第十八節:授業の終わりに……
ケルティスの生み出した莫大な“魔力光”の輝きを目にして、部屋にいる生徒達一同は呆けた様に“虹色”のそれを黙って見詰めることしか出来なかった。
そんな不自然な沈黙が暫し続いた後、生徒達の間から幾つか呻く様な呟きが漏れ始める。
「…………何だ……これは…………」
「…………そんな……馬鹿な…………」
「…………こんなの……嘘でしょ…………」
「…………信じられない……こんなことって…………」
それらの言葉は、異口同音に自分達が目にしたものが事実と認識しきれていない様であった。
生徒達の呻き声が部屋を一巡りする間に、“虹色”の魔力光は静かに消えた。
部屋の中が“薄暮の空間”と戻った後も、生徒達のざわめきは鎮まる様子を見せなかった。しかし、そんな少年少女に向けて、ラティルは言葉をかける。
「……はい、皆さん!……本日の授業は、これで終了になります。
それでは皆さん、学院の入り口まで戻って解散とします……さぁ、部屋を出ましょう」
生徒達に声をかけ、ラティル扉の方へとその身を翻した。そこに、一人の少年が駆け寄って来る。
「……ちょ、ちょっと待って下さい、講師ラティル! 何なんですか、さっきのペテンは……!」
「……ペテン……ですか……?」
興奮で荒くなった口調で詰め寄る眼鏡の少年――ヘルヴィスの問いを、訳が分からず怪訝な顔でラティルは聞き返す。
そんな彼女の様子に、へヴィスは更に語気を荒げて言い募る。
「そうです……!
さっきのケルティスの検査結果が、ペテン以外の何だと言うのですか……!」
「……ペテン……と言われても…………ねぇ……」
「あの“光”の冗談みたいな光量は不自然です!
それに、さっきの合言葉!……最初に講師が示していた合言葉と全く別の物になっているではありませんか!」
「……う~~ん……それはね…………」
詰め寄る少年に、ラティルは困惑で表情を曇らせた。そんな二人を近くで見ていた別の少年より言葉が漏れる。
「……あの……この呪陣円は、『光』と言う古代ユロシア語の言葉に反応して、集中させた魔力を光に変換する機能を持っているんですよ……
だから、『光』と言う単語を含む文言であれば、文意に問題がなければ“魔力光”を生み出すことは出来ますよ……呪陣の構成を確認してみたら如何ですか……?」
「……な……?」
割り込んできた声の主を求めて、ヘルヴィスは声の聞こえた方へと振り向いた。
そこで、声の主の姿を確認したヘルヴィスは一瞬動きを止める。そして、その一瞬の間に先程の発言の内容を理解し、驚愕に目を見張る。
ヘルヴィスの眼前に立つ、その声の主とは虹髪の少年――ケルティス=コアトリアであった。
一時の自失を経た彼――ヘルヴィスは、ケルティスを押し退けて呪陣円の上に立ち、慌ただしく合言葉を口にする。
『……光よ……!』
その言葉に応じて、彼の右手の先に先程と同様の銀色の光が煌々とした輝きを放ち始める。
その光に目を丸くしつつも、銀色の光を灯した右手を床の方へと向ける。右手の動きに応じる様に銀色の魔力光は床の呪陣円の文様を照らし出した。
そうして、照らし出された紋様をヘルヴィスは食い入る様に凝視する。
「…………」
しかし、彼はその紋様を凝視する中で、黙り込み次第に難しい顔に変わって行った。
何故なら、その呪陣円で用いられている魔法文字の配列を読み解くことが出来なかったのだ。
呪陣に用いられている配列は、決して複雑難解なものと言う訳ではなかった。実際、円形に縁取られた領域に立つ者の魔力を起点として、その魔力を基にして光を放つと言う構成の概要部分は、少年――ヘルヴィスにも幾らか読み取ることが出来た。
しかし、呪陣に立つ者の霊気に応じた色合いを光に帯びさせることや、合言葉の要点たる『光』と言う単語に反応して“魔力”を“光”に転換する機構等の詳細な部分は、彼の知識では読み切ることが出来なかった。
やがて、呪陣円に目を凝らしていたヘルヴィスは、悄然として微かに項垂れた。
そんな彼に向けて、慰めの言葉が投げかけられた。
「……ヘルヴィス君、気落ちする必要はありませんよ。この呪法陣は中等部で修得する知識では読み切ることは難しいでしょうから……」
「………………」
慰めの言葉を紡ぐ講師ラティルの声に耳を傾けつつ、眼鏡の少年はその項垂れ具合を深くして行った。
それは一目で呪陣の構成を読み解き、講師の述べた合言葉の要諦たる部分を把握して言い換えてみせたケルティスの魔法の知識が、自分よりも……そして中等部に学ぶ上級生をも凌駕するものであることが暗に察せられたからだ。
* * *
ともあれ、ヘルヴィスの抗議と言う一幕はあったものの……ラティルの呼び声に従い、生徒達は適性検査の部屋から出て、再び回廊を進んだ。
そうして回廊を進んだ生徒達は、学院中等部入り口となっている広場へと到着し、そこで解散と言う運びとなった。ラティルの本日の授業の終了を告げる言葉に、生徒達は三々五々に下校の準備に散って行く。
そんな中で、ケルティスは散って行く生徒の列には加わらず、ラティルの許を去らずにいた。
そして、ケルティスの様子に気付いた彼の友人である二人の少女は、彼を窺う様に足を止めた。
その場に留まったケルティスは、立ち去る生徒達を見送るラティルを何か聞きたげに見上げていた。一通り生徒達を見送ったラティルは、足元に残るケルティスと、その傍らに残るニケイラとカロネアの姿を見付けて問いの言葉を漏らす。
「……どうしたんです、三人とも……?
何か、質問があるのですか……?」
その言葉に、ケルティスは思い切って問いの言葉を述べる。
「あの、ラティルさん……
さっきの適性検査の時、お手本で見せた“光”って……手加減してませんでしたか……?
ラティルさんの持っている魔力って、僕より多い筈ですから……」
「「……えっ……?」」
少年の問いかけに、両者の様子を窺っていた二人の少女は驚きの声を漏らす。
そんな三人の様子を見詰めながら、ラティルは微苦笑を浮かべて答えを返した。
「えぇ、そうですね……あの呪陣円に立って本気で魔力を込めれば、少なくとも膝の辺りまでは照らし出せるでしょうね」
「……やっぱり……」
「「…………!」」
ラティルの返答に、ケルティスは納得した様に頷いた。一方で、二人の少女はそれぞれに驚きで目を丸くした。
軽く数度頷きを見せたケルティスは、更なる問いかけの言葉を紡いだ。
「……でも、どうして手加減をしていたんですか……?」
その言葉に、微苦笑を浮かべた表情のままラティルは答えを返す。
「それは、生徒達を萎縮させない為ですよ。
何らかの魔法の使い手は、その魔法の技が磨いて行くごとに保有魔力が高まって行きます。
それに加えて……私達は、“虹の一族”と称される存在です。同等の魔法の使い手と比しても、倍近い魔力を保有しているでしょう……
そんな私の全力を見せれば、萎縮して魔力の集中が叶わないかも知れないでしょう……」
「……もしかして、僕の名前を呼ばなかったのは、同じ理由ですか……?」
彼女の言葉を聞き、少年は確認の意味で問いの言葉を紡ぐ。
「えぇ……貴方の魔力は、貴方の同級生達の中でも群を抜いていますからね……
良くも悪くも、注目を浴びることになるでしょうからね。無用な軋轢が生じないようにと思って躊躇ったのですが……これは、これで、良かったのかも知れませんね……」
それだけ言うと、ラティルは微笑みを浮かべて視線を交し合う。
そんなケルティス達の耳に悄然とした少女の声が届いた。
「……ごめんなさい……私が余計なことを言ってしまって……」
その声を耳にしたケルティス達が声の主の方へと首を巡らす。
そこには力なく項垂れる赤毛の少女の姿があった。
「……ニケイラさん……?」
「……私が余計なことを言ったから、ケルティスさんが迷惑を……」
声を落としたニケイラの呟きを聞き、ケルティスは困惑して次の言葉を躊躇う。
一方で、ラティルは穏やかな微笑みを浮かべ、項垂れる少女の方へと歩み寄る。そして、彼女は悄然とした少女の頭に手を乗せた。
「……さっきも言っていたでしょう……これで良かったのかも知れないって……
それに、この事態になったのは、何も貴女の所為と言う訳でもないのですし……そんなに貴女が気にする必要はなんですよ……」
そう言って、少し屈んで萎れた様子を見せる教え子と目線を合わせ、改めて少女に微笑みかけた。
「…………ラティル先生……」
敬愛する恩師の微笑みに、ややぎこちなくもニケイラは微笑みを返すことが出来た。
その様子にラティルは一際大きく笑んでから立ち上がった。
そうして立ち上がったラティルは、その“虹の瞳”を赤毛の少女の傍らに立つ青い紙の少女の方へと向けた。そして、少し悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「……所で、先程の経緯で明らかになったことですし……御姿を顕しては頂けませんか……?」
ラティルの視線は、青き髪の少女――カロネアではなく、その背後の虚空へと据えられていた。
* * *
一息ばかりの静寂の後、その虚空よりラティルともカロネアともニケイラとも異なった涼やかな声なき女声が、ラティル達の耳に届く。
『……やれやれ……巧く隠れていたつもりだったのにねぇ……』
その呟きとも取れる言葉の後に、カロネアの背後の虚空より人影が浮かび上がった。
その人影とは、カロネアとは幾分色味の異なる青く長い髪を持つ美しい女性と言う姿をしていた。彼女は、紺青から赤紫に渡る数種の色合いが異なる衣を幾重にか重ねられた古式な東方風の衣装を身に纏い、その手には磨き上げられた宝玉の様な煌めきを宿す瑠璃の酒瓶を抱えていた。そして、彼女の背からは瑠璃色の二対の翼が広げられている。虚空に浮かぶ彼女こそ、カロネアの守護聖霊なのだろう。
「「…………」」
しかし、そんな彼女の容姿を目にして、ラティルとケルティスは驚きに一瞬目を丸くした。
何故なら、彼女の容姿の中に、ラティル達にとって見慣れない特徴が備わっていたからだ。その特徴とは蒼色の髪から三角形の獣の様な耳が飛び出していたのだ。
姿を顕した聖霊の見慣れぬ容姿に、驚きで自失していた二人だったが、ラティルの方が逸早く我を取り戻した。そして、問いかけの呟きを漏らす。
「……もしかして……ティンフ族の方ですか……?」
「……ティンフ族……?」
ラティルの呟きにケルティスが鸚鵡返しに言葉を紡ぐ。
「えぇ、東方大陸から南方大陸にかけて分布している風の妖精族の一種であるフェンファ族の亜種とされる種族のことですよ」
「……フェンファ族の亜種……なるほど……」
フェンファ族の名に聞き覚えがあったケルティスは、そこで軽い得心の呟きを漏らした。
そんな中で、一人の少女の呟きが何処か厳かな雰囲気を醸成しつつあった場に投げ込まれる。
「……あの……ラティル先生?……ケルティスさん?……皆さんは何を見てるんですか……?」
その声の主――ニケイラへと振り返った一同は、互いに少々ばつの悪い顔をして見せたのだった。
そして、ラティルが苦笑を浮かべて困惑する赤毛の少女に向けて言葉を紡いだ。
「そう言えば、貴女には聖霊を見ることは出来なかったのでしたね……少し待っていて下さい」
そう言うとラティルは、ニケイラの額の辺りに右手を翳し、呪文を唱えた。
『……我が守護者、リュッセルに請い願う……この者に聖霊等を視る目を与え賜え……』
その呪文の中で、彼女の背後に浮かぶ吟遊詩人の姿をした聖霊の右手がラティルのそれと重なる。そうして、『霊視付与』の呪文は完成した。
「さぁ、ニケイラさん準備が出来ました。こちらをご覧なさい」
少女の額から手を放したラティルは、その手で青き聖霊の方を示して見せた。その手を追う様に視線を動かして行ったニケイラは、その手の指し示す先を目にして、驚きで目を見張る。
「……お、女の人が……宙に浮いてる!
え?……背中に翼があるってことは……天使?……じゃなくて、聖霊……?
と、言うことは?……え?……これって……?」
若干恐慌状態に陥っている様子のニケイラに向けて、青き髪と青毛の獣耳を持つ女性は柔らかな微笑みを投げかけた後、カロネアの周囲にいる三人に向けて軽いお辞儀と共に言葉を紡いだ。
『お初に御目にかかる……妾の名はチンチュア……そこな女神官が言い当てた通り、ユィシャン・ティンフとして生きた者にして、今はこの娘――カロネア=フェイドルを守護する聖霊よ……』
酒瓶を抱えたまま、そう名乗りを上げて腰を折る姿は、その場にいた三人の目にとても優雅なものと映ったのだった。