第87話 失楽園
星のない夜が落ちてくる。
そう形容するしかないファフニールの放った巨大な球体の重力魔法が人も竜も消していく。
『ひぃ、助け——』
楽園にいた竜達は断末魔の叫びもろとも押し潰される。獅子が蟻を踏み潰すがごとく、王の前に為すすべなく命が終わっていく。
『こ、これは大変だべ!』
帝国北西の隠れ家からちょうど外に出ていたコロは急いで人間の女ニーン達の元へ向かう。
球体の魔法は、不幸中の幸いで中央塔の真北から時計回りに落とされている。つまりコロのいる北西の隠れ家は一番最後だ。
「ヂューヂュー!」
地下に降り、鼠眷属竜のチューボーと合流、さらに奥へ。隠れ家の扉を勢いよく開く。
『早く出るべ!』
人間二人は、驚き、不安な顔を浮かべていた。コロは、なりふり構わず鍵を叩き壊し、牢を開ける。
「どう、したの? この地鳴りは、なに?」
「ゴロ、ゴロロォ!」
信号ではなく、叫びで伝えようとするがうまく伝わらない。言葉が通じないのがもどかしい。
「なんか知らんが付いてるぜ。お先に」
男ゲーンは我先にと走り出した。
「逃げればいい、のね?」
女ニーンも悟ったのか、外に出る。
地下通路を足早に進んでいると、六度目の地鳴りが響いた。次の次あたりにはここに魔法が落ちてくる。外に出たところで助かるかは分からない。だが、ここに留まるよりは可能性があるはずだ。一縷の望みに掛けてコロ達は出口へ向かう。
その時、七度目の振動。それにより脆くなっていた天井が崩れる。
「あっ」
先頭にいた男ゲーンに瓦礫が降り注ぐ。
「い、いやだ! 死にたくなぃぃ!」
無情にも瓦礫が男に被さり、潰れた。
『ッ……!』
せめて女ニーンだけでも、と、コロが手を掴もうとした時だった。
「危ない!」
彼女はコロを思い切り突き飛ばした。
体の軽いコロは、容易に二転三転と転がっていく。直後、天井が崩落する。急いで立ち上がり、視線を上げると砂煙が舞う中、うっすらと人影が見えた。
「ゴロ……!」
——ニーンの下半身が土砂に埋まっていた。潰れた果物のように血が流れ出る。
『そ、そんな……なんでオイラを助けたべ』
「キミだけでも、逃げて……」
彼女は、血を流しながらも懸命に笑いかけた。
「ごはん、ありがとね」
「ゴロ……」
コロは、その言葉の意味をしっかりと理解した。
八度目の振動。
「ヂューヂュー!」
一瞬思考が停止したコロだったが、チューボーの叫びに我に帰る。歯を食いしばり、出口へ飛んだ。
最後に見た土砂に埋もれる彼女は聖母のように慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた。そして——そのまま闇に消えていった。
◇
コロは、幸運なことに球体魔法の端にいたのと、自身の壁魔法をうまく使ったため死ななかった。
だが、帝国は無残な姿になっていた。流星群でも落ちたかのような巨大な穴がいくつも空き、中央を囲むようにあった数多の竜巣はすべて倒壊していた。残ったのは南西の端のドラテオン神殿と中央のファフニールの塔だけだ。
竜は楽園にいたものだけでなく、地上にいた無関係の竜も何が起きたか知ることもなく死んでいった。生き延びたのは、能力に優れた竜か、コロのように隅に偶然いた竜だけだ。
「ゴロロ……」
コロはその空虚な光景を対岸の火事でも見るように呆然と眺めていた。
『なんでオイラを……』
なぜ彼女——ニーンが最期に自分を助けるような真似をしたのか。頭が真っ白で何も考えられない。ただ、胸の中心がズキズキと痛むだけだった。
◇
竜教教祖ウーノは、中央塔で帝王竜の圧倒的な力を目の前にして興奮していた。
「す、素晴らしい……これぞ王の力……! フハハハハ! 射精してしまいそうだ!」
自分の判断は間違っていなかった。この力の前に勝てるものなど皆無。王竜に付いていけば世界の頂へ至れる。人は滅びるだろう。
だが、ウーノ自身は生き残り、竜の側で安寧を手に入れる。見下してきた人間共が死にゆく中、人類最後の一人として完全なる勝者となるのだ。
「あひゃひゃひゃ……い、いかんいかん。まだ勝利宣言には早いなぁ!」
深呼吸して、高ぶった気持ちを抑える。今、調子に乗れば竜に雑音として排除されかねない。従順な犬を演じなければ。勝利宣言は大地が火の海に包まれてからでも遅くないだろう。口元を抑えて笑いをこらえる。
そうこうしていると、猛毒蛇爬竜キンクーブラが這い寄ってきた。
『ファフニール様、ご報告があります。南西の森にリザードマンという羽なしの竜が現れたらしいです。なんでも樹王竜の配下を半壊させるほどの強さを持っているとの情報がありました』
『ほう。この“些事”もそいつがやったと?』
衛竜達がやられていたことだ。
『それは、さすがに……ないとは思いますが、正直分かりません。此度のギュスタブ、レザバクを殺したものも同じく手練れでしょう。無関係とは断じきれません』
ファフニールは、口角を上げた。
『ふっ、ちょうどいい。そいつをあぶり出すがてら少し掃除と行こうか』
『と、言いますと?』
『我の配下に無能はいらぬ。従うのは精鋭だけでよい——よって飛べない竜は贄とする』
その残酷な提案にキンクーブラは口端を歪に上げて笑う。
『なるほど、雑魚は大虐殺というわけですか。素晴らしい』
それは、ファフニール帝国にいるすべての竜に適応される。逃げることは許されない。
『今宵、宴を始めよう。死の晩餐を』
それを翻訳して聞いた教祖ウーノは、歓喜の雄叫びを上げた。




