第36話 ケイオスの心臓キュクロ2・親子喧嘩
犯罪迷宮都市ケイオス一層、懸賞首狩人集会所ギフト本部にて。
姉妹が帰還して丸一日が経過しようとしていた。
「お前! 俺の仲間を殺りやがったな!」
赤い髪の偉丈夫ヴェステンが、金髪で黄土色の竜鎧を着た細身の男を怒鳴りつけていた。
「相変わらず無駄に声が大きいですね。我々は誰も殺してませんよ」
「そんなわけねぇ! 狩りに行った奴が戻らねぇんだよ!」
恫喝されている優男“リンクス”は、ヴェステン、キュクロと並ぶケイオス三大派閥の一つを率いており、主に商業区を管理している。
ヴェステン共々わざわざリーダーが狩りに出るのは、メンツを保つためで脳筋の賊を束ねるには手っ取り早い方法なのだ。そして、見ての通りヴェステン派閥と事あるごとに衝突している。
「ハァ……」
リンクスは、うんざりするやり取りにため息を吐いた。
「私が殺るならまず貴方を狙いますよ。うるさいですからね」
「あ?」
「雑魚をやるだけ無駄ということです。まぁ、口減らしが出来て良かったじゃないですか。土地や食糧は無限ではないですからね」
「てめぇ!」
リンクスは飛んできた拳を軽くいなした。
「どうぞその怒りは竜に向けてください」
そう言って、男にしては長めの髪を掻き上げ、何事もなかったようにギフトの奥へ消えていった。
◇
「やれやれ、血の気が多いのはいいが外でやって欲しいもんだね」
一部始終を見ていた受付係の男ハーンは悪態をついた。
「あの二人も薬の材料を集めてるの?」
行動制限解除待ちであるポンコツ姉妹の妹アガウェーが赤毛で内巻きの髪を指でクルクル遊ばせながら問いかけた。姉妹は新参者であるため竜狩り達の人間関係がまだ分からないのだ。
「そうだよ。ただ、君達とは違うもう一つの迷宮病——“迷狂病”を治すための材料さ。今度の遠征では酸樹竜の消化液を狙っているみたいだね」
「そっか、被らなくて良かった。考えたくないけど貴重な素材は奪い合いになるかも知れないもんね」
「被らないからといって安心し過ぎはダメだよ。貴重な素材は高く売れるからね」
二人が手に入れた“血樹竜の樹脂”は現在キュクロに預けているので奪われる心配はない。竜の首をくれたヴェステンにも、お礼と今後を考えて樹脂を分けておいた。他派閥と軋轢を生まないための袖の下的なものだ。
受付係ハーンは、大人しく座ってホットミルクを飲んでいる姉妹に向き直る。
姉のアップルが鼻水を垂らしていた。
「ちょっとお姉ちゃん。鼻垂れてるよ。ほら、ちーんして」
ハンカチを取り出して姉の鼻に当てる。
「え、ああすまない」
その微笑ましい光景にハーンは、薄い黒髪を整えながら物珍しい動物を見るように眺める。
「知ってると思うけど最近行方不明者が増えててね。犯人は荒くれ者達を相手に一人も逃さず、証拠も残さないところを見るに相当な手練れの人間だよ。二人も気をつけて」
「うん。神様にも言っとく」
ハーンは姉妹の名前が書かれた竜油のランプ時計をチラ見する。
「よし、時間だ。二人とも制限解除だよ。お疲れ様」
「やったぁ! じゃあ着替えてお父さんのとこに行こう!」
姉妹は急く気持ちを抑えながら早足でギフトを後にした。
◇
ケイオス二層。姉妹は鍛冶師キュクロと共に父の元へ向かっていた。
「おねぇちゃん早く早くぅ!」
アガウェーは、竜衣の上に貫頭衣の丈を短くして裾を広げた藍色の服を着ていた。服屋兼娼婦のお姉さんから竜討伐のお祝いに貰ったものだ。
「クッ……愚妹はよくこんな服着れるな」
雑魚粘膜持ちであるアップルは、樹竜由来の染料で染めた衣服だと鼻がムズムズするので、今は一切着色していない無地の羊毛服を着ている。これも丈が短く、下から風が体を撫でるように入って来るので慣れていないと気持ちが悪い。
一方、キュクロは小洒落た服に興味がなく、竜衣の上に何年も着古したボロボロの竜革服を着ていた。
一度迷宮から出た彼は、本来なら丸一日二層以降に来れないが、本人の人徳と、ちょいと見張りに金を握らせたことで何事もなかったようにこの場にいた。ケイオスではそういう“強かさ”も必要なのだ。
彼らを客観的に見れば、高級娼婦を引き連れた小金持ち貴族に見えるだろう。それはある意味間違いではない。
ケイオスには“派手な服の女と目を合わすな”という警句がある。罪人だらけのここで派手な服を着る女は娼婦か、権力者の手付きの女なので下手に関わってはならないという意味の言葉だ。
キュクロは竜器鍛冶師の筆頭であり、力を誇示するのに必需品の武具を掌握している。迷宮都市ケイオスの名付け親であり創立者の“デァトート”を脳とするなら、キュクロはケイオスの心臓と言っていい。
つまり、彼を敵に回すことは実質“死”と同義。そして、姉妹は表面上キュクロの女となっており、手を出されない。故に“ある意味間違いではない”ということだ。
そんな黒い事情とは無縁に見える三人は、壁に等間隔に並んだ松明が設置された味気ない道を進み、父ポルスタの部屋の前に着いた。
「お父さんただいまー!」
元気いっぱいで竜骨扉を開け放つアガウェーを父ポルスタは険しい顔で迎える。相変わらず頬は痩せこけ、今にも死にそうな顔をしていた。
数日ぶりの再会にアガウェーは、ご主人様に会った犬のように興奮して話し続ける。
「——でさー! 聞いてよー、キュクロさんったら酷いんだよ? ずーっと、鍛冶場で馬車馬の様に働かせるんだから」
和やかに話すアガウェーをポルスタは厳しい顔で見ていた。
「そうか、竜は強かったか?」
「うん、えっあっ……」
アガウェーは急いで口元を抑える。アップルはそれを見て目元を抑えた。
「やはり狩りに出ていたか……外には出るなとあれほど言っておいただろう……!」
「だ、だって!」
「黙れ! お前達は今後一切、外に出ることを禁じる! 私の目の届くところにいろ!」
「そんなっ!」
慌てる妹に姉アップルが口を挟む。
「父上、悪いがそれは出来ない。私達は貴方を助けるために行動して成果も出ている。今更、止められないよ」
「黙れ黙れ! そんなもの他の奴に任せておけばいいのだ!」
「頑固だな。由緒正しきフラズグズル家の当主にして青熊騎士団団長ともあろうお方が戦いから逃げろと言う。人間、柔軟性を失ったら終わりだ」
そのありったけの皮肉を込めた台詞を終えた瞬間、ポルスタは頭に血が上り、平手打ちをする。
それをアップルは難なく腕ごと掴んで止めた。
「この細腕では、娘一人殴れないよ」
「くっ!」
彼は腕を引き戻し、歯を軋ませた。
「……アガウェー、行くぞ。遠征の準備をしよう」
妹の腕を引っ張り、外へ出ようとする。
「くそっ! キュクロ! 止めろ、止めてくれ……!」
キュクロは腕を組んだまま動かない。
「止めてもこいつらはオレをぶっ飛ばしてでも行くだろうな」
「バカ共がっ!」
アガウェーが眉をひそめながら父を振り返る。
「ごめんね、お父さんの言うことは聞けない。だけど約束する。あたし達は絶対に死なない」
そう言い残し、姉妹は部屋を後にした。
残った男二人を静寂が包む。
「おいポルスタ、妙な気は起こすなよ」
「…………」
彼は俯いたまま動かない。病気の自分が自害してしまえば二人はもう外に行くことはないと考えていた。
それをキュクロは見抜く。
「図星か……いいか、てめぇはあいつらにとって希望であり夢なんだよ。てめぇを助けるっていう目標が生きる糧になってんだ。それを失っちまったらあいつら壊れちまうぞ」
顔をしかめるポルスタ。
「しかし……私が生きていれば娘達は危険な竜と戦い続ける。もし、そのせいで死んでしまったら私は、妻に顔向けできない……!」
五年前、ポルスタは二人の娘を連れ、アマゾ大森林の近くの町に訪れていた。その時、竜の襲撃に遭い群衆に流されるままにケイオスへとたどり着いたのだった。
大陸北東の故郷に残してきた妻の安否は不明。娘達には黙っているが、妻も所属している青熊騎士団が壊滅したという情報だけがポルスタに届いたのだった。
キュクロは、白髪混じりの頭を抱えて今にも死んでしまいそうなポルスタを真っ直ぐに見据える。
「なら、もし、てめぇが死んだらオレが二人を殺す。使えねー奴らを飼っておく余裕はねぇからな」
「なっ、貴様……!」
「抗え。それが親の義務だ」
キュクロはそれだけ言い残して部屋を後にする。
残されたポルスタはシーツを破れそうなほど握りしめて、悔しそうに歯噛みするしかできなかった。




