第88話 決戦準備
帝王竜ファフニールの重力魔法により、地下楽園はほぼ壊滅した。残ったのは形骸化された中央塔の地下空間だけ。
その後、ファフニールが広域信号で全ての竜に対し、帝国の出入りを禁じた。破ったものがどうなるかは言うまでもないだろう。
崩壊した帝国の北西、リンドウは呆然と佇むコロの元へ戻ってきた。
『生きていたか』
沈黙。コロは一点を見つめたままだった。
『人間は、どうした』
『死んだべ。二人とも』
淡々と、ただ事実だけを述べた。
『……そうか』
リンドウでさえ、まさかこんなにも早く大胆に王竜が動くとは思っていなかった。
眷属作りもまだ未完成だ。考えていた策は全て水泡に帰した。このままではファフニールになすすべなく殺されて終わりだろう。
『……あの女人間——ニーンは、オイラを助けたべ。いずれ食べようとしていたのに』
『……そうか』
ただ、報告を聴くことしか出来なかった。自分が近くにいれば一人くらいは助けられたかも知れない。後ろ暗い気持ちを抱いたが、謝罪はしなかった。コロは竜であり、リンドウの敵なのだから。
(……敵、か)
眷属作りが失敗した今、リンドウにもう策はない。だから、これは賭けだ。
『……コロ。俺とファフニールを倒さないか?』
コロが視線を送る。
『俺がここに来た目的は帝王竜、引いてはすべての竜を殺すためだ。今までの竜殺しは俺がやった』
驚いた表情を見せるコロ。
『少し前、竜に愛する者を殺された。その時、おそらく今のコロと同じ感情が生まれた。怒り、悲しみ、嘆き。それらが混ざり合い、膨張し、爆発しそうでしない、出来ない、行き場のない感情だ』
コロは視線を落として考え込む。
『何もしなければ俺達は楽園にいた反逆者として殺されるだろう。俺達は死ぬために生きているのか? 違うだろう? 蜘蛛の糸ほどの可能性しかなくても、生きるために泥臭く抗うべきだ。どうか力を貸して欲しい』
リンドウは思いの丈をぶつけた。もうこれしか方法がない。コロの魔法を使って王竜を仕留める。それしかないのだ。
「…………」
沈黙。遠くで建物が崩れる音が響いた。空は何事もなく凪いでいるのに、世界のどこにも平和が無いなんて嘘のようだった。
ネズミ型眷属のチューボーがコロの足元にすり寄る。
『……チューボー』
人間と過ごしたくだらなくて、だけど掛け替えのない思い出がよみがえる。衣服、食事、住居を与え、ただただ異種族間交流をしたほんの僅かな時間。
他の竜からすれば、滑稽なものに見えるだろう。だが、コロにとっては世界が覆るような新鮮さで、宝石のように美しい夢の時間だった。
『……楽しかったべなぁ』
コロは優しく笑うと、やがて決意したように拳を握り締め、歯を食いしばり、リンドウに鋭い眼光を向ける。
『……やるべ。どうせリンドウを売ったところでオイラも殺されて終わりだべ。だったら今胸の内に沸く行き場のない感情をすべて王竜にぶつけてやるべ!』
『……感謝する。必ず勝とう』
両者は向かい合うと、力強く拳を突き合わせた。
こうして二頭は手を組んで王竜討伐の作戦を立てることになった。
◇
昼時、帝王竜ファフニールは食事を取っていた。
配下のキンクーブラに毒味をさせた眷属竜の頭をドングリでも食べるように軽く噛み砕いて咀嚼する。
中央塔から眼下を望む。自らが破壊し、大穴の空いたそこを眺めるのは心地良い。
圧倒的な力による支配。王らしく下級竜をひれ伏すことが絶対強者たる証だとファフニールは理解していた。
今夜、更なる力を見せつける。あらゆる竜が帝王を畏怖し、尊敬し、寵愛し、逆らうことの無意味さを知ることとなるだろう。
そして、あっという間に時は過ぎ、夕暮れ時。
中央塔の上空に帝王竜が悠然と構えていた。
『聞こえるか我がしもべ達』
ファフニールが信号を帝国中に飛ばす。
『約束の刻だ。中央塔へ集え。今宵は我が主催の晩餐会を開く。飛べない竜を主食に飽食するまで喰い明かそう』
逃げることは許されない。
『さぁ、始めよう。狂宴を』
言葉を終えると同時、帝国の至るところから咆哮が上がる。
歓喜と興奮が入り混じり、大きなうねりとなって、大気を、大地を、世界を揺らす。
揺動の中、リンドウとコロは静かに顔を上げる。
完璧とまでは言わないが準備は整った。後は出たとこ勝負だ。
そして、ついに王竜との直接対決が始まる。




