第二節:朝食の風景
食堂に一家の皆――今朝、この家を留守にしている一名を除き――が集ったのを見計らった所で、当主であるティアスは一同に向けて呼びかけを行う。
そして、白皙の生身の右手と銀色に輝く機械義手の左手を組み、食前の祈りの最初の一節を唱える。彼の声に続いて、一同は両手を組んで食前の祈りの言葉を唱えた。
* † *
さて、八百年近い歴史を持つセオミギア王国の中で、初代当主ティアスの叙爵を創始とするコアトリア家は四十年近くしか経過しておらず、貴族としては非常に歴史の浅い新興の家柄でしかない。しかし、彼と彼の家族はセオミギア王国のみならず、北方大陸にある諸国に対しても少なからぬ影響を持っている。
それは、ティアス=コアトリアと言う人物が、単なる高位聖職者で表現するには足りない背景を背負う人物であったからだ。そもそも、彼の出自そのものが尋常ではないのだ。
彼の本来の両親が誰なのかは、未だに謎に包まれている。公式に知られているのは、今から五十年以上前になる人暦3000年の冬の日に、セオミギア大神殿の正門に生まれたばかりの彼が捨てられていたと言うことである。
そんな嬰児であったティアスを拾ったのが、セオミギア大神殿を訪れていた“虹翼の聖蛇”エルコアトルであった。この“聖蛇”エルコアトルとは、“知識神”ナエレアナ女神に仕える最高位の眷族にして、魔法の司る神と崇められる神である。そして、神代の終焉より地上を去った神々の中にあって、地上に残った数少ない高位神族の一柱である。
そんな神の一柱とその眷族や鎮座地を接する白竜王フォルグローンとその眷族等の中で、彼の神々の鎮座地たるセオミギア王国の北北西に聳える“聖蛇山脈”で育ったと伝えられている。
そして、そんな環境で育った彼は、あらゆる系統の魔法を操り、様々な知識を有する大陸どころか世界でも有数の大賢者となった。更に、その容姿は、人々の前に降臨する際に人の形を取る聖蛇エルコアトルのそれに瓜二つであった。特に彼が持つ“虹色”の髪色とは、本来は聖蛇のそれであり、彼に仕える眷族の中に稀有な確率で身に帯びることが可能な色の筈なのだ。
そんな彼に与えられた二つ名は、“虹髪の賢者”、“聖蛇の養い児”等がある。特に前者は、本来なら聖蛇エルコアトルの称号である。
また、若き頃の冒険行で左腕を失い、他大陸の友人より機械の義手を送られたことから“銀腕の賢者”とも称されている。
セオミギア大神殿の高位聖職者として、高名な冒険者として、世界でも有数な魔法の使い手として、彼は広く名が知られた人物となっている。
* † *
さて、話しを戻そう……
ティアスの主導によって行われた食前の祈りを終えた後、家族一同は食卓に並べられた朝食を口にし始める。
そんな皆と同様に、ケルティスも目前に配膳された朝食へと右手を伸ばした。
今朝の献立は、まず白パンに、塩漬け肉の薄切りと目玉焼きに茹でた菜類の付け合わせ、それと陶製の杯に入れられた乳……と言った品々である。皿に盛られた塩漬け肉と目玉焼きの欠片を口に運び、やはりラティルの采配であったことを確認し、同時に感謝しつつ、彼は舌鼓を打つ。
それは、ケルティスの対面に座る少年少女――レイアとフォルンの姉弟も同様らしく喜色を表した面持ちで朝食を口にしている。
* * *
実はこのコアトリア家において、まともな料理を作れる者がラティルしかいないと言うのが現状なのだ。
家事を預かる筆頭侍女のメイは、そもそも人間ではなく、人間の味覚と言うものを認識するにはいまだ経験が絶対的に不足している。次第に甘味や塩味等を判別できる様にはなって来ているらしいが、人間が美味しいと思える味の配分と言った問題に関してはまだまだ判断できない様子である。
そして、彼女に仕える侍女達は、そもそも自分の判断と言うものが行えない存在でしかない。
一応の一家の女手と言えるセイシアとレインは、母娘揃って家事と言うものに関する才は捗々しくなく、特に料理に関しては壊滅的と言って過言ではない。
何と言っても、今朝の献立と同様の物を用意したとすれば、恐らく塩と炭の味しかしない代物を悪びれもせずに出すだろうことは、まず間違いない。
更に言えば、そんな壊滅的な料理を何も気にすることなく腹の中に納めてしまうだろうことも推察できる。要するに、味覚が常人に比して問題のある人物なのだと言えるだろう。
一方で、ティアスはと言えば、そんな異常な味覚の持ち主ではないものの、その感性が常人とはかけ離れているのが問題と言えば問題なのだ。
彼は食材として、虫やら蛇やら魔法の触媒に使う薬品やらと言った、通常食材として数えることない物を平気で食材として並べて料理を始める悪癖がある。本人は古代から現代、四大大陸や五大海洋の各地に伝わる様々な調理法の知識を駆使しているに過ぎないのだが、結果として突拍子もない代物が高確率で出来上がってしまう。
その為、出来た物の味はそこそこ良いものの、外観や使った原料の情報等から微妙に美味しいと言い辛い代物となることが少なくない。
結果として、常人と同様の味覚と感性や常識を弁えたラティルが、メイ達を指揮して料理を行うことがこの家の慣習になっている。
とは言え、ラティルも仕事の都合などで、毎日の食事を常に指揮できる訳ではない。そんな時には、他の大人達の手による何処か残念な料理を口にするしかないのだ……
* * *
ともあれ、今朝はラティルの差配で用意された朝食は、特別に贅を凝らしている訳ではないものの、素朴でも手間を惜しまずに作られたのがよく分かる美味しさをケルティス達に与えていた。
そんな朝食に口元が綻ぶケルティスが陶製の杯を口に付けた時、その表情が驚きの色に変わる。
そして、自分が感じたそれが間違いでないかと、再度杯の中身を一口だけ口に含んだ彼は、それが間違いでなかったことに二度驚くことになった。
「……!……これって……狼牛の乳……?」
* † *
狼牛の乳とは、文字通り狼牛と呼ばれる幻獣から摂れる乳のことだ。
パノアと言う幻獣は、狼牛の名が示す通り、鋭い牙と鉤爪の様な蹄を有する牛に似た姿を持つ獰猛な魔獣と言われており、東方大陸の山岳域に棲息している。自分の縄張りに侵入して来た者を、容赦なく襲撃する攻撃的な性格でも知られている。
一方で、正々堂々と相対して打ち負かした者には一定の従順さを示すと伝えられている。
その様な対決の後に従順になった狼牛より搾り取れるのが、狼牛の乳である。
その味は、普通の牛乳等に比べても濃厚で芳醇な甘味と旨味を持ち、栄養が豊富なことでも知られており、呑んだ物は精気が増し、呑み続けることで不老長生なるとも噂されている。
尤も、飼い慣らすことも出来ず、搾取に多大な危険を伴う狼牛の乳を継続的に呑み続けられた人物等、歴史の中でもどれ程いるか判らない訳だが……
そんな訳で、狼牛の乳は東方大陸においても、一杯の対価がかなりな高額になっている。ましてや、他大陸のこちらで入手することはほぼ不可能であり、その一杯に一財産をかける価値があることは知っている。
* † *
平民出で庶民的な感性の持ち主であるラティルの献立の中に、こんな品物が紛れ込んでいることは少々……所でなく不自然なことに、ケルティスには思えた。
そんな訳で驚きに目を見張ったケルティスが、問いとも呟きとも知れぬ言葉を漏らしてラティルの方へ首を巡らした。その視線の先には、微笑を浮かべて彼を見詰める彼女の姿があった。
「先日、リュエン・ジンラン様より贈られて来たんですよ。貴方の入学祝いにって……」
ラティルの口から出たティアスの他大陸に住む友人の一人であるリュエン・ジンランの名に、ケルティスは再度驚かされた。
「え……?」
「え~~っ!
……あたしが入学した時には、こんなの出して貰ってないよ!」
出された杯に舌鼓を打っている間に交わされた会話を耳にして、レイアは不満に口元を歪めて不平を漏らす。
そんな娘の様子に憮然とした面持ちで言葉を返す。
「あの頃は、長期保存用の魔法を付与した瓶がなかったからだよ。最近、書院長が試作した瓶の幾つかをリュエン家に贈ったのだけど、お礼も込めて贈って下さったのだよ」
「む~~」
ラティルの返答に、レイアは歪めた口元を直さぬまま唸りを漏らす。そして、杯を口に運び、少し複雑ながら嬉しそうに口元を綻ばせる。
* * *
中々口に出来ない品を嬉々として口に含む子供達を見遣りながら、セイシアは幾許かの感慨が込められた呟きを漏れる。
「そうか……ケルティスも今日から学院生徒か……
それにしても、神殿学院のお歴々が良く認めたよな」
「年齢の問題はともかく、身体的にも、精神的にも学院の講義を受けられる要件は満たしていると判断できましたからね。
徒に年齢面での問題に固執すると、私の時以上の混乱を周囲に振り撒く恐れもありましたし……」
彼女の呟きに、隣に座していた夫――ティアスより答えが返る。自らが神殿書院の長を務めていることもあって、神殿学院側の事情なども耳に届いているらしい。
「…………なるほどな……」
夫の返答に、セイシアは微苦笑を漏らす。
山を降りて神殿の見習いとなって間もなかったティアスが、各院で起した騒動――見習いの筈の彼が、各院古参の神官が土下座せんばかりの実力をうっかり披露してしまった顛末は、一介の冒険者をしていた当時の彼女の耳にも届いていた。
その事に慌てた当時の法院長が、世間を教える意味も込めて冒険者となることを勧め、それが二人の出会いの切欠となったのは、また別の話だ。
苦笑を漏らしつつ視線を移せば、ケルティスへレイア達が声をかけている様子が目に映る。
「ケルティス、苛められたら、あたし等に言えよな! とっちめてやるから!」
「……うん……ありがとう」
「姉さん……やり過ぎないでね。問題になって、呼び出されるのって、僕の方なんだから……」
「心配するな、フォルン。ばれない遣り口はセスタス小父さんから色々聞いてるから♪」
「セスタス小父さんって……それ子供相手に使う手口じゃないってことじゃ……」
「そんなことは気にするな」
「気にするよ、セスタスさんの手口って……ヤバイ手口ってことでしょう?」
「どうかな~~~?」
「否定しないってことは、そう言うこと?」
ケルティスへの励ましの筈が、何時の間にか姉弟喧嘩もどきに移りつつある状況に、向かいに座る少年――ケルティスは憮然として小さく肩を落としている。
そんな夫であるティアスとは些か異なる反応を見せる姿を目にして、セイシアは微笑を漏らした。
* † *
ケルティス=コアトリアは、“虹の一族”と称されるコアトリア家の一同の中でも特殊な出自を持つと言える者である。
彼は父母の間に産まれると言う、一般的な誕生を経ずしてこの世に生を受けた訳ではない。彼にとって血縁上で親と呼べる存在は、ティアスしかいない。
彼は、ティアスが魔法的な手段で生み出したティアスの分身なのだ。
その身体も魂も、ティアスのそれを基に創造されている。
そんな彼――ケルティスの年齢は一年と数ヶ月を数える。
そして今日のこの日に、彼はセオミギア大神殿学院中等部への入学することになっている。
一歳と数ヶ月と言う年齢で、初等部を飛び越えての、中等部への入学……異例中の異例、特例中の特例と言う措置には違いない。
しかし、“虹の一族”……いや、“虹髪の賢者”の息子と言う立場の者にとって、或いは相応しいものと言えるのかも知れない。
物語の中に背景説明を織り込むのは、やはり難しいですね……
本文をお読みの方々はお察し頂けるでしょうが、主人公ケルティス君の父君――ティアス書院長は所謂チートキャラとなっております……(苦笑)
ただ、主人公もチートキャラである可能性が否定できない所……(カワイタワラヒ)