第56話 死神とポルスタ
犯罪迷宮都市ケイオス一層と二層を繋ぐ通路。
「早く二層へ降りろ!」
鍛冶師キュクロは怒号を上げ、混乱に陥っている市民を必死に誘導する。
「キュクロさん! 二層第十三避難所で竜化発生! 眷属竜が量産されています!」
「ちっ! 背後からだと……! やはりこの襲撃は事前に練られてたっつーのか!?」
主要戦力が居ないタイミングといい、間違いない。
「デァトートと連絡は!」
「未だ音信不通です!」
トップと連絡が取れないのは痛い。
キュクロが必死に脳をフル稼働させている中、戦闘員が動く。
「くらえっ!」
油樹竜鱗と松明を投げる。
「バカ! 奴に火を使うな!」
目の前にはモコモコとした灰色の竜がいた。
——煙樹竜キョウチクトー。徒竜。燃やすと有毒ガスを発生させる厄介な竜——
「エァァ!」
竜は苦しみながらも有毒な煙を発生させる。
「仕方ねぇ! 総員退避! 煙を吸うな!」
戦闘員も退避させ、一層を完全に放棄する。
「バカども……早く戻りやがれ」
姉妹の安否を気遣いながら、殿のキュクロは二層へ駆けて行った。
◇
ケイオス三層中域。
「おいそこを通しやがれ!」
「ならん、ここから先は幹部以外立ち入り禁止だ」
「そんなこと言っている場合か!」
デァトートの取り巻きと市民が押し問答をしていた。
「二層にも竜が出たんだ! 逃げ場がねぇんだよ! そこを開放しろ!」
「うるさい! 下がれ下がれ!!」
取り巻きが剣を抜き、切っ先を市民に向ける。一触即発。誰かが腕を振れば勢いは止まらなくなるだろう。
その時、幼い女の子が通路奥から歩いてくる。
「コ、コンニチワ」
「な、なんだ? 誰の子供だ?」
男がその子供に触れようとした瞬間——幼女から針のむしろのような牙が生え、噛み付かれる。
「ぎゃああああああ!」
「ウマイウマイ」
——踊樹竜インパチェンス。徒竜。踊りが大好きで舞いながら戦う。変身魔法で人に化けられる——
「に、逃げろ! 人に化ける竜だ!!」
「ギヒヒ」
阿鼻叫喚。御せない人の波が混沌を生み、心を鬼に変える。
「どきやがれ!」
「お前がどけ!」
「代わりにお前が死ね!」
転倒するものが続出し、殴られ蹴飛ばされる。
追い打ちをかけるように踊樹竜が襲い掛かる。
「ギシャァ!」
「う、うわぁあああ!」
先頭の人間が組み付かれる刹那——銀閃。死神が持つような大鎌が幼女の腹を貫いた。
「大鎌というのは、得てして武器としては使い物にならないものだ。しかし、それは使い手の言い訳に過ぎない。強者は得物を選ばない。何より使い続ければ私を表す一部となり、恐怖の象徴となるのだよ」
現れたのは毒々しい紫の“蠍竜鎧”に“蟷螂蟲竜の大鎌”を携えた迷宮の王、デァトートだった。獲物を貫いたままの大鎌を無理矢理引き抜き、竜を真っ二つにする。
「ギヒヒ!」
通路のあちこちから老若男女問わず変身した新手の踊樹竜が襲ってくる。デァトートを撹乱するように壁や天井を走ったり、クルクル回って踊るように迫る。
「児戯に付き合うつもりはない」
大鎌を軽々と、まるで手足のように扱い、突き、薙ぎ、刺し貫く。敵が体に触れることすら許さない。
「グギィ!」
背後から迫る敵も振り返りもせず両断する。あれよあれよとなぎ倒していき、遂には無傷のまま敵を殲滅した。
それを呆然と眺めていた民衆は驚き、畏怖する。
「竜とはいえ子供の形をしたものをあんな躊躇なく……!」
「私にすれば幼子を殺すも妊婦を殺すも蟻を潰すのと何ら変わらない。外見に惑わされるなど二流の愚者だけだ」
人が思い付く程度の犯罪はすべて犯してきたデァトートにとって造作のないことだ。
その場の混乱が収まってきたところで、一人の男が近づく。
「さすが、デァトートさ——」
男の首が飛ぶ。
「私に近づくものは、おしなべて竜と見なす。死にたいならば遠慮するでない」
「ひいい!」
歩き出した彼を避けるように群衆が割れていく。そして、悪魔のような笑みを浮かべながら二層へ向かっていった。
その後、デァトートは竜も人も近づくものをすべて刈り取りながら、二層と三層を繋ぐ通路前の広場にたどり着いた。
真ん中には食虫植物のような、鋭利な歯のついた口型の葉を持つ竜が我が物顔で鎮座していた。
——食樹竜ヴィーナスフライトラップ。徒竜。葉に触れたものは何でも噛み砕く——
「ちょうどいい。雑草刈りも飽きてきたところだ」
デァトートは鎌を閃かせて駆ける。
「ヴィィィ!」
敵は叫ぶと同時にツルを伸ばして殺しにくる。
それを死神のような笑みを浮かべながら捌いていく。およそ老躯とは思えない華麗な動きでいとも容易く距離を詰めた。
「どうした? 魔法を見せてみろ」
横薙ぎの一撃が竜を襲う。両断したかに思われたが、手応えがない。敵の全身が、闇を想起させる黒に染まっていた。
「ふん、影魔法か。闇に溶け込むには絶好の力だな」
食樹竜は影になったり、潜んだり出来る。その力でケイオスに潜入していたのだ。
「ヴィィィ!」
広場の上下左右あらゆる影からツルが伸びてデァトートを狙う。
「ぬるいわっ!!」
この手の魔法は、往々にして攻撃の際に実体化しなければならず、使い手のセンスが問われる。デァトートは既に敵のおおよその力量を測り切っており、攻撃を一切受け付けない。
「ぬぅん!」
ほぼ予備動作なしでナイフを投擲。まっすぐ竜本体に飛ぶが、当たる直前に影に吸い込まれる。
敵は反撃するように一本のツルを伸ばして、再びデァトートを攻撃。当たる直前で先端の口が開く。中から消化途中の“人間の生首”を飛ばした。
「ふん、小賢しい」
デァトートは動揺一つ見せず、それを両断した。が、それは二撃目を隠す陽動。先ほど自身が投げたナイフが影から現れ、デァトートの眉間目掛けて飛来する。
わずかに眉を動かすが、焦りはなく回避動作を取る。
その瞬間。奥の通路から矢が飛来してナイフを弾き落とした。
「モグラ狩りも満足に出来んとは、老いたかデァトート?」
東側の出入口前に紺碧の竜鎧を着た壮年の男ポルスタ・フラズグズルがクロスボウを構えて立っていた。
「ほう、ポルスタよ、まだ生きていたか」
「娘達を置いて死ねるかよ」
アップル、アガウェー姉妹の父親にして青熊騎士団団長である彼は、ケイオスが竜に襲われていると聞いて、病体に鞭打って戦地に駆けつけたのだ。
足元がふらつく。“幻樹竜鱗”の香りを嗅ぎ、痛みを誤魔化して無理矢理体を動かしている状態だ。長くは動けない。
それを見たデァトートは片方だけ口角を上げて、鎌を二、三回振る。
「私の大鎌で真っ二つにされても文句は言うなよ」
「貴様の草刈り器など当たらぬわ」
ポルスタはおもむろに剣に手を掛ける。鞘にはフラズグズル家の紋章が施されているが、中身は元のそれとは違う。
海のような半透明の青い剣身が姿を現わす。
“蒼玉竜剣サファイア”。蒼玉鉱竜の鱗を一つ丸々加工した剣。普通の剣では竜を斬れないため、鍛冶師キュクロが彼のために拵えた武器だ。病に倒れていたため今まで埃を被っていた。
「貴様達竜を屠れるなら悪魔の剣ですら嬉々として使おう」
竜を挟んで対角に位置した二人は同時に駆ける。
「ヴィィィ!」
敵は無数にあるツルを両者に伸ばして攻撃。
それを二人の猛者が華麗に捌く。
ポルスタは病に冒されているとはいえ青熊騎士団団長だ。戦いの勘は鈍っていなかった。
食樹竜はツルに影魔法を織り交ぜて多彩に二人を攻めるが、経験で勝る男達を止めることができない。
そして、両者が数歩先まで迫ってきた時だった。
「ヴィ、ヴィィィィ!」
影が広場全体を覆う。食樹竜の切り札。絶体絶命になるとほぼ全魔力を使って、その場を染める。
光一つない完全な闇。当然、二人は一寸先も見えない。
「おいポルスタ。光はあるか」
「光茸が一つ」
「充分だ。奴は魔力が尽きかけだろう。次で決めるぞ。合わせろ」
「貴様がな」
ポルスタは、やにわに光茸竜鱗を投げる。周囲が一瞬で明るく照らされた。
デァトートは目を眇めながら敵の位置を視認する。
「ふん、そこか」
眼前に迫っていたツルの牙を鎧を砕かれながらも致命傷を避け、大鎌を本体に投げつける。縦回転しながら敵の中心へ。だが、掠りながらもギリギリかわされる。
その先にいたポルスタに鎌が突き刺さる——ことはなく、上手く柄を掴み、遠心力を利用して横薙ぎに鎌を振るう。
「ヴィギィィィ!」
その連携攻撃に食樹竜は対応出来ず、真っ二つになった。
竜血の雨が降る中、デァトートが悠然とポルスタに近づく。
「フッ、およそ病気の体とは思えんな。仮病か?」
「そうであれば良かったがな」
ポルスタは大鎌を投げ渡した。
「上に行く。お前はどうする」
「当然行くぞ。娘達を迎えに行かねばならんからな。せいぜい貴様を盾にさせて貰うぞ」
二人揃って不気味な笑いを浮かべる。
そして、一定の距離を保ちながら、上層へと向かった。




