第二十五節:同級生と研究者と……
ケルティスが学院に入学してから一巡りを越えた。
この頃は、ケルティスも学院の雰囲気にも慣れ始め、ニケイラやカロネアと言った友達との会話を休み時間に楽しんだりする日々を日常のものとしつつあった。
一方で、ケルティスを見詰める周囲の目は、二転三転と言う具合で変化を遂げていた。
入学して間もなくの頃は、“虹の一族”の異名を持つコアトリア家の一員と言う肩書や、“虹色”と言う特殊な髪の色から、好奇の眼差しや関心が集まることが多かった。
その程度には、現当主にして創始者たるティアスを筆頭とするコアトリア家の面々の知名度や注目度は高かった。
それが、入学して数日経つ頃には、彼個人が言動を控え目にしていたことから、徐々に生徒達の興味は薄れていた。
これは同時に、様々な授業で神童ぶりを発揮して見せたヘルヴィスや、既に“絶世”の形容を頂くにたる美貌を持つカロネア等へと、生徒達の関心が移っていたことも関連している。
しかし、先日行われた“基礎魔法学”の最初の授業での出来事で、それらの状況は一変した。
“武術”の授業での教官との手合わせでは、それでも生徒達の中でも想像の範疇に留まる程度の出来事と言えなくもなかった。
だが、生徒達の中でも群を抜く……と言う表現では物足りない所か、冠絶すると言う形容でも物足りない程の“基礎魔法学”で見せた彼の姿は、学院の生徒だけではなく一般の講師達の一部をも驚嘆させるに十二分以上の出来事と言えた。
故にこそ、彼――ケルティスの生み出した“虹色の魔力光”の噂は、学院中を驚きともに瞬く間に席巻していた。その驚嘆の奔流に巻き込まれずに済んだのは、少年ケルティスの出自を承知している学院の高位司祭等の一握りの人々だけであった。
とは言え、その奔流が噂の当人――ケルティスを巻き込むには、その勢いは幾許か足りぬ状態で拡がっていた。
さて、周囲の視線がその様に二転三転したと言うことに気付くことなく、ケルティスは学院生活の日々を送っている。
そんな視線の変化に気付いている彼の友人たるニケイラとカロネアの二人の少女や討論相手を自称するヘルヴィス等は、敢えて本人にそれを知らせることもなく過ごしていた。
そして噂を交わす生徒達は、そんなケルティスとその友人達が作る会話の輪を遠巻きに見詰めているのだった。
* * *
ともあれ、そんなある日、教室の移動の為に廊下を進んでいたケルティスは、不意に声をかけられる。
「ねぇ!……君が、噂のケルティス君かい?」
「…………え?……あ、はい……」
呼びかけられた声に、ケルティスは振り返って言葉を返した。
振り返ったケルティスの前に立っていたのは、一人の少年だった。ひょろ長いと言った印象の痩せた長躯で、ケルティスの知人の一人と同様にその顔に眼鏡をかけた姿をしていた。そんな眼鏡をかけた少年は、興味深げにケルティスに向けて言葉を紡いだ。
「あぁ、ごめんごめん……僕の名前は、クリスト……クリスト=ルギア。クリストって呼んでくれたらいいよ」
そう言ってニコリと笑んで見せた眼鏡の少年は、身を乗り出す様に屈めてケルティスを見詰める。
「……あ、あの……?」
「ふぅ~ん……やっぱり、本当に“虹色”に輝いているんだね…………眼も“銀色”に煌いてるんだ……」
「……あの、何の用なんですか……?」
しげしげと自分を見詰める視線に、ケルティスの表情に怪訝の色が徐々に色濃くなって行く。
そんな剣呑な色を増して行く見返す視線に気付いた眼鏡の少年――クリストは、苦笑を浮かべて姿勢を正した。
「あぁ、不躾すぎたよね……ごめんごめん……
同じ学年に“虹の一族”の子が入学して来たって小耳に挟んだもんだからね……現物を拝みに行こうかと思ってね……」
何処か調子良さ気に笑いを見せる彼に、ケルティスは疑問の言葉を返す。
「……?……でも、僕の上の学年にはレイアさんやフォルンさんがいるでしょう?……そちらに会いに行ったことはないのですか?」
「レイアさんやフォルンさん……?
確かに、遠目に見かけたことはあるけど…………あの人たちって、ちょっとおっかない感じがしない……?」
「…………おっか、ない……?」
クリストが声を潜めて口にした返答に、ケルティスは思わず首を傾げて彼の言葉を鸚鵡返しに呟いた。
そうして小首を傾げたケルティスは、暫し黙考する。
* † *
レイア=コアトリアとフォルン=コアトリア――ケルティスにとって年上の姪と甥にあたる二人だが、ケルティス自身にしてみれば歳も比較的近い姉代わり兄代わりである心優しい家族と言った認識となっている。しかし、この印象が万人と同じくするものではないと言うことを、彼自身は承知している。
レイア=コアトリアは伯爵家の子女らしからぬ飾らない言動を見せながらも、その美しい容姿と文武両道に長ける天才肌の才色兼備な人物として知られている。
だが一方で、女性らしからぬ男勝りで蓮っ葉な言動やスコーティア・ギルドと関係を持つと言う噂もある。ちなみに、ケルティスはそれ――スコーティア・ギルドとの関係――が事実と知っている。
ともあれ、それ故に、多くの生徒達は彼女に親しみを感じるよりもやや遠巻きに見る傾向にある様だ。
翻って、フォルン=コアトリアは伯爵家の子弟として相応しい礼儀を弁え、姉と同じく才知にも長けた秀才として知られる人物である。
だが一方で、しばしば見せる気性の激しい姉――レイアを叱り飛ばす姿や、規則や道理を重視するやや気難しい性分であることも知られている。
その為に、多くの生徒達から敬遠される傾向にある様だ。
そうした噂や評判のことは、レイア達本人を含めた家族やその知人達から耳にしていた。
そして付け加えるならば、彼女等姉弟の親に当たるラティル=コアトリアは入学初日に見せた視線による制圧の噂が学院生徒の間を駆け巡っており、「実は怖い人だった」と言う評判が出来上がりつつあるらしい。
* † *
ともあれ、そうした思索に辿り着いたケルティスは、やや釈然としない思いはあるものの、ある程度の納得をもって小さく頷く。
「…………なるほど…………
でも、レイアさんも、フォルンさんも、そんなに怖い方と言う訳ではないと思いますよ……?」
「そうかい……?
でも実際、同学年ならともかく、下級生が上級生を興味本位でジロジロ見るってのは、ちょっとまずいだろう?」
ケルティスの言葉に対して、クリストは少しばかり肩を竦めると、軽い口調のまま言葉を返した。
「…………」
「ま、そう言う訳だから……もう少しでいいから、その“虹髪”を眺めさせてくれよ、ね?」
「…………眺めるだけなら……別に、良いですけど……」
憮然の中に若干憤然とした色が混ざった面持ちながら、ケルティスは承諾の言葉を返すことにした。
「それはありがとう……では、遠慮なく……」
ケルティスの返答を聞いて、クリストは相手の不機嫌さを気にもしない明るい声で言葉を返し、その言葉通りにケルティスの“虹髪”をしげしげと見詰めながら一緒に廊下を進み始めた。
そんな時間は、次の授業を受ける教室にケルティスが到着するまで続いた。
先に教室に着いていたニケイラが、彼に食ってかからなければもう少し延びたかも知れないが、それはまた別の話だろう。
* * *
「ケルティスさん……さっきの子、一体誰だったんですか?
何か、ジロジロと見詰めてて……気分が悪い……」
授業の終了が告げられた後、ケルティスの傍で授業を受けていたニケイラは詰め寄る様にして彼へと問いかける。
「誰と言われても…………僕もよく知らないんです。クリスト=ルギアと言う名前の同級生らしいんですけど……」
憤然とした色を見せるニケイラに、若干身を引きつつケルティスは答えを返した。
「クリスト……ルギア……?」
「聞き覚えのない名前ですね……別の学級の方でしょうか……?」
返された名前にニケイラは首を傾げ、傍らで聞いていたカロネアも小首を傾げつつ言葉を漏らした。
そんな彼等の背後から、ボソリと小さな呟きが割って入る。
「……まがいなりにも、ここの神官の息子だろう……その姓に聞き覚えはないのか……?」
「ヘルヴィス?……まがいなり、って失礼じゃない!」
その呟きに振り返ったニケイラは、そこに見慣れた眼鏡の少年の姿を目にして剣のある言葉を返す。しかし、ケルティスは少年――ヘルヴィスの言葉を聞いて、再度首を傾げて見せた。
「……姓?……ルギア、ルギア……!……もしかして……」
「何か思い出しましたか?」
考え込んでいたケルティスがハッと顔を上げた様子に、カロネアより問いの言葉がかけられる。
「……ルギア姓と言えば、魔法院に所属されるリュクス=ルギア師と言う方がいらっしゃることを思い出しました。
ヘルヴィスさん、クリストさんはリュクス師のご子息なんですか?」
カロネアの問いに答えつつ、背後を振り返ったケルティスはそこに立つヘルヴィスに問いの言葉を投げかけた。しかし、その問いに返されたのは、素っ気なくも短い言葉であった。
「そんなこと、知る訳がないだろう」
眼鏡の少年が紡ぎ出した言葉に、ケルティス達はそれぞれ目を丸くしたり、少年を睨み付けたりと三者三様の様子で返答を返した彼を見詰め返す。
その様子に若干の気拙さを感じたのか、ヘルヴィスより改めて返答の言葉が紡がれ直す。
「……ケルティスの考えが正しいのかは知らない。
ただ、この学年にケルティスの他にも神殿所属の神官の子弟が何人か入学していると耳にしていただけだ。別に不自然な話じゃないしな」
それだけ言うと、ヘルヴィスはケルティス達の傍から離れ、教室から出て行った。
立ち去るヘルヴィスの背を目で追いつつ、ケルティスは彼の残した言葉から導き出された事柄を自ら物ではない自らの記憶を掘り起こす。
* † *
リュクス=ルギアと言う神官は、セオミギア大神殿魔法院に所属する高司祭の一人である。
魔法院所属の高司祭の倣いに従い、“聖霊魔法”の使い手であると同時に“帝国魔法”に関する技量も高度な呪文や知識を修得している人物である。
しかし、そうした事柄以上に、彼は “一風変わった研究家”として知られている。
一般的な魔法院所属の神官達は、“編纂魔法”に関しての研究を行っており、失われた呪文の発見や新たな呪文の開発……また、既存の魔術に関する様々な効果の検証と言った事柄が主だったものと挙げられるだろう。
しかし、彼は魔術――“編纂魔法”に関連する研究を行っていることに違いはないが、その研究内容は人からは珍妙な代物と見られるものが多い。また、好奇心が旺盛で様々な事柄に興味を持ち、担当している研究が一定の成果を見せて一段落すると、一見全く関連のない事柄の研究を始めることも珍しくないと言う噂も知っている。
研究熱心な割に評価し難い事柄に手を出す変わり者……と言うのが周囲の人々が彼に抱く認識であろう。
お蔭で研究論文の出した数は多い部類でもあり、優れた“聖霊魔法”と“編纂魔法”の使い手でありながら、魔法院での地位はそれ程重要な役職に就くこともなく研究三昧な日々を送っているらしい。
* † *
ともあれ、リュクス師の事柄を脳裏に思い浮かべながら、先程出逢ったクリスト少年の姿を思い出してみる。
そうすると、二人の姿に何処か似通ったものを感じることが出来た。
「……なるほど……ヘルヴィスさんの言う通りなのかも知れませんね」
「「……ケルティスさん……?」」
一人得心した様に呟くケルティスに対して、二人の少女は首を傾げた。
「……何でもありません……」
首を傾げる二人へ微笑みを返して、ケルティスは席を立って教室を後にしたのだった。
「……待って、ケルティスさん……!」
「……私も、置いて行かないで欲しいのですけど……」
さっさと教室を出て行こうとするケルティスの後を、ニケイラと慌てて、カロネアは何処か優雅にゆっくりと追いかけたのだった。
これより第三部の開始となります。
徐々に物語の勢いが加速して行けたら良いのですが……
ともあれ、楽しんで頂ければ幸いです。