終話 塵も積もらぬ花畑
その日私は、車椅子に乗ってあの日の花畑に来ていた。闘病生活も長くなり、自由に動くことも難しくなった。
もう少ししたら天から迎えが来る頃だろう。だから最期にここに来たかった。今回は海は覗かない。覗きたくない。
「……間に合って良かったよ。私は君と違って文才が無いからね。挑戦はしてみたけどとても読めたものじゃないや」
私は彼の書いた日記と、私の書いた小説を抱えながら一人で話した。一人ではあったが、すぐ近くに彼がいるような気分だった。
なぜかと問われても明確な答えはない。強いて言うなら彼と共にここへ来た記憶が未だに鮮明だからだろうか。
「君が生きてたら今も私の隣にいてくれたのかな……。仕事を無理に休んででも、最期まで支えてくれたのかな」
思えば彼は、途中までしか私について来てはくれなかった。約束と違うじゃんか。私は君さえいればまだ楽だったかもしれないのに……どうにも上手くいかないもんだな。
でも君を責めるつもりはない。あの場で誰かが死ななきゃいけなかったんだ。それがたまたま君だったってだけで……。
「でもやっぱり、君の未来は長かったはずだもんなぁ……」
私の頬を一雫の涙が伝った。思い返すほどに辛い記憶へと変わっていく。この傷は決して癒えることはない。癒えてはいけない傷なんだ。
こんな傷は負いたくなかったよ。でも私が負わなかったとしたら、その役目は君のものだったのかな。
振り返ると彼の墓があった。こんなところにあったっけな。最近の私はどうにも記憶力が怪しい。それが何よりも恐ろしく、そして悲しい。
「……でも私達の思い出はこの本が未来に紡いでくれるもんね。君が約束を破った分、私がなんとかしてあげたんだ。感謝してよね」
思えば私は、寿命の代わりに色んな物を持っていた。昔はどれだけ不幸だと感じていたか、どれだけ普通の人になりたいと思ったか。
でも、私が普通だったなら、特別な君には会えなかったんだろうな。私はどこまでも幸せ者だ。何もかも……幸せだった。
私は海が嫌いだ。どれだけの子どもがあの波に殺されたのか、それは数えられるようなものじゃない。けれどあの日、君のおかげで一人の子どもは救われた。子どもの代わりに君が死んだ。喜べないし、君の勇気を褒めるつもりはない。君にはもっと生きていて欲しかったから。
私は花畑が好きだ。その風景は色褪せることがない。その風景は人を殺すことがない。人が美しさを求めるために、花畑には塵も積もらない。何も積もらない。そこにあるのは思い出と、ただ美しい風景だけだ。
私は大きく息を吸った。甘い香りが肺いっぱいに流れてきた。太陽の香りが肌に沁みた。
久しぶりに君の匂いが私に届いた。
私はどこまでも香る広い花畑に、君と二人で立っていた。
「矢田くん! お待たせ!」
「……待ってないよ。僕が先に着いたってだけだから。……ありがとう」
その日、朝倉春奈は静かに息を引き取った。彼女は病室で、そして長い夢の中でいつの間にか最期のときを迎えていた。
彼女の最期の表情はどこか幸せそうだった。悲しそうに涙を浮かべていたが、それでも満足したように微笑んでいた。
彼女の死を悲しむ者も、彼の死を悲しんだ者も、決して多いとは言えなかった。けれど確実に悲しみ、傷ついている者はいた。彼らにとってはそれでよかった。わずかでも彼らのことを強く想ってくれる人がいたから。
残された者達は毎日彼らのことを思い出す。時が経てばいずれ薄まる痛みだが、この記録がある限り忘れることは決してない。それでいい。それならばきっと、彼らの墓に塵は積もらない。
『塵も積もらぬ花畑』をお読みいただきありがとうございました。もし面白かったと思っていただけたなら、コメントで感想をいただけると嬉しいです。もし好評だったら長編として書き直そうとも思います。
さて、皆さんも察していることとは思いますが、ここまで読んでいただいたのは彼女の書いた小説だったというわけですね。その上で私のお気に入りは第2話です。そこのとある描写がとても好きなんです。なかなか読んでも分からない視点ではありますが……まぁ詳しく話すのはやめておきましょう。もしどうしても知りたいというならお答えしますけどもね。
さて、そろそろ終わりにしようと思います。他の作品も投稿しているのでぜひそちらもご覧ください。ではまた別の作品でお会いいたしましょう。




