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真なる瑞穂を求めて ~和多志隊の反逆~

これは日本に似た、日本ではないとある国のお話です。

――また夜空に、赤い花火が咲いた。


 轟音と共に弾頭が裂ける。燃え殻は幾筋もの流星となって海に落ちた。

 任務終了の合図。だが歓声など上がらない。基地に戻るまで気を抜けば、次のミサイルが飛んでくるのがこの国の現実だった。


 神山宗平はヘルメットを外し、額の汗を拭った。


 身体を流れる疲労は慣れたはずなのに、年齢のせいか重さは増していく。四十歳。若い隊員たちに混じれば、もう古参だ。


 宗平の能力――不可視の障壁は、何度も国を救った。


 数秒の遅れも許されない迎撃の瞬間、彼は己の肉体を削りながら、見えざる壁を空に展開する。衝突音は鼓膜を裂き、熱は皮膚を焼いた。それでも立ち続ける。



「お疲れさまです、大尉。今回もさすがですね。大尉がいればこの国は安泰ですよ!」



 整備兵の若い声に、宗平は曖昧にうなずいた。


 英雄扱いは慣れている。だが胸の奥は、冷え切っていた。

 ――ミサイルを落としたところで、この国は守れない。


 街に帰れば、ニュースが流れる。


 移民グループ同士の抗争、商店街での傷害事件、老人宅の強盗。

 犯人の名は、耳慣れないものばかり。


 宗平は、ある日任務帰りに商店街の路地で老婆が血を流して倒れているのを見た。


 財布を奪われ、背中を刺され、痙攣する手に握っていたのは家族の写真。

 宗平の足は止まったが、障壁は出せなかった。

 もう遅い。自分の力は空にしか届かない。

 

 その夜、自宅で妻のさなかが言った。



「宗平さん……あなたは空を守ってる。でも……街が、国が内側から壊れていってるわ。瑞穂はもう……」



 彼女はまっすぐに夫を見据えていた。

 声は震えていたが、瞳は決意を宿していた。


 返す言葉がなかった。

 宗平は空を守っている。だが、どれだけ空を守っても地上は崩れていく。

 矛盾に胸を灼かれ、宗平はただ黙って妻の肩を抱いた。


──────────────────────


 瑞穂防衛空軍の特殊航空大隊。

 その中の一個中隊――和多志隊。


 神山宗平が率いる三十名は、誰もが特殊能力を持つ精鋭だった。

 障壁、衝撃波、電磁干渉、異常聴力、瞬間加速。


 能力の種類も、強度も、それぞれだ。

 そして、宗平自身の障壁はその中でも突出していた。


 だが、任務を終えて格納庫で汗を拭う仲間たちを見ながら宗平は思った。

 ――この力は、本当に瑞穂を守れているのだろうか?


 若い隊員たちは純粋に任務を誇っている。

 撃ち落とした弾頭の数、記録された迎撃成功率。

 殺した敵兵の数、壊した兵器の数、追い返した回数と生存した戦場。


 彼らはその数字に救われている。


 けれど宗平の耳にはそれ以外の数字も入ってくる。


 街で爆ぜる怒号。異国の言葉で叫ばれる罵声。銃刀法違反、傷害致死、強姦、放火――そんな、政府の推し進めた多文化共生から始まったニュースの羅列。



「宗平さん」



 夕暮れ、帰宅した宗平に妻・さなかが声をかける。

 白いブラウス姿で、食卓に湯気の立つ味噌汁を置きながら。



「今日も空は守れたんでしょう?私は誇らしいわ」



 彼女は椀を置いた手を膝に重ね、瞳を逸らさずに言った。



「でも宗平さんが戦っている間に、この国の街では、また老人が刺され、子どもが誘拐されてる。相手は皆、移民や外国人ばかり」



 宗平は箸を持つ手を止めた。

 湯気の向こうで、妻の顔がぼやける。

 ――分かっている。自分の障壁が届くのは空だけだ。


 地上の悲鳴には、何一つ応えられていない。



「瑞穂は、変わりすぎたのよ」



 さなかの声は硬い。



「多文化共生なんて……理想は分かるわ。でも、現実は血にまみれてる。政治家たちは票欲しさに耳を塞いで、国民はただ耐えて……。こんなの、私の愛した瑞穂じゃないわ。」



 宗平は答えられなかった。

 返す言葉を探すよりも、胸の奥に刺さったものが大きすぎた。


 翌日。

 任務明けの控え室で、宗平は隊の副官である一橋貴史と視線を交わした。



「……大尉、考えてることは同じでしょう」



 小声だった。だが、だからこそ宗平には痛いほど伝わる。

 その声には確信があった。


 さらに数日後、桜山ほのか、安川りみ、高田邦昭、境山和幸――和多志隊の一部の隊員たちが秘密裏に集まった。


 夜の格納庫の片隅、電灯の届かぬ闇の中。



「このままじゃ国は潰れる」


「内側から守るだけじゃ意味がない」


「俺たちが動くしかない」


「妻として宗平さんについて行くわ。私がみんなの支えになる。私がみんなのお母さんになるの」



 声は次々と重なった。

 宗平は黙って聞いていた。だが最後に口を開いたのは、彼自身だった。



「瑞穂はもう変われない。内側から腐って、もはや陽の光を失い影に入っている」



 そこで言葉を止め全員を見渡す。



「……俺達が瑞穂を、再び陽の下へ戻す。日の本に 」



 その言葉が、暗闇に小さな火を灯した。

 秘密結社――瑞征党。

 それが生まれた瞬間だった。


──────────────────────


 瑞征党の誕生から数週間。

 和多志隊の中でも宗平のもとに集った数名は、夜毎に密やかに集まり、計画を練った。


 場所は格納庫脇の補給庫。燃料の匂いと鉄の湿り気が混じった空気の中、白熱灯を一つだけ灯して。


 誰もが声を潜め、目だけがぎらついていた。



「首相官邸、及び公邸を落とす」



 宗平が告げると、重苦しい沈黙が落ちた。

 だが誰も異を唱えない。全員が、その先にしか未来がないと分かっていたからだ。



「石橋首相を拘束し、政府中枢を麻痺させる。――同時に、テレビ局を押さえ、国民に向けて宣言する。瑞穂は日の本に戻ると」



 一橋貴史が口を開く。低い声だが、熱がある。

 副官として長年宗平の隣に立ってきた男は、すでに迷いを捨てていた。


 桜山ほのかが拳を握る。彼女の能力は「震音」――広域に衝撃波を走らせる。市街地で使えば惨事になるが、要所の制圧には絶大だ。



「私が前に出る。入口を叩き壊して、流れを作ればいい」


「ウチの電磁干渉で通信を潰す。官邸の警備はそれで一時的に孤立するはずや」



 安川りみが、眼鏡の奥で淡々と告げる。理詰めの女だが、目は燃えている。



「俺は……後方からの突入部隊を抑える」



 高田邦昭は言った。声がどこか揺れている。

 だが誰も、その揺らぎを責めなかった。迷いは人間の証だった。


 境山和幸は無言でうなずくだけだった。目の奥が読めない。

 その沈黙が、逆に宗平の胸をざわつかせた。


 そして――さなか。

 夫の隣に座る彼女は、軍人ではない。それでも、目に宿る光は誰よりも揺るぎなかった。



「私は戦えない。でも、歌で仲間を鼓舞することはできる。宗平さんが前に立つなら、私は後ろで皆の心を守るわ」



 宗平は頷いた。

 ――この女は、軍人以上に強い。心の意味では、自分よりも。


 計画はこうだ。

 訓練を装って官邸上空に進出し空から突入。

 瑞征党の能力者が内部を制圧し、同時に市民の支持者が官庁街で騒乱を起こす。

 その隙に放送局を押さえ、全国へ演説を流す。



「棚木少佐が動く前に終わらせるんだ」



 宗平は言った。


 棚木裕二郎。宗平の上官にして、特殊航空大隊の指揮官。

 その能力――空間圧縮は恐ろしい。三次元の一点に全てを押し潰す力。さらに自在にその圧縮された空間を解放することも可能だ。


 直接ぶつかれば、和多志隊といえど全滅する。

 だからこそ――先にやる。速やかに。


 夜風が吹き込み、燃料の匂いがさらに濃くなった。

 宗平は深く息を吐き、仲間たちを見渡した。



「……俺達はもう、戻れない。空ばかり守っても、地上は腐るだけだ。ならば、陽を取り戻すしかない。……俺達はもう、一人の“私”じゃない。瑞穂を憂い、日の本を取り戻すために集った“和多志”だ!"和多志"を心に刻み込め!」



 その言葉に、皆がうなずいた。

 冷たい補給庫の闇の中、小さな炎が確かに燃えていた。

──────────────────────


 夜の首都は、不自然なほど静まり返っていた。


 だが、その静けさの下で、無数の視線が蠢いている。官邸周辺の警備、私服警官、監視カメラ。首都の心臓を守る厚い層。


 瑞征党の隊員たちは軍用機から降下した。夜空を裂く影は、誰の目にも映らない。宗平の障壁が光を屈折させ、彼らの姿を覆い隠していた。

 ――開始だ。


 宗平が胸中で呟いた瞬間、地面に足をつけた桜山ほのかが動く。



「震音」



 彼女の掌から奔った衝撃波が地鳴り響かせながら官邸のゲートを叩き壊す。

 鉄とコンクリートが粉々に弾け飛び、警備員たちが衝撃に吹き飛ばされた。



「突入!」



 一橋が吠える。和多志隊が一斉に駆け込み、安川りみが電磁干渉を展開した。

 警備無線が一斉にノイズを吐き、耳障りな音を撒き散らす。銃を握る警備兵が混乱し、指示を仰ごうにも通信は途絶えていた。


 弾丸が火花を散らして飛ぶ。宗平の障壁がすべてを弾き返した。


 銃撃の音は雨のように降り注ぐが、彼らの進撃は止まらない。



「俺が前を押さえる!」



 一橋が声を張り上げ、敵兵を薙ぎ払う。腕から生じた衝撃波が兵士ごと壁を崩し、狭い廊下を更地に変えていく。


 宗平の視界に、一瞬さなかの姿が映る。


 彼女は銃も能力も持たない。だが、目を逸らさず、隊員たちを鼓舞する歌を歌っていた。



「前を向いて! 迷わないで!」



 その声に押されるように、皆の足は速まった。

 官邸内部は、すでに修羅場だった。倒れ伏す警備兵、壁に走るひび。炎が赤く廊下を照らし、煙が目を刺す。


 高田邦昭は後方で敵増援を抑えていた。だが、顔に走る迷いは拭えない。



「……これで本当に国が変わるのか」



 呟きは煙に消え、誰の耳にも届かなかった。


 境山和幸はただ無言で斬り伏せる。刃が閃き、血飛沫が飛ぶ。その瞳には何も映っていない。

 ――だが宗平には分かっていた。


 二人はすでに、別の方向を見ている。裏切りの影が、確かにそこにあった。



「総理執務室まであと少し!」



 一橋の声に、隊員たちが頷く。


 火花を散らす戦闘をかいくぐり、ついに官邸の奥へ辿り着く。

 扉を破壊し中に飛び込むと、そこには隠し通路から今まさに逃げようとする石橋首相と側近たちが青ざめた顔で立ち尽くしていた。


 宗平は一歩前に進み出て、銃口を突きつける。



「――石橋一茂。お前の政治ごっこはここまでだ」



 首相は顔を引き攣らせ、声を震わせた。



「お、俺は瑞穂をこれからも引っ張っていかねばならない……お前は、お前達は俺を生かすべきなのだ……」



 宗平の声は冷ややかだった。



「お前は、瑞穂の障害だ。俺達は瑞穂を日の本に戻す」



 その瞬間、宗平の背筋に緊張が走った。

──官邸は制圧した。あとは国民へメッセージを送るだけだ。ほぼ成功とも言っていいこのタイミングでこれは……もしや……


 宗平の懸念は当たっていた。


 棚木裕二郎が和多志隊=瑞征党鎮圧のために動き始めたのだった。


──────────────────────


 石橋首相を押さえた瑞征党は、官邸内の通信室を制圧した。


 安川りみの電磁干渉が、外部からの妨害を封じていた。



「全国放送回線、ジャック完了!」



 一橋が叫んだ。

 その瞬間、全国各地のモニターというモニターが一斉に切り替わる。

 映し出されたのは、官邸の執務室に立つ神山宗平の姿だった。


 軍服に煤がつき、顔には戦闘の汗が流れている。

 だが、その目は異様なほど澄んでいた。



「瑞穂国民の皆さん――いや、日の本に生きる同胞たちよ」



 低く、しかし確かな声が響く。

 電波に乗って瑞穂の隅々まで、その声は届けられた。



「この三十年、政府は多文化共生を掲げ、異国の血を瑞穂へ取り入れてきた。結果はどうだ? 犯罪は増え、治安は崩壊し、街の灯りは怯えに覆われている。瑞穂はもう瑞穂ではない」



 モニター越しに見ている者たちの胸に、刺さるような言葉だった。

 宗平は一瞬、言葉を切り、そして続ける。



「我々は和多志隊――いや、瑞征党だ。命を賭して、瑞穂を日の本に取り戻す者たちだ!」



 背後でさなかが小さく頷いた。その眼差しは夫の背を支えている。

 桜山ほのかや安川りみも、それぞれ血に濡れた姿のまま画面に映り込んでいた。



「今日、我々は首相官邸を制圧した。石橋一茂は拘束し、売国政権は崩壊した。瑞穂はこのときをもって終わりとなる!影に隠れてしまった瑞穂を日の本へ!!これからは瑞穂人ファースト――いや、日の本人ファーストに舵を切る!!」



 その瞬間、全国各地の視聴者の間でざわめきが起こった。


 喝采する者。恐怖に震える者。無表情のまま画面を見つめる者。

 国民を二分する宣言だった。

 宗平はさらに言葉を紡ごうと唇を開いた、その瞬間――

 執務室の窓が、鈍い衝撃とともに砕け散った。

 冷たい夜風が吹き込み、空間ごと圧縮され砕けた窓と壁の一部が部屋中に撒き散らされた。

――この迅速さ、やはり誰かが情報を流していたのだ。



「……来たか」



 宗平が振り返ると、そこに棚木裕二郎の姿があった。


 少佐の軍服は土埃にまみれ、だがその瞳は凍てつく鋼鉄のように光っている。

 その背後には椎葉和真、安立康之――忠実な副官二人が続いていた。



「神山大尉……いや、もう反逆者と呼ぶべきか」



 棚木の声は冷たかった。

 和多志隊=瑞征党の短い勝利は、ここで終わろうとしていた。


──────────────────────


 空気が重く沈んだ。

 割れた窓から吹き込む夜風は冷たいはずなのに、宗平の皮膚を焼くように刺してくる。


 棚木裕二郎。


 特殊航空大隊の頂点に立つ少佐であり、宗平の上官。

 空間圧縮という異能の権化。


 その姿を前に、和多志隊の面々は一瞬で理解した。

 ――ここから先は、もう死地だと。



「神山大尉……いや、もう反逆者と呼ぶべきか」



 棚木の声は淡々としていた。感情を排したその響きが冷たく刃のように心を抉る。



「俺は瑞穂を守る。方法の違いはあれど、貴様の思想を全否定はしない。全く同意できないわけではないしな。だが――武力で国を奪うことは、絶対に許されん」



 副官の椎葉和真と安立康之が背後に立つ。二人とも、戦場で幾度も背中を預け合った男たちだった。その眼差しは揺らがない。

 ――ならば、もはや言葉は不要だ。



「全員――突撃だ!」



 宗平が叫ぶ。

 桜山ほのかが震音を放ち、廊下を轟音で揺らす。圧縮されかけた空間が僅かに軋み、棚木の足が止まった。


 安川りみの電磁干渉が空間を震わせ、棚木の意識を混濁させんと襲いかかる。


 その隙に一橋が叫びながら突進し、拳から衝撃波を放つ。

 爆裂音が執務室を震わせ、瓦礫が舞い散る。

 しかし――棚木は動じなかった。



「……これでは俺に痛痒すら与えられんな」



 冷徹な呟きと共に、空間そのものが圧縮される。

 一橋の身体が途中で止まり、皮膚が、骨が、筋肉が音を立てて不自然に歪む。かと思えば急激な圧縮の解放により、悲鳴を上げる暇もなく全身が血と共に弾けた。



「一橋!!」



 ほのかが叫び、涙と怒りを力に変えて震音を増幅させる。

 壁ごと崩壊する轟音。しかし、圧縮の檻はその波すら潰し返す。


 ほのかの身体は衝撃の跳ね返りで外側から捻じれ、吹き飛ばされて床に崩れ落ちた。

 安川りみが奥歯を噛み砕きながら前に出る。



「これ以上は――行かせないッ!」



 電磁干渉が棚木の視界を覆い、空間の座標を乱す。だが――圧縮は無慈悲だった。彼女の眼鏡が砕け、頭蓋ごと押し潰される。


 血の匂いが広がる。瑞征党の仲間が次々と倒れていく。

 皆、次々と圧縮の檻に呑まれ、血と肉片に変わっていった。


 背後でさなかが叫ぶ。



「宗平さん!!」



 彼女は武器を持たぬまま、必死に叫び続けていた。

 宗平は血に濡れた顔をさなかへ向ける。――その声が、最後の支えだった。


 境山和幸が刃を振るい、棚木に迫る。だが一瞬の迷いが命取りだった。



「……和多志の意志を……」



 言葉は最後まで紡がれることなく、圧縮の渦に呑み込まれた。

 高田邦昭も続く。必死の一撃。

 しかし棚木の副官・椎葉の刃がそれを阻む。



「すまない、高田」



 その一言の後、鋼の閃きが彼の喉を裂いた。


 次々と仲間が倒れていく。


 宗平の障壁は必死に展開され、銃弾や破片を防ぎ続けていた。だが――疲労は限界だった。

 頭蓋を割るような痛みが襲い、視界が赤く染まる。

 ――ここで終わるのか?


 日の本を取り戻す理想は、ただの夢物語だったのか?



「宗平さんッ!」



 さなかの叫びが届く。

 その瞬間、宗平は立ち上がった。血塗れの軍服のまま、棚木へ一直線に突撃する。



「うおおおおおおお!!!」



 障壁を前面に集中させ、己の身を弾丸と化す。


 床が抉れ、瓦礫が飛び散る。

 だが――。


 一瞬、障壁が途切れた。

 限界を超えた疲労で、呼吸が乱れ、集中が切れたのだ。


 棚木の瞳が冷たく光る。



「終わりだ」



 空間が音もなく押し潰される。宗平の胸が裂け、骨が軋み、肺が潰れる。



「……さ、なか……」



 掠れた声を最後に、宗平は血に沈んだ。


 和多志隊=瑞征党は壊滅した。

 妻・さなかは叫び続けていた彼女は、能力を持たぬがゆえにそのまま取り押さえられた。

 

 クーデターは成功することなく潰えた。


 陽を取り戻す夢は叶わず、ただ夜の闇だけが首都を覆っていた。


──────────────────────


 独房の灯りは、夜も昼も等しく白かった。


 蛍光灯の光は影を与えず、時間の感覚を奪い取る。

 神山さなかは、冷たいコンクリートの床に膝を抱え込んで座っていた。

 軍人でも、能力者でもない。彼女に残されたのは「反逆者の妻」という烙印だけだった。


 看守が鉄扉を開ける音が響いた。金属のきしみと靴音。

 盆に置かれた冷たい食事が差し入れられる。



「……食べろ」



 ぶっきらぼうな声。返事をしても意味はないと知っていた。

 だが今日は、声が続いた。



「――神山宗平大尉は、惨めに死んだんだ」



 さなかの呼吸が止まった。

 知っていたはずだ。目の前で圧縮の檻に押し潰され、血の中に沈んでいった。


 それでも、言葉として突きつけられると、胸の奥に突き刺さる。


 膝を抱える腕が震える。

 声が出ない。涙も出ない。心が空白に沈んでいく。



「お前達の馬鹿げたクーデターは鎮圧された。……以上だ」



 看守はそれだけ告げて扉を閉ざした。

 鉄の音が響き、再び沈黙が独房を満たす。


 ――宗平。

 あなたは、陽を取り戻そうとした。

 でも、最後に私に残されたのは闇だけ。


 さなかは壁に背を預け、目を閉じた。

 瞼の裏に浮かぶのは、あの日の夜の炎と血。そして最後に振り返った夫の横顔。


 最後に彼が呼んだのは、自分の名だった。


 それが唯一の救いであり、最大の呪いだった。


 もうこの国に陽は戻らない。

 瑞征党は消え、和多志の名も、やがて歴史の片隅に追いやられる。


 それでも――彼が命を賭して残した声だけは、自分の胸の中で燃え続けるだろう。


 灯りは変わらず白く、独房には夜も昼も訪れない。

 だが彼女の中では、永遠に「夜」が続いていた。


拙作をお読みいただきありがとうございます。


お楽しみいただけましたでしょうか……??

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