般の学院生徒等が知る由はない筈である。
しかし、今回の場合、事件の当事者に一般の学院生徒が多く含まれている状況となっている。そうした当事者たる生徒達の口から学院内へと何らかの噂が流れても不思議ではない。そして、自身が使用した“魔法”や現状での周囲の反応から鑑みるに、余り芳しくない噂が広まっているのではないか……とケルティスは推測したのだった。
ニケイラやカロネアと共に席に着いたケルティスは、心持ち項垂れた様子で、朝礼に訪れる担任――ラティル師を待つことになったのだった。
* * *
そうして、ケルティスにとって久し振りとなる学院生徒としての日々は、不穏な雰囲気に包まれたまま始まることとなった。
それは、真綿で首を絞められる……と言う程ではなくとも、綿に包んだ針で突かれる様な不快さに苛まれる状況と言えた。
そんな中、数少ない友人であるニケイラやカロネアの様子が自身に対して屈託したものとなっていることが、ケルティスを余計に塞ぎ込ませていた。
朝礼が過ぎ、午前の授業も半ばが過ぎた休み時間の時に、ケルティスに向けて声がかけられた。
「やぁ、久し振り!…………って、おや?……久々のご登校だと言うのに、元気がなさそうだね……?」
背後からの声に振り向いたケルティスは、そこにはひょろ長い体躯に眼鏡をかけた別の組の少年が立っていた。
「…………クリスト……さん?」
「やぁ、久し振り…………元気がなさそうだけど、君への悪い噂を耳にしちゃったのかな……?」
「……悪い、噂……?」
「え?……悪い噂って……」
「……何のことですか……?」
クリストの言葉を鸚鵡返しに繰り返したケルティスの言葉の後を追う様に、彼の傍らからも同様の問いかけの言葉が漏れた。その言葉を漏らしたのは、ニケイラとカロネアの二人だった。その二人の顔には、ケルティスと同様な寝耳に水と言った表情が浮かんでいた。
そんな三人の様子に、短く嘆息を吐いたクリストは彼等に向けて言葉を返した。
「知らなかったのかい?……まぁ、それもそうか……
今、学院の生徒の間で不穏な噂が拡まっているんだよ」
少し顔を顰めて言葉を紡ぐ眼鏡の少年に向けて少女達から問いの言葉が漏れる
「……その噂って……?」
「……ケルティスさんの……ですよね……?」
「あぁ、その通りなんだが……
まぁ、要するに……ケルティス君が“化物”だ、と言うんだな……」
「!……ばっ、ばけ……!」
「……“化物”とは……どう言う意味ですか……?」
続けられたクリストの言葉に、ニケイラは憤りにか言葉を途切れさせ、カロネアからは気色ばんだ声音で問いの言葉を紡ぎ出す。
そんな二人の様子に若干たじろいだ様子のクリストは、二人を宥める様に言葉を続ける。
「ふ、二人とも落ち着いて……
別に、僕が“化物”と言っている訳じゃないんだから……」
「……そんなこと言っても……」
クリストの言葉を、理解しても納得していない風情でニケイラから言葉が漏れる。
しかし一方で、そんな噂が流れていると聞いたケルティスは、今朝からの不穏な雰囲気の正体が判明して何処か納得した面持ちになっていた。そんな彼からクリストへと問いの言葉が紡がれた。
「……何故、僕が“化物”だって言う話になったんですか……?」
その問いかけに、クリストは腕を組んで眉を寄せた様子で言葉を紡ぎ始めた。
「……う~ん……まず、確認したいんだけど……
この間の“大書庫”での事件……君達が当事者なんだろう……?」
「え?……えぇ、そうですけど……僕達の名前は公開しない形になる筈だって聞いたんですけど……?」
「……らしいね。でも、事件の当事者がこの学院の生徒だからね……
早い内に、当事者が誰かってことは推測出来てね……最初の頃は、事態の収拾に君たちが活躍したらしいってことで、結構好意的な噂っぽかったんだけどね。
何時の間にか、その内容がすり替わったんだ……「“伝説の魔物”と戦ったケルティスは人間じゃなく“化物”だった」ってね……」
「……それは…………」
「……酷い言い様ですね……」
クリストの言葉に、ニケイラとカロネアは、再び気分を害したと言わんばかりに顔を歪める。
そんな二人の言葉に、別方向から声がかかった。
「……だが、あの時の姿は“人外の化物”と言われても仕方がないと思うがな……」
「……ヘルヴィスさん……?」
声の方へと首を巡らせたケルティスには、もう一人の眼鏡をかけた知人――ヘルヴィス=ペンコアトルの姿があった。一同の視線が集まる中、ヘルヴィスは特に怯むことも構える風情もなく言葉を続けた。
「しかし、“化物”とはな……もう少し言い様があるだろうに……
デュナンの奴も馬鹿な噂を拡めてくれる……」
「「「……え……?」」」
ヘルヴィスの呟きに、一同から驚きの声が漏れる。そんな皆の反応に、何処か呆れた気配が滲んだ声音でヘルヴィスは答えを返す。
「何を驚く……?
あの事件の詳細を知る学院の人間は、この場にいる四人を覗けばデュナンとルベルト……それに講師ラティルだ。この中で、ラティル師は本来書院神官だから、不用意な情報の漏洩を行う可能性はまずない。次にルベルトはティアスに対して敬意を払っている素振りが窺えたこともあって、悪意ある噂の拡散に手を貸す可能性は低い。
となれば、消去法で導き出される結論として、この噂の発信源……もしくは悪意ある内容への改変に、デュナンが関わっていると言うのは、間違いないだろう?」
「「……おぉ……!」」
したり顔で滔々と自説を語ってみせたヘルヴィスに、クリストとニケイラより感嘆の唸りが漏れた。そんな彼等の姿に、僅かに口角を上げ、ヘルヴィスは自らの眼鏡のブリッジに手を当てた後、言葉を続ける。
「だが、それはともかく……ケルティスが尋常な人間ではありえないことは、薄々判っていたことだろうに……
この程度の噂に踊らされるとは、全く馬鹿な連中だ……」
ある意味彼らしい何処か嘲りを含んだ言葉が紡がれる中、そんな彼の言葉を耳にしている風もなくニケイラから憎々しげな唸りが漏れる。
「……デュナンの奴!……自分も助けて貰った癖に……!」
「…………そうですね……」
「…………え……?」
ニケイラの言葉と、それに同意する呟きを返したカロネアの姿に、ケルティスは目を丸くして二人を見詰める。そして、そんな三人の姿を目にして、ヘルヴィスより三人に向けて言葉が投げかけられる。
「……なんだ。お前達二人は、噂に踊らされた訳ではないのか……?」
呆れる様な安堵する様なその言葉に、ニケイラとカロネアの目には一瞬だけ驚きの色が浮かび、次いで剣呑な物が映し出される。
「「……な!……そんな訳がある訳ないじゃないですか!」」
「……だ、そうだ……ケルティス……」
少女二人の叫びを軽く受け流し、ヘルヴィスは少々揶揄する様に“虹髪”の少年に声をかけたのだった。そんな彼の様子に、二人の少女は剣呑な視線を和らげてケルティスに視線を移した。
「「……え……?」」
二人の視線を浴びて身を竦めつつも、ケルティスは思い切って問いの言葉を投げかける。
「あの……二人とも、僕のことが恐くなって、嫌いになったんじゃ……?」
「……!……そんなことないよ!」
「…………私達が貴方のことを嫌いになったりなんかしませんよ」
ケルティスの問いかけの内容に、一瞬驚いて絶句した二人だったが、即座に返答の言葉を叫び返した。そんな二人に、ケルティスから続く言葉が紡がれる。
「……でも、今朝は二人とも何処か余所余所しかったじゃないですか……?」
「「……あ……!」」
彼の言葉に、彼女達は短く言葉を漏らした後、気まずそうに互いの視線を交し合った。そして、改めてケルティスに向き直って頭下げた。
「「……ごめんなさい」」
「え?……ニケイラさん、カロネアさん……?」
「私達……ケルティスさんに申し訳なくって……」
「……申し訳ない……?」
「えぇ、あの時……“炎の悪魔”に襲われた時、私達はケルティスさんに助けられるだけで、何の役にも立てませんでしたから……」
悄然として紡ぎ上げられたカロネアの言葉に、今度はケルティスの方が予想外の内容に目を見開く。
「そ、そんなこと、気にしなくても……」
悄気返る二人に向けて慰める様にケルティスは声をかける。しかし、その言葉に被せる様に、ヘルヴィスからの言葉が投げ落とされる。
「そうだな……あの時、とっとと後のことをケルティスに任せて逃げ去ってしまった方が良かったか……?」
「な!……見捨てて逃げた方が良かったって言うの……?」
「そうではない。僕等が逃げ去っていれば、足手纏いに気にすることなく間合いを調節する様に逃げ回りつつ、大規模攻撃呪文を撃ち合いなぞが行えたろうと言うことさ……」
「……え……?」
「あぁ、なるほど……ケルティス君の保有する魔力量と魔法の技量なら、そう言う戦い方もありですよね……」
ヘルヴィスの言葉に激昂しかけたニケイラであったが、続いた彼の言葉でその叫びを呑み込む。そして、ヘルヴィスの見立てに一連の遣り取りを静かに聞いていたクリストからも感心した様子で言葉が漏れたのだった。
若干座りの悪い所ですが、今回はこの辺りで終わらせて頂きます。