第三節:大神殿への道行
朝食を終えた一同は、後片付けをメイと彼女が指揮する侍女達に任せて、それぞれ出仕や登校の準備を始める。
そして準備が整った一同は、玄関へと集まって各々の行き先に向って屋敷を出て行った。セイシアとレインは白牙騎士団の詰所へ、他の者達はセオミギア大神殿へと向う為に……
さて、一般的な貴族であれば出仕の際には、自家用の馬車を用いる例が少なくない。しかし、所詮は新興貴族でしかないと語るティアスの方針もあってか、基本的に徒歩での出仕を行っている。
当然ティアス達は都市東部の一隅にある路地を、各々徒歩で大通りを目指して歩を進める。
彼等の住むコアトリア家の屋敷は、元々はセイシアの実家――ミレニアン家が別宅の一つとして所有していた屋敷であり、貴族居住区となっている都市東部の区画の中でも庶民の居住区である西部区画寄りの場所に存在している。お蔭で都市中央を南北に縦断する大通りに比較的近い場所となっている。
徒歩での出仕と言うこともあって、比較的早めに家を出ている影響もあり、路地には殆ど人気はない。ティアス達は人通りの少ない路地を進み、程無くして都市を貫く大通りへと出て来た。
都市を南北に縦断し、馬車が4~5台が並んで通れそうな道幅を持つ大通りを彼等は北へ向けて歩を進める。
* † *
ここは、“神殿都市”の異名を持つ都市――セオミギア……北方大陸西域――ユロシア地域に林立する小国家群の一つ、セオミギア王国の同名の王都である。
王国としてのセオミギアは、古代王国崩壊後に到来した第二次竜世紀が収束して以降に成立した国家群の一つであり、その歴史は現存する国家の中でも古い部類に入る。しかし、都市としてのセオミギアの歴史は、それ以上の長さを誇っている。何と言ってもその始まりは、人間の建国した最古の国家の王都として成立したものであり、その歴史は既に三千年を越えている。
そして、この都市セオミギアの成立以来、久しく都市の中心として、或いは象徴として存在しているのが、“セオミギア大神殿”である。
この世界を創造し、世界に満ちる万物や摂理を創り上げたと伝えられる八大神の一柱――“知識神”ナエレアナを奉じる世界最古最大の神殿であり、都市セオミギアもこの大神殿が建立されたことを起源とすると伝えられている。
事実、都市北部に存在する大神殿は、都市全体の約二~三割程度の領域を占有しており、神殿中央の鐘楼や神殿各所に存在する尖塔などは都市の何処からも見て取れるとも言われる程に高く聳え立っている。その様は、神殿東側に存在する王宮の存在が霞んでしまう程である。
神代の頃にあって、“知識神”ナエレアナが鎮座していた場所に建立されたとされており、大陸西方域を中心に北方大陸で盛んに信仰される神であることもあって、各地からの巡礼が絶えず訪れている。
* † *
大神殿への参詣に向う巡礼の為にも整えられた大通りを、ティアス達は歩を進めて行く。
今日は“光の満月祭”にちなんだ春の休暇が明けたばかりの日と言うことや、いまだ朝も早い内と言うこともあり、人通りもまだ疎らな様子であった。
そんな中で、ティアスとラティルは言葉を交しつつ進んで行く。
「……所で、メルテス君は如何したんでしょう?
ケルティス君の入学の日はお祝いを言いに帰って来るという話でしたけど……」
そう呟く声に、ティアスは首を巡らせ微苦笑を浮かべて、その疑問の答えを返した。
「大陸北部域の諸国に伝わる伝承を調べに周っていたらしいけれど、街道にかかる橋の一つが雪解けの洪水で流されて、足止めされてしまったのだそうですよ。
昨日、持たせていた“遠話の鏡”でセオミギアまで戻れそうにないと嘆いていました」
「それは…………災難でしたね……」
「あの子らしいと言えば、あの子らしい話ですけれどね……」
そう言って、二人は互いを見合い、苦笑を交した。そうして、また、違う話題へと話は移って行く。
「……そう言えば、今日から暫く学院に出向することになっていましたね」
「はい、学院の講師を務めるフィジェレア師が暫く休養を取られるそうで、人手を借りたいと言うことらしいですね」
「確かに……そういう話は聞いていますね」
「ですが……それだけではなく、ケルティス君が入学するので、対処できそうな人間を揃えて置きたいという思惑もある様です……」
「そうなのですか……」
二人の会話の中で、自分のことが触れられていることに気付いたケルティスが、恐縮した様子でラティルの方を向いて頭を垂れる。
「あ、あの……すみません……僕の所為で……」
その姿を目にして、口が滑ったと口元に手をやったラティルは、すぐに悄然とした少年へ言葉をかけた。
「……気にしないで下さい、ケルティス君……時々、学院の講師として呼ばれることは今迄も何度となくありましたし、貴方の様子を見守れる立場になれたことは、そんなに悪い気はしていないんですから……」
「……はい……」
言葉を紡げども、しょげた様子から戻りきれていない義弟の姿に、ラティルは少し困った面持ちで彼を見詰める。
そんな気まずい雰囲気を払拭する様に、少年の背を叩く感触と陽気な声が投げかけられる。
「気にすんなよ!……ケルティスにモノを教えられる奴なんて、そうそういないんだからさ」
叩かれた勢いで少しつんのめったケルティスが振り返ると、そこには笑みを浮かべたレイアの姿があった。そんな彼女と目を合わせていると、ちょっと冷めた感じの声が耳に届く。
「そんなこと言って……去年、学院で出された宿題をこの子に教わっていた人の台詞とも思えませんね……」
「フォルン!……そこは、教わっていたからこそ言える台詞だ、と言う所だろ!」
「どっちにしろ、あんまり格好の良い話じゃないですけどね……」
珍しく茶化すように肩を竦めて見せたフォルンの様子に、ケルティスは右手に持った鞄を持ち直しつつ、思わず短い笑いを噴出す。
その様子を見て、互いに微笑んだ姉弟はケルティスに話しかけた。
「ケルティス……今日は入学の式典ぐらいしかないし、終ったらあたしが学院の中を案内してやるよ!」
「姉さん、別にケルティスは大神殿に始めて行く訳じゃないんですからね……下手をしたら、姉さんより神殿のこと詳しいかも知れないって分かってます?」
「別にいいだろ……学院の中って、神殿とちょっと違う面白さってのがあるだろう?
それに、生徒には生徒にしか分かんない事情とかがほら…………え~っと、…………」
「…………自分で言ってて、訳判んなくなってないですか、姉さん?
ともかく、ケルティス、何か困ったことがあったら、僕や姉さんに相談してくれたら良いからね」
子供達の会話を耳にして、何とかケルティスの気分が直ったことにラティルは安堵の溜息を短く吐いた。
そんな彼女に向けて、ティアスは微苦笑と言った面持ちを浮かべ、柔らかな調子で言葉を紡いだ。
「書院の仕事はそれ程急ぐと言うものでも訳でもありませんからね……暫くは、ケルティスの様子を見守っていて下さい」
「……はい、出来るだけのことをさせて貰うつもりです」
上司にして舅であるティアスに、ラティルは答えを返した。
そんなラティルの返事に頷きを返したティアスは、改めて浮かんだ問いの言葉を投げかけた。
「そう言えば、今日はその姿でいると言うことは、学院講師としてはその姿で通すつもりですか?」
「えぇ……基礎魔法学の講義を依頼されていますので、それなら男性体よりも女性体でいた方が何かと便利が良いかと思いまして……」
投げかけられた問いかけに、少し苦い表情を窺わせながら、ラティルは答えた。
「そうなると、ここ暫くは女性体で過ごすことになるのでしょうね」
「…………そう言う事になるかと……思います……
ギルダーフ学院長からも、生徒に混乱を与えない様に姿を変えるのは出来るだけ控えて欲しいと…………」
「そうですか……それならば、頑張りなさいね」
何処か憮然として返される言葉とラティルの様子に、ティアスは短い励ましの言葉を送った。
* † *
さて、ラティル=コアトリアとは、以前にも述べた通り当主ティアスの女婿に当たる人物である。女婿と言う言葉が示す様に、彼の本来の性別は男性である。
平凡な商家の次男坊として生を受けた彼は、神官の才を認められてセオミギア大神殿書院の神官となり、当時から書院の長を務めていたティアスとの縁からレインと出会い、彼女と冒険者として苦楽を共にする日々を送った後に、コアトリア家へと婿入りすることになった。
そんな彼がレインと婚約を結ぶ際、ティアスによって与えられたのが、今の“女性の姿”だった。それは『異相体創造』と言う魔法儀式を行うことで得られる“異相体”としての姿である。
“異相体”とは、上記の術式を行うことで、自身の肉体の諸要素を取り出し、ある種の手順やの魔力を込めることで本来の姿とは異なる性別や種族の身体として創造されたものである。そして“異相体”自体は、本来の身体とは魔法的に重なるように設置された亜空間に隠匿される。
その持ち主は、当人の意思や事前に設定された呪文等を切欠に、自らの身体を本来のそれから“異相体”のそれに入れ換えることが可能となる。
『異相体創造』の術式自体は、ティアスが考案・完成させた術式であり、彼自身は自らとラティルにこれを施術している。
これによって、ラティルは本来の「男性の姿」と、“異相体”によって得られた「女性の姿」の二つの姿を持つ人物として、大陸西方域でも広く知られた人物となっている。
ともあれ、“異相体”を得ることになったのは、コアトリア家に婿入りする際に引け目を消す為の措置と言う意味合いが含まれていた。
* † *
実の所、コアトリア家の全員が、ラティルを含めて正確な意味で男性とも女性とも言い切れない存在であり、同時に男性とも女性とも言える存在である。何故なら、ラティルを除く面々の本来の性別が両性であるからだ。
ティアス=コアトリアとセイシア=コアトリア……彼等二人とも、半天使の生まれである。
半天使とは、人間の祖とされ神々の眷族の末裔とも称される天使族の血を色濃く表した存在である。
外見上は通常の人間と然程変わりは無いものの、知性や魔法的な才――特に聖霊魔法の才――に優れた面を示し、霊的・魔法的な知覚を有する者には天使族が背に持つと言う翼と同形の精気を認識することが出来ると言われている。
各地の建国伝説に天使やその混血児たる半天使が関わったという記述がある所為か、王族や貴族の家系の中に稀に生まれる例があるとされている。ティアスやセイシアもそうした者達の一人であると言える。
ちなみに、半天使の性別は、天使族のそれに準じて両性の生まれる確率が非常に高いことでも知られている。実際、ティアスとセイシアは両性体として生を受けている。
そして、二人の間に生まれたレイン・メルテスの姉弟もまた、半天使の両性体として生を受けることになった。更に、レインとラティルの二人の子供であるレイア・フォルンの姉弟もまた、半天使の両性体として誕生している。
現状、ティアスやセイシアが魂の質や性状を見極めた上で、便宜上の性別として戸籍等で男女を振り分けている状態にある。
ただ、それらが便宜上でしかない良い例として、レインとメルテス、レイアとフォルンの姉弟としての関係を示すことが出来よう。
彼女等は同じ両親から生まれた姉弟であるに関わらず、腹違いにして胤違いと言う関係にある。一見すれば赤の他人の様にも聞こえる関係だが、実の所は両親がその父母としての役割を入れ換えて産み落とした結果そうなっただけの話だ。
その影響もあって、レイアとフォルンの年の差は、たった二ヶ月程度しかないことは余談の類と言えるだろうか……
* † *
ともあれ、本来のものではない女性の姿でいることが、それ程厭わしく思わなくなって久しい彼女――ラティルは、自嘲気味に肩を落として見せた後に、気を取り直した面持ちで歩みを進めた。
そうやって、皆でとりとめもない話を交しながら大通りを北上していた一同は、大通りと同じ程の幅をした白石の階段に辿り着いた。長く長い石段を昇った先に、見上げるばかりに巨大で荘厳な雰囲気を湛える白亜の建造物が聳え立っている。
その建造物こそ、セオミギア大神殿……彼等が向っていた目的の場所である。
またしても、説明回にしかならない話に……
次回は、もう少し物語が動くと思うのですが……
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