第207話 九十九層
世界樹九十九層。床は鏡面、上は偽の太陽と雲が浮かぶ空色の大空間だ。
中心には人間の大人くらいの身体に、六枚の翼と六本の腕を持つ銀色の竜。
——無屍竜ヴィーザル。全てを無に帰す“虚無魔法”を使う——
リンドウと骨王竜カドモスが臨戦態勢に入った。
「あれが最後の敵かの」
「だといいがな」
敵がこちらを視認して六本腕を広げた。
「アァァ!」
不快な甲高い咆哮と同時、敵の体が“消失”した。
「な、なんじゃと!? 気配が読めぬ……!」
羽ばたく音も、足音も、息遣いも、体温もまったく感知できない。
「……ふん」
突如リンドウが鉤爪を虚空へ出した。すると、甲高い音を立てて、敵の爪と触れ合っていた。
カドモスへの攻撃を防いだのだ。魔法を透過する【蛇血眼】により、リンドウには敵の姿が見える。さらに竜殺しの血液により物理接触も可能なのだ。
「油断するな」
「いやぁ、助かったわい。老眼のワシにはキツいのう」
ジョークを言いながらカドモスが骨を広範囲にばら撒いた。それらが床に突き立ち、針のむしろのようになる。
「これでどうじゃ?」
「残念だが密入国し放題のようだぞ」
敵は“虚無”の状態で骨を透過しながら低空飛行で突進してきていた。
リンドウが横から斬りかかる。しかし、カドモスの撒いた骨が邪魔になっていた。
「チッ、片付けろ」
リンドウは骨の一本に齧り付くと、カドモスの足元に吐き飛ばした。
「仕方ないのう、掃除は嫌いなんじゃが」
手を掲げて渋々骨を回収。終わった瞬間、リンドウが背中に飛び乗った。
「むぅ!?」
「飛べ」
カドモスは理由も聞かず、言われるがまま飛翔した。直後、敵の不可視ブレスが床付近を削る。落ちていたいくつかの骨は無へと帰した。
「いやはや、最近の若い竜は恐ろしいブレスを吐きおるのう。オマケに足蹴にされて馬車馬のように働かされる。もっと年寄りを労って欲しいわい」
「子供に遊ばれているうちが華だぞジジイ」
「毒まで吐きおるわ」
その後、リンドウがカドモスの背中越しに二、三言葉をかけた。
「行くぞ」
リンドウがカエルの如く上空へ大跳躍。そこで【デスロール】を使ってその場で回転して血の鱗を周囲に降らせた。
「危ないのう」
カドモスが血鱗を避けるように後ろへ飛翔した。
だがその時、背後に無屍竜ヴィーザルが迫っていた。カドモスは気付かない。そして、背中を鋭い爪が貫いた——。
「愚策、じゃな」
カドモスの腹背を貫いたと思われた屍竜の腕は溶けてなくなっていた。
「アァ!?」
「痛がっている場合ではないぞい」
カドモスの尻尾が刃状に変化し、動揺している屍竜の首を飛ばした。
ただの“犬の骨”にリンドウの血を注入して、自身の骨の体の一部とすり替えておいたのだ。それに触れたせいで腕が消失した。血は骨を回収した時に密かに渡していたのである。
『お主に“乗っ取り”能力がある以上、まずワシを狙ってくるのは読めた。後はお主に悟られぬようリンドウと“人語”で意思疎通を図り、示し合わせたんじゃよ』
カドモスは愉悦に口端を上げる。
『分かったかの、ってもう聞いておらぬか』
屍竜は完全に溶けて無くなっていた。
「勝利宣言とは余裕があるな」
「頼もしい味方がおるからの」
そう言って、二頭は拳を突き合わせた。
それから休憩に入り、カドモスとその配下の骨兵ペローロスと共に時が過ぎるのを待った。その間、下層からは誰も上がって来なかった。
運命の時が近づく。あと少しで転生の果実が実る百層が出来上がるのだ。
「もうすぐじゃの。これで全ての生命体が救われる」
「ああ、神竜がどうにかしてくれる」
リンドウとカドモスは神竜を復活するという約束のもと共闘していた。
「ただ、最後に聞いておきたいことがある」
「……なんじゃ?」
リンドウが鋭い眼差しを向ける。
「なぜ“樹王竜から殺した”? 王竜は二つの派閥に分かれていた。神竜復活派とそれ以外にな。樹王は前者だ。だとしたら殺すより協力して世界樹を攻略した方がいいはずだ」
「……細かいのう。骨にした方が楽で良いんじゃよ。あとで裏切らんとも限らんしな」
「だがはじめに殺すべきではなかった。もし見つかれば他の王竜をまとめて敵に回してしまうからな」
「……ふむ」
「それだけじゃない。お前の一部であるペローロスの言動を観察していれば、どう考えても“生命の統一”により全てを傀儡にするとは思えなかった」
財宝の層や、武器の層でのやり取り、アガウェーへの告白などを聞いていれば、全てを人形にして管理するとは到底考えられない。
件の骨兵ペローロスは側で沈黙していた。
「それらから導き出される答えは、お前——神竜を復活させる気がないな?」
「……何を言っても無駄かの」
「“言葉だけで信頼は得られない”。お前が哲学者として残した言葉だ」
「まぁ、その通りじゃな。ワシも主は信頼しておらん。リンドウ、お主はダリアを生き返らせるつもりであろう?」
「違うな。俺は神竜を復活させる」
「信じられんのう」
「なら、仕方ない」
ひりつく空気。
「お主もワシも行き先が同じ舟に乗っていたに過ぎぬか」
カドモスが翼を広げて飛翔した。
「ここに来て不運じゃったのう。天井も壁もない。主は一方的に蹂躙される。それとも逃げるかの?」
「俺がいつまでも弱点をそのままにしておくと思うか?」
「なんじゃと……?」
リンドウの体が真紅に染まっていく。
「人は翼がないから飛ぼうとする。どうすれば鳥のように、天使のようになれるか考える。リザードマンも同じだ。初めから飛べる竜には分からないだろうな」
真紅に染まるだけでは終わらない。背中から二枚の紅玉色の翼が生えてくる。
ここまで竜には辛酸を舐めさせられるばかりの苦痛の日々であった。だが、戦闘狂であるリンドウには楽しい時でもあった。
だから、ありったけの皮肉を込めて。
「感謝する。劣等竜にしてくれて」
飛翔。風を切り、雲を割り、空を抜ける。体中を撫でる大気が、照らす陽光が、世界の全てを手に入れたような万能感を与えてくれる。
やがて、青き天の中心で羽ばたきを止め、偽の太陽に手を掲げながら薄く笑みを浮かべた。
「悪くない気分だ」
人で、リザードマンで、リンドウで、そしてダリアの夫で良かった。彼女の与えてくれた心がどこまでも成長させてくれる。どこまでも高く飛べる。
見下ろす先には、全ての元凶、骨王竜カドモス。
「勝者が全てを手に入れ、敗者は全てを奪われる。——終わりにしようか最終戦争を」
そして、頂上決戦が始まる。