第二十八節:合流と入れ違いと……
アルクス司書長より差し出された紙片は、ケリティスに渡る前に横から伸びた手によって掻っ攫われた。
その掻っ攫った手に、一同の視線が集中する。
集中する視線の先にあったのは、一人の少年の姿だった。その少年はケルティス達とは若干離れた場所に立っていた少年達の許へと駆け寄って行く。
駆け寄る先に立つ少年の一人に、ケルティス達は見覚えのあるものであった。その姿を目にしたニケイラより怒声が上がる。
「……デュナン!」
そこに立っていたのは、デュナン=ディケンタルとその取巻きの少年達だった。
唖然として彼等を見詰める視線が集まる中、デュナンは駆け寄った少年より紙片を受け取ると、ニヤリと笑みを浮かべてケルティスに向けて言葉を放った。
「貴様等だけに手柄を独り占めにさせたりはしないぞ……!
ほら、お前達行くぞ……!」
そう言って、デュナン達は執務室の入って来たものと異なる出口に向けて駆け出した。
しかし、そこで間が悪く年若い女神官と衝突した。
「……キャッ!」
「……ウワッ!」
衝突した女神官とデュナン達は悲鳴を上げて倒れ込む。
倒れ込んだ両者は、飛び散った紙片を掴んで何とか立ち上がる。立ち上がったデュナンは、衝突した女神官に向けて声を荒げる。
「……貴様、何をする……!」
「ご、ごめんなさい……」
「この!……気を付けろ!……行くぞ、お前達!」
「「は、はい……」」
咄嗟に謝罪の言葉を紡ぐ女神官を怒鳴り付けて、デュナンは後に続く取巻き達と共に目前の扉を開け、執務室から出て行った。
その様子を呆気に取られた様子で見詰めていたケルティス達だったが、すぐに我に返って、扉から去った少年達の後を追って走り出した。
そんな少年少女達の背を見送りつつ、カウンターの内側に立つ神官は呟きを漏らした。
「……大丈夫ですかね……あの子達……?」
「心配ではあるが……ティアス師の息子が付いているのだ。多少の出来事なら問題にもなるまい。
其方が紹介した書籍は地下二階の書架にある物であったろう?」
心配な様子で呟く弟子に対して、老神官は心配した素振りも見せず問いの言葉を投げかける。
「え?……えぇ、覚書には、二階層から三階層辺りに置かれていた本の何冊かを書いて置きました」
「ならば、心配はあるまい。あの辺りなら、不穏な呪いにかかることもあるまいし、路に迷って出て来れない程に入り組んでも無かった筈……まぁ、そうなっても、あの子の魔力と知識があれば、無事に過ごせよう」
「……まぁ、確かに……」
師の問いに答える司書長の内容を聞き、老神官は落ち着いた調子で言葉を紡ぎ出す。そして、その内容に憮然としつつも、アルクスは肩の力を抜いて呟きを漏らしたのだった。
* * *
執務室の扉を飛び出したケルティス達は、駆け去ったデュナン達を追って回廊を駆け行く。
すると、程なくして回廊の一隅で立ち止まるデュナン達の姿を見付けだすことが出来た。
「……で、これは何処になるんだ……?」
「……え?……えーっと……何処なんでしょうね……?」
「……つーか、この字って何て書いてるのか分かんないんすけど……」
「安心しろ!……古代ユロシア語なら俺が読める……!」
「そりゃあ、良かった!……流石、デュナン様……!」
「……その前に、“大書庫”の入り口って、こっちで良いんすよね……?」
デュナン達は回廊の一隅で、先程入手した紙片を囲んで唸っていた。
「「「………………」」」
そんな少年達の姿を目にして、後を追っていたニケイラ達は何とも言えない面持ちでその少年達を見詰めた後、そんな表情のまま互いに視線を交わすと言う動きをして見せた。
そんな一同の中で、唸るデュナン達を気にする様子も見せぬまま、彼等の許へと近付く者があった。
「如何されたのですか……?」
「「「うわっ!……お前は……!」」」
「「「……ケ、ケルティスさん……?」」」
屈託のない様子で声をかけるケルティスの姿に、彼の行動を見詰めていた者達も、彼の声に振り返った者達も、ともに驚きで絶句する。しかし、そんな一同の様子に頓着することも無く、ケルティスは言葉を続けた。
「“大書庫”はこの回廊を進んだ先ですよ。ラティルさんに頼まれた資料を取りに行きたいのなら、一緒に行きませんか……?」
「……な……?」
紡がれたケルティスの言葉に、デュナンは更なる驚きで絶句する。
「……フン……“大書庫”への行き方すら把握せずに覚書を奪い取るとは……無謀・無策も良い所だな……」
「…………グッ……!」
目を丸くする一同の中で、逸早く我を取り戻した眼鏡の少年より嘲りの言葉が金髪の公子に突き刺さる。
「あ、あの……デュナン様……一緒に行くことにしま、せんか……?」
ヘルヴィスの言葉に歯軋りして苦い顔をみせるデュナンに向けて、恐る恐ると言った風情でルベルトより取り成しの言葉が漏れる。
その言葉に一瞬眉を寄せたデュナンだが、一拍置いてケルティスを睨み付ける様にして返答の言葉を放り投げた。
「……勝手にしろ!……ただし、こいつは渡さんからな……!」
そう言い切るとデュナンは手にした紙片を握りしめたまま傲然と回廊を進みだしたのだった。
「「……お、お待ち下さい、デュナン様!」」
その姿に慌てて取巻きの少年達は駆け出し、そんな少年達の背を、或いは唖然と、或いは憮然と、或いは憤然とした様子でケルティス達は眺めつつ、改めて回廊を進み出したのだった。
† * †
さて、物語の時と所を些か移す。
学院学舎の回廊でケルティス達にお遣いを頼んだラティルは、書院の方へと歩み去った少年少女を見送った後、その身を翻して講師控室に向かって歩み去った。
控室に戻る回廊で、下校する生徒達と擦れ違いつつ挨拶を交し合う。そんなやり取りを繰り返しながら、彼女は講師控室へと辿り着いた。
控室に入った彼女は、自分の為に用意された席に腰かけ、机に向かった。机の上には自分が担当する“基礎魔法学”の授業の為の資料や、担任を務める一年灰組の生徒達に関する資料等が、山と……と、表現するのは言い過ぎとしても、それなりな量が積み上がっている。
臨時講師として度々学院を訪れていたとは言え、ここまで本腰を入れて講師を務めるのはラティルにとって初めての出来事である。手慣れた書院での仕事の様には巧くいかないことも少なからずあると言うものだ。
とは言うものの、彼女――ラティルは、長年に渡り神殿での仕事を務め上げている熟練の神官であり、その中でも莫大な史料を整理・編纂する作業を行っている書院長付神官でもある。若干手慣れていない部分があるとは言え、積み上がった書類の山を順調に片付けて行った。
ただ、彼女の眉間には徐々に深い縦皺が浮かび始めていた。
そんな彼女の傍らの虚空に一柱の人影が姿を顕す。
『やぁ、仕事は捗ってますか、ラティル……?』
「リュッセル?……どうしたのです?」
『いやぁ、慣れない仕事に頭を抱えているだろう貴女を励ましに……』
些か誠意が薄そうな軽い調子で言葉を紡いだ自らの守護者たる詩人の聖霊に、ラティルは苦笑交じりの微笑みを返して見せる。
「それはそれは……少しばかり手伝って貰えるとありがたいんですけど……?」
彼女の言葉に、腕と脚を組み、首を捻った姿で虚空に漂いつつ、聖霊は言葉を捻り出す。
『う~~ん……歴史書の編纂なら、叙事詩の創作の要領でお手伝いのし甲斐もありますけど……
生憎と私は講師やら、教師やらをした経験は御座いませんので、お手伝い出来ることなど、更々ないのではと愚考したりするのですが……?』
そのかなり芝居がかった仕草と、それに合わせた大仰な拍子を付けて紡がれた聖霊の言葉に、ラティルは苦笑の色若干強めた面持ちでやや憮然として言葉を漏らす。
「そうなのですか……?」
『……まぁ、そう言うことにして置いて下さい』
大袈裟に肩を竦め、戯けた調子で言葉を締め括った聖霊リュッセルの姿に、ラティルは何とも憎めない愛嬌を感じて、先程までの苦味を含んだ顔から一転して穏やかな笑みが零れた。
聖霊リュッセルは、多くの人が聖霊と聞いて連想する様な神々しさやら厳めしさやら、或いは慈悲深さとか貫禄とか、と言ったものは何処か無縁な雰囲気を漂わせた存在である。何と言っても、生前は吟遊詩人であり、本人自身が英雄や勇者、或いは賢者や聖人と呼ばれる様なことの無い人生を過ごしていたと言うので、ある意味では当然のことなのかも知れない。
しかし、そんな何処か軽薄な雰囲気を纏いながらも、時折見せる鋭い眼光や、時折漏れる含蓄のある呟きと言ったものが、彼が単なる軽薄な詩人と言うだけの人物でないことを感じさせる。
そして、そんなリュッセルだからこそ、重圧で苦しむラティルの前で戯けて見せる姿は、ラティルの強張った心を適度に解す良薬の働きをしてくれているのだった。
幼少期、家族の誰もが彼の『霊視』の才に気付かず寂しい思いをした時も……
学院生徒時代、慣れない寮生活を窮屈で心許ない思いをした時も……
神官となってから、様々な神殿の仕事や冒険行に目を回している時も……
コアトリア家に婿入りして、周囲の視線に居心地の悪い思いをしていた時も……
その時、その時のラティルの苦悩を、戯けた口調と仕草で笑い飛ばして励ます彼の姿は、彼らしいやり方で守護聖霊と役割を務めていたのだろうと、彼女は感じていた。
そんな朗らかな雰囲気のやり取りに、眉間に浮かんだ縦皺や強張っていた自らの心が解されたラティルは改めて、机の書類に目を落とす。積み上がっていた書類も大分片付いて来ているし、何も今日中に仕上げなくてはいけない――と言うか、もう少し時間をかけて仕上げた方が良い書類も混じっていること等に今更気付く。
そうした事もあって、肩の力を抜いて書類を幼い頃にリュッセルから聞き覚えた曲を鼻歌で奏でつつ、優先度順に整理する作業に取りかかる。整理してみれば、今日中に仕上げる書類はもう殆ど仕上げていた。
そのことを気付かせる為に、敢えて道化を演じてくれたのだろう守護聖霊へ感謝の言葉を贈ろうと、彼女は彼の聖霊の方へと首を巡らせた。
しかし、そこで彼女が目にしたのは、普段の笑みを湛えた彼の聖霊の姿ではなかった。
「…………リュッセル……?」
何処とも知れぬ虚空を見詰める彼の顔には、表情と言うものが抜け落ちている様にも見える真剣さが漂うものと変わり、その瞳には心なしか金色の色味を帯びた光が宿っていた。
『……ラティル……今日の仕事は、もう一段落着きましたよね……?』
そう口にしつつも、聖霊リュッセルは一切彼女の方を向く素振りを見せなかった。そんな普段とは全く異なる様子を見せる彼の姿に困惑しつつも、彼女は返答を紡ぎ上げる。
「……えぇ……」
『……それなら……ケルティス君を出迎えに、“大書庫”に寄ってみようとは、思いませんか……?』
そう言う彼の聖霊の姿に、不吉なものを感じつつ、彼女は机の書類を整えて席を立った。そして、周囲に講師達へ簡単な託けをのこして、彼女は再び講師控室から退室した。
講師控室より出た彼女は学院の回廊を進む。彼女が向かう目的地――それは、“書院大書庫”……その管理執務室である。
† * †
さて、再び物語の時と所を些か移す。
ケルティス達が“大書庫”への入口に駆け込んでから、それなりの時――資料を探し当て、引き返すであろう頃合い――を経過した頃、当の扉が押し開けられた。
「…………おや?……キリティア君じゃないか」
開く扉が放つ微かな軋みの音を耳にして、顔を上げた司書長――アルクスは扉より出て来た新米女神官に声をかけた。その声に顔を上げた年若い女神官は、彼の許へと歩み寄る。その手には数冊の書籍を抱え込んでいるものの、その顔には困惑の色が浮かんでいた。
カウンターに到着した彼女は、抱えていた書籍をカウンターの上に置き、相対することとなったアルクス司書長に向けて言葉を投げかけた。
「あのぅ、アルクス師……」
「どうしたんですか、キリティア君……?」
困惑する女神官の様子に、司書長は困惑が伝染した様に首を傾げたのだった。そんな彼に向けて、女神官――キリティアよりの言葉が続く。
「あの……これが、頼んでいた書籍……なんですか……?」
「え?…………あ……!」
キリティアの言葉に、自らの視線をカウンターの書籍に落としたアルクスは、数瞬の後に驚きで声を漏らした。
キリティアに依頼されたのは古代紀の女公爵――ウィトカ三世が著述した論文や学術書の類の筈であった。しかし、カウンターに並ぶその書籍等は、確かに一部はウィトカ三世の著書であったが、その殆どがウィトカ三世以外の者の手による著書であった。
それらの書籍類を一言で言い表すなら、“古代紀の魔法に関する教則本”と言えた。
「「………………」」
両者の間に、暫し重い沈黙が横たわった。そんな時、管理執務室の入口より、扉の開く音が二人の耳に届いた。
「「…………!」」
「……こんにちは、ケルティス君は戻って来ましたか……?」
開かれた扉より顔を出したのは、“虹の瞳”を持った女神官――ラティル=コアトリアであった。