LV1
神戸・三宮。ネオンが滲み、酔客と観光客が行き交う雑踏。
その裏通りを、神原零士はポケットに手を突っ込み、煙草を噛みながらあてもなく歩いていた。
肩をぶつけても謝らない。通行人が舌打ちしても睨み返す。
(……クソみてぇな街だ)
母が消えたあの日から、世界はずっと灰色だった。
零士にとって夜の街をさまようことは、生きている実感を確かめる唯一の手段だった。
そのとき、背中に衝撃が走った。前のめりになりこけそうになるのをこらえた。
後ろから誰かに蹴りを入れられたようだ。
「オラァ、昨日の借り、返させてもらうで!」
ゆっくり振り返ると、細身のチンピラ三人と、スーツ姿のごつい男が立っていた。
「ああ? なんだてめえら?」
スーツの男の首筋には墨がのぞき、ただのチンピラではない。
「お前みたいなクソガキが調子乗っとったらアカンのや。誰に喧嘩売ったか教えたるわ」
スーツの男がニヤリと笑う。
「神戸港に沈めたりましょうや!」チンピラの一人が言った。
零士は口角を上げた。
「……上等だ 死ぬ気で来いや!!」
細身の一人が鉄パイプを振り上げる。
零士は横に転がりざま、その足首を掴んで捻り上げた。
「うわ!」と悲鳴が上がる。
二人目が飛びかかってくる。零士は頭突きを叩き込み、鼻血を噴き出させて壁に叩きつけた。
三人目はナイフを取り出す。
「おどれ、死ねや!」
刃先が月明かりに光る。
零士は一瞬ためらったが、腕を突き出して掴み、拳で顎を打ち抜いた。ナイフが地面に転がる。
「お前ら、雑魚ばっかやな」
しかし、次の瞬間。
スーツの男が背後に回り込み、助走をつけて零士の後頭部に膝蹴りを叩き込んだ。
「ぐはっ!」
零士の体が路地に沈む。
「お前みたいな半端もんが生き残れるわけないんや」
用心棒は上から圧し掛かり、拳を振り下ろす。
零士は血に染まりながらも笑った。
「……それでも俺は死なん」
少し離れた場所で、通行人がスマホを向けていた。
「おい、見ろよ、またチンピラが暴れてるぞ」
「関わんなや。こっち来たらやばいぞ」
彼らは動画を撮るだけで、助けようとする者はいない。
街のネオンが血に濡れた路地を照らしていた。
アスファルトの上には、殴り倒されたチンピラが4人。呻き声を上げながらも動けない。
「……どうした、もう終わりかよ。誰でもいいからよ、かかってこいや!」
零士の声が、湿った夜気に響いた。
その時、コツン、とヒールの音が響いた。
裏口のドアが開き、ドレス姿の女が現れる。
「クラブ・ルミナス」VIP専用の出入口。
彼女は黒塗りの高級車に頭を下げ、政財界の大物を送り出していた。
車が去ると、女は路地を見やり、苦々しい顔をした。
「……困るわね。店の前で騒がれると」
零士は血を吐きながら睨みつける。
「……ああ?関係ねえだろうが」
女は微笑んだ。だがその目は冷たく、光を宿していた。
「ここは私の店の前。大事なお客様に迷惑はかけられへん」
「ふざけんな!」零士は怒鳴り、拳を振りかざした。
「キャー!」 ギャラリーから悲鳴が上がる。
次の瞬間、零士の視界が反転した。
女はほとんど動いたように見えなかった。ただ腕を払っただけ。
零士の体は簡単にバランスを失い、背中からアスファルトに叩きつけられた。
「ぐっ……! ババアが! 手加減してやったのによ」
立ち上がりざま、蹴りを繰り出す。
しかし、ドレスの裾すら乱さず、女はひらりと身をひねり、避けていく。
拳も膝も、一度たりとも届かない。
「……その程度かいな」 あきれた調子で真理子は言った。
真理子は零士の胸を軽く押さえた。
ただそれだけで、零士の体から力が抜け、膝が脱力し崩れ落ちた。
視界が揺れる中、零士は見た。
妖艶なオーラを纏う整った横顔。しかしその瞳は、漆黒の闇のように鋭く黒かった。
「……なんなんだ、こいつ……」零士は女を見上げながら呟いた。
パチパチパチ…… ギャラリーから拍手が起こる。
「お騒がせしてえらいすいません」 そういって真理子はギャラリーや通行人に頭を下げながらうずくまる零士に「今度は客としておいで。けどウチ高いで」と言って、店の中に消えた。
零士の荒んだ日々に、少しだけ波紋が立った。