第十一節:薬院の検査と……
今回、若干の医学的な記述が存在しますが、あくまでフィクションのものですので、実在のそれと若干の(ある程度の)差異があることをご了承下さい。
さて、雑務院への道すがら、ラティル達が様々な会話を交していた頃……ケルティスは一人で学院の回廊を通って、大神殿薬院へと向かっていた。
目指す先は、この薬院の客分薬師の一人が使っている診療室である。そこは様々な事情から、彼は誕生より定期的に訪れていた場所でもある。
通い慣れた回廊を渡り、目的の診療室の前に立った時、その部屋の扉はその内より不意に開かれた。部屋より顔を出したのは、診療簿を脇に抱えた一人の女神官であった。
「……あら、ケルティス君……?」
「……!……フローリア様、こんにちは……」
「こちらこそ、こんにちは……今日は経過観察の日でしたね」
不意の対面で互いに驚き表情を浮かべたものの、二人はすぐさま気を取り直して挨拶を交す。そして、女神官――フローリアはその身を翻して室内へと声をかけた。
「セスタス様、ケルティス君が訪れました」
「あぁ、分かった……入って貰え……」
室内より聞き慣れた人物の声が彼の耳に届いた。その声に、フローリアからの言葉を待つことなく、診療室へと歩を進めた。
「……失礼します」
一礼とともに診療室へと足を踏み入れた彼は、そこで待っていた部屋の主に出迎えられることとなった。
彼と相対する部屋の主とは、とある亜人種の男性であった。
その身体は痩躯で、その手には薄手で皮手袋を填めている。その皮手袋の中は鳥の脚に似た全体を鱗に覆われた細く鋭い指を持つ腕が隠されていることを知っている。そして、その顔立ちは、鋭い印象を与える細面であり、肩口へ届く程度に伸ばされた髪は灰色をしており、その髪から覗く耳は鳥の翼に似た形状をしている。鳥の翼の如き耳を持ち、鳥の脚に似た鱗に覆われた四肢を有するこの痩身の亜人を、トート族と呼ばれている。“虹翼の聖蛇”エルコアトルの眷族にして、高度な医術を会得していることで知られる種族である。
彼が対面しているこのトート族の男の名は、セスタス……彼の父、ティアスの幼馴染と呼べる人物にして、かつての冒険者仲間であり、現在は大神殿薬院でも一目置かれる薬師として在籍している。
もう一つ付け加えるならば、コアトリア家の面々の主治医を自任している人物でもある。
セスタスは入室して来たケルティスに、自らが座る椅子の向かいに置かれた椅子へと座るように促す。その指示に従って、ケルティスは勧められた椅子に座る。
「アリッサ、いつもの検査器具と治療具の用意をしてくれ」
「はい、わかりました」
その、間に、セスタスは傍らに控えていた助手の女性へと指示を出す。その指示に元気の良い返事を行って女性は診療室の隅に片付けられていた幾つかの器具を彼等の方へと持って来る。
助手の女性――アリッサによって様々な器具が一揃い用意された所で、ケルティスの検査が始まった。
* * *
ケルティスの検査は、身長・体重の測定から始まり、脈拍をとり、聴診器で内臓の状態を聞き取る。更に、顔色や肌の状態を観察し、幾つかの体調に関する問診を行う……等と言った具合に進んで行く。
これらの検査は、彼の特殊な出自に関係している。
ケルティスは、一般的な受胎から出産と言う過程を経ずして誕生している。そんな彼が、一般的な人々と差異がどの程度のものかを確認しておくことは、彼へ医術を施す上で考慮すべき要素と言える。
だが、それ以上に……彼と一般人との差異を確認することは、学術的にも、宗教的にも、重要な情報とされている所があった。
その為、彼の主治医と言う立場でもあるセスタスが定期的な身体検査を行うことになっていたのだ。
そして、規定されている各種の検査が終了した後で、今度は別の検査が始まった。
それは左腕の状態を確認する検査である。その検査とは……
「……此処は如何だ……?」
「…………え……えっと……一本……ですか……?」
「(……この間隔では、二本と認識できないか……)……なら、これなら如何だ……?」
「…………あ……二本ですね……」
「ふむ……この程度なら、判別できるか……」
丸めた針を一本か二本を用いて腕や手の各所を押すことで、その感覚を確認する。
「……この指に力を入れてみろ……」
「は、はい…………!」
「…………ふむ……判った……今度は、次はこちらの指に力を入れてみろ……」
「は、はい…………!」
更に左腕の各関節の動き具合を確認する。
他にも幾つかの検査で左腕の感覚や動作に関して確認を進めて行く。
しかし、これらの検査結果は、第三者が見れば芳しくないものと思うことだろう。
針による感覚の確認では、針の圧迫に鈍く曖昧にしか感じられず……
左腕の各関節は、左肩以外の各関節は幾らケルティスが力を込めても、ピクリと微かに痙攣する程度の微動しか見せない……
だが、そんな結果を目にしたセスタスの見解は異なっている。
「…………だいぶ、改善して来ているな……」
検査結果をケルティス用の診療簿に記入しながら、そんな呟きを漏らした。
* † *
実の所、ケルティスは誕生した頃から左腕に問題を抱えている。
ケルティスが誕生した際、外見上は一切の問題は見受けられなかった。しかし、彼の左腕は肩より先の感覚が無く、動かすことも出来なかった。
この事実は、誕生に関わったコアトリア家の人々や主治医たるセスタスを一時困惑させた。
その原因として、隻腕となったティアスより誕生した影響によるものであろうとの推測がなされた。
ティアス自身は、左腕が欠損したまま誕生することの無い様に配慮した筈だったが、その予想以上に左腕喪失による心身の影響は根深いことを示したのだった。
ともあれ、左腕がありながら、その感覚は無く、僅かにも動かせないと言う状態は、当然の結果として治療の可能性が検討された。
とある事情により、ティアスの左腕は聖霊魔法の『快癒』や『再生』と言った呪文を唱えても効果を顕すことがない。ケルティスの左腕に関しても同様の結果となった。
しかし、全く希望が無い訳ではなかった。セスタスやティアスの診察や検査の結果、肉体には問題はなく、それに霊体の方が左腕を欠損しており、肉体と霊体の差異による誤差に心身が適応しきれていないと見受けられた。
だが、この霊体の欠損は、時間が経てば再生の見込みは充分にあると思われた。
だからこそ、セスタスはケルティスの左腕の治療を神殿が求める検査の傍らで行っているのだった。
* † *
「……言い付けは、キチンと守っているようだな」
「はい……毎晩、メイにも手伝って貰って訓練は続けています」
「それは何よりだ……アリッサ、アレをこちらに……」
「は、はい……!」
左腕の具合を確認したセスタスは、傍らの助手――アリッサより一つの器具を受け取る。それは幾つかの革帯が取り付けられた木の棒を蝶番等の金具で連結した代物で、一見すると甲冑の籠手に少し似た形状をしていた。
セスタスは、これを手際良くケルティスの左腕に装着させる。上腕・前腕・掌・指と言った左腕の各所を革帯で各々の棒に固定して行く。
その上で、まずは棒を連結している金具や革帯等を調整して、腕を充分に曲げた状態で固定する。固定の具合を確認したセスタスはケルティスに命じる。
「……良し……曲げるつもりで念と力を込めろ!」
「は、はい……!」
その声に応じて、ケルティスは動かぬ左腕に全力を込めるべく、念を凝らす。その左腕にセスタスは軽く触れ、その筋肉の動きを見極める。
そして、頃合を見計らってセスタスが口を開く。
「…………これで良いだろう。ケルティス、力を抜け」
「!……は、はい……」
曲がった左腕に力を入れていたケルティスは、左腕に込めていた念を解き、動かぬ左腕を脱力させる。
ケルティスが一息入れている間に、セスタスは再度器具を調節して、腕が充分伸びた状態で固定して同様の所作が繰り返される。
そして、そんな作業が腕や指を幾通りの曲げ方や捻り方を変えて繰り返された。
* † *
これらの作業は、ケルティスの左手を動かす感覚を獲得する為の訓練である。
この訓練は、“左腕が在る”と言うことを認識させ、“左腕を動かす”と言う感覚を身に付ける為に行われている。実際に行われる様々な腕の動きの組合せを器具の補助によって行うことで、左腕が動く印象を感じ取ることで、霊体が負っている左腕の欠損を再生させようと試みているのだ。
この訓練が巧く功を奏しているかを、セスタスが動きに対応した筋肉に反応が在るかを確かめ、訓練の内容は微調整が順次施されている。
そうしたセスタスの尽力のお蔭で、皆無だった左腕の感覚は、鈍く曖昧なものながら感覚を取り戻しつつあり、左腕の筋肉は関節を動かすにはいまだ微弱ながら、ケルティス自身の意思に対して微かな反応を示している。それらの変化は、誕生時の状態から見れば、充分驚くべきものと言えるだろう。
* † *
一頻りの訓練を終え、心身ともに消耗したケルティスは、大きく息を吐いて項垂れる。
「…………ふぅ……」
「……お疲れ様、ケルティス君。これをどうぞ……」
「あ、ありがとうございます」
そんな彼に、アリッサより疲労回復の薬湯が渡される。程好い温度に冷ましたその薬湯を、ケルティスは二口ばかりで飲み干して一息吐いた。
そんな彼に向けて、セスタスは声をかける。
「……そう言えば、今日は入学式のある日だったな。学院生徒になった感想はどんな感じだ……?」
「セスタス様、ケルティス君も入学したばかりなのですから、まだ戸惑うことが多いでしょうに……」
検査の間に診療室へ帰って来たフローリアは、セスタスの言葉に口を挟む。
「……えっと……まだ、よく分かりません……でも、お友達が出来ました」
そんな師弟の遣り取りを聞きつつも、ケルティスは拙い口振りで答えを返した。
「ほぉ……そうか……」
「それは、良かったですね」
「お友達と一緒に楽しい学院生活になると良いですよね」
彼の答えに、セスタスとフローリア、それにアリッサの三人より喜色が滲む言葉が送られる。
「……はい、ありがとうございます」
三人の言葉に、少しばかりはにかんだ様子で微笑を返した。
まだ、入学初日が終らない……もう少しだけ入学初日の話が続きます。
さて、ケルティス君が持っている事情を開示させて頂きました。
(序章からちょっとばかり伏線らしき物を散らせていたのですが……巧く描けていたでしょうか……?)
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