第二話 死んでしまえば塵もクソもありやしない
彼女との出会いから少し経ち、体育祭が目前まで迫っていた。とはいえ私はできることも少ない。
休み時間に準備をしている生徒もいる中、私は図書室で本を読んでいた。正直、体育祭の何が楽しいのかは分からない。それは私の運動神経の無さゆえなのだろうか。それともクラスの輪に入れるほどの対人能力の無さゆえなのか。
いずれにせよ、快晴の日でさえ室内に閉じこもるような私にとって理解できるものではなかった。
「あ! 矢田くんじゃん。何読んでるの?」
一人静かに本を楽しんでいると、背後から澄んだ声に呼ばれた。言うまでもないだろうが朝倉さんだ。
あの日以来、彼女は何かと私に話しかけるようになっていた。いや、客観的に見ればそれほど頻度が高いわけでもないのだけれど、私にしてみては極めて多いことだった。誰とも会話せずに一日を終えることもある私にとっては特に。
「別に……つまらないものですよ。ただ暇だから読んでいるだけで」
「ふぅーん」
私としてはなぜ彼女がこんなところにいるのかを尋ねたかったが、とりあえず彼女の質問にだけ答えた。私の質問なんてどうだっていいからだ。それは彼女にとっても私にとっても。ただ時間を消費するだけで何も得るものはない。
……しかし友というのはそういうものでは? くだらないことに時間を費やし、記憶以外には何も得るもののない話をする。それが友のあり方ではないのか?
「朝倉さんはどうしてここへ?図書室なんて縁のないものとばかり思っていましたが……」
私は失礼のないように言葉を探りながら尋ねた。同級生との会話にこれほどまでに気を遣う者がどれほどいるだろう。これが教室の隅にいるようなオタク相手ならこうもならない。しかしこの緊張感も嫌いというわけではない。
「やだなぁ。君を探してたんだよ。本は好きなの?」
「……書くのが好きなんです。上手く書きたいから読んでるといいますか……」
「へー! じゃあ将来は作家になるの?」
「そんな世の中甘くはないですよ。趣味です。趣味」
私の正面に座った彼女に動揺しつつも、何事もないかのように会話を続けた。
書くのは好きだがそれを職業にできるとは思ってない。そんなことよりも彼女は気になることを言っていたな。私は彼女からの質問を答え終えてから自身の質問をした。
「僕を探していたというのは?何か用があったのでは?」
「体育祭の後さ、白端神社で夏祭りがあるんだけど。一緒に行かない?」
「あぁ、祭りですか。…………え?」
「嫌?」
「……いや、行きます。行かせてください」
「じゃあ決まりだね」
私は彼女の提案にすぐに答えた。彼女の真剣な顔つきから、これは受けなければならないと思った。理由は分からないが、確かにそう思えた。
先に断っておくが私は彼女のことが好きだった。ただそれは恋愛的に好きだという意味ではない。人間として尊敬していたし友としていつまでも付き合いたいと思っていた。
万が一にも彼女から告白されるようなことがあったとしても、私はそれに応えないだろう。彼女は私にとって誰よりも大切で、誰よりも特別で、そして誰よりも親しい友だった。
それから一週間後、体育祭を終えた私は白端神社を訪れていた。待ち合わせは鳥居の近くだと言われたため、私は一人でそこに向かった。さすが夏祭りと言うべきか、人混みの中では10メートル先を確認することも難しかった。そんな中でも彼女を見つけることができたのは、彼女は際立って美しかったからだ。
「矢田くん! お待たせ!」
「僕も今来たところです。……似合ってますよ」
「そう?なら頑張った甲斐があったよ」
彼女は青い花柄の浴衣を着ていた。いつもとは違う様子に戸惑いはしたが、想像できないことでもなかった。
私がもし何も考えずにこの場に来ていたら、女子の服装を褒めるなんていうことはできなかっただろう。それはお洒落をした女子に対して失礼極まりない。
私達は屋台を回りながら人気の少ない高台へと向かった。夜の8時からは花火が打ち上がるからだ。
そこは決して見晴らしがいいとは言えない場所だったが、そのおかげでこの場に人は来なかった。薄暗い空間に、私達はただ二人だった。
「私……部活辞めるんだ」
「……朝倉さんが?」
「私、あんまり長くないの」
突然だった。あまりに突然であったため私も初めは理解できなかった。けれど彼女の瞼にうっすらと浮かぶ涙を見れば、それが冗談でも聞き違いでもないことはすぐに分かった。
「それは誰が知ってるんですか?」
「家族だけだよ」
「……なんで僕に?」
「男子はみんな私の顔とか身体しか見ないんだよ。女子はみんな私のことを妬んでる。もちろんそうじゃない人もいるけどさ、矢田くんだけは何があっても私のことを友達と思ってくれそうだって思ったの。何がなくても友達でいてくれそうだって。……なんでだろうね」
何でも持っていると思っていた人は、実際には何も持っていなかった。
私は己のことを何も持っていない人間だと思っていたのに、目の前の彼女よりもよっぽど多く持っていた。
私は私が許せなかった。彼女は私のようなありきたりな人間になりたかったんだ。
「なら、最期の最期まで色んなことをしましょう! 僕はどこまでもあなたについて行くから! 思い出作りなんて綺麗事かもしれないけれど……その思い出を僕が未来まで紡ぐから! だから……!」
最期まで頑張ろう、その一言は出てこなかった。そんな無責任なことは言えない。
塵も積もればなんとやらと言うが、死んでしまえば塵もクソもありやしない。彼女には未来がないのだ。
「……うん。そうしよう。矢田くんが生きててくれるなら私は安心だ」
彼女は細々と、けれど力強くそう言った。私が心配することなどできない。彼女は私よりもずっと強く、ずっと弱いのだから。だから私は最期まで彼女について行こうと思った。彼女が病に殺されるそのときまで。




