第九節:“虹色”の化物
憤りの余り目の据わったレイアに睨付けられ、デュナンの舌はその役目を忘れたかの如く硬まった。
舌は強張り、瞬きも忘れた彼の姿に構うことなく、憤りの炎を瞳に宿したレイアはデュナンに詰め寄る。
「……さっきから聞いてたら、好き勝手言いやがって…………」
射殺さんばかりの鋭い視線で身体を硬直させたデュナンの胸倉を掴み、レイアは怒気を緩めることなく、更に眼光鋭く睨み付ける。
そうして、否応なく視線を合わせられたデュナンの視界の中で、眼前のレイアの姿が一瞬霞に包まれたかの様に揺らぐ。
次の瞬間、彼の前に立ち、その胸倉を掴む者は、驚くべき姿へと変容していた。
そこに立っているのは、背格好や面立ちからレイア=コアトリア本人に間違いない。だが、その髪の色は“虹色”のそれから白金色へと色合いが変わり、瞳の色もまた同様に“虹色”から銀色へと変じている。
しかし、そんな髪や瞳の色の変化など、変容の全体からみれば些細なことでしかなかった。
銀色に変じた虹彩に穿たれた瞳孔は、人の持つ円い形状のものではなく、紡錘形の竜の如きと形容される形状に変じている。
更に、側頭からは短いながらも一対の角が生え、制服の裾よりしなやかに揺れる蛇や蜥蜴のそれに似た尻尾が覗いている。
そして、彼女の頬から首筋、或いは手の甲から腕にかけて、それに裾より覗く尻尾や脛等は“虹色”に輝く鱗に覆われている。
他にも、口元から覗く歯や指先の爪が鋭い物へと変じていることに、少数のものは気付いていた。
人間としての容貌や体躯を持ちつつも、異形の特徴を併せ持つその姿は、半竜人と称される種族のそれである。
* † *
半竜人とは、竜族より派生したと伝わる人型の亜竜族である“竜人族”と“人間”の混血児を指す。
この世界に住む人族と竜族は容姿の隔たりがあるわりに生物としては比較的近縁であると言われており、両者の混血児が誕生する例は神代から現代にかけて幾つか散見される。
しかし、歴史的に両者の間には消極的ながら根深い対立関係が横たわっており、両者の間で子を儲ける間柄となれる例は稀有と言える、
ともあれ、そんな両者の間に生まれた“半竜人”は、人間の持つ比較的高い知性と、竜人族の持つ膂力や魔力の高さを併せ持つ存在である。
ただ、竜族や亜竜族と言った“竜王の眷族”とされる諸種族は、多くの人間にとって恐怖の対象であり、彼等の血を引く“半竜人”も恐れ忌まれる傾向にある。
* † *
“竜の如き”瞳で再度睨み付けられ、デュナンの目元には涙が浮かぶ。その瞳は、人間の本能より恐怖を湧き上がらせる何かを秘めていた。
恐怖に身が竦んでいることが窺えるデュナンであったが、そんな彼へと救いの手を差し伸べる者はいなかった。それは先程までの彼が見せた言動から同情を抱く気が失せたと言うこともあるが、一方でレイアに関する様々な噂を耳にしている生徒達が存外多かったことも影響しているだろう。
虹鱗で身を包んだ異形の姿に変じて、祖父より伝授された竜族独自の体術――“竜闘術”を用いて、下町の破落戸達と時に大立ち回りを演じる彼女のことは、 “虹の身”の異名とともに一部の人々――大神殿学院の神官や生徒及び、都市南西の繁華街の住人など――の間で幾分か知られるものとなっている。
大の大人を簡単に倒してしまえる力量を秘めた彼女を前にして、それを制止するための言動を起こそうと言う度胸の持ち主は、周囲でなりゆきを見守る生徒達の中には見付からなかった。
異形の瞳に睨付けられ、まさに蛇に睨まれた蛙と言った態で恐怖に凍り付いていたデュナンは、漸く硬直が解けた口から擦れた声を漏らした。
「…………この…………化け、物…………」
「……何だと!……てめぇ、言わせて置けば…………!」
怯える少年の言葉に、レイアは激昂して歯を剥き出す。曝された鋭い牙を目にして、デュナンは喰い殺される自分を想起して、声なき悲鳴を上げ、目を瞑って顔を背ける。
しかし、何らかの痛みが与えられると怯えるデュナンの身体には、何の身体的痛みも与えられることはなかった。恐る恐る目を開いた彼の瞳は、振りかぶるレイアの腕を押さえる別の人間の手が映った。
「…………姉さん、それぐらいで止めときなよ……」
小さな溜息とともの吐かれた声の主は、彼女の背後に控えていた彼女の弟――フォルンだった。
「止めるな、フォルン!」
「……殴りたい気持ちは分からなくはないけど……!
ここで手を出したら、誤魔化しようがないから……!」
「…………ッ……!」
フォルンの言葉に、レイアは舌を打って振り上げた腕の力を抜く。腕の力が抜けたことを感じたフォルンは掴んでいた手を放す。
そして、姉の肩を叩いて脇に退かせて、一歩踏み出してデュナンの前に立った。
「僕はフォルン=コアトリア、そこにいるケルティス=コアトリアの縁者なのだけれど……
君の名前は、デュナン=ディケンタルと言っていたね? ディケンタル家――キエガフ伯爵家のご嫡男だそうですね?」
先程の姉レイアが見せた憤激した様子に反して、弟のフォルンは慇懃な姿勢と穏やかな物言いで声をかけた。
「初等部では見かけた様子はないけれど、他の学塾からの新規入学組ですか?」
「それが何だと言うんだ!」
「……特に意味はありません。ただ、一つ質問をさせて貰います。貴方は、この国の主権者が何方かご承知ですか?
学院初等部と同等の学塾で学ばれたのならご存知でしょうが……」
「…………な、何……?」
穏やかな口調と慇懃な態度を崩すことなく投げかけられた問いかけに、デュナンは一瞬口籠もる。一時、視線を彷徨わせた彼は、次の瞬間には答えを返した。
「それは……国王陛下に決まって……」
「……違います。よく考えて下さい」
しかし、デュナンが答えを言い終える前に、フォルンの言葉がその声を遮る。不意に遮られたことに、不愉快な面持ちを見せつつもデュナンは再度一考する。
そして、再び応えの言葉を紡ぎ直す。その口調は何処となく苦々しさの含まれたものに聞こえた。
「…………大神殿……か……?」
「えぇ、そうです。此処――セオミギア王国は、セオミギア大神殿を本拠とするセオミギア教会が主権を有する国家と言うことになっています。
セオミギア王家は、セオミギア教会――その長であるセオミギア大神殿法院長が統治を委任されているに過ぎません。少なくとも形式上は、そうなっています。
そして、セオミギア王国の貴族は国王陛下によって叙爵されます……ですが、これも大神殿の各院長の了承の許で行われることになっています。」
それだけ言うと、フォルンは一旦言葉を途切れさせる。一拍の間を置いた後、フォルンは再び口を開いた。
「王国より領地を拝領した上級貴族の嫡子が、大神殿院長を務める高位司祭の縁者を、謂われもない誹謗中傷で、貶めると言う行為が、この国において、どう言う意味を孕んでいるか、ご理解頂けますか……?」
咬んで含める様に、数語ずつを区切って語られる言葉の内容に、デュナンの顔色は徐々に色を失って行く。そんな彼に向けて、フォルンは自らの碧の瞳で鋭く睨み付ける。
その様は、教室に残っていた一年灰組の生徒達には、朝礼の際の恐怖の再来にも感じられた。
* * *
そんな碧の鋭い視線と、虹鱗の者の威圧を前にして、デュナンは先程までの威勢を霧消して行く。
「……ッ……きょ、今日はこの程度にしてやる……いずれ、吠面をかかせてやるからな……!」
最後の矜持で、何とかそれだけを口にすると、彼は踵を返して足早に教室から出て行った。
そんな彼と入れ違いに、ラティルが教室に顔を出す。
教室の中に漂う微妙な空気を察して、微かに眉を顰めたのも僅かな間だけで、ケルティス達の許へと歩いて来る。
その途中で、何か囁く様に唇を動かし、片手で簡便な印を結ぶ。しかし、そんな素振りも精々数歩ばかり進む間に済ませて、穏やかな表情でケルティス達の前に立つ。
やって来たラティルは、先程までの騒動で身を強張らせているニケイラの方へと視線を向けて、微笑みとともに言葉をかけた。
「ニケイラさん」
「……は……はい……」
「貴女……昨日、この都市に来たと言っていた様だけど……生徒寮で寄宿する予定なんですよね」
「……は、はい……そうです。頼る親戚もいないので、寮に入れる様に手配して貰っていて……」
「そう……それじゃあ、入寮の手続きは済んでいる?
実は、入寮の手続きが終っていない生徒がいるらしいと小耳に挟んだから、もしかして貴女のことなんじゃないかと思って来てみたのだけれど……」
ラティルの告げた言葉に、ニケイラは「あっ」と小さく呟きを漏らした後、言葉を返す。
「……多分、それ私のことです。予定より遅く到着したので、入学式の当日に入寮の手続きをさせて貰うつもりでいたんでした……」
今思い出したと言った様子の言葉を漏らした。そんな彼女の返事を耳にして、軽く頷いたラティルは、言葉を続ける。
「……やっぱり……それなら、私が入寮の手続きをする受付を案内しましょうか?」
「え、良いんですか?……是非、お願いします!」
ラティルの声に、喜色も露わに承諾の返事をした。
「それは良かった…………と、その前に……」
そんな少女の様子に微笑んで見せた後、視線に冷たいものを纏わせて首を巡らす。
「……レイア、『視て』いましたよ……そんな姿で、下級生を虐めているんじゃありません」
「いや、母様……あれは、あいつの方がケルティスを…………」
冷たく見据える母の姿に、思わず抗弁の言葉を漏らそうと、レイアは口を開く。しかし、それを制するようにラティルから言葉が紡がれる。
ラティルのその言葉から、彼女が先程の仕草が聖霊魔法の『過去視』を用いたのだと、ケルティス達は察する。
「『視て』いたと言っているでしょう。
事情は分かります。でも、あれはやりすぎだと言っているんです。
半竜人の身で、人を殴ればただではすまない可能性があるのは貴女も承知していることでしょう!」
「…………それは……」
母の言葉にレイアは、言葉を途切れさせる。次いで、ラティルは視線をずらす。
「それに、フォルン……」
「……え?……僕も……?」
父より不意に投げかけられた言葉に、フォルンはキョトンと目を丸くする。姉と違い、普段からラティルに叱られることが殆どないだけに、間抜けな顔で父である彼女を見詰める。そんな少年に向けて、父たる女性は叱責の言葉を紡ぐ。
「……レイアが手を出すのを止めたのは良いとして……何故、あそこまであの子を脅しつける必要があった……?
あの様な言い方は、親の地位の威を借りる彼と同じ……いえ、それよりも、性質が悪い。神殿の威を借りた物言いなんて、おいそれとするものではなありません!」
「……でも……それは……」
「……あんな物言いを続けたら、相手の敵意を徒らに掻き立てるだけでしょう。
ディケンタル家は有力な名家の一つには違いないんです。あれでは、ミレニアン家のジュリアン閣下やオルトヴィン卿にまで迷惑がかかるかもしれないでしょう」
「……それは…………はい……すみません……」
「………………ごめんなさい……」
言葉を畳み掛けられたフォルンは、ラティルに向けて頭を下げる。頭を下げる弟の姿を目にして、レイアも本来の姿に戻った上で頭を下げる。
そんな二人の子供達を見詰めて、ラティルは口調を穏やかなものへと変えて言葉を紡ぐ。
「よろしい……さっきも言った様に、私はこれからニケイラさんの案内をするから、貴方達は先に帰っておきなさい。」
二人に告げた後、ラティルはケルティスの方へと向き直る。
「そう言えば、今日はケルティス君の訓練の日になっていませんでしたか?」
「えぇ、入学の式典が終った後に、薬院へ来るようにと言われています」
「そう……ケルティス君は一人でセスタスさんの所に行けますか?」
「え?……大丈夫です。何度も薬院のセスタスさんの所へは通っていますし……」
ラティルからの問いかけに、ケルティスは答えを返す。その姿に頷いたラティルは、改めてニケイラの方へ振り向く。
「それでは、入寮の手続きをする場所へと案内しましょうか。
それと、カロネアさん……良ければ、一緒に来てくれると嬉しいのだけど、良いですか?」
「……はい……」
「……え?……構いませんが……?」
声をかけられた二人の少女は、その言葉の意味を掴みきれぬ様子ながら承諾の言葉を返した。
「それは良かった。それでは、行きましょうか」
二人の返事に微笑を返したラティルは、その身を翻して教室から出るべく歩を進めた。