第89話 死の晩餐会
黄昏時、ファフニール帝国すべての竜が飛び上がる。
水鳥の大移動のような雄大な光景は、眺めるだけなら心を奪われただろう。しかし、その実態は悪魔達の共喰い。神秘の対極たる眺望だ。
全ての竜が、数多の骨により築かれた中央塔に集う。飛行竜の眼下には、恋する乙女のように見上げる劣等竜達がいた。
『飛べない哀れな贄達よ。案ずるな、我らが強者の供物となり、肉となり、一部となれ。さすれば我らが眼を通し、世界の頂を望めるであろう』
前口上を述べたのは、破滅の六王が一頭、帝王竜ファフニール。純白の鱗に六枚の大翼、紅玉の如き真紅の瞳を持ち、人類の恐怖の象徴。
『殺れ』
冷徹な言葉の信号と共に禍々しい腕を振り下ろす。
「グォォォォォォ!!」
すると一斉に雄叫びを上げ、地上の餌に群がる乞食達。血が舞い、肉が踊る。地獄のような光景。
その中に目の死んでいない一頭の真紅の竜——リンドウがいた。
『いただきまぁす!』
リンドウに飢えた獣の牙が迫る。それを一瞥もせず瞬殺。矢継ぎ早に乞食達の首を刎ねていく。
『貴様、なにを!』
『臆したか!』
『無駄な足掻きを!』
リンドウの周りで飛行竜が騒ぎ立てた。
『往生際が悪いネ。大人しく喰われロ!』
滑りがあり、のっぺりとした茶色の体が特徴の衛竜“山椒爬竜ハジカミイヲ”がリンドウに迫る。
その瞬間、帝王竜が何かを察して広域信号を飛ばす。
『よせ! 触れるな!』
『えッ?』
しかし、ファフニールの恫喝は間に合わず、ハジカミイヲの頭が破裂した。
あらゆる竜を溶かすリザードマンの血により破壊されたのだ。
『動くな!』
リンドウが周囲に信号を飛ばす。
『俺の血はすべての竜を溶かす。近付けばどうなるか分かるな?』
それを証明するように落ちたハジカミイヲの死体に血を垂らし、溶解させた。
周囲がざわめく。一方、ファフニールに動揺は見られない。
(やはりな。こいつは以前からリザードマンの血の存在を知っていた)
今の反応と、あらゆる毒が効かないはずの竜に対し、わざわざ“毒味”をさせていたのが証拠だ。
王竜は、たとえ蟻蟲竜の魔臓爆弾を胃の中で爆破させても効かないだろう。それなのに毒味をさせるということは自分に効く毒があると知っているということ。付け加えると衛竜の驚き様を見るに王竜以外はその事実を知らないようだ。
リンドウは帝王竜に信号を飛ばして話し掛ける。
『リザードマンのことを知っているな? なぜ俺を竜にした』
『知らんな。我ではない』
【蛇眼】により、嘘ではないと分かる。やはり、仇敵エスカーと帝王竜が組んでいるわけではなさそうだ。ファフニールの財宝とやらを探していると言っていたし、ほぼ間違いないだろう。
『お前たち竜の目的はなんだ。なぜ人を喰う』
『これ以上、餌に語る言葉は持たぬ』
『……そうか。なら他の王竜に聞く。お前はここで死んでいけ』
『笑わせる。飛べない貴様がどう我を倒すというのだ』
『驕るなよ』
リンドウは自身の鱗を両手に取り、投擲した。
『ふっ、そのゴミクズで我を落とす気か?』
帝王竜は、重力魔法で指先から石ころぐらいの黒い球体を出して鱗に飛ばす。
両者が接触と同時、鱗が消えるかと思えば魔法の方が消滅していた。鱗に“竜殺しの血液”を塗布しておいたのだ。
『ほう、魔法も消せるか』
『全てを知っているわけではなさそうだな』
飛来を続ける鱗は、帝王竜の羽ばたき一回で勢いを削がれて落下した。
『まさかこれだけではあるまい』
『ああ、見せてやる。俺の“魔法”をな』
リンドウが、手を翳すと青い瞳が黄金に変わる。そして拳を握ると同時、中央塔の周囲が連鎖的に爆破。砂煙が辺りを覆う。
「グルル?!」
『な、なんだ!?』
驚く竜達。だが、ファフニールは瞬き一つしない。直後、爆破した穴から無数のコウモリと眷属竜が溢れ出した。
——両爬型蝙蝠眷属竜ハープヴァンパイア。コウモリの輪郭にワニ顔の容姿をした竜。超音波でコウモリを操る——
空をそれらが覆い尽くし、夜の如き暗黒に染める。
『これでお前は籠の鳥だ』
『血の檻……か』
そう、これは王竜を逃さないための檻。逃げようものならリンドウの血を持つコウモリが接触し、ダメージを与える。
もちろんすべてのコウモリに血を混ぜているわけではない。そんな時間も血の量もなかった。だが、“血が混ざった個体がいるかもしれない”という疑念を持ったはずで、簡単には脱出を試みないだろう。
『面白い……が、舐められているようだな。こんなもので我は止められんぞ』
『ちょっとした保険だ。逃げるなよ王様?』
当然、とばかりに口角を上げるファフニール。
リンドウは内心安堵する。これはすべて演出。あたかもリンドウが魔法を使用したように見せかけるため。
実際はコロの眷属操作と、壁魔法——否、正確には“遮断魔法”によるものだ。遮断魔法は、壁を作るだけでなく、気配、信号、一部の魔法効果などを遮る。
いくつかの問題をこれでカバーした。
まず、コウモリにコロの血を飲ませて眷属化させる。次にリンドウの血を固い器で包み、透明の壁を作れる遮断魔法で周囲を補強、それをいくつかの眷属とコウモリに飲み込ませる。そして、楽園跡の隙間に忍ばせておいた。
その後、爆破の合図と共にコロの眷属が超音波でコウモリの動きを操って、空に蓋をしたというわけだ。
初めにファフニールへ鱗を投げたのは血が魔法を消せることを認知させるためだ。そうしなければ蓋を丸々魔法で吹き飛ばされてしまうから。いずれはそうなるだろうが、少しでも時間を稼ぎたかった。
それから、帝王竜を“逃げるなよ王様”と煽ったのも策を盤石にするため。竜というのは物理的にも精神的にも弱者を見下している。王竜ともなればなおさら顕著だろう。
——家には個性が出ると思うべ。
コロも言っていたように、住処には個性が出やすい。今まで外で見た竜巣は蟻塚型で、どの竜も内部に引きこもっていた。しかし、ファフニールは、塔型の竜巣の頂上に陣取り、あらゆるものを見下していた。
これが意味するものを簡潔に述べれば、帝王竜は“プライドが高い”。付け加えれば、ファフニールが楽園を魔法で無理矢理破壊したのを見るに、圧倒的暴力で力を誇示するタイプであり、群衆の視線の最中、逃げることは王の矜恃が許さない。
そこに“逃げるなよ王様”の一言で、敵に意識させて見えない楔を打ち込んだという訳だ。
準備の整ったリンドウが帝王竜を見上げる。
『舞台は整った。今、引きずり落としてやる』
瞬間、跳躍。飛行できないリザードマンが空中に身を投げるということは死ににいくようなもの。
だが、今は“足場”がある。遠くに隠れているコロの操る眷属が、リンドウの踏み台となって空に道を作った。
『くくっ、考えたな』
『ファフニール様! ここは私が!』
暗褐色で細長く、頭部付近がスプーン型の最後の衛竜、猛毒蛇爬竜キンクーブラが前に出ようとする。
それを帝王竜が手をかざして止める。
『邪魔をするな。王は退かぬ。それに貴様では刹那も持たぬだろう。我が圧倒的力を観覧していろ』
『は、はぃ! 拝見させていただきますぅ!』
純粋に帝王竜が戦うところを見たいキンクーブラは、従順に従う。
(やはり逃げないか。そのくだらない矜恃、利用させてもらうぞ)
リンドウは、あっという間に距離を詰めた。
『さぁ、我を楽しませよ』
敵と刃を交える直前、手から黒い重力波を撃たれる。が、カメレオンのような長い舌を横にいた眷属にくっつけて収縮、回避した。
すぐに体を反転させ、角丸三角形の【鱗手裏剣】を飛ばす。
『またそれか、つまらぬ』
帝王竜は首を擡げ、難なく回避した。
しかし、上部に逸れた鱗が突如破裂。爪で鱗にヒビを入れておいたことで途中で割れるように細工しておいたのだ。
竜殺しの血の雨が降る。
『!?』
帝王竜は咄嗟に羽ばたき、かろうじて直撃を免れる——が、避けた先にはリンドウ。
『チッ!』
爪撃をギリギリ回避したが、血を飛ばしていたリンドウにより攻撃が掠る。右腕を少し抉られた帝王竜。赤い血が腕を伝う。だが、その顔に焦燥はなく口端を歪めて怪しく笑う。
『久しく忘れていたよ。痛みというやつを』
刹那、僅かに口を開くと漆黒の光線が吐き出された。
(…………!)
リンドウは、間一髪回避に成功するが足場にしていた眷属が消し飛んだ。さらに光線の勢いは死なず、地平線の彼方まで飛ぶと大爆発を起こして地上に大穴を開けた。
『血は万能というわけではないようだな』
消滅した眷属竜は、体内のリンドウの血だけが残り、地上へと落ちていった。
そう、竜殺しの血は肉体を守るわけではない。魔法をまともに食らえば、血液のみを残して死んでしまう。防御より攻撃に特化したものなのだ。
(早めに仕留めなければコロの存在がバレかねないな)
長引けば違和感に気付かれてしまうだろう。
リンドウは、翼付きの鎧を脱ぎ捨てた。そして、体中の鱗が変化していく。
戦闘の質が一段階上がろうとしていた。




