第35話 ケイオスの心臓キュクロ1・接触
血樹竜との戦いが終わり、フラズグズル姉妹が帰還した後。
左目に眼帯をした鍛冶師キュクロは、カミサマに呼び出され迷宮の外に一人で外出していた。
「よう、居るんだろカミサマとやら」
虚空に向けて声を発すると、足元に鱗が刺さる。
『竜の翼を作れるか』
「挨拶もなしかよ。まぁ、馴れ合うつもりもないし、いいか……翼か。飛翔するものはできない。天才のオレができねぇから他の奴らも無理だろう」
己の腕に自信がなければ出ない台詞だ。コバコの調査でリンドウは彼の凄さを知っているので特に驚きはない。
「かと言って飾り羽のような付着するだけのものも難しい。知ってると思うが翼ってのは酷く脆い。竜が死ぬとまず初めに朽ちていく部位だ。保存すら困難を極める。仮にくっ付けられても一日と持たないだろうな」
『難しい、なら出来るということか』
「簡単に言ってくれるね。まぁ、理論は出来てるさ。飛行は人類の夢だからな。常に研究を続けている。ただ、実験するには材料が足りない。頑丈な翼がいる。少なくとも衛竜以上のやつだ」
衛竜は王竜の次の序列で四枚の翼を持つ存在だ。リンドウが敗北した骸樹竜スナップドラゴンもその一頭。今まで衛竜を倒したことがあるのは黒狼団のみ。他の徒竜以下とは強さの次元が違うのだ。
「さて、とりあえず採寸するから出てこい。大きさが分かった方が何かと捗るからな。あと声張るの疲れんだよ」
『無理だ』
その言葉が書かれた鱗と共に、リンドウの“避役竜鎧”が落とされた。それを拾ったキュクロは驚き、鼻で笑う。
「へぇ、この独特な縫い目、ドゥワフの仕事だろうな。随分と顔の広いカミサマだことで」
キュクロは夜風に流される狼の毛のような髪をかきあげて溜息を吐く。
「……てめぇの正体は察しがついてるぞ。偽の翼、ようするに飾り羽を求めるっつーことは変装して竜の巣へ潜入が目的の人間だろう……と普通は思うだろうが、姉妹がてめぇの素性を明かさないところを見るにお前——竜だろ?」
突如として突風が吹き、木々を揺らす。それが止んだと同時にリンドウが月明かりの下へと姿を現した。
キュクロはその姿を見て姉妹に渡された鱗と合致することからカミサマ本人と確信する。特に怖気付くこともなく話を続ける。
「翼のない劣等竜ね。それで姿も見せられず、翼が欲しいと。まさか人間のような意識まであるとは驚きだな」
昔、キュクロが運び屋と雑談していた時にそんな竜がいるという噂を聞いたことはあったが、尾ひれのついた与太話だと思っていた。
紐を手にリンドウへ近づく。
「一応採寸させてくれ。ドゥワフは腕はいいが雑なところもあるからな。ま、会ったてめぇなら分かるだろ」
たしかにドゥワフは豪快な男で繊細な作業とは対極に位置してそうな性格だ。友のことを思い出して顔が緩む。
キュクロは、人間と接する時と同じように紐をゆっくりとリンドウの体に巻きつけた。
胴回りを採寸している間にリンドウが鱗に文字を書く。
『作れそうか?』
キュクロはそれを一瞬見て作業を続ける。
「新鮮で、丈夫で、てめぇの比較的小さい体に合った翼が必要なわけだ。まず衛竜以上で見つけるのは難しい。が、一頭だけ心当たりのある竜がいる。“天樹竜エンジェルオーキッドの翼”だ」
そいつは姉妹の父親の病を治す素材の一つ“天樹竜の羽”を持つ竜でもある。
「こいつの天使に似た翼は伸縮自在らしく、お前の体に合わせられるだろう。それに衛竜だから頑丈なはずだ。だが、当然その翼は品切れだ。天使の知り合いは居ないのかカミサマさんよ?」
もちろん居るわけもなく、ため息で返事をする。
『薬の材料は槍の医者に聞いたのか』
「ああ、姉妹から聞いたのか。三年前、琥珀色の槍を持った、医者と自称する奴が材料片手に目の前で二大迷宮病それぞれの特効薬を作ったのさ。当然偽物だと疑ったが実際に病気の奴に飲ませたらたちまち完治しやがった」
誰も倒したことがない衛竜の材料を持つ人物。怪し過ぎる。
『医者の名前は?』
「さぁな、名乗らずに材料のメモだけ残して消えていた。ただ、アガウェーをしきりに気にしていたな。少女趣味だったのかもな」
数多いる竜の中から薬の材料を見つけ、手に入れることなど並みの人間では不可能だろう。竜に深く関わりのあるものでなければ。
リンドウの知っている人物かあるいは竜か。答えは出そうもないため今は頭の隅に置いておく。
「天樹竜の素材はバカ姉妹も欲してる。ついでに助けてやってくれ。それで報酬はチャラにしてやるよ」
彼にとってそちらが本命であった。
キュクロは察しがよく、頭が切れる。そのため、柄にもなく鍛冶場の管理をさせられているのだ。リンドウが行おうとしていることも察しがついていた。もちろん姉妹に肩入れしていることも。
『お前は早死にしそうだな』
「お互いにな」
ポンコツ姉妹を助けるお人好しなんてそう寿命は長くないだろう。と、双方思っていた。
採寸が終わり、印をつけた紐を片付ける。
「てめぇの正体は口外しない。二人を傷付けない限りはな」
利害が一致する限りは味方ということだ。全幅の信頼は置けないが、仕事上の関係では信用できるという奇妙な関係性ができていた。
「それと朗報ってわけじゃないが、遠征には“ヒサメ”っつー手練れが参加する。信頼できる奴だ。てめぇの負担が減るかもな」
そう言って、踵を返す。が、何かに気付いたように、眼帯をしている逆側の右顔半分だけリンドウへ向ける。
「ああ、そうだ。親父は元気だったか?」
親父——ドゥワフのことだ。
リンドウがこくりと頷くと、二十代半ばの若き鍛冶師“キュクロ・ドワーフ”は鼻で笑って迷宮へ戻っていった。




