第四節:大聖堂での出会い
さて、ティアス達がセオミギア大神殿に到着するより、些か時を遡った所に話を移そう。
そこは、都市セオミギアの南東に当たる一角に建つ巡礼等を相手にした宿の一室……
宿屋としては、安い値段ながら清潔な敷布で覆われた寝台から、一人の少女が起き上がる。
「ん~ん……今日も良い天気……」
そう少女は呟くと、寝台を降りて部屋の一隅に掛けてある長衣を手に取った。それは白地に灰色の縁取りが施された神官衣に似た意匠の長衣――神殿学院生徒の制服である。
「何とか、入学式の日に間に合って良かった。折角、お父様やお母様が送り出してくれたのに、入学式に遅刻したなんて報告をしたら、申し訳ないものね」
そんなことを呟きながら、少女は手にした制服に袖を通して行く。一通り制服を身に纏った彼女は、備え付けられた鏡を前に、寝癖の付いた赤毛の髪を梳ったり、制服の襟元に付けられた飾り紐の結び具合などを調整したりと言った身繕いを始める。
「……うん!……これで良し、っと……」
一頻りそんなことをした後、自分の格好に満足した少女は、軽く頷いて寝台傍の卓に置かれた鞄を手に部屋を飛び出した。
急いで朝食を食べて、早めに神殿へ向かおう……そんなことを思いながら少女――ニケイラ=ティティスは食堂のある一階への階段を駆け下りて行った。
† * †
セオミギア大神殿に到る長い石段を昇ったケルティス達は、見事に磨き上げられた石が敷き詰められた回廊を進む。
その回廊を進んだ先に、開けた空間が拡がった。
そこは数百……いや、千を越える人々を収めることが適う敷地に、それが座れるだけの長椅子が並び、並みの木々では届かぬのではないかと思える程にその天井は高く、天井・壁面・柱・床の全てが磨き抜かれた白大理石で造り上げられている。
その天井の明り取りも兼ねたステンドグラスや、壁面の各所に設置されたレリーフは、聖霊などの“知識神”の眷族をモチーフとした物が巧妙に配置され、華美と感じさせぬ程度にその神秘性と荘厳なる雰囲気を演出している。
そこは大神殿中央に位置する大聖堂、一般信徒の訪問が許される最奥部と言える場所でもある。
ちなみに、この大聖堂は大神殿のほぼ中央に位置しており、ここから神殿各所へ放射状に回廊が広がり、各院の主要な施設と繋がっている。そこに、回廊同士や施設間を繋ぐ細々とした通路が配された構造は、一見すると蜘蛛の巣のそれに似た物となっている。
そして、この大聖堂の正面最奥に鎮座せるのが、椅子に座する妙齢の女性の像である。
その大きさは人のおよそ十数倍……
その身は賢者の好む質素な長衣を纏い……
長い髪を水の流れの如く流し……
左手に開かれた書を持ち、目はその書を眺める……
右手はその身の丈程もある杖を持ち……
その杖には杖よりやや長い一頭の翼ある蛇が巻き付いている。
この像こそ、過去と記録と魔術を司るとされる女神、“知識神”ナエレアナの神像である。
* * *
大聖堂に到着した一同は、女神像に向って深く頭を垂れ、“知識神”への祈りを捧げる。
そうして祈りを捧げた後、頭を上げたティアスは残る一同に向けて声をかけた。
「それでは、私は書院へと赴くことにします。皆んな、しっかり勉学に励むのですよ。
ラティル、皆のことを頼みますね」
「はい、お任せ下さい、書院長」
ティアスの言葉に、ラティルが頷きを返して答える一方で……
「お祖父様、今日は新入生相手の入学式と、始業の挨拶ぐらいで終るから、講義とかはないんだよ」
レイアは、祖父の言葉に軽い口答えの様な台詞を返して見せる。そんな孫の様子に、怒った様子を見せることなく、ティアスは微笑んで言葉を続けた。
「そうでしたね……でも、年も変わり、新しい師や友人と出会える機会もあるでしょう。
良い出会いがあると良いですね」
それだけを言うと大聖堂の奥――北西の方角に位置する一隅にある扉へと向かって歩き去った。
その扉の向こうには、神殿書院長の執務室がある一角へ続く回廊がある。
ふだんなら、彼と同じ扉に向う筈のラティルは、暫し彼を見送った後で残る三人の子供達に向って声をかけた。
「それでは、私達も学院へと向かいましょう」
「「「はい!」」」
各々、元気の良い返事が彼女の耳に届いた。
* † *
セオミギア大神殿は主に九つの区画に区切られており、各々が法院・書院・施政院・祭事院・魔法院・学院・薬院・戦院・雑務院の名で呼称されている。
各々の院を統括するのがそれぞれの院の名を関する院長であり、彼等九人の院長の長を務めるのが、“知識神”ナエレアナを奉ずる教団の長を兼任するセオミギア大神殿法院長である。
各院は、その名が示す神殿内での様々な役割を分担して行っている。
その中にあって、“セオミギア大神殿学院”の役割は、端的に言ってしまえば“学究の府”となるだろう。
“大神殿書院”や“大神殿魔法院”……そして“大神殿薬院”も、ある意味で研究機関としての機能を担う院として存在している。
しかし、“大神殿書院”は歴史に関して、“大神殿魔法院”は魔法――特に帝国魔法に関して、そして“大神殿薬院”は医療に関して……と、それぞれの院が担う物事に関連する研究に専門化している。
対して、“大神殿学院”におけるそれは、広範で多種多様な物事に関する様々な研究がなされている。また、広範な研究を行っていることを利用して、他の院や神殿外の研究機関との共同の研究を行う場としての役割も担う例も見られる。
そう言った面から、セオミギア王国を中心としたユロシア地域北部における最高の研究機関としても名高いものとなっている。
しかし、それだけが“神殿学院”が担う役割ではない。
それが教育機関としての役割である。“神殿学院”に所属する神官達は、学者としての高い見識を有する者達であり、「人々に様々な知識を授けた」と伝えられる“知識神”ナエレアナに倣って人々に、その知識を伝授することを期待されてそうなったのだと思われる。
その為、“神殿学院”の区画の半ばは研究機関としての色の濃い施設が並ぶ物となっているが、残る場所には都市や周辺に住む青少年に様々な知識を教育する為の施設が並ぶこととなっている。
現在、“大神殿学院”の学舎は、初等部・中等部・高等部・大学部の四つに分けられ、それぞれの年齢や学力に合わせて、様々な授業や講義が行われている。
* † *
そんな神殿学院の学舎へ向かおうと、一同を促したラティルの“虹色の瞳”は、とある人影の姿を捉えた。
「…………あれ?」
「……何、母様?」
「……如何したんですか、父様?」
ラティルの呟きに彼女の方を向いた子供達は、次の瞬間には彼女の視線の先へと頭を巡らせた。そんな一同の視線の先に、一人の少女の姿が映ることになる。
その少女は、ラティル達が大聖堂に着いて若干の時を空けて後に大聖堂に到着したように窺えた。しかし、学院学舎へ続く扉の位置が分からないらしく、大聖堂の壁際を困惑気味に右往左往していた。
間の悪いことに、まだ朝も早い部類に入る時間帯で、神殿に詰める神官の何人かは聖堂に入ってくるもの、学院生徒らしい人影は見受けられない。お蔭で、どの扉を入れば良いのかの見当が付けられずにいる様だった。
少女の様子を見てフォルンとレイアが声を交す。
「……新入生……かな?」
「じゃないのか?……見慣れない顔だし、制服が着慣れてない感じがする」
「道に迷っているみたいだしね」
「適当な扉を入って、適当に進めば、学舎に辿り着けるってのに……」
そんな二人の会話に頭上から声が降りて来る。
「大神殿の回廊は、蜘蛛の巣状に配置されていますからね。慣れない者が、下手な角を曲がれば、何処とも知れぬ場所に迷い出てしまいますから……無闇に入らないのは正しいと思いますよ」
「そうなんですか……?」
割り込んできたラティルの言葉に、ケルティスが短い問いで聞き返す。するとラティルは、少しばつが悪いと言った苦笑を浮かべて答えを返した。
「……若い頃に、うっかり迷ってしまったことがありましたからね」
「…………そうなんだ……」
「……っと、いけない。迷っているなら案内してあげないと……」
ケルティス達の方を見詰めていたラティルは、慌てて戸惑う少女の方へと小走りに駆けて行った。当然、ケルティス達も彼女の後に続く。
ラティル達が近付いてみると、やはり少女は道に迷っているらしく、不安に深緑の瞳を潤ませ、長い赤毛が乱れるのも気にせず、あちこちへと首を振り回していた。
そんな様子を見せていた少女は、やがて近付いて来た女性――ラティルの姿に気付き、近付く彼女達へと縋る様な視線を投げかけてきた。少女の視線を受けたラティルは、少女へと微笑を浮かべて声をかけた。
「……お嬢さん、如何かしましたか?」
「あ、は、はい……あの…………」
「もしかして、道に迷ってしまったのですか?」
「は、はい!……え~っと……」
恥らってか口籠もる少女から、思った通りの答えを聞き出したラティルは言葉を続ける。
「それなら、私達と一緒に行きましょうか?
私達はこれから学院学舎の中等部へと向かうのだけれど……」
「!……ぜ、ぜひ、お願いします!」
ラティルの申し出に、少女は一も二も無くと言った様子で答えを返した。
「分かりました。それでは、往きましょうか」
その答えに小さく頷き返してラティルは短く言葉を紡いで歩き始めた。そして、大聖堂の西側にある扉の一つ――神殿学院へと続く扉を開いて、その先の回廊へと歩を進めて行ったのだった。
* * *
回廊へと入って間もなく、少女はラティルに向けて声をかけた。
「あ、あの……ありがとうございます。私……ニケイラ=ティティスと言います」
「どう致しまして、ニケイラさん。私はラティル=コアトリアと申します。学院の新入生ですか」
「は、はい……今年から大神殿学院の中等部に入学する為に、ランギアから来ました」
その答えにラティルの目が感嘆の思いから細められる。
ランギアと言えば、大陸西方域――ユロシア地域の北東部に位置する“狩猟都市”の異名を持つ国家である。大陸西方域の諸国家からの“大神殿学院”への留学生は珍しくないとは言え、それ程多いとも言えない。
そんな多くはない一人として、この場所へとやって来た少女に、ラティルは感心の想いが湧き上がっていた。
そんな二人の間に、その後を歩んでいた者達より声がかかる。
「新入生か……あたしは、中等部二年のレイア=コアトリアだ。よろしくな!」
「同じく、僕はフォルン=コアトリア……ここで出会ったのも何かの縁だし、困ったことがあったら、良ければ相談に乗るよ」
「ニケイラ=ティティスです。よろしくお願いします……レイアさん、フォルンさん」
「あぁ、よろしくな…………そうだ!」
少女――ニケイラへは、自分に声をかけた姉弟へ向けて、勢い良く頭を下げる。
その様子に満足気に頷きを返したレイアは、思い出した様に頭を上げ、自分達姉弟の後ろで隠れる様に立っていたケルティスの肩を掴んで、自分の前へと突き出した。
「こいつは、ケルティス=コアトリアって言うんだ。こいつも今年から中等部に入学するんだ。良かったら、友達になってやってくれ」
「は、はい……よろしくね、ケルティス君」
「え、っと……ケルティスです。よろしくお願いします、ニケイラさん」
ニケイラとケルティスは互いに歩を止め、向かい合って言葉を交す。
そこで始めて、ニケイラの瞳が大きく見開かれる。少女の視線の先は、向かい合う少年――ケルティスの頭へと釘付けになっていた。どうやら、その髪の色に気付いて、彼等の正体を思い付いた様であった。
「……コアトリア……って、もしかして……」
「ん?……あぁ、まぁ、予想した通りだよ……多分」
驚きに強張った口調のニケイラの問いかけを、呆気ないまでに平然とした調子でレイアは答える。
そして、彼女は少女に向けてニヤリと口元を歪めて言葉を繋げた。
「……でも、まぁ、そんなに気にする様なもんでもないからさ」
「……はぁ……そう、ですか……」
レイアの言葉に、少しばかり緊張を解けたのか、ニケイラは長く一息を吐いて肩を僅かに落とす。
「それでは、学舎の方に向かいましょうか?」
そんな子供達の遣り取りを黙って見詰めていたラティルは、一段落したと察して皆へと声をかけた。
「はい、母様」
「はい、父様」
「はい、ラティルさん」
ケルティス達が一斉に返事をし、一拍遅れて返事をしようとニケイラはラティルへと向き直る。改めてラティルと顔を合わせた少女は、再び驚きに目を見開く。
「……“虹色”の、瞳……って、もしかして……」
「どうしたんです?……ニケイラさん?」
再度、驚きに硬直してしまった少女に、ラティル達は首を傾げる。
そんな彼女に向けて、回廊に響き渡る様な大声を張り上げた。
「……“西のヤーナ”……!」
「「「………………?」」」
叫びを上げたニケイラの言葉に、子供達三人は意味が分からず、再び首を傾げることになった。
お読み頂き、ありがとうございます。
今回は尺の都合から、予定の途上ながら、切の良いここまでで切り上げることにしました。
ニケイラの叫びの意味は、次回にて……