間章ノ三:“虹髪の賢者”、旧友と語らう
“大書庫”にて起こった不測の事故の数日後の夜半……
コアトリア家の屋敷の一室にて、椅子に腰かけたこの屋敷の主が姿見の如き巨大な三台の鏡と向かい合っていた。その鏡に映っていたのは、対面に座るこの屋敷の主人――ティアス=コアトリアの姿ではなかった。
より正確には、三枚ある鏡面の内で向かって右側の鏡面にはティアスの鏡像が映し出されている。しかし、残る中央と左側の鏡面には異なる姿が映し出されていた。
その正面の鏡面に映るのは、東方大陸風の衣を纏った人物であった。彼は首や手の甲等の身体の各所を銀色の鱗に覆われ、その頭部には銀色の短い角が生えており、チュルク人特有の彫りの浅い顔立ちながら、チュルク人に一般的な黒髪黒瞳ではなく銀髪金瞳を持つ壮年の男性であった。
彼の名は、リュエン・ジンランと言う。東方大陸の大国――チュルク帝国において北鎮将軍の任を務め、“真竜将軍”の異名を持つ武人であり、“金竜王”シャオラーンと“黒竜王”ノルザリーンより“輝人子”の称号を賜った竜戦士でもある。
そして、左側の鏡面に映るのは、西方大陸風の簡素な衣を纏った人物であった。その全身は“偽装皮膚”を解除しており、銀色に輝く神銀の装甲に覆われた青年の姿をしていた。
彼の名は、ミゼル=ヴァンゼールと言う。西方大陸内の一国――イレヴス王国に住まい、その国の魔導技術師団の相談役の地位を預かる人物であり、今や西方大陸の諸国家に強い影響を有する金属人の一族――ヴァンゼール一門の当主たる人物でもある。そして、言葉を補足するなら、世界で最初に誕生した金属人にして、“黒竜王”ノルザリーンより“始機伯”の称号を賜った竜戦士でもあった。
この二人は、屋敷の主――ティアス=コアトリアの旧友と呼んでよい間柄の人物であった。まだ、ティアスがフォルーギア子爵の称号も授かっていなかった若き日に、彼等とその仲間たちは、世界の命運をかけた冒険行――後の世に“黒竜王の禍”と密かに称される事件――で行動を共にした仲なのだ。
現在は、それぞれが各々の大陸において名の知られた一廉の人物としての地位を得ているが、この様に折を見て、互いが言葉や文を交し合う友人としての関係は続いている。
ティアスが対面し、ジンランやミゼルの屋敷にも置かれているこの大鏡は、ティアスの手で魔法を付与された魔法具であり、遠隔地同士の通話を可能とする機能が付与されていた。
その夜は、ティアスが相対する二人に相談があると呼びかけて、この場が実現していた。
彼――ティアスは対面する二人に、この間ケルティスが“大書庫”で遭遇した事件の顛末の概要を話したのだった。
ティアスがこれらの顛末を二人に話すことが出来たのは、“知識神”ナエレアナ女神を奉ずる“セオミギア大神殿”が「知識の共有」を教義の一つとしていることが影響している。
何と言っても、関係者からの聴取が済んだこの事件は、基本的に詳細が取り纏められ、一般にも公開される予定となっている。この為、これらの事情を二人に語ることに何らかの支障が生じないと言えたのだった。
ともあれ、“大書庫”の下層階に赴いたケルティスを始めとする学院生徒が、書庫内に安置されていた一冊の魔導書によって召喚された魔物――伝説の大妖魔“アーク・ヴァーラグ”の襲撃を受けたこと……そして、この魔物に相対したのが、主に“神竜魔法”を駆使したケルティスであったこと……人名等を若干ぼかした上ではあるが、ティアスは聞き取りで得られた情報のかなり詳細な部類を含めて、二人に説明して行った。
「……“炎の妖魔族”を相手取ったとは……!」
「……神代の魔物を相手に……よく無事だったな……」
一通りの説明が終わった後、対面する二人――ジンランとミゼルは、驚愕や感嘆の入り混じった呟きを漏らす。
「いえ……聞き取りの内容から推察する限り、彼のアーク・ヴァーラグはかなり能力や行動が制限されていたようですよ。
精霊魔法のみで邪霊魔法を使う様子を見せなかったらしいですし、魔導書の護衛の為に召喚された影響なのでしょうけれど……」
「いや、それでも……並の相手ではないだろう。少なくとも、“炎の上位魔人”程度の力量はあったのではないか……?」
謙遜気味に返答したティアスの言葉に、ジンランより感嘆を言葉が続いた。彼の場合、チュルク帝国の西部に広がる山岳地帯に“ヴァーラグ族”が棲息していることもあり、感嘆は一入であるようだった。
一方で、別のことで感心の言葉を漏らす者もいた。
「それにしても、その様な“炎の悪魔”を相手に、たった二発で仕留めるとは……ラティル君の腕前も凄まじいものだな」
「そうなのか、ミゼル……?
お前の造ったと言う“魔力銃”の威力が凄まじいと言う訳ではなく……?」
ミゼルの漏らした言葉に、ジンランが問いの言葉を投げかける。その問いに神銀の機人は返答の言葉を紡ぐ。
「いや、あの“魔力銃”は、使用者の魔力や射手として技量でその威力が左右される品だからな。
ここは、“魔力銃”が凄いと言うよりも、その“魔力銃”にそこまでの威力を発揮させたラティル君が凄いと評すべきだろう」
「なるほど……そう言うものか……」
感心した様子で言葉を紡ぐミゼルや感嘆の唸りを漏らすジンランの鏡像を目にして、ティアスは微苦笑を浮かべて言葉を紡いだ。
「…………本人が聞けば、恐縮する所でしょうがね……
ただ、正確には、仕留めたのは二発ではなく、一発で、だった様ですがね……」
「「……一発で……とは……?」」
ティアスの言葉に、ミゼルとジンランより幾らか素っ頓狂な色合いの言葉が漏れる。そんな彼等に向けて、“虹髪の賢者”より言葉が続く。
「どうも、ラティルから聞き取った話によると、眉間への一発でアーク・ヴァーラグを仕留めたらしいのですが……ケルティスの方へと倒れ込むのを防ぐ為に、手加減した一発を心臓に打ち込んで仰向けに倒れさせたらしいのです」
「……眉間に一発で、だと……」
「……倒す為に、威力を手加減してか……」
ティアスの説明に、二人より唖然とした呟きが漏れる。
二人の様子を見詰めながら、ティアスはその面を微苦笑で僅かに口元を歪めて見せる。
ティアスの女婿であるラティルとこの二人とは、顔を合わせたことはある。ジンランはこの魔鏡越しに、ミゼルは息子であるルアークと共にコアトリア邸を訪れた際に、顔を合わせ、言葉を交わしている。だが、そんな二人の彼への印象は控え目で物静かな青年と言ったものであったろう。
「……あの青年が……人は見かけによらないとは言うが……」
「……あぁ……流石は、ティアス殿の女婿になるだけはあると言う訳か……」
ミゼルとジンランの驚嘆の混じった呟きを聞きながら、ティアスはこれらの台詞をラティルが耳にしたら恐縮するであろうと推測し、密かに苦笑を漏らしたのだった。
何と言っても、ラティルはコアトリア家の大人達の中で最弱であると自認しているのだから……
ともあれ、感嘆や驚嘆の風情を見せる二人に向けて、ティアスは改めて問いの言葉を投げかける。
「……さて、話を戻しますが……
今回のケルティスの戦い様……貴方がたから見て如何思われますか……?」
「「……如何とは……?」」
質問の意味を図りかねた様に、二人から疑問の言葉が漏れる。
「何と言いましょうか……“神竜魔法”を用いての戦いを行って良かったものか……少し気になってしまったので……」
気弱な風情で呟いたティアスの様子に、二人は何処か得心した様に軽く頷く。そして、まずミゼルより言葉が紡がれる。
「……確かに、“有鱗の民”と馴染みのない者が“神竜魔法”の使い手を目にすれば、畏れ……いや、恐れを抱く可能性はあるかもしれないな」
ミゼルの言葉を頷く様にジンランも言葉を繋ぐ。
「うむ……我が国の様に、“有鱗の者”に対して友好的な態度を持つ者達が多い所なら、畏れはしても怯えることは少なかろうがな……
だが、あの局面で“竜闘術”と“神竜魔法”を用いるのは妥当だと思えるが……」
「そうだな……相手との白兵戦が想定される状況下では、“神竜魔法”を選択したのは正解と言えるだろうな」
「やはり、そう思いますか……」
ジンランとミゼルの返答に、ティアスも短く肯定の言葉を返した。それは、彼が同じ結論に至っていた所為でもある。
* † *
本来“魔法”と総称される技術は、“詠唱”と“結印”と称される二種類の動作を連動させることで発動する。そして、高位の呪文であればある程、“詠唱”の文言は長く、“結印”は複雑なものとなる傾向にあるともされている。
この原則は、“聖霊魔法”・“帝国魔法”・“精霊魔法”・“神竜魔法”の四種の何れにしても適応されるものとされている。しかし、この四種の魔法系統の間で、“詠唱”と“結印”の重要度や比重の関係は、各々が異なる相関を形成していると言える。
例えば、“帝国魔法”では“詠唱”と“結印”はかなり厳密に規定されており、省略をする余地が少ない影響もあって、呪文の発動は煩雑なものになり易い。
一方で、四系統の中で最も“詠唱”と“結印”の省略が容易とされているのが、“神竜魔法”である。これは、自らの内部を変革する呪文を基本とする魔法系統である影響が強いと考えられている。
ともあれ、相手に接敵され“詠唱”や“結印”の動作を十全に行えない状況下での魔法発動に関しては、他の三系統の魔法よりも“神竜魔法”に分があると言う事実は、四系統の魔法に関する知識を有するものであれば至極当然な結論と言えた。
更に加えて述べるならば、竜人族が用いる体術である“竜闘術”は、基本的に“神竜魔法”の行使を前提とした武技として発展したものだと言うことも指摘できよう。
これは“神竜魔法”の各種呪文で強化された身体を前提とした格闘術であると言う意味合いも含まれているが、反面で戦闘中に如何に効率よく“神竜魔法”を発動し得るかを追求した体術でもあると言うことなのだ。
それらを懸案すれば、こと接近戦において最も有効に活用できる魔法となると“神竜魔法”と言う結論になるのはある意味当然の帰結と言えるのかも知れない。それに加えて、彼の“炎の悪魔”が操る“精霊魔法”に対して“神竜魔法”は優越して作用することもこの選択が戦術的には過ちではないことを示していると言えよう。
* † *
だが、話はこれだけで済む訳ではない。
本来、“人族”――人間族及び天使族――には、根本的に“神竜魔法”を使用することは出来ないとされている。その様な原則が横たわっている中で、「“神竜魔法”を操る“人族”」と言う存在は、ある程度魔法の知識に通ずる者達にとって不可解なものに映ることだろう。
何と言っても、常人の範疇を超えると称されることの多いティアス=コアトリアでさえ、この原則を跳び越えることは出来ていないのだ。故にこそ、この原則に囚われない存在の異常さは解っている者には、非常に奇異に映るものと言えるだろう。
また、そうした事情を知らぬ者であっても、見慣れぬ魔法である“神竜魔法”を使用する姿は、見る者に“竜族”を想起させ、本能的な恐怖心を煽り立てる結果となりかねない。
それらのことが、ティアスの脳裏に苦悩の翳りを落としていた。
「……あの子が、徒に恐れられない様に過ごさせてやりたいと思っているのですが……
良ければ、ファリン様やラディアさんにも意見を聞いてみたい所なのですが……」
「…………ファリンは、今“光の森”で暮らす時期に入っていてな。「ゆっくり“父祖孝行”をして来い」と行った手前、当分の間戻って来そうにないのだ……」
「……こちらのラディアも、ルアークを付き添いにして、 “麗夕姫”殿下の手解きを受けに“黒き森”へと訪問している最中でね。暫く戻って来ない予定でな……」
彼の呟きに、ジンランとミゼルの二人からは申し訳なさを窺わせる面持ちで返答を紡ぎ出された。
* † *
さて、ファリンとはリュエン・ジンランの妻女たる半竜の女性である。
この半竜と言うのは、竜と竜人族の混血種であり、外見上は有翼の竜人族と言った姿をした竜人族の上位種に類する存在とされている。彼女の場合、父が“竜族”となるのだが、その父が一般的なドラゴンではなく、神格を有する上位竜族――“公竜”であった。
彼女とジンランは、“金竜王”シャオラーンの命を受けて共に冒険行に旅立ったことが縁で出会い、結ばれたと言う経緯がある。そして彼女は、『人化』の呪文を用いて人の姿――或いは、半竜人に近い人に似た姿――を取って、北鎮将軍を務めるジンランの妻女として彼の傍らで暮らす一方で、“金竜王”シャオラーンに仕える高位の竜戦士として“光の森”で過ごす日々を交互に繰り返している。
そして、ラディア――ラディア=ヴァンゼールとはミゼル=ヴァンゼールの娘である。
彼女はメレテリア世界中最年少の魔法機械生命体にして、史上二人目となる“母の受胎”によって誕生した魔法機械生命体であり、同時に史上二人目となる“黒竜王”ノルザリーンの眷属たる“黒鱗の民”である魔法機械生命体でもある少女であった。
彼女は父ミゼルの許でそこ屋敷に育っている所であるが、近年はその“黒鱗の民”としての資質が確認されていたこともあり、“黒き森”に鎮座する“黒鱗の公竜”の一柱たる“麗夕姫”ノルガリーン等に“神竜魔法”等の心得を時折教わることを日課に加えていたのだった。
この二人は、ジンランとミゼルの縁者であると同時に、生得的に“神竜魔法”が使用出来ていた者達でもあった。
一方で、ジンランやミゼルは後天的に“神竜魔法”を修得するに至った者達であるとも言えた。
* † *
ともあれ、人間社会の中で暮らす“神竜魔法”の使い手と言うのはかなり稀少な存在と言って過言ではない。彼女等であれば、今後のケルティスの生活に参考になる事柄がある様にも思われたのだった。
とは言え、居ない者なら仕方のない話と、気持ちを切り返したティアスに対して二人から言葉がかけられる。
「確かに“神竜魔法”の使い手は、徒に恐れられる傾向があるにはあるが……
そのことを気にする前に、そう言う存在なのだと知らしめておけば然程問題は起こらないのではないか……?」
「それは確かに……常人とは異なる存在なのだと了解して貰っていれば、無用な諍いや混乱も少ないと言う意見は、確かに正論と言えるな……」
そんな彼等の言葉に、ティアスは些か渋い表情を浮かべる。
「……確かに、そうなのですが……
私自身、多くの方々から人ならぬ者と扱われていますから……あの子には、そんな苦労を負わずに済むのなら、と思えてしまって……」
ティアスの呟きに、ジンランやミゼルから苦笑染みた言葉が漏れる。
「……それは都合の良い話と言うものではないか……」
「……いや……むしろ、あの子の生まれ等を聞く限り、貴方よりも常人離れしているぐらいだからな……」
「…………やはり、そう思われますか……」
ミゼルやジンランが紡ぎ出した言葉に、ティアスは憮然とした様子で僅かに項垂れる様にして呟きを漏らした。そんな彼に向けて、ジンランが改めて言葉を紡ぎ上げる。
「お前も耳にしたことがあるだろう……?
我が息子――レイランが何と呼ばれていたか……」
「……“暴竜将軍”……ですか……?」
ジンランの問いかけに、ティアスが短く答えを返した。
リュエン・ジンランの嫡男――リュエン・レイランはチュルク帝国でも名の知れた武人であり、父ジンランを長とする北鎮将軍府に属する武将の一人である。父母の薫陶を強く受けて育った彼は、武芸百般に優れ、“神竜魔法”の使い手としても秀でており、“金竜王”より“竜戦士”の称号を得るに至っている。その金色に輝く髪と鱗や、美麗なまでの武芸の切れから、“麗竜将軍”の異名で称えられている。
しかし、若き日の彼が周囲より賜った異名は、“暴竜将軍”と言うものであったのだ。
これは、リュエン家が“竜将軍家”の異名で称されていたことと、高い武芸の技量の割に沸点の低い気性を持っていたレイランの姿を揶揄して付けられたものである。そして、そんな異名を奉らわれた彼は余計に荒れたと言うのは、ここでは余談であろう。
ティアスの返答に続けてジンランは言葉を続けた。
「あぁ……“暴竜”等と揶揄されて荒れたこともある彼奴だが、今は帝国武官として務め上げている。
幼い頃に何か言われていても、性根がしっかりしていればきちんと育つものだ。それはティアス――貴公も承知していることだろう……?」
「そうだな……それは私も同意見だ。
それにケルティスは、その出自の特殊性が私達の場合とは少々事情が違うだろう……人外の者として恐れられる可能性は、それ程大きなものではないかも知れんだろう……?」
ジンランの言葉に続いて、ミゼルからも声をかけられたティアスは、大きく息を吐いて言葉を返した。
「…………確かに……仰っていることにも一理ありますね……
混乱が生じない内に、あの子の出生の事情を学院の生徒達に公表するべきなのかも知れないですね……」
そう言って溜息の様な長い一息をティアスが吐いた時、右側の鏡面に揺らぎが生じた。
その鏡面が映す鏡像の揺らぎは次第に大きくなり、次第にこの部屋の中とは異なる情景を映し出していた。それは、この部屋とは似て非なる面持ちを湛えた一室であり、その中央には一人の人物が映し出されていた。
その人物とは、銀髪紫瞳の老境に差し掛かった人物であった。その顔には、目元から鼻筋の周囲を覆う仮面を被っていた。
「……ルギアスさん……?」
「……ルギアス殿……?」
「……ルギアス師……?」
「……おや?……今夜はティアスに聞きたいことがあったのだが……三人で何を話している……?」
新たに加わった人物――ルギアス=ペンコアトルの姿に、互いが声を上げた中、飄々とも淡々とも取れる感情の籠らぬ声で三人に向けて問いの言葉を紡ぎ出す。
「……おおよそ、ケルティスのことについてでも話し合っていたのだろう……?」
そして、三人からの答えが返される前に、“仮面の魔導師”――ルギアス=ペンコアトルは正解を口にしてしまう。
「……流石は、ルギアスさんですね……実は、その通りなのです。
先日の事件でのケルティスの立ち回りが適切かを確認して貰っていたのです」
ティアスの言葉に、ルギアスから言葉が返される。
「……適切だったろう。ヘルヴィスから聞いた話から判断する限り、幾つか拙い点はあるものの、妥当な所だと思うがな……」
「ルギアスさんも、そう思われますか……」
淡々と返された言葉に、ティアスは憮然とした呟きを漏らした。
「何を嘆息するする必要がある……?
あぁ、奴の異常性が明らかになることを気にしているのか……?
これを切欠に、奴の正体を公開しても構わんのではないかと思うがな……」
「……そうでしょうか……?」
「そうだな……私は公開をして構わないと考えているぞ。
お前と言う前例があるのだ。コアトリア家の多少の毛色の違いは受け入れられて当然と思っているが……
まぁ、気になると言うなら、この事件を揉み消すのに力を貸しても構わんぞ……?」
そう言った無表情なルギアスの仮面の奥にある瞳には、優しげな光が隠れている様にティアスには感じられた。
「ルギアスさん……ありがとうございます」
謝意の言葉を紡ぐティアスに対して、軽く手を挙げて答えたルギアスは、改めて視線を彼から移して言葉を紡ぎ出す。
「ジンラン殿、ミゼル卿……すまないが、席を外して貰えないか……?
“盟約国家”絡みの事情でティアスに話がある」
「承知した。では、これで失礼する」
「了解した。それではな、ティアス……」
ルギアスの告げた言葉に、ジンランとミゼルはティアスに断りの言葉を口にする。その後で、二人を映し出す鏡面は一瞬の揺らぎの後に普通の鏡面へと変じたのだった。
* * *
二人の姿が消えた部屋で、鏡越しとは言えティアスとルギアスは向かい合う。
数瞬ばかりの沈黙が部屋を揺蕩った後、ルギアスより静かな声がその部屋に流れた。
「……この間、ミドミギア大神殿の教皇の交代があった。交代した当代の教皇は、アインセント4世――現皇帝ツァール5世の幼少期に教育係を務めた人物の一人だ」
「…………そうなのですか……」
平板な口調でルギアスの口より告げられた内容に、ティアスは呟く様に相槌の言葉を返した。
「承知しているだろうが……ツァール帝は即位当初、教会の強硬派と繋がりが強く、“大陸統一”と言う帝国の国是に肯定的な皇帝だった。
今は、お前の依頼もあって張り巡らせて貰った様々な策謀や“大挟撃戦役”での敗戦……それに先帝ザイデルの遺志もあって、諸外国への強硬な態度はなりを潜めている。
だが、アインセントは枢機卿時代から若干過激な言動が見られているからな……この即位で、ロミナル帝国が少々不穏な状況になる可能性がある」
「……なるほど……」
「今の所、具体的に何らかの策謀が仕掛けられている様子はないが……身の回りには気を付けておくことだ」
そう口にしたルギアスは、その目を極々僅かに歪ませる。
“虹の一族”の異名で知られるコアトリア家の人々は、大陸西方域で広く知られており、度々大陸西方域の危機を救ったと言える活躍をして見せている。これは大陸西方域を狙うロミナル帝国の強硬派にとって厄介な存在と見做されていることを暗示していた。
その証拠に、ティアスを始めとしたコアトリア家の人々が襲撃を受ける事件と言うのは、これまでに数度発生している。幸いなことに、そうした事件でコアトリア家の者が重傷を負ったことはなく、“大挟撃戦役”の異名で知られる戦役の後には、そうした事件自体が起こっていない。
だが、アインセント教皇の即位は、こうした平穏な状況に不穏な翳を落とす可能性を窺わせるものと言えた。
「分かりました。私も、周りの皆のことも気を付ける様にします……」
「……分かっているなら良い……こちらの方でも気にかける様にはしておく……」
二人はそうして言葉と視線を交わしたのだった。
投稿が遅くなって申し訳ありません。今回は例の如く番外編な訳ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
ご意見・ご指摘・ご感想等々頂けましたら有難いのですが……