第十二節:晩餐の会話と……
薬院にあるセスタスの診察室を出たケルティスは、大神殿の回廊を通って朝方に訪れた大聖堂へと到着した。
大聖堂の奥に鎮座する女神像へ祈りを捧げた後、彼は大神殿を後にした。薬院での検査にそれなりの時間を費やした所為で、大聖堂や大神殿入口の階段では学院生徒の姿は然程見受けられない。
階段を下りながら、ふと振り仰いだ空には、中天を過ぎてやや傾いた“光の太陽”が輝きを放っていた。人の往来が激しい大通りを自宅に続く路地を目指して通って行く。
朝方にここを通った際は、人通りもない閑散とした状態であったのに対して、多くの人によって人込みが出来上がった大通りは、その印象を大きく変えていた。
生まれてより、屋敷の外を出歩くことが殆ど無かったケルティスにとって、そんな大通りの雑踏は物珍しいものと言えた。彼は大通りの隅に寄って、行き交う人通りを眺めながらゆっくりと歩を進める。
通りを進むケルティスの姿は、神殿都市へ巡礼に訪れた御上りさんのそれに似ていた。
そんな少年に向けて、背後の方から声がかかる。
「おや?……そこにいるのは、ケルティスじゃないか?」
「…………レイン、姉さん……?」
その声に振り向いた彼の目に映ったのは、騎士服を纏い長剣を佩いたレインと同様の装いをした数人の男性の姿があった。彼等は市中巡回中の騎士と見受けられた。
レインが隊長を務める白牙騎士団十番隊は、九番隊とともに都市の治安維持を任務としている。故に十番隊所属の騎士が都市を巡回することは決して不自然ではない。
しかし、ケルティスに疑問に思う点が無い訳ではなかった。
「……なんで隊長の姉さんが、こんな所で巡回しているんですか?」
そう、騎士隊長と言う役職は、ユロシア諸王国において“将軍”の敬称でも呼ばれる高位の官職である。
本来なら隊に属する騎士を指揮する為に、隊舎で騎士や衛士より上がって来た報告書に目を通している筈ではなかろうか……少なくとも、平騎士や衛士の者達と共に市中巡回を行うのは、騎士隊長の仕事ではない筈である。
そんな疑問が脳裏に浮かぶ彼に対して、姉の返答は簡潔かつ素っ気無いものとなっていた。
「隊舎での書類仕事が終ったからな……外回りに出て来た」
「…………は……?」
その返答に、ケルティスは呆けた様子の面持ちになる。そんな幼い弟の様子に、言い聞かせる様に言葉を繰り返す。
「だから、隊舎の仕事を終らせて、外回りに出て来たと言ったのだ」
「そんな…………
騎士隊長が、一般の騎士みたいに巡回なんかしていて、大丈夫なんですか……?」
「大丈夫だ。隊舎のことは副隊長のボルフォート卿に任せているし、問題があれば部屋に使い魔を一体残しているから、すぐに連絡は付く」
「それにしたって……」
レインの返答を聞いても、やはり納得いかない面持ちを見せるケルティスに別の方向から声がかかる。
「君が、ケルティス君か……心配する気持ちは分かるけど、隊長が巡回すると無茶な真似をする輩が減るんだよ」
「何と言っても、隊長の腕前は知れ渡っているからね」
「そうそう……あの剣豪――“剣折れ”のジェイナスに勝ってしまう腕前なのだし……」
「あぁ、二年前のあの時も完膚なきまでに伸していたよな!」
「確かに、そうだったよね。
ただ……結婚して十年以上経っても、いまだに求婚の為の決闘を要求するのは如何なものかとは思うけれど……」
「そりゃそうだ……聞いた話じゃ、決闘で負けた後に神殿に寄って、ラティル師に求婚したって噂があるぜ」
「え?……それは初耳だな」
「……それで、ぶち切れたラティル師が『転移』の呪文でユロシア河に放り投げたって話だ……」
「「……ワハハハッ……!」」
「…………お前らな……いい加減にその話はやめろ」
逸れた話で盛り上がる部下達に向かって、憮然としたレインの声が投げかけられる。
そんな上官の声に部下達は苦笑を浮かべて会話を切り上げた。
苦笑を浮かべる部下達の姿を、彼女は微かに眉を顰めて一瞥した後、彼等の会話を呆然としている弟に向けて声をかけた。
「所で、ケルティス……お前は、学院からの帰りか……?」
「え?……えぇ、そうですけど……」
レインによる不意の問いかけに、ケルティスは理由を量りかねつつも答えを返した。その返答にレインは納得の頷きを見せた。
「そうか……なら、家まで送って行こう。構わんな……?」
ケルティスに微笑みかけて声をかけた後、背後に控える騎士達に確認の言葉を投げかける。その確認の問いに、騎士達は口々に返答を述べる。
「構いませんよ……後は、私達だけで巡回をしておきます」
「まぁ……今日の閣下のお仕事は終っている様なものですしね……」
「後は俺達に任せて、弟君と団欒でも楽しんでいて下さいな」
「すまんな……ありがたく、そうさせて貰う……」
彼等の返答に、苦笑気味の笑みを浮かべたレインが感謝の言葉を紡いだ。そして、その手を弟であるケルティスの肩に置いた。
「それでは、家に帰ろうか……?」
「はい……姉さん」
そうして“虹髪”の姉弟たる二人は、大通りを家路に向かって歩んで行ったのだった。
* * *
コアトリア家の屋敷に到着した時、彼等を出迎えたのは大きな袋を抱えた屋敷の侍女長であった。
「……あら……お帰りなさいませ、旦那様、お坊ちゃま」
そう口にした彼女の姿は、普段の彼女の姿とは異なるものであった。赤味がかった飴色の髪は変わらぬものの、木目の浮かぶ木製の外殻を持つ身体ではなく、生身の人間と見える姿となっていた。
ただし、その瞳は彼女が被る面紗で隠されているものの、普段のそれと変わらぬ銀一色のそれであることを彼等は知っている。
彼女のその姿は、“偽装皮膚”によるものであった。
* † *
“偽装皮膚”とは、魔法機械生命体が用いる装飾品の一種である。
より正確には、魔法生物の一種に分類される粘液状の存在である。
これは通常時は粘液状の物体であるが、魔法機械生命体が放つ特有の魔力波動に反応して、彼等の外殻に広く展開し、人間や獣等の外皮に似た質感や色合いの代物へと変化する能力を有している。また、高品質の物であれば、使用している魔法機械生命体の感情等に反応して、その色合い等を変化させる能力を有している。
特に西方大陸にあった古代アティス王国においては、金属人が公的な場に出る際には身に帯びると言う規程があったと言われている。
ともあれ、魔法機械生命体に慣れていない人々と接する場合に、“偽装皮膚”は有効な装飾品であると言える。
* † *
侍女長――メイが“偽装皮膚”を身に纏い、面紗を被るのは、外出する場合にほぼ限られる。そして、彼女が抱える大袋から、メイが買い物に出ていたことが察せられた。
「ただいま、メイ……あんたも出てたのか?」
「ただいま、メイ……その袋は……?」
挨拶を返すと共に口々に開かれた二人の質問に、メイは穏やかな口調で答えを返した。
「これですか?……これは、今日の晩餐の為の食材ですよ」
「……あぁ、なるほどね……」
「……晩餐って……?」
彼女の返答に、納得気味のレインに対して、ケルティスは量りかねて首を捻った。そんな少年に向けて、侍女長は言葉を続けた。
「勿論、お坊ちゃまの入学祝いの晩餐ですよ。
奥様からもしっかりと指示を頂きましたし、これから支度に取り掛かろうと思っておりましたが……先に、お二人のお着替えをお手伝いした方がよろしいですか?」
「いや、自分で出来るから構わない」
「ぼ、僕も自分で出来るから……」
侍女長の伺いに、二人はそれぞれに断りの返事を口にする。
「そうですか……それでは、晩餐の準備を進めさせて頂きます。楽しみにお待ち下さい」
彼女等の返事を耳にしたメイは、二人に一礼をして見せた後、屋敷の中……厨房の方へと歩み去って行った。
そんな彼女に続いてレインとケルティスは屋敷に入った。そして、各々が自分の部屋へと移って制服から部屋着へと着替えて夕食……いや、晩餐の開始を待つことにしたのだった。
* * *
間もなくして帰宅したラティルの指揮の下、晩餐の準備は滞りなく進んで行った。
やがて、ティアスやセイシアが帰宅した頃には晩餐の支度は整い、約一名を除くコアトリア家の一同は食堂で晩餐の席を囲むこととなった。
鳥の丸焼き、良く煮込んだシチュー、具沢山のパイ、それにケーキ……
食卓に並べられた料理は、手の込んだ豪勢な代物となっていた。ケルティスの入学祝いの晩餐と言うことで、ご馳走が並ぶ様子に子供達から感嘆の声が上がる。
食堂に一家が集まって程なく、晩餐は始まった。そんな晩餐の話題は、当然と言うべきか入学したケルティスのことが中心となっていた。
「……ケルティス、学院の様子は如何だった……?」
「……如何って、言われても…………」
「入学早々にお友達が出来ていましたよ」
セイシアから出た今日何度目かの問いかけに、答えを考え込むケルティスに、ラティルから助け舟が出る。
「ほぉ……早速にか……」
「それは、良かったですね……」
その言葉に、セイシアとティアスの夫妻から感嘆の言葉が漏れる。
「そうそう……ニケイラって娘で……」
「はい、ニケイラ=ティティスさんと言っていました」
「それで、ランギアからの留学生だそうですよ」
そんな二人に向けて、子供達より言葉が続く。レイアの声に促され、ケルティスが答えて、フォルンが補足を口にする。
「へぇ、ランギアからの娘か……」
子供達から出た国名に、レインは感慨を含んだ呟きを漏らす。その呟きに、あることを思い出して、彼女の子供達が互いの視線と笑みを交す。
「そうそう……あの娘から、母様の二つ名を教わったんだ!」
「……ラティルの二つ名……?」
「「……“西のヤーナ”……!」」
「「…………あぁ……」」
「…………なるほど……」
「……それは……その話は、良いでしょう!」
楽しそうに声を合わせる姉弟の言葉に、コアトリア家の大人達はそれぞれに納得と感慨の言葉を漏らした。そんな中で、この話題を断ち切ろうとラティルが声を上げる。
「それよりも……そう!……もう一人、お友達になってくれた娘がいましたよね……確か、カロネアさんと言いましたね……」
「あ!……あぁ……そう言えば、いたな……」
「鮮やかな青い髪の綺麗な女の子だね……」
「そうそう……この辺りじゃあ珍しい暗色の肌をしてたよな……」
「はい、カロネア=フェイドルさんと言うそうです。」
ラティルが振った話題に、再び子供達から言葉が飛び出す。
「……ん?…………フェイドル……?」
ケルティスが告げた名を聞いたセイシアは、不意にその面を一瞬曇らせた。そして、血の繋がらぬ末息子に問いの言葉をかける。
「そのカロネアと言う娘……何処の生まれと言ったことは聞いたか……?」
「……?……いえ、下町の生まれだと聞きました。でも、下町育ちと言う割には物腰が優雅に感じましたけど……?」
「…………なるほどな……」
ケルティスの答えに、セイシアは納得の呟きを漏らす。
「……母様……?」
「……セイシア様……?」
「「……お婆様……?」」
そんなセイシアの様子に食卓を囲む一同は怪訝な面持ちをしてみせる。ただ一人――ティアスを除いて……
皆の様子に苦笑を浮かべて、セイシアははぐらかす様に言葉を並べる。
「……昔の知り合いのことを思い出しただけだ。気にしないでくれ……」
母の様子に話を切り上げるつもりでレインは再び話題を戻す。
「……と、言うことは、ケルティスの学院生活は良いものになりそうだな」
レインの言葉に、微妙な面持ちでレインとフォルンが顔を見合わせる。
「……それが……初日いきなり、ケルティスに食って掛かる奴がいて……」
「……デュナン=ディケンタルと名乗っていましたが……色々と我が家に偏見を持っている様で……」
姉弟の言葉に、セイシアがやや渋い口調で口を挟む。
「あぁ……ディケンタル家の……ブルックの息子か……」
「知っておられるのですか、セイシア様……?」
セイシアの呟きにラティルから問いの言葉が漏れる。その問いに、苦笑混じりでセイシアからの答えが返される。
「まぁな……ブルック=ディケンタルと言えば、外務を司る高官だ。ただ、内務の長も務めたジュリアン兄上に食って掛かる所があるらしい。
まぁ……ディケンタル家とミレニアン家は権勢を競い合う間柄だったらしいが、兄上の代で大きく水を開けた格好になったことを根に持っているらしい」
「えぇ~~?……ジュリアン大伯父の所為で絡まれたのかよ……」
「……と言うより、相手の親が逆恨みしてるって解釈も出来るけど…………あの大伯父上だからなぁ……」
祖母の話に、レイアとフォルンの姉弟は憮然とした呟きを漏らす。
彼女達の大伯父――セイシアの兄であるジュリアン=ミレニアンはセオミギア王国でも有数の政略家として知られる上級貴族ではあったから、ディケンタル家の反感が何処まで逆恨みと言えるか微妙な所が無い訳ではないと言えた。
ともあれ、それをコアトリア家にまで及ぼすのは逆恨みの部類と言って良いだろうが……
些か気まずい雰囲気が漂っていた所に、取り成す様にラティルは声を紡ぐ。
「ともあれ、何か不穏なことを企むようなら、私が止める様に手を打ちますから、ご安心下さい」
「そうそう……あたしらも、馬鹿な真似をする様なら締めてやるから……!」
「……締めるってのは、拙いって……でも、僕等も気を付けますから……」
そんな風に晩餐は和気藹々とした空気の中で進み、終わりを迎えたのだった。
* * *
やがて、“闇の太陽”が中天に昇る前には、寝室で就寝の準備を整えたケルティスがあった。
就寝の準備を整えたケルティスは、寝室に控えていたメイに手伝って貰い、左手を動かす訓練を一通り行う。
程好く心身に疲労が溜まった自らの身体を、ケルティスは寝台に横たえた。
そんな彼に「おやすみなさい」の言葉をかけ、メイは部屋の灯りを消す。そして、彼女は腰を折る深い礼をして、彼の部屋より退室した。
部屋を去る彼女の姿を、視界の片隅に捉えながら、ケルティスはその瞳を閉じた。
明日から本格的に始まる学院生活に、期待と不安をない交ぜにした心を抱えたままで……
これにて、物語は一日目を終了し、第一部も終了を迎えました。
次回は、外伝的内容の物語を発表させて貰って、次々回より第二部と言う予定となっております。楽しんで頂けたら、幸いなのですが……
ご意見・ご感想など頂けると幸いです。
※ 描写不足の箇所について加筆しました。(11/23)