第二十六節:救援と依頼と……
教室から出たケルティスは、後を追うニケイラやカロネアより幾許か先行して廊下を進んでいた。
そんな彼の耳に、何か不穏な響きの声が届いた。
「お前、あのアルジェフル商会の息子なんだろ?」
その声に含まれる嫌な雰囲気に、思わずそちらへと首を巡らせたケルティスは、廊下の隅に屯する数人の少年の姿が目に映った。それは小太り気味な一人の少年を三人ばかりの少年達が取り囲んでいると言うものであった。
「それは……そう、ですけど……」
「喜べ!……お前をこちらのデュナン様の取り巻きの一人にしてやる!」
「……え?……えぇ?」
「何だ? 何か文句があんのか?
あのディケンタル家の御曹司の取り巻きになれるだぜ。光栄じゃないか、なぁ?」
「そ……それは……そうかも、知れませんけど……」
「だったら、喜べよ!……なぁ!」
「……は、はぁ……」
何処か馴れ馴れしくも、剣呑な雰囲気を含んだ猫撫で声を紡ぎ出しているのは、小太り気味な少年の方に手をかける彼を取り巻く少年の一人である。猫撫で声を紡ぐ少年の声に対し、小太り気味の少年は怯えたか細い声を漏らすのが精一杯の様に見受けられる。
そして何より、取り囲む少年達の中にケルティスの見知った人物が存在していた。その人物とは、デュナン=ディケンタルその人であった。
思わぬ所で目にした知人の姿に、ケルティスは歩を止めて、目を丸くしていた。
だが、そんなケルティスの姿に気付きもせず件の少年達は不穏な会話を進めて行く。
「そう言えば、アルジェフルって言えば大商会だ……家からの小遣いも、相当たんまり貰ってんだろ?」
「え?……それは……」
「なら、取り巻きにして貰ったお礼に、ちょいとこちらのデュナン様に貢いでみな」
「ついでに、俺等にもおこぼれをくれればなおいいぜ……!」
そして、一人の少年を囲む少年達から籠った笑い声が漏れる。
「……そんなこと言われても……」
少年達が笑い声を上げる中、囲まれた少年の方はおずおずとした様子で呟きを漏らす。だが、その呟きに囲む少年達の目付きが険しくなる。
「あん?……何か文句があるのか?」
「あ、あの……いえ……そ、そんな訳では……」
取り囲む少年の一人に凄まれ、囲まれている少年は身を縮こませる。
そんな彼の姿に見兼ねたケルティスは、声を上げる。
「ちょっと、待って下さい!」
「…………!」
「あぁん?……何だっ……!」
「こ、こいつは…………」
「……貴様は、コアトリア家の……!」
少年達の輪に近付くケルティスの姿に、囲んでいる方、囲まれている方の両者から驚きに言葉が途切れる。呆然と近寄る“虹髪”の少年を見詰めていた少年達であったが、その中で逸早く我に返った金髪の少年――デュナンが敵意の籠った目でケルティスを睨み付ける。
その視線に一瞬身を竦ませつつも、ケルティスは意を決して言葉を続ける。
「何をしているんですか、デュナンさん!」
「五月蝿いぞ!……俺が何としようと文句があるのか!」
険しい剣幕で言い返すデュナンに対して、ケルティスは思い切って再び言葉を返した。
「……あります。
デュナンさんがお友達を作ることは自由です。でも、金品を無理矢理取り上げようとするのは良くないですよ」
「何だと!……俺がいつ金を無理矢理取り上げようとしたと言うんだ!」
返されたケルティスの言葉に、デュナンは彼を睨み付ける。
「少なくとも僕にはそう見えました。」
彼の返答にデュナン達の表情に苦みが帯びる。そこへケルティスを追いかけていた少女達がやって来る。
「……やっと、追い付いた……って、どうしたの……?」
「……何があったのですか……?」
ケルティスから視線を移し、彼の見詰める光景を目にした二人は眉を顰める。
三対の瞳に見詰められ、先程まで小太り気味の少年を囲んでいた少年達は困惑気味に視線を交わし合う。だが、そんな中にあってもデュナンはケルティスを睨み続けていた。
「……貴様、このことをラティル師にでも告げ口するつもりか……!」
唸る様に絞り出されたその言葉を聞き、ケルティスは脱力気味に溜息を吐いた。
「……そんなことしません。告げ口をする必要はありませんから……」
「……どう言う意味だ……?」
「……ここは“セオミギア大神殿”ですよ」
「それがどうした……?」
「ここは、“知識神”ナエレアナ女神の御膝元たる神殿です。その眷属でもあられる聖霊の方々が其処彼処にいらっしゃいます。そして、講師の方々の殆どは神官籍をお持ちです。
だからこそ、神殿内での起こった様々な出来事は、自然と神官や講師の方々の耳に入ります。私が何か言う必要はありません」
「「「…………ウグッ……」」」
滔々と述べられたケルティスの言葉に、彼と対峙していたデュナン達は渋い顔となって行く。
「このことは、大神殿学院学舎に通っている生徒にとって周知の事実です。ここで退いて頂けるなら、聖霊の方々も敢えて講師の方の耳に入れることもないでしょうから……」
「「……デュ、デュナン様……」」
ケルティスの言葉に、少年達は怯えた様に周囲を見回す。そして、その視線はすがる様にデュナンの許に集まる。
「……チッ!……今日はこれで勘弁してやる!」
「「ま、待って下さい、デュナン様!」」
そう言い捨てたデュナンは足早にその場から立ち去る。そして、彼の取り巻きの少年も慌てて彼の後を追って去ったのだった。
* * *
ともあれ、立ち去ったデュナン達に取り残される形で、彼らに囲まれていた少年はその場に呆然と立ち尽くしていた。
そんな彼に向かってケルティスは近付く。
「大丈夫でしたか?」
「あ、あの……えっと…………はい、ありがとうございます、ケルティス=コアトリア様」
そう言うと少年は頭を下げた。一方で、名前を呼ばれたケルティスは驚きに目を丸くする。
「僕の名前を知っているのですか?」
「え?……えぇ、“虹髪の賢者”のご子息が入学知ったってことは、学院中の皆が知っていますよ。
それに、その髪の色を見たら嫌でも気が付くじゃないですか」
「……そう言うものなのですか?」
少年の返答に呆然とケルティスは背後の少女達の方へと振り返る。
「うん、そう言うもんだよ」
「……えぇ、至極当然のことだと思いますよ」
「……そう言うものなのですか……」
さもありなんと言わんばかりの少女達の返答に、些か納得いかない様子でケルティスは呟き返した。そんな何処か呑気なやり取りの中で、落ち着きを取り戻したのか、ケルティスと向かい合う少年から改めて声が上がった。
「あ、僕の名前はルベルト=アルジェフルと言います。助けて頂いてありがとうございます」
そう言って、ルベルト少年は改めて頭を下げた。それに対して、ケルティスも名乗りを口にする。
「ご存知の様ですが、名乗らせて貰います。僕はケルティス=コアトリアです」
「あ!……私はニケイラ=ティティスと言います」
「私はカロネア=フェイドルと申します」
ケルティスの名乗りに続いて、少女達も名乗りの言葉を紡いだ。そうして一同が名乗りあった後、思い出した様にカロネアより声が上がる。
「そう言えば、次の授業の時間が近付いていますね」
「「あ……!」」
彼女の言葉にニケイラとルベルトから短い声が漏れる。
「そう言えば、そうでした……僕達の次の授業は、“古代語”の授業なのですが、ルベルトさんの次の授業はなんですか?」
ケルティスの問いかけに、ルベルトは返事の言葉を紡ぐ。
「僕ですか?……次の授業は、“西域史”ですけど……」
戸惑い気味に答えを返す彼に、ケルティスは微笑みかけて言葉を続ける。
「それなら、講義室も近いことですし一緒に向かいませんか?」
「良いんですか?」
躊躇いがちに言葉を返すルベルトに、ケルティスの背後に立つ二人の少女も微笑みを返す
「私達は構いませんよ。ねぇ、ニケイラさん」
「うん、私も良いよ。よろしくね、ルベルト君!」
「あ、はい……よろしく……」
そんな言葉を交し合った後、ケルティス達――四人の少年少女は、学院の廊下を次の授業が行われる講義室に向かって進んで行った。
* * *
さて、クリスト少年と出会った日の翌日、その日は“夢幻神”の日であり、生徒達への授業は半日で終了する日であった。
その日のケルティスは帰路に着くべく学院の回廊を進んでいた。
そんな彼の傍らには、ニケイラとカロネアの二人の少女がともに歩んで他愛のない会話を楽しんでいた。そんな彼等から数歩離れた場所では、同じく帰路に着くべくヘルヴィスが仏頂面で歩みを進めていた。
そうした彼の許へ一つの声が投げかけられた。
「待って下さい、ケルティス様……!」
その声にケルティス達三人とヘルヴィスは足を止め、声のした方へと振り返る。彼等の視線の先には、よたよたと駆け寄る少年の姿があった。
「ルベルトさん?……どうしたのですか?」
駆け寄る歩調を些か緩めて、ルベルトは足を止めたケルティス達へと歩み寄った。ここまで走って来た所為か、一頻り俯いて肩で息をしていたルベルトは大きく息を吐いてから顔を上げた。
「ケルティス様、それに皆さん……昨日はどうもありがとうございました」
そう言って彼はケルティスと二人の少女に向けて頭を下げた。
「いえいえ、そんなことお気になさらずに……」
頭を下げた少年を前に、ケルティスは自らの右手を振りつつ困惑気味に言葉を返した。ケルティスが紡いだ言葉に、ルベルトは顔を上げた。そして、再び言葉を紡ぎ始める。
「それでも、ありがとうございます」
そう言って彼は軽く頭を下げた後、ルベルトは躊躇いがちに口を開いた。
「……あの……ケルティス様……」
「……はい、何でしょう……?」
「……あの……よろしかったら……」
「…………?」
躊躇いがちに言葉を紡ごうとする彼の言葉が言い終わらぬ内に、別の方向から声が上がった。
「あ!……ケルティス君!」
突如上がった女声に、ケルティス達――皆が声の方へと首を巡らせた。
「……ラティルさん……?」
「「「……ラティル先生……?」」」
振り向いた彼等の視線の先にいたのは、ケルティス達の許へと駆け寄る“虹の瞳”の女神官――ラティルの姿だった。
ケルティスの傍へと駆け寄ったラティルは、軽く長い息を吐いた後で改めて言葉を紡いだ。
「……ハァ……良かった、間に合って……
ケルティス君、少しお遣いを頼まれてくれませんか?」
「え?……何でしょうか?」
ラティルのお願いに、ケルティスは首を傾げて問い返す。
「実は、“大書庫”に参考資料にする書籍を幾つか用意して貰う様に頼んでいるのですが……今、少し用事があって“大書庫”へ行けないのです。ケルティス君が良ければ、“大書庫”まで行って、その書籍を取りに行って欲しいのです」
「“大書庫”って……“書院大書庫”へ、ですか……?」
「えぇ、お願い出来ませんか?」
些か呆然とした態で呟きを漏らすケルティスに向けて、ラティルは再び問いの言葉を投げかける。
その彼女の問いかけに、ケルティスは一時黙考する様子を見せた後、返事の言葉を紡ぎ出した。
「……はい、分かりました。“大書庫”で書籍を受け取ってくれば良いんですね」
承諾の言葉を返したケルティスに次いで、そのやり取りを見詰めていた少女達から言葉が上がる。
「あの……ラティル先生!」
「私達も、ケルティス君と一緒に行っても宜しいでしょうか?」
少女達の言葉に続いて、彼女等の傍らに近付いていた眼鏡の少年――ヘルヴィスからも声が上がる。
「ラティル師、私も後学の為に“大書庫”への訪問をしてみたいのですが、許可されますか?」
都合三人から上がった問いかけに、ラティルは少し困った様子で首を傾げた後、言葉を返した。
「う~ん……そうですね……
“大書庫”の書物は、基本的に神殿の者に対して公開されていますし、依頼した書物もおそらく浅層階に収められた物でしょうから……
そうですね、司書長のアルクス師からの注意をちゃんと聞いた上で行動すると約束できるなら、ケルティス君と一緒に行っても構いませんよ」
「「「ありがとうございます」」」
ラティルからの返事に、三人の少年少女から感謝の声が上がった。
そんな友人達の様子を、微笑んで眺めていたケルティスは彼等に向けて呼びかける。
「それじゃあ、ニケイラさん、カロネアさん、ヘルヴィス君……一緒に“大書庫”に向かいましょうか」
「えぇ!」
「そうですね」
「……分かった」
“虹髪”の少年の呼びかけに答えて、三人はそれぞれに返事の言葉を述べる。
そうして、ケルティスと四人の少年少女は、学院の回廊を“大書庫”目指して進んで行くのだった。